活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

田中一光ポスター展とシェリー酒

2012-01-15 11:33:46 | 活版印刷のふるさと紀行
先週末、ギンザ・グラフィック・ギャラリーの「田中一光 ボスター1980-2002」を観て
来ました。没後10周年記念企画とありましたが、あの訃報を聞いたときの驚きを今でも、
まざまざと思い出します。

亡くなられたのが2002年の1月10日,私がそれを知ったのは翌朝いちばんで同じビルに仕事
場を持っていたイラストレーターの杉浦範茂さんからの電話でした。受話器を持ったまま暫く
茫然自失でした。
「お倒れになったところが悪かった、人目のあるところで病院へすぐ搬送出来たらよかった
のに」、彼も口惜しそうでした。

私が田中一光さんと仕事の上で最初にお世話になったのは大阪万博のときで、実際に親しく
毎月、ご指導をいただくようになったのは1986年からでした。こんどの展覧会は、円熟期の
作品150点が展示されていますが、時期的に重なっていますのでどの作品にも懐かしさや親し
さを感じ、あれこれ、在りし日の田中さんとのやりとりを思いだしながらゆっくり見ることが
出来ました。

なかでも1990年スペイン、マドリッドで行われたコンプリント(印刷・出版・放送などの国際
会議)に 協賛して開催されたジャパンプリント日本ポスター展のポスターの前では釘付けにな
ってしまいました。

あの夜を思い出したからです。湾岸戦争が終わったばかりのときでしたがなんとか事前交渉も
うまく行ってオープン前々日に会場設営に乗り込んだところ、田中さんと伊東順二さんが荷解き
をしてポスターパネルを床に並べ始めていてくださるではありませんか。

遅れをとって恐縮していると、「いやいや気にしない、1日早く着いたものだから。手伝うから
飛びきりのシェリーをご馳走してよ」
そのポスター展は田中さんの口添えもあって日本の第一線デザイナーの作品を網羅して、最新の
印刷技術を使った作品ばかりでしたから恐らく心配だったのではないでしょうか。

シェリーといえばマドリッド到着その夜に田中さんはお気に入りを見つけられたようでした。
銘柄を忘れてしまいましたが熟成の利いた濃い赤でちょっと辛め、すきっとした斬れ味でした。
イベリコ豚を肴に田中さんを囲んで盛り上がったあの夜は昼間の設営風景とともにわすれられ
ません。

作品制作だけではなく、周辺のあらゆることに神経を行き届かせておられたのが田中一光さん
だったと思います。


田中さんはシェリー酒がお好きでした。銘柄を思い出せませんが、マドリッド滞在中にとくに
愛飲されたのがありました。熟成が利いた濃い赤のジェリーをイベリコ豚を肴におおいに夜遅く
まで楽しんだあのだのことは忘れられません。
お勘定は田中さん持ちでした。ことごとさように、田中さんは作品制作だけではなく、あらゆる
ことに神経を行き届かせる人でした。






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