活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

木村嘉平の電胎法による活字作り

2011-04-14 10:09:17 | 活版印刷のふるさと紀行
鉛活字の製作依頼を受ける前から木村嘉平は島津斉彬から木活字本の字彫りの
御用を受けていました。
 その三代目嘉平の腕を見込んで「これからは洋式活版術でなくては再版のとき
に困る、ぜひ、そちに頼みたい」と斉彬が開発依頼をしたのです。

 そのとき斉彬が「これを参考にせよ」と手渡したのがリンドレー・マレイの
『英文典』のオランダ語版だったといいます。木活字で字彫りには通暁している
ものの金属で横文字とあっては字母づくりがそんなに簡単にいくものではありま
せん。

 たまたま、嘉平は三田の薩摩屋敷で知り合ったオランダ人から電気学を半年ほ
ど学んで電気分解による電胎法の字母製作をモノにしたといいます。
 本木昌造が米国人W・ガンブルに電胎法を学んで活字製作につなげたことに通
じる話です。

 嘉平が活字を完成させたのは1864年(元治元年)といいますから、本木の
金属活字の開発よりも5年ほど早かったことになります。
しかし、斉彬は完成を見ることなく急逝しましたし、当の嘉平も眼を患い、自作
の活字で出版を手掛けることができずにしまい、事業を長男に譲り、明治19年に
亡くなっています。

 斉彬がもうちょっと生きていて、嘉平が眼を悪くしなければ、嘉平活字の出版物
安政年代に世に出ていて彼の名前がもう少し印刷史上大きく扱われた思われます。
 事実、同じころ長崎の活字判摺立所やオランダ印刷所でオランダから輸入した
活字や印刷機を使って出版事業がスタートしようとしていました。
 ただ、嘉平の活字や印刷工具は明治の大火でかなり焼失しましたが、鹿児島市の
尚古集成館で一部を見ることができるのは幸せです。


 

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