大袈裟にいいますと、 近頃、これほどうれしかったことはありません。ここに掲げたのは天草市河浦町「コレジヨ館」にある日本最初の活版印刷機のレプリカです。天正遣欧使節によって最初はいまの長崎県南島原市加津佐でキリシタン版を印刷したのですが、つぎにここ、河浦に移ってのちに「天草版」ともよばれる活版印刷の本が印刷されたのです。
それは1590年代のはじめのことですから、いまから430年近い前の話になるのですが、ほぼ、同時代の家康の駿河版活字は現存するのに、このキリシタン版を印刷した活字は島原や天草や長崎など、かつての印刷所の所在地はじめ、どこでも、いまだに1本も見つかっていないのです。 少なくとも何万字もあったはずなのにいまだにどこからも出て来ないのです。
鉛合金ですから腐ってしまったことはないでしょうし、いくら禁教の対象といっても全部が全部海に投げ捨てられたとも考えられません。のちの島原の乱のときに鉄砲の弾に化けたと笑わせる人もいますがマサカです。
そこで私はいままで何度もこの活字探しを夢見て、書いたり、話したりしてきました。昨年『印刷雑誌』4月号にも
「もっと欲張りなこというとしたら(株)モリサワの本木活字の鋳造再現実験のようにキリシタン版の国字づくりにいどんでくださるひとはいないだろうか、キリシタン版に使われた活字の遺物捜しキャンペーンとともに私の夢である。」
と書きました。
それが、なんとウカツな、もう4年も前から天草コレジヨゆかりの地、天草市の県立天草工業高校の生徒さんがキリシタン版活字の再現にチャレンジしていたとは。驚いたし、うれしかったし、感動した顛末は次回に。