住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

大乗仏教とは何か

2022年12月10日 08時39分40秒 | 仏教に関する様々なお話

これまでの説

お釈迦様歿後500年ほどして、一般大衆のための新しい仏教運動として起きてくるのが大乗仏教だと言われてきました。そして、大乗仏教は、仏滅100年目にあった根本分裂によって、上座部という伝統派の比丘(びく)と大衆部といわれる改革派の比丘との分裂をきっかけに、その大衆部の比丘たちから徐々に教えが開かれたものになり、大衆化して世俗化した教えが大乗仏教であるとされてきました。

それから、もう一つの説が仏伝文学からの流れが部派仏教を越える思想に発展したとするものであり、第三の説として、仏塔を護持し供養する在家の信者たちによって教えが語られ記録されて大乗仏教のもとをなしたとの説があります。しかし、それらはいずれも大乗仏教を仏教の側からごく一面を捉えて説を立てたものに過ぎないのだろうと思うに至りました。

保坂俊司先生著『国家と仏教』に学ぶ

保坂俊司中央大学教授の著された『国家と宗教』(光文社新書)を読んでそのことを痛感したのです。先生は比較宗教学がご専門で、イスラム資料を渉猟されて何故インドから仏教が亡くなったのかを論証された先生です。

そしてこの書では、なぜ大乗仏教がかくあるのかを西域からインドに侵攻して国家をなし、仏教を国の統治理念として採用したクシャーン朝などの仏教との関わりを詳細に検討することで明らかにされています。もちろんこのような指摘は梶山雄一先生の『さとりと廻向 大乗仏教の成立』講談社現代新書等でも見られるものではあるのですが。

血統主義を超える思想として

まず、仏教をインド全国へ宣布するアショーカ王について検討されています。アショーカ王のマウリア王朝のもとをなすマガダ国自体が実はバラモン教の原理を否定する地域であり正統バラモンからは蔑視される存在でした。アショーカ王も血統と階級を重視するバラモン教の視点からは異質な存在であったのです。だからこそ彼は平等と憐れみを説く仏教を必要としたのでした。そして、王柱を立て、また岩などに法勅を刻むことで、インド全国に仏教は広まりました。その手法も、インド的ではなく、当時の先進国ペルシャの影響によるものであったと先生は言われます。

このことはギリシャからインドに入った征服者においても同様であって、彼らが仏教に帰依したのは単に教えが素晴らしいということのみならず、インド社会にとっての異民族はすべて賤民であり最下位のカーストに属することになるので、宗教的救いにおいてその行いにより覚りありという点で誰をも差別しない仏教に帰依するほかなかったのです。

そのために、仏教がバラモン教にも増して、その思想性や豊かな文明を持つものである必要がありました。般若経典の膨大な量は、対するバラモン教のヴェーダ聖典に匹敵する典籍を求められたことが考えられ、儀式儀礼もインド古来の祭祀に対抗する大がかりな作法を求められたであろうと考えられます。また、沢山の諸仏諸菩薩もインドの神々のバリエーションにあわせたものとして生み出されていったと想像されるとのことです。そうして大乗仏教は発展を遂げるに至ります。

外来の民族がインドに定着するために、彼らは仏教に普遍性を求め、その非インド系信者とその思想によって変化していったのであり、だからこそ大乗仏教はバラモン教から見て辺境の北西インドで隆盛するのです。特にペルシャの文化とその文明がそこには大きく影響するとしています。

政治思想として

すべての人の平等を説く仏教は当初一地域の教えに過ぎませんでした。しかし、他宗教に対して寛容な教えを政治的に利用することで、つまり仏教を政治思想として読み取ることによって、自己中心的な発想を超え、地域主義、血統主義など差別的な思想、認識を越えて国家の中枢の教えたるものとして発展させていくのです。そこで、異民族国家がインドの地に定着し統治していくために、仏教をインド世界で大きな社会的勢力に育て上げることが不可欠でした。

西暦紀元前二世紀に国を興し、紀元後一世紀にインドに至る中央アジアに広がる大帝国となったクシャーン朝は、交易国家であったがために北西インドの交通の便の良さに注目し、インドのマトゥラーに宮殿を建設します。はじめは多様な信仰を保持したのですが、後に仏教の熱心な擁護者となり、仏像を造り、貨幣にまで仏像を刻み、経典を文字化して崇拝対象としました。そして国境を接して政治経済的結びつきの深いゾロアスター教などの多くの宗教との融合と、そうした新しい社会の出現によって仏教は大きく変革されていきます。大乗仏教の菩薩の出現も、ゾロアスター教の「サオシャント」という、人々を利益する者を意味する、救世主がその起源として考えられると、岡田明憲氏の研究を引用されています。

そして何よりも大事なことは、大乗仏教を代表する思想である「空の思想」こそが、この新しい社会にとって不可欠な思想として成長したのでした。異質なるものの共存、多元的なあり方を認めつつ全体として緩やかな統一を形成する思想や方法論として、この空の思想がありました。空とは、すべてのものは因縁果の縁起の法則から逃れられるものではなく、決して出自によって決められるものではない、すべての存在は厳然たる因縁因果による業のうえに平等であるがゆえに何人も対等に扱われるべきであるとするのです。

なにものにも実体はないとするその理論が、自己を絶対化せず他の存在を認めるがゆえに、多種多様な思想の融合原理として有効だったのです。この思想を政治理念として採用することで、あらゆる対立の根拠を超越して、多民族多宗教などの共存社会建設が可能になったのでした。つまり世界的大国を支えるイデオロギーとして不可欠なものであったのです。

しかしそうした異民族の大国による侵入と支配はインドの民衆には混乱と闘争を引き起こしたことは想像に難くなく、そこで教えとしては、民衆救済の観点から出家者ではなく在家者中心の教えとすべく、自らを菩薩と捉え、出家者に代わるシンボルとして、聖典を受持し、仏像を祀り、ストゥーパを礼拝して、信仰と経典の読誦、書写という易行道を実践。日常は六波羅蜜を行じることで功徳を積み、誰もが仏性を有する者としてその開顕のために精進すればよいとされたのでした。超越する原理がすべてのものに内在するという、一見安易な教説のように感じられる仏性論もこうした他民族社会や複雑な国家内の融合のために不可欠なものとして、そうした環境が生み出したものと考えることもできます。

さらに仏教は、経済・文化・芸術・医学・薬学・建築・土木工学に至るあらゆる文明を形成する諸要素を含み、各々の分野において指導原理となりうるものなのだと記されています。つまり大乗仏教とは、単なる宗教哲学倫理を遙かに超えた、一つの文明と位置づけられるものであると結論されています。

現代に不可欠な思想として

そして今、二十一世紀に展開する宗教、ならびに文明の対立は大きな世界の不安材料となっているわけですが、先生は今こそこの大乗仏教の空の思想によって、その宥和を図るべく、日本人がそれを説き、世界に平和をもたらすべきであると提唱されています。なぜならば、日本こそ、仏教によって古来国造りがなされ、天皇を頂点として千年に亘り世界的にもまれに見る仏教外護者が政治の中心に常に存在し、国民一人ひとりに仏教がしみこんでいるはずだからです。仏教は単に儀式儀礼のものではありません。保坂先生が唱えられるように、大きく国のあり方を決める政治思想として、また世界経済の動向を左右する経済思想たり得る思想体系でもあるのです。


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満中陰忌一言法話

2022年11月01日 07時22分40秒 | 仏教に関する様々なお話
満中陰忌一言法話  




○月○日にお亡くなりになり、ご自宅で枕経をし、通夜葬儀はこちらの会館で行いました。そして、七日、七日奥様だけであったり、ご子息様、娘様が同席され丁寧にお勤めされて、今日満中陰の法事を迎えられました。生前お元気な時には、ご夫婦で山登りを楽しまれたり、四国巡拝を四度も回られていたとのことですが、十年ほど前に脳梗塞で半身不随となり、気の毒なことではありました。ですが、それでも杖を突き突きよく歩かれ、自動車の運転もされるようになり何よりと思っていたところでしたのに、昨年突然病魔発症し、誠に残念なことでありました。

ところで、亡くなられてから四十九日までを中陰とか中有と申します。 通夜でも申しました通り、四十九日までの七日ごとに来世に逝く機会があるとされています。が、どなたも七七、四十九日までには来世に旅立っていかれる。そこでその最後の時にたくさんの功徳を手向けるために、こうして四十九日の法要は盛大に行われてきています。そして来世の誕生の瞬間を生有と言い、それからこうして亡くなるまで生きている期間を本有、亡くなる瞬間を死有といいます。

中有、生有、本有、死有を四有といい、人はと言いますか、生きとし生けるものはこの四有を繰り返しているのだと考えます。ですから、私たちは今、本有を生きていることになります。そして、来世どこに生まれるかは生前の身と口と心の行いの良し悪しによってもたらされる。そうした生涯に導かれる死の瞬間の心がとても大切だともいわれています。行いが悪ければ地獄・餓鬼・畜生・修羅の人間界よりも下の世界に生まれかわるかもしれない、善い行いをたくさんして功徳を積まれていたら人間界、ないしその上の天界に生まれるといいます。生きとし生けるものは、この六つの世界をグルグル転生しているのだと仏教では考えています。

私たちはいま、たまたま前世の因縁が善かったためにこうして人間の世界に生まれ、それが当たり前だと思って生きているわけですが、人間界に生まれるというのは実はとても難しいことです。暗い心で亡くなってしまうと餓鬼に行きやすく、身体をもって生まれるよりも、天界に生まれる方が簡単だとも言われています。特に日本では少子化ということもありますから、とても難しいわけです。それからどんなところにうまれても自分の意志によって善く生きようとすることもできますし、良く生まれても堕落して悪くなるのも自分次第というのは人間界だけのことであって、だからこそ人間界に生まれるのはとても価値あるものなのだと考えるのです。

話変わって、戒名の中の院号に、禅の字が入っています。これは、坐禅をして得られる禅定の禅ではありますが、坐禅をしなければ得られないというものではありません。故人は最後の十年間、身体が不自由な一方で、一人静かに過ごす時間が増えたものと思われます。その間に様々なことを考え、思索にふけられたのではないかと私は勝手に想像しました。

そうした中で、今の自分を支えてくれている奥様、ご子息、また娘様ご家族の存在、またご実家の皆様、さらには地域の人たちや医療関係者や福祉関係の人たち、そうした体制を組織し維持しているこの国の制度にも思いを馳せ感謝し恩義を感じておられたのではないかと思います。そうしたところから知恩という言葉も入れさせていただきました。決して考えることが禅というものではありませんが、考えて考えて考えられなくなった先に心澄みきった坐禅を修するのと同様の静かな心を得られてもいたのではないかと思っております。

祭壇に置かれたお写真を拝見しますと、すべてのことを了解されて、ニコリとされながら何かぼそりと言いたそうなお顔をされています。そう思いつつお経を上げておりましたが、おそらく今日こうしてお出になりにくい中お越し下さった皆様に、最後の感謝の言葉を述べられて来世に旅立っていかれるものと思います。残された皆様は、故人が安心して旅立っていけるように、故人の分までどうかお元気で、健康に、そして存分に生ききっていただきたいと思っております。以上でございます。来年また一周忌でお会いいたしましょう。

