活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

七夕や星に願いを金平糖

2013-07-07 11:28:12 | 活版印刷のふるさと紀行

 七夕、日曜日、例年よりも15日も早い梅雨明け。戸外の温度は昼前だというのに35度近いとは。私の住んでいるマンションでは熱心な女性がおられて、7月に入るやいなや「ぜひ、一筆」と、七夕飾りの短冊を入居者に配っておられるのです。きれいな包装紙を利用したエコ短冊です。 私も手渡された短冊に1句ものしたのですが中身は内緒にしておきましょう。

 ところで今日は日曜日。パパやママに連れられてレストランで「七夕スペシャルランチ」を楽しむお子さんも多いことでしょう。けれども、ひな祭りや端午の節句などと違って、七夕には定番の料理や菓子がないように思いますがいかがなものでしょうか。

 おそらく、彦星・織姫伝説にことよせてスープや付け合せやデザートにまで星形が乱舞していることでしょう。「星に願いを」です。

 さて、日本で星形の菓子のいちばん古いのなら、コンペイトー(金平糖)です。

 『日本史』で有名なポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、織田信長に最初に会ったのが1569年(永禄12)の4月とされています。そのとき、信長がたくさんもらった贈り物の中からビロードの帽子だけを受け取ってあとは返したという話が有名ですが、帽子以外に、信長が喜んだのがギヤマンの壺に入ったきれいなコンフェイト、つまり、金平糖だったことはあまり知られておりません。(古田菊次郎著 『西洋菓子 日本のあゆみ』 より)

  もちろん、フロイスよりも以前、 ザビエルをトップバッターにヴィレラ、アルメイダ、カブラル、オルガンティーノ、ヴァリニャーノなど多くの宣教師が来日していますから、彼らと接触の多かった九州の人たちにはもっと早くからこの小さな星形の南蛮菓子に馴染みがあったと思われます。

 

 

 

 

 

                                       

 

                     

                                               

 

 

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