活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

世界遺産と長崎教会群

2014-05-03 12:52:44 | 活版印刷のふるさと紀行

 この6月にも富岡製糸所が世界遺産登録される見通しになったというので、はやばやと見学者が押しかけている様子を連日のようにテレビが伝えています。私の記憶では何年か前に、富岡製糸所と富士山と長崎の教会群とキリスト教関連遺産が同時期に登録候補になったとおもうのですが、3つのうち長崎はどうなっているのでしょうか。

 天正時代にキリシタンがもたらした活版印刷とのからみから、長崎や島原や天草などを取材させてもらっているうちにすっかり長崎ファンとなった私にとっては最大関心事でさえあります。

 1590年(天正18)に島原の加津佐に金属活字を使う印刷機をはじめグーテンベルク系の印刷関連の道具が陸揚げされたわけですが、既にその3年前1587年に秀吉が5か条からなる『伴天連追放令』を出しているものですから、きりしたん版の印刷は潜行状態で進めなくてはなりませんでした。しかし、1610年ごろまでは工房の場所を変えたり、隠れながらなんとか進めることができました。

 キリシタン弾圧が苛酷さを加え始めたのは1614年を境にしてのことですが、とにかくそれから250年近くの信者たちの苦しみは大変なものであったでしょう。今年のはじめ、日経にバチカン図書館で江戸時代のキリシタン禁圧の史資料が大量に見つかったとありました。昭和初期から戦後の1950年代まで大分を中心に布教していたイタリア人神父マリオ・マレガ神父が蒐集したものだといいい、その数は1万点にも及ぶそうです。

 そろそろ日伊共同で研究・調査がはじまる頃かと思いますが、かずかずの殉教を経て、長崎で護りつづけられたキリスト教と教会が富岡製糸所とともに世界遺産に加えられることをねがいます。連休に長崎の「二十六聖人記念館」を訪れて、殉教や隠れキリシタンの歴史と向かい合うのもおすすめです。

  

 

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