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死ねば仏とは

2022年09月28日 20時18分51秒 | 仏教に関する様々なお話
死ねば仏とは




いつの頃からか日本では死すと仏、仏様と呼ばれる。私にはそれが不本意で、そんなことを言うから日本仏教は衰退したと。死んだら仏なら教えも修行も不要ではないかと考えたからでもあり、そんなものならそもそもお釈迦様も各宗の祖師方も死に物狂いで、死を覚悟して迄の修行の必要もないものになると。そんな簡単なものではないと考えたのであった。

しかし、数日前、朝の御勤めの際に、ひらめいた。煩悩に覆い隠された故人が死んで仏だけが残ったのだと。死ねば故人の生前の人格の心は遺体から去り、命のない身体だけが残ることになる。お釈迦様が発見された無常の真理そのもののみが残される。森羅万象すべてのものがありのままの世界のその摂理、真理の中にあるそのものと化す。

生前あった煩悩はその身体にはない、だから、仏と言いうる。そういうことではないか。五尺の糞袋と言われた煩悩だらけの人間は去り、残されたのは真理そのもの、それを仏と言ったのではないか。誰もがその時、煩悩が抜けきり、安らかな顔になり、やさしい顔になられて仏そのままの顔となる。苦しそうにしていた人も、寂しそうな人も、苦々しい顔をされていた人も、みんなその時安らぎの中にある。そう見える。

四大とか、五大とか言われる身体は、地水火風ないし地水火風空といわれ、それぞれの要素を一つにして生きていた。地水火風空と言えば、それは真言宗的には、五輪塔であり、大日如来そのものと考る。やはりそれは仏様に外ならないことになる。しかしそこに煩悩にまとわれているが故にその仏の自分に気づけず、凡人と思って、凡人そのものの一生を私たちは過ごしてしまっている。

身体と心が一つに存在している時に、心の煩悩を吹き消してしまうことを覚りとか解脱と言い、身体だけを残して来世に旅立つことなく、心も消滅する。しかし覚れなかった凡夫衆生は当然のことながら生への未練から過去世から現世に貯め込んだ業のままに来世に再生すると考えられている。

真言宗でいう、即身成仏とは、身と口と心のはたらきを仏のごとく調え、自身が仏と何ら換わりなきことを体感し、自覚し信念として感じられるようになることであろう。そこには、すでに真理の中に生き真理に生かされていることを深く認識されていることは言うまでもないであろう。

故人を悼みなされる仏事全般は、仏たるご遺体ではなく、来世に赴きたる煩悩具足の心に向けてなされるわけだから、中有にあってはこの三次元の空間におられる故人の心に、満中陰後は来世に転生せる先に向けて功徳は廻向されると考えるのが本来であると考える。

いずれにせよ、死ねば仏と言われるのは残されたそのご遺体に対して言われることであり、生前のその人が死んだからその瞬間に成仏したという意味ではないとわきまえる必要があるのだと思う。




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心を浄めるとはーこれからの時代をいかに生きるか

2022年09月24日 11時24分12秒 | 仏教に関する様々なお話
心を浄めるとはーこれからの時代をいかに生きるか



神辺國分寺の横山でございます。秋の彼岸法会、沢山のお参りご苦労様でございます。今年も災害が続き、先頃も強い台風により全国多くの地域で被災したばかりであるのに、この備後地域は守られているのか、このように法会ができるというのは、誠に有り難いことだと思います。

私がこちらに上がらせていただくのも三回目となりました。今日は、心を浄めるとはと題して、これからの時代をいかに生きるかをテーマにお話させていただきます。

御開帳について

ところで、まず初めに、今年は皆さまにとって何より大切な檀那寺の記念すべき年であります。改めてお祝いを申し上げますとともに、そのために昨年から仏像の修理や堂宇の修繕をお寺様檀信徒役員の皆様ともどもに進めてこられ大行事に備えられた、そのご努力に敬意を表したいと存じます。

秘仏について

皆さん、三十三年ぶりに御開帳されたご本尊様に対面されて感激も一入であったことと思いますが、皆様の思いと同様に、私ども國分寺でも、檀信徒からお姿を拝見できるのはいつですか、なぜ秘仏なのですかと問われることも度々ございます。

普段お厨子の扉を閉めている仏様のことを秘仏というわけですが、秘仏にしているのはどうしてなのでしょうか。扉を開かないのにはいくつかの理由が考えられますが、皆さんはなぜだと思いますか。保存のため、保管のため、御開帳した時のありがたさのためであるとかいろいろと言われるわけです。

が、私は、仏様というのは本来法を説くものであり、仏様は姿かたちではないよ、ということを教えるためではないかと思っています。ですから、それぞれの仏様ごとに、その仏様としての説法、声なきメッセージを発しておられるものと受け取ることが大切ではないかと思うのです。

お薬師様には、お薬師様のメッセージがあると思うのですが、どのようなメッセージでしょうか。皆さん、ご真言はオンコロコロセンダリマトウギソワカととお唱えになられていますね。それでは、このご真言はどのような意味でしょうか。実はこれは私にとって長年解明できなかった難問でありまして、学者先生方もどなたも明瞭に訳せない、難解なご真言でもあります。

薬師真言について

ある本には「仏様よ、早く人々の願いを成就し給え」などと訳されたりしますが、なぜこのような訳し方になるのかがわからなかったのです。そこでまず、この真言を分解して、その意味を調べてみますと、

オンとは、インドの聖なる音であり、神仏への敬虔なる挨拶としての言葉でありまして、コロコロとは、欣快なるかな、非常に喜ばしいことよ、また速疾にとも訳すようです。このあとのセンダリマトウギの部分が問題ですが、センダリの部分がチャンダーラ、マトウギの部分がマータンガという、インド世界の最下層の被差別民チャンダーラの一種のマータンガの女性、もっとも虐げられ蔑まれた部族の女性を指す言葉であります。ソワカは、幸あれ、祝福あれという意味となります。

この中にお薬師様の名がなく、なぜインド社会で差別を受けている人たちの名前のみをお唱えするのかが疑問となります。お薬師様のご真言として、これをどのように解釈すべきかということにずっと解答が得られないまま何年もかかりました。ですが、二年前の一月のことですが、ある日の朝本堂でお薬師様を拝んでいた時、ふと、お薬師様の誓願とはと心を向けました時、このご真言の解釈が頭に降ってまいりました。

どのような解釈だったかと言いますと、この真言は、お薬師様の心の底から起こってくる願いであり、この世で最も気の毒なかわいそうな虐げられた最下層の人たち、彼らこそすみやかに救われ、よくあるように、祝福されるように、彼らが救われるならば、必ずやすべてのものたちもよくあるはずである、すべてのものたちの悩み苦しみがなくなり、生きとし生けるものたち誰もが幸せであって欲しいというお薬師様の願いを最も短く表現したものに違いないと思われたのでした。

もちろん、これが正解ということではありません、ただ私がこのような解釈のもとでお唱えするのが一番お唱えしやすいというにすぎません。仏教は、何よりも自分が納得し信仰する実践するということが大切です。

そして、その後さらに調べを進めておりましたら、ある仏典に、この御真言にまつわるような話が残されていましたので、ご紹介してみたいと思います。

お釈迦様に長年随行されていたお弟子にアーナンダという釈迦族の王族の生まれでハンサムなやさし気なお坊さんがいました。祇園精舎に滞在している時托鉢に歩いて喉が渇き、水を汲む村の娘から一杯の水を恵んでもらいます。

その娘は旃陀羅種のマータンギの娘だったため、娘は身分の低い自分が高貴なお坊さんに水を差し上げてよいものかどうかと躊躇するのですが、自分は出家であるから貴賤上下の品わけをしないと、アーナンダはそう言って水をもらい飲みました。

その清らかな美しい姿を見て、娘はアーナンダに恋心をいだき、アーナンダが街を托鉢すれば後を追うように歩くようになって、祇園精舎の中にまで入ってきてしまいました。恥ずかしく思ったアーナンダはお釈迦様に相談すると、お釈迦様は、その娘にアーナンダの妻となるには出家しなくてはいけないと言われて、両親の了解を得させ髪を剃り出家させました。

そして、色欲は身を焼き人を焼く、灯りに寄る蛾のように炎の中に身を投げんとする。智慧ある者はこれと違い、常に色欲を遠ざけて静かな清らかな楽しみを味わう、なんじも今より道に入るがよい、などと教え導くと、純粋な娘の心は白い布に染まるように心の垢が去り、ついに覚りを開いたという話が残されています。

ですが、この話が世間に知れ渡ると、お釈迦様が卑しい旃陀羅の娘を出家させたと、階級制度の厳しいインドのことなので非常な非難の声が起こったのでしたが、お釈迦様は少しも動じることなく四姓平等の教えを説かれたということです。

当時のインド社会の階級差別、性差別は、現代の私たち日本人が想像できないほどにすさまじいものがあったことでしょう。宗教者でもその差別意識は同様であったと言われています。

そうした社会にあってなお、お釈迦様は何の貴賤の差別なく、旃陀羅種のマータンギの娘を出家させ、法を説き、そして覚らせたというこのエピソードにあらわれる慈悲の心は、正にお薬師様のご真言そのもののように思えるのです。

余談ですが、当初お釈迦様の出家の弟子たちはみな男性ばかりでした。ですが、ある時実母の妹にあたる継母が訪ねてきて、出家をしたいと願うのです。が、お釈迦様は拒み続けたと言われています。ですが、その時アーナンダが来て、女性が戒律をきちんと守り、教えを学び修行したとして覚れないということがあるのかと尋ねると、お釈迦様はそんなことはないと女性でも覚れると言われて、では出家を認めるべきではないかということになり、比丘尼という女性の出家者集団ができるわけです。

のちにこの人はマハーパジャパティゴーターミと呼ばれる阿羅漢になるわけですが、そのほか、四姓の階級にしても、六道のすべての命に対しても差別なく対されるのはみなこのような意味からと言えます。

慈悲について

それで、今日は、こうしたお釈迦様やお薬師様のような清らかな心とはどういうものなのか、そして、その心に何とか私たちも近づいていけるようにするには、つまり心を浄めるにはどうしたらよいのかということをテーマにお話ししていきたいと思っています。

まずこの清らかな心とされる、慈悲というものですが、普通、慈悲と言いますと、日本では、慈と悲に分けて、慈は好意を持って利益を与えること、悲は同情して苦しみを除いてあげることと解釈されることが多いのですが、本来、お釈迦様のように、誰をも差別せず、生きとし生けるものすべてのものたちが幸せであることを願うものであり、慈悲喜捨といわれる四つの心を内容とするものです。プリントにありますように…。

慈(友情)は、友情という意味で、親友に対する友情の心でもって誰もが良くあって欲しいと願うこと。
悲(抜苦)は、親友が困っていたり苦しんでいたら助けてあげたいという気持ちを誰にも広げていくこと。
喜(共感)は、親友が成功したり良いことがあり喜んでいたら自分もうれしくなる気持ちを誰にも持つこと。
捨(平静)は、親しい人も親しくない人にも分け隔て無い平等な静かな心で居ること。

このような心を養うことが必要とされ、その為に、まずは自分の幸せを願い、悩み苦しみがなくなりますように、願い事が叶いますように、それから親しい人たちが幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように。そして、生きとし生けるものたちが幸せでありますように、と念じていき、誰をも分け隔て無く良くあるように幸せであるようにと、お薬師様の真言を解釈した内容のように念じていくのです。

