活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

馴染めないけれど、ここは南島原市

2011-12-17 14:23:41 | 活版印刷のふるさと紀行
 大袈裟にいいますと市町村合併が由緒や歴史を奪い去り、見失わせるような
気がします。ここは「南島原市」、けれども私は高来という歴史に登場する2文字
の入った郡名に親しみを持っております。
 
 南島原市が誕生して5年ぐらいになるでしょうが、有馬のセミナリヨのあった
北有馬町、活版印刷の聖地加津佐町、南蛮船の入港した口之津、そして銅版画が
描かれた有家、私の興味を引き付ける町町がみんな、この南島原市に属するように
なってしまったのです。

 さて、ここ南島原市にあってまず、みなさんに紹介したいのが、この北有馬に
1580年から1613年までの間に、3回にわたって存在した「有馬セミナリヨ」
です。セミナリヨは苗床などと訳されていますが、イエズス会がつくった神父養成の
ための神学校でした。

 生徒数は第1回生は20名くらいでしたが、もっとも多いときは100名を超えた
といわれています。その数少ない1回生からマンショ・ミゲル・マルチノ・ジュリアン
の天正少年使節4人が出たわけですし、日本最初の活版印刷人ドラードも同じときに
セミナリヨではたらいていました。

 しかし、有馬セミナリヨがどこにあったのか、まだ、確定はされていません。北
有馬にあったことは確実ですが、3回とも場所は別だったろうというのがおおかたの
意見です。いずれにしても城主有馬晴信がヴァリニャーノから洗礼を受け、そのヴァ
リニャーノが開いた学校ですから日野江城界隈にあったことはまちがいありません。

 少し寒いのですが落葉して視界がひろくなったこの時期に日野江城址を歩いて
セミナリヨ探しをするのは楽しいではありませんか。
コメント
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