09.6/20 421回
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(30)
この日、源氏は女三宮の御殿へもお出でにならず、お文だけにして、衣装に薫く香のことに夢中で過ごされました。宵のほどになって、
「睦まじき人の限り四五人ばかり、網代車の、昔覚えて、やつれたるにて出で給ふ。和泉の守して御消息聞こえ給ふ」
――ごく近臣の者四、五人だけにして、人目につかぬように網代車でお出ましになりました。和泉の守を遣わして、朧月夜にご挨拶をおさせになります――
朧月夜は大そう驚かれて、
「あやしく、いかやうに聞こえたるにか」
――何としたことか、和泉の守はどうお返事申したのやら――
と、ご機嫌が悪いようでしたが、和泉の守は「風情あるおもてなしをせず、このままお帰えしなどなさるのは具合がわるいでしょう」と、何とか無理に工面をして、源氏をお邸にお入れします。源氏はお見舞いの言葉などを申されてから、
「ただここもとに物越しにても。さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」
――ほんのこのままで、物越しにでもお声が聞きとうございます。決して昔のようなけしからぬ考えなど、持っておりませんから――
と、しきりに源氏がおっしゃると、朧月夜は辛そうな溜息を洩らされて、いざり出ておいでになりました。源氏はお心の内に、
「さればよ、なほ気近さは、とかつ思さる。かたみにおぼろげならぬ御みじろぎなれば、あはれも少なからず。」
――ほら、やっぱり思った通りの近づきやすさは昔に変わらない。今はどちらも忍び合いなど出来る身分柄ではないのだが…――
と、あわれにも思いは深いまります。
こちらは東の対の辰巳(東南)の廂の間で、源氏は襖に隔てられた奥の堅く閉じてあるお部屋に向き、
「いと若やかなる心地もするかな。年月のつもりをも、紛れなく数へらるる心ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」
――ずいぶん、まあ若い者同士の気持ちがしますね。お逢い出来なかった年月も胸いっぱいでしたのに、こんなに疎々しいお扱いとは、身にしみて情けなく思われます――
と、綿々と恨みごとをおっしゃる。
ではまた。
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(30)
この日、源氏は女三宮の御殿へもお出でにならず、お文だけにして、衣装に薫く香のことに夢中で過ごされました。宵のほどになって、
「睦まじき人の限り四五人ばかり、網代車の、昔覚えて、やつれたるにて出で給ふ。和泉の守して御消息聞こえ給ふ」
――ごく近臣の者四、五人だけにして、人目につかぬように網代車でお出ましになりました。和泉の守を遣わして、朧月夜にご挨拶をおさせになります――
朧月夜は大そう驚かれて、
「あやしく、いかやうに聞こえたるにか」
――何としたことか、和泉の守はどうお返事申したのやら――
と、ご機嫌が悪いようでしたが、和泉の守は「風情あるおもてなしをせず、このままお帰えしなどなさるのは具合がわるいでしょう」と、何とか無理に工面をして、源氏をお邸にお入れします。源氏はお見舞いの言葉などを申されてから、
「ただここもとに物越しにても。さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」
――ほんのこのままで、物越しにでもお声が聞きとうございます。決して昔のようなけしからぬ考えなど、持っておりませんから――
と、しきりに源氏がおっしゃると、朧月夜は辛そうな溜息を洩らされて、いざり出ておいでになりました。源氏はお心の内に、
「さればよ、なほ気近さは、とかつ思さる。かたみにおぼろげならぬ御みじろぎなれば、あはれも少なからず。」
――ほら、やっぱり思った通りの近づきやすさは昔に変わらない。今はどちらも忍び合いなど出来る身分柄ではないのだが…――
と、あわれにも思いは深いまります。
こちらは東の対の辰巳(東南)の廂の間で、源氏は襖に隔てられた奥の堅く閉じてあるお部屋に向き、
「いと若やかなる心地もするかな。年月のつもりをも、紛れなく数へらるる心ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」
――ずいぶん、まあ若い者同士の気持ちがしますね。お逢い出来なかった年月も胸いっぱいでしたのに、こんなに疎々しいお扱いとは、身にしみて情けなく思われます――
と、綿々と恨みごとをおっしゃる。
ではまた。