このようになぜ慈悲の心を念じなくてはいけないかというと、日常生活の中で、私たちはどうしても自分を中心にものを考えるという習慣があるからです。自分自分という思いで生きているところを、自分という思いを少しでも、そうして脇に置いて、広く周りの人たち、また生きとし生けるもののことを想像しながら生きてみるという練習です。自分という実体があるとして、私たちは喧嘩してみたり、嫉妬してみたり、うじうじと殻にこもり他を怨んでみたりといろいろと問題を起こすわけですが、そうした自分という錯覚を壊していくためのものだということです。

法句経という古い経典の偈文ですが、諸悪莫作・衆善奉行・自浄是意・是諸仏教と言う偈文があります。悪いことをせず、善いことをして、自らその心を浄める、これが諸の仏の教えであるということです。なんだ当たり前のことを言っていると思われることと思うのですが、昔中国の唐の時代にこんな話がありました。白楽天という高名な詩人で地方長官を務める役人でもある人がおられましたが、杭州に赴任した時、地元の有名な禅師、道林禅師を訪ねたそうです。そして、仏教を一言でいうとどんな教えかと尋ねます。その時禅師が言われたのがこの偈文で、なんだと、こんな三才の子供でも知っているようなものではなくもっと奥深い教えの神髄を尋ねたのにと言われたそうです。すると道林禅師は、三歳の童子これを知ると言えども白髪の老人これを行い難しと言われたところ、白楽天は何も言い返すことができずに帰られたという話です。知っていても行われなければ何にもならない。その通りに行うということが大変難しいことです。仏教は実践の教えであるということです。

それで言いたいことは、ここにある自らその心を浄めるというところです。こうあるということは、仏教では、もともと人の心は清まっていないとされているのです。人は考える葦であるなどと言われて、考えることは人の特権のように思われていますが、仏教では、考えるのは、自分という中心があって、煩悩を付随して考えているとされて、そのことを妄想といって、よくないものだとするのです。

過去を悔やみ、未来を思い不安になり、自分勝手な価値判断をしてみたり、考えても仕方ないことをあれこれ考えたり、ということが私たちの常なることなのではないかと言うことなのです。そこで、妄想しない、考えない、その瞬間には、自分という中心がなくなっている状態、それを無我とでも言えるような、その状態こそ清らかな心と言えるようです。勿論完璧に無我を体験すれば覚っていることになりますから、そんなレベルの高い状態ではなく日常生活の中で体験される程度のことですが。そうした体験について、このあと、少しお話したいと思います。

高野山での読経の話

ところで皆さん、般若心経を唱えるとき、何も考えないで唱え終えることが出来ますか。難しいことですね。何かどうしても途中で考えてしまいます。それが人間です。

もう三十年以上前のことですが、高野山専修学院という僧侶の修行道場で修行に入りました。4月から翌年3月まで七十人ばかりの修行僧が僧院生活を行い、勉学と修行をするのですが、黒衣に白袈裟で、一同にお勤めしますが、朝は本堂、夕方は持仏堂でいたします。持仏堂では半々に向かい合ってお経を上げるのですが、二か月くらいたったある日の夕勤行で、不思議な音を聞きました。

純真な気持ちで、多くの僧侶が一心に唱えて音の波動がぴったり合ったとき、それが倍音を発生させ、甲高い音がしたかと思うと、まるで、天界の音楽というような、笛や太鼓の音色を聞くことが出来ました。その時おそらくその何人もの人たちが、自分というような思いもなく、一心にただ唱え、音を聞いていたということではないかと思えます。

大変に心地よく、身も心もリフレッシュできたような高揚感がありました。読経していて体験した不思議の一つです。

四国遍路の話

また、その三年後に四国八十八ヶ所を歩いたときの話ですが、作務衣に衣をはおり、脚絆を巻いて網代笠と錫杖を持ち、荷物は頭陀袋一つと寝袋だけで、山手線に乗り、すぐに、お接待をもらい驚きました。その後、フェリーで四国に入り、電車で、一番札所に向かい歩きました。

歩き始めは、どう見られているか、道は間違っていないか、昼ご飯はどうするか、晩はどこにどうやって寝るのか、またそうしたことが片づくと、今度は、帰ってからのことや、将来のことやら考えて考えて歩く。そうして考え考え歩くと、なかなか札所がやってこないのです。初めての歩き遍路だったこともあり、まさに自分のことばかり考えていたわけです。

考えることが出来なくなり、考えるのをやめて、ただ足の先だけを見て歩くことが出来るようになると、五キロ十キロ先の札所でも、気がつくと、札所の門前に居ると言うことが何度もありました。そうやって足だけを見て歩けるようになったとき、四国遍路は歩く瞑想そのものなのだと思えました。

また、足が痛くなったり、雨が降ったり、疲れて、車に乗せてくれないかななどと思っているときには、誰も止まってくれず、そんなことを考えずにひたすら歩いているときに、スッと、先に車が止まり、どうぞという事になったりします。

お布施もそうで、神峯寺の坂道を下っている時突然ワゴン車が止まってなんだろうと思うと、ぞろぞろ皆さん出てきてティッシュにくるんだお布施を頂いたことがありました。そのときは、山からきれいな朝日に輝く海を見て、また感動して涙が止まらなくなったものでした。

また、高知辺りだったか、車がスッと止まり、何だろうと思っていると、青年が下りてきて、自動販売機に走りジュースを買う姿をただ見ていたら、こちらに近づいてきて、ジュースの缶の上に五百円玉をのせてお接待ですと言って、御礼を言う間もなくさっと行ってしまった時にはしばらく呆然としていました。門にお婆さんが立っているので何をしているのかと思うと、前に行くとミカンを出して下さったり。思いもせず考えもしなかったことが突然起こるので、ものすごく感動し、ただただ感謝の心が起こってきたものです。

願ったり、祈願したりということが必要なことと思われるかも知れませんが、何も考えないことによって、さっと必要なことがあらわれるということのように感じられました。勿論四国だからということが大きいとは思いますが。

そして、歩き出して39日目に八十八の札所を結願して、夕方88番大窪寺の本堂前のベンチで座っていたら、隣に座られたご夫婦が、徳島駅まで行くからと車のお接待をいただき、徳島駅前で一度下りたのに、戻ってこられ、小松島のフェリーまで送って下さいました。それからフェリーで和歌山港まで行き、夜の9時頃だったので四キロ先の和歌山駅まで歩いて、駅のベンチででも今晩は寝ようと思っていたら、ロータリーに居たジャージ姿のお兄さんに、何げなくどこか安く泊まれるところはないですかと尋ねたら、今友達が来るからと言われ、待っていると、車が来てなにやら三人で話をしていました。

明日高野山に行くと言っていたからか、それならこれから高野山に送っていってあげますと言うことになり、それから二時間ばかり掛けて高野山の師匠の寺まで送ってくれました。車の中ではもういろいろと四国の話やバイク事故の話など興味尽きない話をしていたので、皆さんも是非泊まって明日朝勤行に出て下さいというと、慌てて逃げるように帰ってしまいました。3人にはオロナミンcを買ってお礼とさせてもらったことを覚えています。

夕方結願したその日の晩に、12時は回っていましたがその夜中には高野山にいたという、自分でもとても不思議に思える体験でした。

車の接待を徳島と和歌山でして下さった方はともに今でも年賀状のやりとりをしています。不思議だと今でも思いますが、四国は歩くとこんな事が誰にもあるものなのかどうか、ほかの人のこんな話は聞いたことがありませんが、自己主張せず先々のことを決めずに、人の好意を素直に受け入れ、流れに身を任せていたことが良かったのかと思えるのです。

皆さんも、是非、いまコロナで空いているらしいですから、歩いてみられることをお勧めします。

インドでの話

それから、そのまた3年後には、今度はインドに行って、インドの僧侶としてお寺に一年少々おりましたときの話ですが、その前年にインドのサールナートという初転法輪の地にインド僧として日本人のお坊さんが居るからと言われお訪ねしたのです。この方は後藤さんといい、そのだいぶ後のことですが、テレビの「こんなところに日本人」という番組など2度3度登場した方です。

この後藤さんに、いろいろ話を伺っている間に、現代インドにも伝統派の仏教教団があるのだと知りまして、自分もそこでインド僧として学びたいと思ったのでした。そこで、一度日本に帰り、ヒンディー語やパーリ語という仏教語を勉強し、学生ビザを取り、予防接種までして一年間準備してその翌年に長期滞在することを前提に再度お訪ねしました。

ですが、住み込んで初めの二ヶ月ほど、まったくヒンディー語も口から付いて出ず、生活習慣にもついて行けず、物珍しいのか次々に近隣のインド人が見物にやってくるのです。さらに、体中湿疹が出て、薬を塗ってもだめで、歩くことさえ、おっくうになり部屋に居ると、後藤さんからは、あんたみたいな消極的な人間は何年居ても話も出来ないなどと言われ、落ち込んで、何でこんな所に来たのかと毎日悔やんでいた時期がありました。まあ、妄想の真っただ中で自分のことで頭はいっぱいだったということでしょう。

そこに四月頃だったと思うのですが、暑い時期に、インドのお寺ですからゲストハウスがあり、日本人の学生のグループが泊まりに来ました。食事を用意して、洗い物をしてというのが私の仕事でした。昼の食事が済み、一人でカゴいっぱいの食器をもって、敷地の隅の洗い場に行き、金属の食器の洗い物をしていたときのことです、粉の洗剤に砂を付けこすり洗いをしていると、一生懸命擦らないと油がとれないので、それだけに没頭していたのでしょう。それ迄いつもいつも考えて考えて頭が腫れ上がるほどだったのに、そこに何も考えていない自分が居ることに気づきました。静かに砂を付け皿をこすっている姿だけがありました。

そのとき、考えても考えなくても何も変わらない、考えていたことがばからしい、つまらないことに思え、考えなくてもいいんだと解りました。取り越し苦労というか、一人モヤモヤ考えていることが不要なこと、その時間が勿体ないと思えたのでした。

おそらく皿を何も考えずに洗っているとき、そこに自分という思いもなかったのだと思えます。とてもその後気持ちよく、頭も身体もすっきりしていることにも気づきました。その後、すべてのことがスムーズにすべきこともして一年三か月ほどを過ごすことができました。

この話をすると思いだすことですが、お釈迦様の弟子に、チューラパンタカという大阿羅漢がいました。当時のインドでは経文を暗記することが何よりも大切で、聞いた端からインド人は暗記してしまう人たちで、それで経典も書き残さず全部師匠から聞いて覚えていたのでした。つまり、暗唱力は、その人の能力を左右するものでした。

それなのに、この人は偈文一つ暗記できなかったので、僧院を追放される羽目となり、出て行こうとすると、神通力でそのことを知られたお釈迦様に呼ばれ、一枚の綺麗な布を渡されて、塵を除く垢を除くと言いながら僧院を掃除するように言われ、その通りしたところ、たちどころに覚られてしまったというのです。それで周りのお坊さんたちはみんな、あの頭の悪いチューラパンタカが覚ったというので、びっくりするわけです。

この話は日本では、呪文を唱えて覚ったとか、落とすべき塵や垢とは、自分の心の貪瞋痴の煩悩だと理解すると覚られたと言われていますが、そうではなく、つぶさに塵や垢を観察していると、塵や垢は、床や壁から布に、布からバケツの水にと移るだけだと、世の中のすべてのことがそうして存在すると真理を発見して覚られたということのようです。私はそこまでのことは見ていませんから、もちろんチューラパンタカの領域にはまだまだ達していないのですが。

