活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

マツザカヤのPR誌のこと

2013-07-01 12:17:19 | 活版印刷のふるさと紀行

 昨日、2013年6月30日かぎりで、銀座のマツザカヤが改築のために閉店しました。連日、5丁目界隈は閉店セールで大賑わい。それは、それで結構ですが、私はたまたま日曜日で歩行者天国にぶつかった中央通りに立ちすくんで、しばらくの間「また会う日まで」の看板を見ながらおもわず、回想に耽るのでありました。

 マツザカヤには大正年代に創刊されたPR誌『新装』というのがありました。高額得意先用に年4回配布されていました。いまでこそ、PR誌も廃語に近い媒体になってしまいましたが、おそらく当時は百貨店業界でも他に類を見ない先端を行く宣伝媒体であったはずです。

 たしか自社制作だったその『新装』が外部に制作が委託されるようになったのが1963年、休刊になったのが1972年ごろではなかったでしょうか。実は、その間、委託先の編集ディレクターをつとめたのが私です。もちろん、駆け出しの若造でした。それだけに、『新装』は私の思い出ボックス、青春と重なります。

東京のマツザカヤには上野店と銀座店の両方に宣伝部がありましたが、『新装』の 制作監修は銀座店の担当でした。たばこの「新生」のパッケージをデザインしたデザイナーの戸田信孝氏、編集者として「改造」や「週刊読売」で活躍され、当時は銀座店PR課長だった富重義人氏、お二人がきびしいチェッカーで、私はおそるおそるレイアウトがおわって入稿する原稿を一つ裏通りにある別館の宣伝部に届けたものです。

 

 

 

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