住職のひとりごと

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やさしい理趣経の話①常用経典の仏教私釈

2009年01月14日 07時54分20秒 | やさしい理趣経の話
「理趣経(りしゅきょう)」という経典がある。「般若理趣経」とも言い、真言宗の常用経典である。真言宗の僧侶が執り行う葬儀や法事で読まれるのは、まず間違いなくこの経典だと言ってよい。普通の経典が呉音で読むのに対し漢音で読むため、聞いていて誠に軽快な感じがするお経だ。

たとえば金剛というのを「こんごう」ではなく、「きんこう」と読んだりする。清浄を「しょうじょう」ではなく、「せいせい」と読み、如来を「にょらい」ではなく、「じょらい」と読む。また一切を「いっさい」ではなく「いっせい」だったりと、聞いただけでは言葉が当てはまらない。

なぜこんな読み方をするのかと言えば、そこにはいわゆる煩悩の中でも最もやっかいな性欲を大胆に肯定しているように読めたり、どんな悪事を働いても成仏するというような文言があるためで、いわゆる仏教徒にとってはそのまま受け取りがたい内容を含んでいるから、聞いただけでは意味を解せないためとも言われている。がしかし、本当のところは、当時洛陽や長安といった中国の都は漢音を中心にした世界であり、また日本でも平安の初期は漢字は漢音で統一するという時代だったためという。

ところで、この経典は、通称を「般若理趣経」と言われているので、もともと大乗仏教が西暦紀元前後に新たに生起した頃大乗仏教徒によって新たにまとめられた般若経典の一種でもあり、その流れをくんでいる。だから真言宗ばかりか、たとえば禅宗のお寺さんでも、大般若経転読法会といえば、玄奘訳『大般若経六百巻』の中の五七八巻にある般若理趣分が導師によって読誦されたりする。

つまり、同じ理趣経でも成立時期が様々なものがあり、玄奘訳は7世紀中頃に訳され、この他7世紀の終わりには金剛智や菩提流志らによって翻訳されている。そして、現在真言宗で常用されている「般若理趣経」は、長安第一の大寺・大興善寺におられた不空三蔵によって、七六三年から七七一年にかけて、あの玄宗皇帝の次の粛宗帝の勅により国家事業として翻訳された。

その新訳を初めて日本にもたらしたのは弘法大師であろうか。唐の国からこれだけの経巻宝物を持ち帰ったと朝廷に差し出した『請来目録』には、「新訳等の経」の一巻として『金剛頂瑜伽般若理趣経』とあるから、おそらくこの不空訳の「般若理趣経」のことであろう。

この理趣経は、正式名を「大楽金剛不空真実三摩耶経・般若波羅蜜多理趣品」という。読んで字の如く、「大きな楽しみ、それは金剛つまりダイヤモンドのように堅い、空しからざる、真実なる、三摩耶つまり悟りに至る経典」ということになる。ただ、大きな楽しみとは、私たちの俗世間的な楽しみではなく、この宇宙全体がよくあるようなことに対する楽しみのことであり、堅いというのは菩提心、つまり悟りを求める心が堅固であるとの意であるという。

「般若波羅蜜多理趣品」は、「般若」が智慧、「波羅蜜多」は完成に至るとの意で、「理趣」とは、そこに至る道筋、「品」は章ということで、智慧の完成に至る道を説く章という意味となる。全体では、堅固な菩提心により智慧の完成を導き、必ず真実の悟りを得て、宇宙大の利益をもたらす道筋を述べたお経だということになる。

ただ理趣経は、今日では、この経題の前に、読経する人が経典の説き手である大日如来をお招きしてお祀りする啓請と呼ばれる偈文を読むことになっている。だから理趣経のはじめは、「みょーびーるしゃなー」で始まる。「みょー」というのは、帰命の帰の字を略して読むからで、本来は帰命、帰依しますということ。「びーるしゃなー」は、毘盧遮那仏の仏を略して引声して唱える。「帰命毘盧遮那仏」、大日如来様に帰依しますという文言から理趣経がはじまる。

そのあと、「むーぜん、しょーうじょう、せーいせい」と唱え、煩悩に染まることのない執着のない真理に至る、生まれ生まれてこの偏りのない教えに遇い、常に忘れず唱え教えを受持しますと宣誓しつつ、弘法大師にこのお経の法味を捧げたり、過去精霊の菩提のために唱えることなどを述べてから経題を唱える。

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