不思議な体験とは

ここまで、高野山、四国遍路のことやインドでのこと、いろいろ、不思議なと言いますか、面白い体験などお話ししましたが、その程度のことなら自分も体験されているという方もあるのではないかと思います。それらは、そのとき自分という思いがなくなった時、または薄くなった時に生じていたことであると思えます。自分という核のような思いがない状態になると、神通力ではありませんが、当然このようなことが起きても不思議ではないということでしょう。

我の無い状態は、通常ではないような力が働くものなのかと思えます。もちろんこんなことを求めてしても何も起こらないわけですが、そういう思いのない時、つまり心が清らかな状態になると、そういうことが起こりうるということだと思えます。

皆さんも、時に自分という思いが働いていないで、黙々と何かしている、または無心に没頭して何かしていた、気が付くと一時間も経っていたというような、特異な体験をされたこともあるのではないかと思います。そうした時、心身ともに軽くなるような感覚にも気づくのではないかと思います。何度もそういう感覚を体験し、思い出して、少しずつでもお釈迦様やお薬師様のような清らかな心に近づいて行って欲しいと思います。またこういう体験を重ねることにより、より信仰が深まっていくのだと思います。

自分という中心、核のようなものがない状態は、余計な自分自分という思いがない分、とてもきれいな、クリアな心であるので、余計な思いをいだくことなく、心が研ぎ澄まされ鋭くなり、直観として物事の本質、移り変わり、因果、つまり原因結果をありのままに見ることができるようにもなる、のではないかと思います。

そうして、この世の中のことも、その動きにも、動揺することなく、恐怖心もなく、淡々と安らいで生きられるようにもなるのだと思います。コロナも、ウクライナの問題でも、ともにその原因を的確に理解してしまうと、まったく恐怖心もなくなるということだと思います。

これからの時代にいかに生きるか

ですが、この後も、温暖化の問題や、世界的な食料問題もこれから深刻化すると言われています。不安定な時代はこのまま続くのかもしれません。こうした時代にどう生きていけばよいのかということですが、日々心の平安を保つために、やはり慈悲の瞑想に頼られるのが一番の早道であろうかと思います。

私も一度大病になったのではと思って毎晩寝れなかった時期がありました。その時、この慈悲の瞑想を思い出し、寝る前に布団の中で必死にやりましたところ、知らず知らずのうちに寝ていたということがあります。是非、平時から毎朝でも、毎晩でもなさることをお勧めします。

それから、日常生活の指針としては、先ほど諸悪莫作衆善奉行・・という偈文の話をしましたが、そこにある善きこととは十善戒と考えていただければよいかと思います。要約を書いておきましたので参考にしてみてください。

これからの不安定な時代、どんな時代となりましても、慈悲の瞑想と十善を生きるお守りとして大切にしていただけたらありがたいと思います。心浄める、自分という思いの無い状態に気づき、日々清らかな心で、今を充実して、明るく生きてまいりましょう。


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仏教的ものの見方

2022年09月22日 19時04分49秒 | 仏教に関する様々なお話
仏教的ものの見方




顕彰碑冊子から

ここに一冊の冊子があります。ある知り合いの先生がこの3月に送ってくださいました。これは、鎌倉大仏のあるお寺の境内に建立された顕彰碑を多くの人に知って欲しいという思いで作られた冊子です。その顕彰碑は、スリランカの大統領をされたジャヤワルダナという方を顕彰するためのものです。

先の第二次大戦の後、GHQの占領下だった時代、日本が戦勝国51か国と平和条約を締結するにあたり、1951年サンフランシスコにて講和会議が開かれました。その会議で、セイロン政府を代表して演説されたのが、ジャヤワルダナ氏です。当時蔵相でしたが、日本を擁護して演説して下さったその内容は、戦後打ちひしがれた日本人を大いに勇気づけ励まし、それによって国際社会に新たに踏み出すきっかけとなるものでした。

ジャヤワルダナ氏は、その会議で、まさに今のロシアのように世界中から軍国日本、侵略国家と非難されていた日本に対し、プリントにあるように、日本は他のアジアの国々と同様に何百年もの間仏教という教えに導かれ、同じ教養と伝統のもとに国の礎を築いてきた。そして、今も多くの国民がその教えのもとに生きようとしている。アジアの多くの国々が被占領国になる中、日本だけが唯一強く自由であった時にアジアの人々は日本を保護者のように感じ尊敬し、日本の唱えたアジア共存共栄のスローガンは人々の共感を得た。・・・

自国の主要産品であるゴムの大量採取により私どもは賠償を求める権利があるがとして、ここでお釈迦様の言葉である、法句経第五偈を引かれて、憎しみは憎しみによっては止まず慈愛によってのみ止むと教えられているからと、賠償を放棄し、完全に自由な国として日本の独立を支持すると主張されたのでした。演説を終えると、会場は賞賛する拍手が鳴りやまなかったといわれています。

いくつかの国の反対もあり四分割統治案もある中でしたが、この演説により議場の雰囲気が一変し、大多数の国の支持を得て平和条約に調印し、今日の日本があるわけです。日本はこの時仏教ないし仏教による他国とのつながりにより救われたと言えるのではないかと思います。

御存じの方もあったかと思いますが、忘れてしまっていたという方もあると思います。70年も前の話ですから、忘れられても仕方ないことかもしれませんが、戦前戦中は特に、日本は、まさに今のロシアのように全世界からたたかれ批難され、戦争に巻き込まれていったことを忘れてはならないと思います。

世の中の見方

さきほどのジャヤワルダナ氏の演説の中に、法句経の第五偈が挿入されていました、憎しみは憎しみによっては止まず慈愛によってのみ止む とありましたが、正確にはプリントにありますように、怨みに報いるに怨みをもってしたならばついに怨みのやむことがない…という文言となっています。ではどうしたら怨み憎しみがやむのか、法句経のその偈の一つ前の第四偈に、かれはわれを罵った、かれはわれを害した、かれがわれにうち勝った、かれはわれから強奪したと思いをいだかない人には、ついに怨み憎しみがやむとあります。

彼と我とありますが、相手と自分、または敵と味方と言い換えると、敵と味方と分ける見方、そういう見方をしなければ怨み憎しみがやむということかと思います。ですから、私たちも、敵、味方という見方をせずに、片方に肩入れすることなく、仏教徒として中立の立場、ないしはお薬師様のように一切の差別なく、すべてのものが幸せであって欲しいという思いで、世界を見ていくことが大切であると思います。

昔から日本では、怨親平等ということを言います。鎌倉、室町時代の戦で戦った敵も味方もひとたび戦い終われば平等に分け隔てなく供養するという発想から生まれた言葉ですが、敵も味方も、憎まず怨まずとらわれずに、双方を差別せず、同じ扱いをすることです。

ですが、皆さんはいかがでしょうか。今年2月24日以降の皆さんのご認識はいかがでしたでしょうか。お薬師様のように差別することなく、ウクライナの難民にも、ロシアの兵士や将校たち最高司令官にも、同じ気持ちで幸せを願うことができていたでしょうか。

仏教とは

仏教の教えは現実世界と切り離して考えるものではありません。仏教は、自らの身近なところの観察から始まり、この世の中のあり方を静かに、ありのままに見ていく教えです。

それは、簡単そうでとても難しいことです。それは、誰にも、先入観、既成概念、固定観念、偏見というようなものがあるからです。

そういうものをなくしていく、それが仏教の修行にあたるわけですが、そうして、ありのままに世界を見る、仏教はその真実なるものをはっきりと知ることによって、覚りという最高の幸せが得られるとする教えです。

ですから、何よりも真実とは何かと探求していく姿勢が仏教の基本にあるということです。

ウクライナの戦争の見方

ここで、場違いなことではありますが、ウクライナの戦争について、少しだけ触れさせていただきたいと思います。と申しますのも、実は今年のお盆参りの際に、このウクライナ戦争の報道ばかり見ていて、気分が悪くなられたという方が何人かおられました。そこで、私からはこの戦争の歴史的な背景などお話をさせていただきました。

こちらにも同じようにそれらの報道から精神的に辛くなられた方もおられるのではないかと思います。

私たちは自国の70年80年前のことをすっかり忘れているように、国際情勢についても、つい30年前の大事なことを忘れております。33年前の1989年にベルリンの壁が崩壊しました。そして、その翌年東西ドイツの統一があり、その1年後にソ連が崩壊しロシア連邦となります。

が、東西ドイツ統一の際に、東側陣営と西側陣営が、極めて大事な同盟不拡大の合意という取り決めがなされていました。つまり東西の境界の変更はしない、そのままの状態を維持するという約束がありました。

しかし、それを西側が西暦2000年前後に一方的に反故にして、東側の同盟国であった、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルト三国を次々にNATOに加盟させていきます。NATOとは御存じの通り、集団防衛の軍事同盟です。

さらには、共産主義国家に、外からの力によりクーデターなどを起こして民主化を図り、親ロシア派のリーダーを追放し、親米派のリーダーを後釜に据えるということまでしていました。まさにウクライナがそうして政権が変更されてロシア側に攻撃的な対応がなされ、今回の軍事侵攻があったとするならば、一方的にどちらが悪いなどとは言えないことになります。

戦争とは情報戦と言うのでしょうか、正義はこちらにありとして、世界の多くの国々の人々を味方につけようとするわけですが、現代はかつての情報とは桁外れに高度な映像、CGや音声を用いて、味方に有利に、敵に不利に、盛んに行われているものと思います。

私たちの目にする日本の報道は、残念ながら西側の有利になるものを一方的に見せられ聞かされて、既成概念を植え付けられているのではないかと思えます。今申したような過去の歴史を紐解くような話を聞くことはなく、一方的に偏見をもたされた上で、言葉に出さずとも、恐怖心から、どちらが悪い、誰が悪いと判断してしまっていたとしたら、それは、仏教的な見方とは言えないと思います。

ここに今月9日の朝日新聞の切り抜きがあります。1990年代に広島市長をされた平岡敬さんの「核に脅かされる世界に」と題するコラムのインタビュー記事です。その一部しか紹介できませんが、さすがに深いご見識から、このように述べられています、

「米国は冷戦に勝ったと考え、ロシアを弱体化させようとする基本政策をずっと続けてきました。それにウクライナが使われたと私は考えています。即停戦させるべきなのに武器をどんどんウクライナに渡すというのはもっと戦争しろということです。ロシアが武力行使に踏み切った背景もきちっと理解しない限り、この戦争の意味はわかりません。どこかの国を敵視すること自体が平和を阻害する要因です。」と述べられています。社説に書いてもよいほどの良識ある内容であると読ませていただきました、有難い内容です。ご参考にしていただければと思います。

仏教は三世の因果を説く教えです。過去から現在に至る原因と結果を明確に見ることによって、冷静にことの次第を見ていくことができます。どうしてそういうことになったのか、という原因をきちんと特定できれば迷わずに済み、心が落ち着きます。ああそういうことか、と納得し、動揺しないで済みます。

