活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

「第九」でも難しいのにと思う

2011-12-18 12:47:01 | 活版印刷のふるさと紀行
 第九の季節のせいでもないですが、木の葉の落ちた日野江城址を枯草を
踏み分けて歩くのはいい気持ちです。
 「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン トホテル…」思わず
片仮名書きして必死におぼえた第九のうろおぼえの歌詞が口をついて出てきます。

 有馬のセミナリヨはルイス・フロイスの記述によりますと《日野江とよばれる
有馬殿の住んでいる城の城下町は口之津から2レグァ離れていて、そこにシモ(下)
のセミナリヨが置かれているのです》と、あります。

 ということは、有馬のセミナリヨはいまの高台になっている城址かいわいではなく、
もっとふもとの当時は有明湾に流れこむ川のほとりに位置していたかもしれません。

 しかし、私たち現代人のイメージでは学校は町を見下ろす小高い丘にあって、
周りにみんなで歌を歌いながら逍遥できるような林のあるような環境をとかく
連想してしまいます。そうすると、やはり、北有馬の町を見下す城跡歩きが一番
ぴったり来ます。

 有馬のセミナリヨでは音楽教育が重視されたことがわかっています。クラボ
(チェンバロのような楽器)やオルガン、ヴオラ、アルポ、ギターなど楽器の演奏
と唱歌にかなりの時間がさかれています。
 唱歌はグレゴリオ聖歌が主体だったのでしょうか。おそらくラテン語で歌われた
と思いますが、セミナリヨの少年たちはどのようにして歌詞を覚え、歌ったので
しょうか。
 CDもある、指導者もいる、いまの第九の合唱練習よりも何倍も厳しい学習環境の
中でのことです。おそらく、日野江の高台の道を連れ立って逍遥しながら、みんなで
何度も歌ったのに違いありません。

 




 




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする