HOTなおちゃタイム

保護猫八匹、21歳のリンをはじめとした楽しい日記をお読みくださいね。

瀬戸内寂聴さんの思い出

2021-11-12 16:38:07 | みっちゃん日記

 
11月8日に瀬戸内寂聴さんが亡くなられたとか
朝日新聞一か月に一度彼女の随筆が載っていました。
机に向かって書いたまま死ぬのが夢とか
作家として死にたいとか
高齢になり同じものを描いて
編集者に渡した大御所もいた、
自分がそうなっても書いていたいそれが理想と書いておられた気がする
私が瀬戸内さんを知ったのはまだ瀬戸内晴美という小説家のころ
たぶん高校生くらいの時通学途中に市の公会堂があり
、文芸春秋〇〇周年記念公演があるという横断幕をバスのかなから見かけた
岡本太郎。瀬戸内晴美・井上靖という今では信じられないくらいの豪華メンバーだった
私は井上靖しか知らなくて、
たぶん新聞に連載されていたから知っていた「氷壁」の作者だったのからか
それとも教科書に出ていた「しろばんば」というお話から知っていたのか
とにかく井上靖さんのお話が聞きたいと思った。
 
その講演を聞きに行った。もちろん無料けれど
けれどそんなに広くもない公会堂が7割くらいしか席も埋まってなかった。
 
最初講演は岡本太郎さん
岡本太郎さんはその後万博の太陽の塔を制作し、芸術は爆発だ!とか言って一般庶民芋大建築家ということが知られたのだが
当時の私は知らなかった。講演の内容も全く記憶にない
 
2番目に登場したのが瀬戸内晴美さん
もちろん彼女のことも私は知らない。何やら女流小説家で偉い賞ももらったらしいくらい
彼女は講演の中で
自分は岡本かの子のことを小説にしようと調べたりした。
岡本太郎のお母さんの彼女も女流小説家で太郎さんのことはほったらかして小説の没頭していた
あんな偉そうなことを言ってるけど
かの子さんは太郎さんをおもりが大変だから、柱に縛り付けて小説を書いていたんです
と暴露して皆の嘲笑を買っていた
 
私ははそんなことここで暴露してまずいんじゃないの?
と心中思ったりした
後で彼女の話術の巧みさの一片だったとわかるのだけれど
 
井上靖さんは越前竹人形という小説についての説明があり、自分がお寺に養子に出された経験や心中をつづったものであるといっておられた気がする
そのころまだr中学時代は多読家で少年少女世界文学全集(講談社)を百冊読破したばかり
アルセーヌルパンや巌窟王、シャーロックホームズなど洋物にうつつを抜かしていた時代だったのですから。
 
今から思うとたった一人でよく講演会に言ったなあと思うのです
それから年月がたち、瀬戸内さんは出家をして愛、人間愛が一番なんだ、と悟ったとかと変遷してゆく
半分寝たきりになっていたのに東日本大震災が起きると起き上がり
被災地のために活動したという
2012年脱原発の団体が結構jしたハンガーストライキに参加してハンガーストライキをしたという
私は彼女の戦争体験からの
「いい戦争なんてないんです。」という言葉に私は感動しました。
そして地獄極楽の質問に、未だ地獄、極楽は行ったことがないから、あるかないのかわからない。
行って、もしあったら右足を引っ張ったりします
といっておられたのが印象的です。
 
誰か右足を引っ張られた経験のある方あるのかな
また大正生まれの非凡な方が旅立ちましたね
ご冥福をおいのりします


コメント
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