このように、物事の原因と結果を明確に見ていくというのが仏教的なものの見方ということになるのですが、それを遮るものとして、私たちには権威あるものに盲目になるという弱点があるようです。テレビで言ってたから、あの先生が言ってたから、周りの人がしているからと、自分ではよく調べずに受け入れていることが多いのではないでしょうか。

これはある先生の本に紹介されていたお話ですが、昔、戦後まもなくのこと。ハーバード大学と東大の共同研究で開発されたという振れこみの、効果抜群の南京虫駆除剤をもって、ある人が芦屋の御屋敷町を回り、奥様方に、新聞でも報道されたものですと、亀の甲の形の化学式を書いて説明すると、面白いように売れたと言います。ですが、同じように大阪の長屋街でやったところ、うちは新聞とってません、ハーバードってなんやと言われ、そこに南京虫おるさかい試してくれへんかと言われる始末で、ほうほうの態で逃げ出したという話があります。

芦屋の奥様達は、新聞やハーバード、東大という名前の権威や化学式による先入観によって、真実が見えず、逆に大阪の長屋の奥さんは、そういうものに囚われず、それがどういうものかと、その実質を見ようとしていたと言えるのかと思います。

コロナについて

そこで、少しコロナについても触れたいのですが、未だに日本ではといいますか、日本だけがコロナ対応に追われて誰もが右往左往していますが、コロナもウクライナの戦争同様に、私たちはその新聞テレビによる報道に、芦屋の奥様同様に、真実を見る目を曇らされています。

毎日のように権威ある人々から解説を聞き、感染者数や死亡者数を報道され、恐怖心を植え付けられ、正しい判断力を奪われて二年半が過ぎようとしています。ですが、冷静に数字を見てみますと、未だに二年八か月で四万人ほどの死亡者数です。驚くほどの数字ではありません。

インフルエンザは、コロナ前まで毎年感染者は一千万人、死者は一万人でした。この感染者はすべて重い症状がありました。ですが、コロナの感染者とされるPCR陽性者はほとんどが無症状です。

諸外国ではすでにコロナ騒ぎは終了し、すべての規制が撤廃されています。ですから、岸田首相も外国に行くとマスクすらされていません。冷静に私たちは、なぜこのような事態に至ったのか、よくよく調べてみることが必要です。

コロナ問題の因果、原因と結果を、大阪の長屋の奥さんのように囚われない眼で見ると、このコロナ騒動の原因は、検査にPCR法を用いたこと、その陽性者を感染者とみなしたことだと見えてまいります。抗原検査ではなく、なぜPCRなのか、症状のない気道感染症をなぜ認めたのか。これまでの医学の常識を覆してしまったことが、世界中を混乱に陥れた発端であると。このことが理解されるとコロナに関する一切の恐怖心は消滅いたします。是非お調べになってみてください。専門家でもありませんので、これ以上申しません。

仏教の教えに、自灯明法灯明という教えがあります。お釈迦様が亡くなられる前に、先ほど登場した弟子のアーナンダに言われた言葉です。自分が亡きあとは、自らを灯とし、法を灯とせよ。これは、お釈迦様を頼りとして何事も判断を求めてきたアーナンダに、自分の死後は自らや周りを観察して真実を見よ、これまで説いてきた教えを理解しそれを頼りとせよという意味です。私たちも自分自身で情報を精査して考えよ真実を見よ、ということだと思います。


仏教徒である私たちは、あらゆる差別区別なく、すべての生きとし生けるものの幸せを念じつつ、仏教的なものの見方、物事の原因・結果を見て、その真実とは何かと見ていく、そうして既成概念や偏見にとらわれず、迷うことなく、よりよく生きる道を、ともに歩んで参りたいと思います。

いま私たちの心に大きく影を落としている問題を素通りしていては私たちの心に安らぎはやってまいりません。それらをどう仏教的に見るべきなのかという観点からお話し申し上げました。



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六種の供養と六波羅蜜

2022年05月29日 18時13分22秒 | 仏教に関する様々なお話
六種の供養と六波羅蜜 (昨日今日の法事後の法話より)





寺院の本堂須弥壇にも、各家の仏壇にもふつう六種の御供えがなされます。まず花があり灯明、線香があり、そのほかに、仏飯(飯食・おんじき)と水、水はお茶湯の場合もありますが、それに塗るお香である塗香をいれて六種となります。これらを六種の供養というのですが、これらは仏様に単なる習慣としてなされる御供というわけではありません。それぞれ六波羅蜜といわれる仏教の実践につながるものであるから尊い供養になると考えられているのです。

水は布施波羅蜜(ふせはらみつ)、塗香は持戒波羅蜜(じかいはらみつ)、花は忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)、線香は精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)、飯食は禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)、燈明は般若(智慧)波羅蜜(はんにゃはらみつ)に相当します。因みに波羅蜜とは、インドの言葉ではパーラミターで到彼岸と訳し、迷いの此岸から悟りの彼岸に至る意味で、そのために菩薩が修する行のことをいうのですが、大乗仏教では誰もが菩薩なのですから私たちが行うべき内容と捉えたらよいのです。

布施波羅蜜
一つ一つその意味するところを見ていきますと。水を供えることは布施波羅蜜を行じることであるとされます。砂漠に何日もさまよい食べ物も飲み水もなくなったりしたら、その時に飲む一口の水は命を長らえるよすがとなります。生命にとり水は不可欠のものであって、死に水をとるという表現にもあるように、亡くなってご遺体に差し上げる水は何よりの、最高の布施行為に当たるのです。その人にとって最も必要なものを施す、純真な心で行う施しを布施波羅蜜といいます。それは水が地球を循環しているように回り巡って返ってくるものであるように、なされた布施は回りまわって他からお返しがめぐってくるものであり、自他を、世の中を豊かなものにする功徳ある行為であると言えます。

持戒波羅蜜
塗香を供えることは持戒波羅蜜を行じることであるとされます。良い香りの塗香を手に取り掌にも甲にも塗る行為は身と心を清める行いであり、仏教徒にとっての戒、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)や十善戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)を守る、つまり身と口と心の行為において悪業をさけて生きることは身と心を清める行為であり、それが持戒波羅蜜となります。それは、自他ともに社会全体を健全なものにする功徳ある行為であります。

忍辱波羅蜜
花を供えることは忍辱波羅蜜を行じることであるとされます。野に咲く花、道端に咲く花は、どんな場所でも何度踏まれようともじっとその時を待ち条件が整えば花開きます。そうした名も知られぬ花のように、何があっても、いじめや差別があっても敵と味方とを区別せず、どんな環境でも耐え忍び、投げ出さず、毎日が同じことの繰り返しでも倦むことなく、真摯に生きることが忍辱波羅蜜です。それは花が周囲に彩りと良い香りを放つように、世の中に憩いと平和をもたらす功徳ある行為であると言えます。

精進波羅蜜
線香を供えることは精進波羅蜜を行じることであるとされます。線香は時間をかけてじわじわと燃え香りを放ち続けます。そのように、周囲の人々や社会のためになる善行為に励むことが精進波羅蜜です。それは周りに、社会全体に、線香の良い香りのように、よい影響を与え続ける功徳のある行為であると言えます。そして線香が長く香を放つように善行為も継続して行じ続けなければならないということでしょう。

禅定波羅蜜
飯食を供えることは禅定波羅蜜を行じることであるとされます。飯食は普段飽食している私たちには感じにくいですが、何日も食べられない飢餓状態にあったりしたら、一口のおかゆでも身も心も落ちつかせ、それがいかに身体を整え心を安定させるものであるかがわかるものです。その飯食のように、禅定は身を調え呼吸を静かに長く心落ちついて坐る時に得られる深い安らぎこそが禅定波羅蜜です。それは一人行じていても、周囲に世の中に落ち着いたよい影響をもたらす功徳ある行為であります。

般若(智慧)波羅蜜
燈明を供えることは般若波羅蜜を行じることであるとされます。明かりがあるからものが見えるのです。暗闇の中では足元を照らす灯火によって先に歩むことができます。お釈迦様の法は、まさに灯火で足元を照らすがごとくと言われるのですが、燈明が私たちの進むべき方向を照らすが如くに、一切の真実のあり方を明らかに如実に了解し至福をもたらす心の働きを般若波羅蜜といいます。お釈迦様の法のごとく、智慧は私たちを心晴れやかに幸せに導くものであります。それは、おのずと周囲に世の中に安心と幸福をもたらす徳そのものであると言えましょう。

これら六波羅蜜の実践として意味あるお供えをしているのだと思って、日々仏壇を荘厳し、過去精霊、先祖代々、そして回向文にあるように一切の衆生が仏道を成じるようにと供養をささげてくださることをお勧めしたいと思います。毎日仏飯と水やお茶湯を供え、ロウソクに火を入れ、線香を付けて供え手を合わせる行為が、それだけでとても大事な仏行をしているのだと理解してなされることで、それが励みとなり、大きな功徳となり、周りにも大きな影響を与えることでしょう。六波羅蜜は両彼岸において説法されることが多いためか、その期間に実践すべきものとも考えられています。が、もちろん常に心掛けてなされるべきものであって、もっとも簡単に毎日の仏壇へのお供えにおいて、その意味内容を改めて確認し、日常においても心掛けていたいものです。そして仏壇の前で、唱えるお経は禅定波羅蜜にあたるものと考えられますので、読経後はしばらくそのまま心静かに余韻に浸り、仏様のような心持で目を閉じ坐られることをお勧めします。継続していくことで、いずれ智慧がひらめくこともあるでしよう。楽しみにお続けください。

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人生とは恩返しである

2022年05月08日 12時56分36秒 | 仏教に関する様々なお話
人生とは恩返しである



知り合いのお寺さんが亡くなられた。九年前にここ國分寺の先代名誉住職が亡くなった時に葬儀で弔辞を読んでくださった方だ。本山で若きとき、ともに仕事をされた親しい関係で、祭壇に向かって「僧正さーん」と大きな声で呼びかけられて、語りかけるように話をされてから本山から送られた弔辞を読んでくださった。享年七十四とのことなので、当時は六十五歳くらいだったと思われる。実は私もそろそろその歳に近づきつつある・・・。

特段病気であったわけでもなかったそうで、夜中亡くなられるまで普通に過ごされていたという。死亡診断書には死因不詳と書き込まれていたと聞く。なぜ亡くなられてしまったのか。みんな不思議に思われていたが、葬儀の際にそんなことを伺いながら、同じくらいの歳のお寺さんたちと、私たちもいつそうなるかわからない、明日は我が身と、後悔しないよう、会いたい人には会っておかなければいけないなというような話をして帰ってきた。

それでなくてもコロナだ、戦争だと落ち着かない世の中だけに、明日何があるのかわからない不安の中に生きている。すこし前にこのブログで「四苦八苦をやわらげるために」でも取り上げたように、アメリカには救命士という制度があって、事故や災害などによって余命幾ばくかもない人の所に駆けつけていろいろと最後のケアをして看取る人たちがいるが、その一人の方が死の直前、人が最後に思うことには三つあるといわれ、そのはじめに後悔ということを挙げていた。

言わないでよいことを言ってしまったり、間違ってしてしまったことに謝りを言うことももちろんだが、世話になったのに十分なお礼もしていなかったり、恩返しもしていないことがたくさんあることに気づかされる。それらを一つ一つ機会ある時を待っていたらそれらを済ませる前に命が切れてしまうかもしれない。そう思うと、できることからすぐにでもしておかねばならないと思えた。

