活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

マツザカヤのPR誌のこと2

2013-07-02 15:19:00 | 活版印刷のふるさと紀行

 『新装』はビジァルで見せることを狙いました。当然、カメラマンのパワーが制作上、大きなウェイトを占めました。カメラマンの名は佐々木照男、いまでこそササキスタジオといえば、コマーシャルフォトの世界でその名を知らない人はいませんが、当時はまだ、車はコロナ1台、助手君を入れて総勢7~8人の小スタジオでした。

 まだ、組んでまもないころ、京都の嵯峨野の竹やぶで着物の撮影をしたとき、腕いっぱいにやぶ蚊が止まっているのに平然とシャッターを切りつづける彼の姿に圧倒されたことがあります。伊勢志摩、鳥取砂丘、金沢城、ロケの行く先々で、あるいはスタジオで彼がもがき、苦しむ様を見るのは勉強になりました。

 レイアウトは初めのころは内藤新宿の二谷さん、のちに杉浦範茂さんでした。コピーは私が担当しましたが、あのころのマツザカヤはなんでも好きなことをさせてくれるすばらしいクライアントでした。『新装』の印刷は大日本印刷、面白かったのはオフセット6色のカラーページとグラビア1色のモノクロページの繰り返しという版式とページ構成だったことです。。

 『新装』の発行が終わったのはちょうど沖縄の海洋博が始まる頃でした。テレビの時代に勝てなくなったためでした。銀座マツザカヤに別れを告げて、「梅林」でかつ丼を食べました。そこで『銀座百点』が目に入りました。いまだにつづいているPR誌にこころから喝采と敬意を贈りたい気持ちになりました。

 

 

 

 

 

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