09.6/8 409回
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(18)
源氏のちょっとした浮気心にも紫の上は気が滅入り、嫉妬なさることもありましたが、しかしこの時は、ごく平静に、
「あはれなる御譲りにこそはあなれ。ここには、いかなる心置き奉るべきにか。(……)」
――ご同情に堪えないご依頼ですね。私などが何の隔てを持ちましょう。(私がここにおりましていては、不愉快だなどとお咎めがありませんうちは、安心しておりましょうが)――
紫の上のちょっと卑下したもののおっしゃり方に、源氏は、
「あまりかううちとけ給ふ御許しも、いかなればと、後めたくこそあれ。(……)まだきに騒ぎて、あいなきものうらみし給ふな」
――あまり、こうあっさりとお認めになると、さてまたどうしたものかと心配ですよ。
(でもそうして、あなたも女三宮も諒解なさって平和にお過ごしになれば、どんなに安心なことでしょう。他人の中傷など気にしてはいけませんよ。大体世間というものは、夫婦仲のことを聞き歪めて面白がるものですからね。)早まって騒いで、つまらない嫉妬などしなさるな――
などと、お教えになります。
紫の上は、お心の中でこのように思うのでした。「女三宮のことは、降って湧いたような事件で、当人同士のあいだに生れた恋ではなく、源氏も逃れられないことだったのだから、私が気に病んでいると世間から思われないようにふるまわなければ。継母が自分を呪わしげにいつも思っていらっしゃっておいでですから、このことをお聞きになったら、さぞ良い気味だと思われるに違いない」
紫の上という方は、たいそう大様な方でいらっしゃるけれど、このくらいの胸の内の邪推はきっとおありだったでしょう。
新年を迎えました。
朱雀院は女三宮を六条院へお移しになるご準備を、急がせなさっております。一方で、
「さるは、今年ぞ四十になり給ひければ、御賀の事おほやけにも聞召し過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを(……)皆かへさひ申し給ふ」
――源氏は、今年四十歳になられましたので、その御賀のことを朝廷でもお聞き過しなさらず、天下を上げてご準備との評判でしたが、源氏は面倒な勿体ぶった事は昔から好まれぬご性分ですので)みなご辞退申されたのでした――
正月二十三日の「子の日(ねのひ)」に、髭黒の大将の、今は北の方になられた玉鬘から源氏に若菜が進上されました。表向きは源氏の養女である玉鬘が、御父への御賀にもお心を込めたもので、婿殿髭黒の大将も、二人の御子を源氏にご覧に入れたく連れて参ります。
若菜の儀式には、殿上人を従えての髭黒の大将のご威勢はなかなかで、元の北の方の御父宮である式部卿の宮は、にがにがしく、仕方なくお出でになりました。
◆子の日(ねのひ)の若菜摘み
正月の子の日、とくに最初の子の日に、人々は野に出て、小松を根から引き抜いて健康と長寿を祈った。「ねのび」(「根延び」を掛ける)とも言う。松は常緑であり長生の木とされたため、それにあやかろうとした行事である。またこの日、若菜も共に摘んで食した。
写真:風俗博物館
ではまた。
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(18)
源氏のちょっとした浮気心にも紫の上は気が滅入り、嫉妬なさることもありましたが、しかしこの時は、ごく平静に、
「あはれなる御譲りにこそはあなれ。ここには、いかなる心置き奉るべきにか。(……)」
――ご同情に堪えないご依頼ですね。私などが何の隔てを持ちましょう。(私がここにおりましていては、不愉快だなどとお咎めがありませんうちは、安心しておりましょうが)――
紫の上のちょっと卑下したもののおっしゃり方に、源氏は、
「あまりかううちとけ給ふ御許しも、いかなればと、後めたくこそあれ。(……)まだきに騒ぎて、あいなきものうらみし給ふな」
――あまり、こうあっさりとお認めになると、さてまたどうしたものかと心配ですよ。
(でもそうして、あなたも女三宮も諒解なさって平和にお過ごしになれば、どんなに安心なことでしょう。他人の中傷など気にしてはいけませんよ。大体世間というものは、夫婦仲のことを聞き歪めて面白がるものですからね。)早まって騒いで、つまらない嫉妬などしなさるな――
などと、お教えになります。
紫の上は、お心の中でこのように思うのでした。「女三宮のことは、降って湧いたような事件で、当人同士のあいだに生れた恋ではなく、源氏も逃れられないことだったのだから、私が気に病んでいると世間から思われないようにふるまわなければ。継母が自分を呪わしげにいつも思っていらっしゃっておいでですから、このことをお聞きになったら、さぞ良い気味だと思われるに違いない」
紫の上という方は、たいそう大様な方でいらっしゃるけれど、このくらいの胸の内の邪推はきっとおありだったでしょう。
新年を迎えました。
朱雀院は女三宮を六条院へお移しになるご準備を、急がせなさっております。一方で、
「さるは、今年ぞ四十になり給ひければ、御賀の事おほやけにも聞召し過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを(……)皆かへさひ申し給ふ」
――源氏は、今年四十歳になられましたので、その御賀のことを朝廷でもお聞き過しなさらず、天下を上げてご準備との評判でしたが、源氏は面倒な勿体ぶった事は昔から好まれぬご性分ですので)みなご辞退申されたのでした――
正月二十三日の「子の日(ねのひ)」に、髭黒の大将の、今は北の方になられた玉鬘から源氏に若菜が進上されました。表向きは源氏の養女である玉鬘が、御父への御賀にもお心を込めたもので、婿殿髭黒の大将も、二人の御子を源氏にご覧に入れたく連れて参ります。
若菜の儀式には、殿上人を従えての髭黒の大将のご威勢はなかなかで、元の北の方の御父宮である式部卿の宮は、にがにがしく、仕方なくお出でになりました。
◆子の日(ねのひ)の若菜摘み
正月の子の日、とくに最初の子の日に、人々は野に出て、小松を根から引き抜いて健康と長寿を祈った。「ねのび」(「根延び」を掛ける)とも言う。松は常緑であり長生の木とされたため、それにあやかろうとした行事である。またこの日、若菜も共に摘んで食した。
写真:風俗博物館
ではまた。