その後ゴールデンウィーク中、毎日境内の草取りに励んだ。昔雑草を煩悩に例えて、煩悩即菩提という仏教語を解釈したことがある。雑草一つ生えない砂漠のような土地には作物はならない。砂漠に作物を育てようとするにはまず雑草のようなものから植栽して徐々に土を育てなくてはいけないと教えられたことがある。雑草が生えるような土地だからこそ作物も成長する。つまり煩悩があるから悟り・菩提もあると言いたかったのである。

煩悩がある人間だからこそ、迷ってみたり、悩んでみたり、喜んだり、怒ったり。後悔することもあるけれども、感謝する気持ちも生まれてくる。善悪の見きわめにより、いかようにも歩める人間だからこそ、慈しみの心によって心浄め、行いを正して、悟りを目指すことが可能となる。煩悩と菩提は不即不離の関係になるという。

そんなことを思い出し、我が煩悩のように雑草ばかりがはびこる境内を掃除していて、この雑草のように煩悩はいかにも簡単そうに繁茂するけれども植えた樹木はなかなか大きくならないように、正しいこと、よいこと、修行になること、心静まるような行というのは、行い難く進歩させるのが難しいものだなどと思い雑草一つ一つを左右の手で抜いていた。そして、この時節には毎年草くさくさで暑い中大変なことではあるけれども、こういう仕事があるからこそ、これだけ広いところに住まい、不自由なく生活をさせていただけているのだと逆に有り難く思った次第であるが、その時ふと、「人生とは恩返しである」という言葉が頭に降ってきた。

今ここにこうしてあるために、人間として生まれ、育ててくれた父母はじめ多くの人たちの助けを得て成長し、冒頭に述べたお寺様も含め、数えきれないほどの多くの方々にお世話になり、そのおかげで今あることを思う時、今あること、そしてこの恵みに感謝して、日々勤めること、なすべきことをすること。大変なことばかりの人生ではあるけれども、めげずに周りの人たちに助けられながらなんとか頑張る。だからこそやる意味があり価値がある。人生とはそのためにこそあると思えたのである。そして、過去のご厚意や施しに感謝の思いを述べておくことも必要であろう。私にはことのほか、そうしなければならない人が沢山おられるように思える。早速取り掛からねばならない。明日は我が身、とにかく一日一日、一刻一刻を無駄にしないよう努めたいと思う。



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四苦八苦をやわらげるために

2022年04月29日 16時32分55秒 | 仏教に関する様々なお話
四苦八苦をやわらげるために



四苦八苦の人生

私たちは意識するしないにかかわらず四苦八苦の人生を生きている。仏教では、煩悩のままに生きるていること自体が苦であるとするが、それは四苦の中に生も老も含まれていることからも知られる。生苦は生れる苦しみ、老苦はそれからの一生に着いてまわる老いる苦しみ。私たちは泣いて生まれても、笑って生きていたいものではあるが、その間に病いになることもあり、いずれは死を迎えてしまう。この生老病死の四つの苦しみのほかに、この後述べる八苦に悩まされ続けていることも経験上思い当たる。

八苦とはこの四苦のほかに別に四つの苦しみ、求不得苦・怨憎会苦・愛別離苦・五取蘊苦をあわせて八苦というが、これも定めのように私たちについてまわる。普段私たちは考えもしないが常に老死が隣り合わせにある。深刻な病気が発覚するかもしれないし事故に遭うかもしれない。生まれてきた以上、いずれは死がやってくる。どんなに科学が進歩しても不老長寿などあり得ないのだから、この求めても得られない苦しみ・求不得苦は一生の間私たちの喉元に突き付けられた苦しみとしてある。

そんな人生なら、仲の良い人、心楽しい人たちと生きていたいと思っても、必ずそりの合わない人、考えの対立する人、心を逆なでするような人と出会う。それは私たち人間社会の常であり、そうした嫌いな人、怨み憎しみあう人と出会わねばならない苦しみ・怨憎会苦も誰もがものごころついた頃から老いる迄ついてくる苦しみとしてある。

その逆に、肉親や兄弟姉妹も含め、大切な人、この人とはいつまでも仲良く一緒に交際していたいと思った人でも、時間の経過とともに距離が離れたり、疎遠になったり、もしくは死に別れたりということがある。愛すべき人と別れ離れざるを得ない苦しみ・愛別離苦も誰もが何度も経験しなければならない。

さらに、こうして心と身体を持つ身なるが故に様々な欲求欲望が自ずから湧いて自ら苦しみを作り出している。五蘊といわれる、自らの身体のほかにも物質的なものや精神的なものに対する自分勝手な思いにより執着をつのらせて苦しむ・五取蘊苦が、前の七つの苦を総括するものとして八つ目の苦にあげられている。

四苦八苦はただ受け入れるしかないのか

これら四苦八苦は、迷いの世界に生きる私たちには必ずおとずれる苦しみであるとされ、その苦しみを現実のものと認識してその原因を知り、正しく仏道を学び一心に瞑想実践してその原因を滅し消していくことにより苦しみから解放されるとするのではあるが、四苦八苦の苦しみを少しでも和らいだものにするすべがあるなら知りたいのが人情であろう。いずれにせよ受け入れねばならない四苦八苦であったとしても、すこしでもその苦しみを軽いものにするにはどう生きたらよいのか。

はじめの四苦はこの世は無常なのであるから、必定のこととして諦めねばならないのだろうか。確かに無常なるが故に、私たちは成長し学ぶこともできるし、出会い別れを経験して心豊かに生きることもできる。喜びがあり幸せと思うことも経験させてくれる。しかし、その中でも生苦は、母胎から出産することではなく、輪廻する衆生として生を受けることを言うのでこうして人間として生を受けている限りいかんともしがたいが、残りの老病死はいかがであろう。老と病について、何とかその苦しみを軽いものにするにはどうするか、かつてこのブログに書いた文章を引用してみたい。

老苦を生きるには

「若々しくあるために」と題して2009年5月に投稿した文章から、体の衰えを感じつつも心は若々しくいられたら、すこしは老苦を和らげることにはならないかと思うのであるがいかがであろう。

「まず第一に、今に生きるということ。私たちはどうしても過去にこだわり未来に希望や望みを託す。そして今がおろそかになる。「一夜賢者経」という経典にお釈迦様が教えられているように、過去は既に過ぎ去り、未来は未だ来たらず。ただいまなすべきことを正になせ。これである。あれこれ過去のことを後悔したり、また過去の栄光に酔ってみたり。過去は過去であって、今のあなたではない。また、先のことを心配し、将来の絵空事に胸を沸き立たせるということもあるかもしれないが、それも今のあなたではない。今にあなたがいないから今のあなたがもの足りない空虚感に苛まれている。あなたは今ここにしかいないということを知るべきであろう。今のあなたが充実して楽しく明るい心であったなら、日々若々しい心でいるということになるのではないか。

第二に、自分のこと、周りのこと、とにかく好奇心をもって様々な物事やその変化に気づくこと。漫然と時を過ごしていては、楽しいことはない。人の言うこと、周りの情勢に流され鵜呑みにしていては、自分自身にとって何の発展も成長もない。日々、何事かに気づき、疑問に感じ、自ら考える。気づくということ。好奇心旺盛であれば、常に心若々しく過ごせるであろう。

第三に、年を忘れるということ。年を意識することで閉鎖的な発想に陥る。年だから何とかというのが口癖になったりする。身体とは相談しなくてはいけないかも知れないが、そうでなければ年を意識せず何にでもチャレンジする元気が必要だろう。また、年を忘れるというのは、誰をも平等な目で見られるということでもある。年による上も下もなく、みんなを分け隔てなく見ることが必要だろう。年で相手を見るということは自分の年を意識しているということだから、そこからは若々しい心は生まれない。

ところで、仕事別に長寿度を測定すると、やはり、僧侶や医者というのが最も長寿ということになるらしい。昔、「童心は道心なり」と言われ、インドで貧しい子供たちの成長を楽しみにボランティアを続けておられる長老がいる。はたして、あの良寛さんもそう言われたかどうかは知らないが、良寛さんは、飄々と小さな庵に住まい、托鉢して暮らしていた。良寛さんも、近くの子供たちとは、まこと自分を忘れて、童心そのものになって遊んだと言われている。

自分を忘れるというと、「忘己利他」という言葉が思い出される。自分自分という思いが私たちの苦しみの根源にあり、それを忘れ他と共に生きることができれば幸いであろう。自分という思いが過去の記憶だとするならば、やはり、過去ではなく今に生きることが大切だということにもなる。それは、年を忘れるということにもつながる。まずは目の前の現実を見つつ、様々なことに気づき、今に生きる。とっさに答えたことではあったが、結局は、仏教の瞑想をそのまま日常にいかすということが、もっとも、若々しい心で生きることができるということに結論づけられたようである。」

今という瞬間にのみ思いをいたして生きる。好奇心を持って生き、歳のこと自分のことなど忘れて他のために一生懸命に生きる、そうすればたとえ身体は老いても、おのずと心は老いずに生きられはしまいか。

病苦をさける生き方

次に、病苦について、2006年4月「天寿を全うするために『病気にならない生き方』を読んで」と題して、新谷弘実先生(胃腸内視鏡外科医・アルバート・アインシュタイン医科大学外科教授)の著作から学ばせていただいたことをブログに書いたものを参考にしてもらって、できるだけ病気にならないで過ごすにはどういう生き方をしたらよいのだろうか。

「世間で健康のためと思いしがちな所謂食の常識を斬り捨てる。緑茶やコーヒーを含むお茶を常飲している人の胃は胃の粘膜が薄くなり萎縮性胃炎となり、胃ガンになりやすい。肉食は成長を早める、がそれはつまり老化を早めることである。牛乳は脂肪分を均等化するために攪拌する過程で乳脂肪分が過酸化脂質、つまり錆びた油になり、さらに殺菌のために百度以上の高温にするためタンパク質を変質させ、エンザイム(体内酵素のことで、動物でも植物でも生命があるところに必ず存在して物質の合成や分解、輸送排出解毒など生命を維持するために必要な活動をしてくれるタンパク質の触媒のこと)も死滅した最悪の飲物だと言われる。そして、カルシウムを補給するためと推奨され牛乳を飲む人も多いが、飲むと血中カルシウム濃度が急激に上がり、その濃度を体は通常値に戻そうとして恒常性コントロールによって逆に体内のカルシウム量を減らしてしまうので、本当は骨粗鬆症のためにもマイナスであるという。

さらに腸整効果があるとされるヨーグルトを常食している人の腸相も良くない。そして、植物油だからと多用されるマーガリンも。市販されている食用油の多くは溶剤抽出法という原材料に化学溶剤を入れて抽出される。この油は悪玉コレステロールを増やしガン、高血圧、心臓疾患の原因になる。この油を用いた代表選手がマーガリンであり、またスナック菓子に使われるショートニングであるという。またガン患者の食歴から、肉、魚、卵、牛乳など動物食を沢山摂っていた人はガンになりやすく、特に早い年齢でガンになる人ほど幼い頃から頻繁に肉、乳製品など動物食に偏っていたことが分かっているという。

ガンを含めどんな病気もその原因があり、薬に頼りきることなくその原因こそ取り除く必要がある。どんな薬も基本的に薬は毒であり、症状を抑えることは出来ても、薬で病気を根本的に治すことは出来ない。食事の量や質、時間やストレスなどその病気の原因そのものが除かれない限り根本的に健康を回復することは出来ないと断言される。

