住職のひとりごと

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『構築された仏教思想 空海』(2019年12月15日佼成出版社刊)を読んで

2020年01月12日 16時18分14秒 | 仏教書探訪
『構築された仏教思想 空海』(2019年12月15日佼成出版社刊)を読んで



大正大学名誉教授の平井宥慶先生による空海論である。これまでにも時あるごとに、その生涯や思想については読んできたつもりなので、総復習のつもりで気楽に読み始めてみたのではあるが、一ページ目から、平井先生の豊富な学識を思い知らされる硬質な文面に出会うことになった。

わが国で国家レベルで仏教の受容が始まるのは聖徳太子の時代とあり、近時この太子の存在自体に疑義がもたれ、歴史学でもてはやされたことについて、現存資料どうしの錯誤によって極言したものであり、それは歴史学の横暴であると切り捨てられる。そして、もし太子的存在がなければ以後の日本社会の歴史はよほど変わったものになっていただろうとされる。さらには壬申の乱を経て倭国は日本国になったとあり、空海の生年についても、同時代的資料はないと断言されるなど、確かな確証を追求しつつ歴史と対峙されてきた先生であることがこれらの書き方だけで、よく解る。

そして、鎌倉時代の法然上人こそ八万四千の教えの中から浄土教を選択(せんじゃく)した、選択のもとのように思われているが、日本仏教における選択は平安時代の空海こそが大本であるといわれる。空海は都で儒学を学んでいたのに仏教を選択し、仏教の中でも密教を選択してその教えをこの日本で花開かせた人なのである。それまでの日本思想界にあって思想の選択をするなどということはなく、選択するということは空海の思索人生のすべてを通じて終生の必須事であったとも言われている。だからこそ『十住心論』などという、すべての教えを自らの思想体系の中に包摂する思想体系を築けたのだともいえようか。

そして、空海入唐の事情についても、単にたまたま延暦23(804)年の遣唐船に乗船したのではなく、24歳からの知られざる不明の七年間に、入唐の目的を確実にかなえるために、かの地の情報を新羅や渤海の知人を頼り収集していたのではないかとされる。その目的とは最高の祖師から密教の奥義を授かり灌頂を受けることであると断言されている。特に伝法灌頂を受けるというのは三ヶ月程度の準備でできるものではなく、現在の様な伝授の作法本がある時代でもないので、両部の曼荼羅は青龍寺にあるものを使用するにしても、自ら伝授の次第を大日経や金剛頂経、儀軌などを参考に作成し、作法に要する仏具から、支具のすべてを用意しなければならなかったであろう。

とすると、かなりの準備時間と修練が必要になる。作法ごと、主尊ごとの真言と印と観想を修養するのにどれだけの時間が必要であろうか。今高野山で伝法灌頂を受けるには少なくとも百日間の修行を要する。恵果阿闍梨を驚かしむるほどに、既に真言や印相を習得されていた空海はそれだけの準備をして、さらには空海が伝法灌頂を受法した翌年には入滅される恵果阿闍梨の寿命幾ばくも無いことを知って、この時期に急ぎ駆けつけていくほどに唐の仏教事情についても情報収集していたというのである。

空海は、唐にて20年の修学を命ぜられて入唐したのに、わずか足かけ三年、実質的には1年半ほどで帰朝することになったとされているが、その20年というのは空海の認めた『御請来目録』にあるのみで、公の資料にはないのだという。さらに帰朝後三年間九州の地に留め置かれたのも、観世音寺にと思われているが、そうした伝は観世音寺にはなく、留め置かれたのも国禁を犯したためではなくて、桓武天皇が崩御し、次の平城天皇即位するものの「伊予親王の変」が起こったりと当時の政局に争乱が重なってのことに過ぎないとされている。

奈良仏教と争う天台の最澄師とは違い奈良勢力ともよい関係にあった空海は、東大寺の第14世別当つまり住職となっている。今日もある真言院を創り、灌頂道場も勅許を得て建立している。また入滅二三前年からの行跡が大変詳しく記されているのには大変勉強になった。その頃からすべて死期を察して準備していく確かな足取りが目に浮かぶ様である。

天長9(832)年には「高野山万灯会願文」にて有名な「虚空尽き衆生尽き涅槃尽きなば我が願いも尽きなん」という名句を残し、高雄山寺や東寺、高野山を弟子らに託し、承和元(834)年には宮中真言院の正月御修法を上奏し、東寺に三綱(上座・寺主・都維那)を設置、翌2年には宮中で後七日御修法が実施され、真言宗に年分度者が三人認められ、金剛峯寺が定額寺として認められて、官寺と同格となっている。そして、3月15日弟子らに遺言(御遺告)がなされて、21日に禅定に入るが如くに入滅している。これを後には「入定」という、とある。

ここまでが「波瀾万丈の生涯」第一章である。第二章は、仏教の起こりからどのように密教が構築されていったのかをあきらかにする「真言密教の確立」、第三章には「曼荼羅世界の魅力」と題して、主に空海の独特なる精神世界の見取り図・十住心論について解りやすく説いていく。さらには、第四章「日本文化への道」では、空海の弘法大師としての文化的な広がり、その御像の様々なバリエーションについて述べ、空海の著作についてのコメント、また近代からの文化人の空海評や近年における空海を題材とする小説についてのコメントも辛みが効いて読んでいて面白い。

以上、179ページの小さな著作ではあるが、その内容は誠に重厚である。ひとつ一つの内容に先生の持つ確たる主張が隠されていて読んでいて誠に勉強になった。冒頭に書いたように総復習のつもりが新たな発見の連続で、なおかつ空海密教に関する確かな知識をこの一冊で習得できる。是非御一読をお勧めしたい。

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