では私たちは何を食べるべきなのか。先生は動物の食性を表す歯に注目される。人間の場合、肉を食べる歯が一なのに比べ植物を食べる歯が七あるということから、植物食を85パーセント、動物食を15パーセントにすべきであると言われる。つまり、穀物を50パーセント、野菜や果物が35から40パーセント、動物食は10から15パーセントとし、穀物は玄米など精製していないもの、他のものもなるべくエンザイムを沢山含む新鮮な物がよい。動物食は人間より体温の低い魚で摂るのがよく、牛乳、乳製品、マーガリンは避け、揚げ物もなるべく摂らないこと。

そして、一口に50回程度よく噛み、消化されやすくする必要がある。なぜならば腸壁で吸収されなかった場合、過剰に食べた場合同様に腸内で腐敗、異常発酵が起きるため、その解毒にエンザイムが浪費されるからだという。よく噛むことで食事に時間がかかり、その間に血糖値が上がり食欲も抑制され、食べ過ぎを防ぐことが出来る。つまりダイエットにもなり、腹八分目でも満腹感が得られる。小食を心がける必要がある。出来れば子供の時からこうした食習慣を身につけるのが良いという。

なぜなら、病気は遺伝ではなく、その生活習慣の継承にあるから、といわれる。良い食材、良い水を摂り、規則正しい生活をして薬は極力飲まない、そうした体によい習慣を受け継げば子供は苦労せずに健康を維持し続けることが出来るであろう。そして、糖分、カフェイン、アルコール、添加物が細胞や血液から水分を奪い血をドロドロにしてしまうジュース、ビール、コーヒーやお茶を水代わりに飲むことなく、血液の流れを良くし新陳代謝をスムーズにするためには、よい水を毎日1500から2000cc飲むのが良いのだそうだ。先生は、朝起きがけに500cc、昼食と夕食の一時間前に500ccずつあまり冷たくない浄水を飲まれているという。良い水はダイオキシンや様々な環境汚染物質、食品添加物もちゃんと体外に排出し、バイ菌やウイルスが侵入しやすい気管支や胃腸の粘膜も良い水によって潤っていると免疫細胞の働きが活発化してウイルスの侵入しにくい場所になるともいう。

そして、食事以外のことで必要なのが、3、4キロを歩くなどの軽い運動と、十分な睡眠、また昼食後の昼寝なども大切なこと。それから、副交感神経を刺激して精神の安定を促し免疫機能を高める深呼吸を暇さえあればすること。そして、ストレスのない愛情に充ちた幸福感を感じる生活をするならば天寿を全うできるであろうと結論される。勿論これら総てをすぐに実行することは難しいかもしれない。家族もあり、一人だけ食べ物を替えることは簡単なことではない。しかし出来ることから実行することで少しでも良い方向に変えていけるのではないか。特に持病に悩み薬に頼ることに疑問を感じ始めている人には朗報であろう。」

いかがであろうか。これはあくまでも一人の先生の著作からの教えではあるが、病苦をなるべくやさしいものにすべく、このように生きられたら無病息災に長く生きられはしないであろうか。

死苦の迎え方

そして、さらに四苦の最後には死苦が来るわけだが、どのような最期を私たちは迎えるか。その時に至って後悔ばかりが残るその時は迎えたくないものである。周りの人たちに感謝を述べ、温かい良好な人間関係により惜しまれつつ最期を迎えるにはいかに生きるべきなのか。一般に仏教徒の戒である五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)、さらには十善(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)を心掛けるだけでも良好な人間関係は築けるであろう。

ところで、アメリカには救命士という制度があって、事故や災害などによって余命幾ばくかもない人の所に駆けつけていろいろと処置する人たちがいる。ニューヨーク州の救急救命士マシュー・オライリー氏は、死の直前、人が最後に思うことには三つあるという。一つは、許しを請うこと。人にはみんな後悔することや心にやましいことの一つ二つはあるが。それらについて謝り許しを請う気持ちが沸いてくるという。二つ目には、憶えていて欲しいという気持ち。誰にも忘れ去られていく寂しさ、悲しみがあるが、死に及んで死後も出来れば親しかった人、愛する人たち、誰かの心の中で生き続けていたいという思い。三つ目は、人生に意味があったと知りたいということ。自分の人生、一生が無意味なものではなかった、しっかり生きてきた、みんなのために役に立つ、立派な、よい人生だったと知りたいのだという。

何十年も生きてきたら後悔することもいくつかはあるのが普通であろう。しかし後悔するのも煩悩の一つと数えるのが仏教である。過去を回想し、過ちや失敗を思い出しては悔いるということもあるかもしれない。しかし、それよりも、今の行いについて自らの心に、また周りの人たちに恥じない行いをすることが必要だと教えられている。そうして良好な円満な人間関係を心掛けつつ、安心してその時を迎える。さらには、最後の時にあたって、自分の人生について回想し、それがいかに意味あるものであったかを思い、満足して最後の時を迎えたいものである。日頃からそんなことを一人静かに考えることも死苦に対処するために必要なことであろう。

残りの四つの苦しみに対処する

ここまで、四苦について思い当たることを述べてみた。次に、残りの四つの苦しみについても思いつくことを述べてみたい。

まず、求不得苦は、不死を求めてももちろん得られないわけだが、老いてなお身体的に若くありたいと願う人は多い。このほかにも巷にあふれる様々な情報から求めるべきものでないものを欲して様々な問題を起こすこともある。周りと比較して欲を掻き立てられることもある。他と比較するのではなく、自分にあるもの、持てるものに目を向けてみれば、新たな価値を見出し、求めるということ自体から開放されるのではないか。

次に、怨憎会苦、愛別離苦については、すべての出会いに因縁あり、それも無常であることをまずは知るべきではないか。永遠なるものはないことを思い、嫌いな相手もいずれは去るものであり、愛する者もいずれは離れゆくものと心得る。かつてあれほど苦手で嫌いだった人が、いつの間にか自分を守ってくれる身近な存在として感じられる人であったと気づかされることもある。好きな相手も自分を束縛し、依存してしまっている自分に気づくこともある。その関係も時間の経過とともに愛憎が変化するのを冷静に観察しつつあれば、いざという時の苦しみも軽減されるのではないかと思われる。

最後に、五取蘊苦については、執着をもって生きることがそのまま苦であるとする仏教の教えを学び実践することこそがこの苦に対処することにはなるのだが、その実践の中でも少欲知足が最も基本的な生活態度であろう。眼耳鼻舌身意の五官と心に入るものに欲を掻き立てられ翻弄されないよう、余計なものを見ない聞かない嗅がない味あわない触らない考えないに尽きるが、入るものを遮断することも必要だし、入っても自分のこととせずそのまま流してしまう習慣を身につけることも必要である。

以上八苦についていかに対処すべきか思いめぐらしてみた。必ず訪れる四苦八苦なれども、各々ここに挙げたことなどを参考にしてやり過ごす、また苦をいくらかでも和らげられる工夫として考えてみたのであるが、いかがであろうか。


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あらためてお寺とは何か

2022年03月14日 07時44分23秒 | 仏教に関する様々なお話
あらためてお寺とは何か




お寺は、檀那寺とも菩提寺ともいわれます。檀那とは、インドの施与を意味する言葉ダーナを音写した言葉で、檀那寺とは施主が供物をささげる寺院という意味となります。そうした供養による功徳をご先祖の菩提のためにご回向する寺院との意から菩提寺ともいわれるようになったのでしょう。

そうしたことからも、皆さん、お寺は、家族親族が亡くなった時に葬式をしたり法事のため、仏事を行うためにお寺があると思われているかもしれません。ですが、本当は、お寺を支えてくださっている檀信徒の皆様にとって、またご参詣になる人たちにとっても菩提(心の安穏)を得るべき所であって欲しいと思っております。

その昔、主にお寺は官寺として国家により造営され、鎮護国家五穀豊穣をはじめとする諸祈願のために仏事にはかかわらず、厳重に不浄なることを忌避していました。ですから、今でも奈良の諸大寺は葬式をせず、寺内で不幸があった際には別の宗派の僧侶に依頼して葬式をしてもらうのだそうです。

そうした古い大寺の宗派である法相宗、華厳宗、律宗などは、中国から日本に入ってきた奈良時代には、仏教を学問的に学ぶ学派のような集団でした。そのため経典読誦や講読、写経、造寺造仏により祈りが捧げられました。それが平安時代となり、真言宗など密教が伝わることにより、諸仏諸菩薩との三密瑜伽の修法、観法を重んじて、それにより感応同交して護摩を焚くなど様々なご祈願がなされるようになります。

そして平安中期頃から末法の世に入ると信ぜられたことで、社会不安から浄土教が流行し庶民も聞法と念仏に専心する人々が多くあらわれ、鎌倉時代になると多くの人たちが仏式で葬儀をするようになります。そして、江戸時代には寺壇制度が制定され、すべての家が仏教徒とみなされ檀那寺を定めることになり、今日の檀家制度に至っています。

それでは仏教の発祥であるインドではどのようなものだったのでしょうか。インドで最初にできたお寺は、小屋程度の雨露をしのぐだけのものだったようです。しかし、しだいに多人数が共住できるヴィハーラ・精舎といわれる宿舎ができたとされ、必要に応じ一時的に住まい、普段は遊行して瞑想修行に励んだとされています。初めは簡素な建物だったものが、一人一人別々に独坐できる僧房が造られ、沐浴と洗濯のための井戸や、経行(歩く瞑想)のための空間が設けられていきました。

各地を遍歴して修行に精励する遊行僧たちはそこで、有徳の長老僧から教えを聞き、坐禅瞑想の指導を受け、布薩といわれる、満月新月の日に毎月二回、戒本の読誦を聞き、生活姿勢を反省し精進を誓ったのでした。それがサンガーラーマ・伽藍といわれるように規模を拡張すると、仏塔や仏像を安置する本堂があり、説法を聞く法堂、布薩堂、経蔵の庫、僧房、坐禅堂、経行処、食堂、厠坊などが整えられることになります。

こうした施設そのものは在家信者により寄進されたといわれ、初期のころは国王や裕福な商人らが土地も建物もまとめて教団に寄贈されたのでした。しかし、後にはそれぞれの施設や設備ごとに寄進されるようになります。そうした仏教教団は四衆ともいわれる四つの構成員で存立していました。四衆とは、比丘(男性僧侶)、比丘尼(女性僧侶)、優婆塞(男性信者)、優婆夷(女性信者)のことで、精舎から伽藍へと施設が大きくなるにつれ、在家信者による様々な支援が不可欠となります。

こうした在家信者の支援のおおもとには、お釈迦様や教えへの信仰があり、僧団への支援や施設の寄進、その管理に対する様々な援助そのものが大きな福徳になると信じられていました。瞑想修行に励む僧たちから教えを学び、自らも瞑想に励み、食事や生活面でのサポートをし、また比丘らが滞在宿泊する施設に対する支援を行う事が、将来の福を生ずる善行為になると考えられたのでした。

お釈迦様ないし勝れた瞑想修行を達せられた聖者、そしてそのために励む僧団は、世間の諸々の利益や安楽を生ぜしめ、福が増す所という意味から、プンニャケッタン・福田であると言われました。こうした考えは日本においても同様であり、古くは檀越といわれ、仏教を信奉し、僧侶や寺院を支持し、助力する支援者の存在は不可欠でした。ですから現代でも、寺院には必ず檀信徒が存在し、各寺院を支えています。

ですが今日、特に日本の仏教にそうして携わる人たちの中には、寺院が自らの信仰に基づく仏道精進のために存在しているという認識をもたない人が増えているのではないかと思えます。寺院は風光明媚な散策の場でもあり、静かに心癒す場など、いろいろな役割があるとは思われますが、僧俗ともに最も大切な自らの仏道を実現するための道場という認識が希薄になりつつあるのではないかと思えます。

住まう僧侶も自ら学びつつ修行を日々行じ、仏の存在を自らの理想として生きる人々の、その理想に近づくための歩みを実現する場としての寺院を、檀信徒とともに維持管理し、様々な諸行事を含め円滑に運営することがなすべき大事な役割であります。また集う人々の信仰の場である寺院を支える檀信徒は、そうした人々の幸福を増すための寺院を支えることにより大きな功徳を積むことになり、それは自らの信仰のためでもあり、先祖代々各霊の供養のためでもあると考えられます。

檀信徒は、その寺院に関係する多くの人々の信仰と修行のために奉仕し支援する誠に甚大な功徳主であり、それを先祖代々継承してこられています。寺院にとって、そして仏教にとって、とても大切な御恩ある方々です。その大切な檀信徒の中で、もしも万が一ご不幸あったときには、何を差し置いても駆けつけて経を上げさせていただき、有り難い戒名を授けさせてもらう。長年お寺のために尽くして下さったことに感謝を述べて、懇ろに葬儀を執り行ない、年忌法要にも出向くというのが本来あるべき仏事であろうと思います。

寺院は本来、仏を理想として生きる、つまり自らも仏に近づいていくことを目的として生きる人々にとっての心の修行の場であるからこそ、亡き故人にも菩提を願いその功徳を廻向することが可能となるのではないかと思います。こうして生きているときにも私たちは、命を生きる最終ゴールは仏のところにあると知ることで、そのためにこそ寺院があり、集う人々とともに教えを学び精進する場があることの大切さが理解されるのではないかと思います。

檀信徒であるとは、仏教徒であることです。だからこそ皆さん法事をなされるのです。法事は、参会者はともに三帰依十善戒を唱え、お経を聞き、教えを受け入れ、心安らかに精霊の菩提、つまり一生でも早くさとりを得られるようにと願い祈ることですが、それはそのまま仏道に精進することと言えます。意識するしないにかかわらず、仏道を行じておられるということになります。

ところで、もうかれこれ十年も前のことになりますが、ミャンマーから仏教徒が来訪され、國分寺の仏教懇話会で話をしてもらったことがあります。何の打ち合わせもしていなかったのですが、「私たちは死んで終わりではない、行かなくてはいけない来世がある。行いによっては地獄・餓鬼・畜生・修羅の世界に行く。人間に生まれてもいろいろなところがある。だから沢山功徳を積んで、瞑想などをして心を清らかにすることが私たち仏教徒の務めです」と話されました。

いま、手元にミャンマー連邦共和国宗教省が著した『ブッダの教え・基礎レベル』という本があります。そこには「仏教徒の日常の勤め」として、「仏教徒は毎日の宗教的な勤めを必須の責務として勤勉にこなす必要があります。ブッダの教えを実践し生活しなければなりません。人間として生まれるのは実に大変なことです。布施、持戒、瞑想などの功徳行を実践できるのは人間だけです。私たちは人間として生まれ、ブッダの教えを学び、実践し、悟る、またとない機会に恵まれています。ですから本当の仏教徒になれるように真摯に努力を重ねるべきです(抄録)」とあります。少々厳しい内容になっていますが、まさにこの通りであろうかと思います。

お寺とは、仏教を学び、心を安らかにするために坐禅し、祈りをささげ、徳を積む場であると思います。そう考えてしてきたわけでもないのですが、長いこと國分寺では、仏教懇話会を開いて教えを学び、坐禅会を開き、薬師護摩供を修して祈り、作務の日を定めて寺内清掃に励んでおります。そうして積む功徳が、亡き人の供養にと回り廻らされるものとなります。

とはいえ、気持ちはあってもなかなかそんなことはできませんという方もおられることでしょう。四国の人は、八十八箇所の遍路道を歩く人を見ると、尊い行を自分の代わりにしてくれていると感じ、何か接待してあげようという気持ちになると聞いたことがあります。それと同様に、なかなか日頃忙しくされて、お寺にお詣りできない、お経を唱える暇もない、坐禅するなんて考えたこともないという人も、お寺の活動にご理解をいただき、心を寄せていただければありがたいと思います。    


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いまここに存在している不思議

2022年02月21日 15時18分52秒 | 仏教に関する様々なお話
いまここに存在している不思議



今こうして大きなお寺に住まいさせていただき住職として仕事をしている不思議を語りたいと思います。何の縁もなかったこの地にきて、もう二十二年がたちます。多くの皆様のおかげであっという間の年月ではありますが、通常のお寺としての檀務に加え、広い境内の整備やまったくしたことのない山仕事などみんな檀信徒役員の皆様が毎年整備してくださるおかげで、何とか務めさせていただいているということなのですが、そうしたことも含め誠に奇跡のような得難いこの場所でこうしておらせていただいていることが誠に不思議に思えるのです。

と申しますのも、つい二三日前に思い出したことですが、今から三十年ばかり前、私がまだ四国を歩いて遍路している頃のことです。高野山の専修学院を卒業し、役僧として東京のお寺に住み込みで勤めをし、二年目にインドへ行きました。そのときにはヨガの聖地であるリシケシに行くことが主目的で、仏跡地にはブッダガヤのみに参詣し三か月ほど滞在し帰りました。そのとき一人の禅僧に出会い、その後帰国して四国の歩き方、ビニールひもで草鞋の編み方を習いました。そして、そのお寺を辞して一人団地に住まいしておりましたが、それでも年に数度もそのお寺の行事のたびに呼んで下さり役僧として仕事をさせていただきました。

そうして一僧侶として歩き出してはいたわけですが、お寺の生まれでもないため、その先の展望が何もなかったのです。自分では志を立てて僧侶の道に入ったと思っていたわけですが、はたして自分はこの先どうあるべきか、いかなる歩みをするべきか、いかなる僧侶としてあるべきか、私の役割とは何なのか、まったく自分の将来像が描けずにいたのでした。

そこで、特別何のお告げがあったわけでもないのですが、毎朝の勤行の礼拝時に、「私に、僧侶としてこの先いかにあるべきか、どうぞ役割をお与えください」と仏様に祈念して五体投地を繰り返しておりました。ついぞそんなことをしていたことも忘れておりましたが、ニ三日前にふとそのことを思い出したのです。その時期は、週に三回ほど、作務衣の上に衣を着て、脚絆を巻いて網代笠をもち、頭陀袋に鉢を入れ、草鞋を履いて、地下鉄を乗り継ぎ、数寄屋橋や浅草の浅草寺仲見世の脇で午前中の二三時間托鉢をして生活していました。そのほかにも柴又の帝釈天やとげぬき地蔵でも托鉢したことがありましたが。

そして四月から五月にかけて、托鉢姿で寝袋を担ぎ家を出て、フェリーや深夜バスを利用して四国に入り、八十八箇所を二度歩いて遍路しました。そんな生活を二年ほどしておりましたら、僧侶の友人からインドに行かないかとの誘いがあり、その気で準備を進めていたところ出発目前で友人は行かれなくなり、二回目の遍路をした翌年のことでしたが、一人一月に二度目のインドへ旅だったのでした。そしてその旅で、はからずもインドの仏教教団にご縁ができて、サールナートの日本人インド僧後藤恵照師に出会うことができました。

インドにはもう仏教は遺跡しか残っていないと思っていたのに、生きて仏教徒が存在し教団まである、さらにその仏教徒はかつての仏教の中心地マガダ地方から遠い昔にイスラム教徒の侵攻を予期してインド東部現在のバングラディシュ・チッタゴン周辺に避難した正当なる仏教徒であることを知りました。私はこれこそが自分の役割と即決して、後藤師が計画していた無料中学設立に向け協力させてもらうことにしました。

その後一度日本に帰りヒンディー語を大学の語学研修所で一年間学び、再度インド入りして自身もインド僧となり、三年半を過ごさせてもらいました。勿論この間に日本に帰って寄付をつのったり何度か行き来をしながらではありましたが、そうして丁度日本にいるときに阪神淡路大震災が起こり、ボランティアとして三度ほど神戸市の避難所に通い被災者の皆様からお話を聞かせていただく機会を得ました。夜焚火を囲み話す被災者のおじさんたちの話は誰も哲学者の様に核心をつく言葉をつむいでくださったことを記憶しています。

サールナートの無料中学は、皆様からのご寄進によりおかげさまで校舎の建設、入学生の選考から先生の選抜、学生服の仕立て、来賓の招待などが済み開校式が行われ、軌道に乗ったのでした。が、その後、ベンガル仏教会のコルカタ本部が取得したルンビニの土地にお堂を建設するため日本での募金活動を依頼されたが、時すでにバブル崩壊後で失敗に終わりました。またコルカタに滞在している時マラリヤに二度かかったこともあり、帰国を余儀なくされました。そして、上座仏教の戒を捨戒して日本の僧侶に復帰して、東京深川の冬木弁天堂に堂守として三年ほど過ごしました。このお堂は開運講という近在の方々の信者団体が管理運営しており、下町の気っぷの良い誠にストレートな物言いの皆様とともに、正月五月九月に大祭を行い、十二日ごとに己の日には護摩を焚き、正月には元旦から七日間は深川七福神の多くの参拝者を出迎えました。

そして、その間に家族が増えることから安住の地を求め、間に入ってくださることになるお寺様に挨拶に参りましたらひと月もしないうちに知らせが入り、初めてこちらに来訪したその日に入寺することが決まりました。そして、翌年一月に入寺して、二年後に住職させていただき現在があります。それが二十年ほど前のことですから、礼拝して祈願してからそのときまでで十年もの歳月を要して祈願がかない、紆余曲折を経ながらも、自分にできること、したいことをさせてもらえる場所、そこには境内整備の山仕事も含めて相応しい役割を与えてくださったということになるのかと思います。祈願してすぐにはここに入る時期は熟しておらず、その間に様々な経験を経なければ、この場にいることはかなわず、絶妙な時期に、絶妙なるタイミングにより、奇跡の様にここに得難い場を用意して入れ込んでくださったとしか思えないのです。

仏様への祈願は、真に心より念じること、願い続けること、そして信じること。まったく願いに通じると思えないことでも一生懸命すること、いつか必ずかなうと確信して学び行じ続けることが大切ではないかと思えます。そしておぼろげながらも実現するイメージをもち続けることも大切でしょう。仏様が笑われるようなことを書いているのかもしれません。まったくそんな差配はしておらんと言われるかもしれません。ですが、私にはあの時にああして願ったことが、今こうして現実として表れていると三十年の時を経て、ふと気づかせていただいたということなのです。この気づきを仏様への感謝、関係する皆様への感謝をこめて、ここに備忘録として綴っておきたいと思います。

ですが、本当は私だけでなく、誰もがいま存在している不思議を生きているのかもしれません。



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