09.7/4 435回
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(44)
若宮はすくすくご成長され、源氏は、乳母に御奉仕おさせになる者を選りすぐってお集めになります。実母の明石の御方は、
「御方の御心掟の、らうらうじく気高く、おほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬなどを、誉めぬ人なし」
――明石の御方のお心持ちの上品で鷹揚でありながら、お譲りになるところはそうなさって、憎らしく差し出たりなさらないのを、誉めぬ人はおりません――
「対の上はまほならねど、見え交はし給ひて、さばかりゆるしなく思したりしかど、今は宮の御徳に、いと睦まじくやむごとなく思しなりにたり」
――紫の上は正式にではないけれど、明石の御方と時々お会いになって、かつてはあれほど憎んでおられましたが、今では若宮のお陰で大変親しく重々しい人だと思うようになられました――
「ちご、うつくしみし給ふ御心にて、あまがつなど、御手づからつくり、そそくりおはするも、いと若々し。明け暮れこの御かしづきにて過ぐし給ふ」
――(紫の上は)子供好きのご性質で、子供のお守りをご自分の手を動かして作っておられますのも、若々しいご様子です。明け暮れ若宮のお世話でお過ごしになっておられます――
明石の尼君は若宮をゆっくり拝見できず、不満でなりません。
明石にいる入道は「今こそ安心して現世を離れることができる」と弟子たちに言って、所有物も寺に寄進して、播磨の国の奥山に移って行きました。長いお手紙を明石の御方へ書かれたその最後に、
「命終らむ月日も、さらになしろしめしそ。(……)……この月の十四日なむ、草の庵罷り離れて、深き山に入り侍りぬる。かひなき身をば、熊狼にも施し侍りなむ。」
――私がいつ死のうとも、決してお構いなさいますな。(喪服も何のお召しになる事はありませんよ)……三月十四日にこの庵を離れて深山に入ります。拙ないこの身は熊や狼の餌食にでも与えましょう」
尼君も明石の御方も悲しまれたことはもちろんでございました。
◆憎らかにもうけばらぬ=憎らしげな準備などしない、憎らしく差し出がましいことはしない。
◆あまがつ(天児)=絹で人形を縫い、綿を入れて幼児のお守りとしたもの。
◆そそくり=そそくる=忙しく手を動かして物事をする。
おわす=ありの尊敬語
◆写真:入道からの文を読む尼君と明石の御方
wakogenjiより
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(44)
若宮はすくすくご成長され、源氏は、乳母に御奉仕おさせになる者を選りすぐってお集めになります。実母の明石の御方は、
「御方の御心掟の、らうらうじく気高く、おほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬなどを、誉めぬ人なし」
――明石の御方のお心持ちの上品で鷹揚でありながら、お譲りになるところはそうなさって、憎らしく差し出たりなさらないのを、誉めぬ人はおりません――
「対の上はまほならねど、見え交はし給ひて、さばかりゆるしなく思したりしかど、今は宮の御徳に、いと睦まじくやむごとなく思しなりにたり」
――紫の上は正式にではないけれど、明石の御方と時々お会いになって、かつてはあれほど憎んでおられましたが、今では若宮のお陰で大変親しく重々しい人だと思うようになられました――
「ちご、うつくしみし給ふ御心にて、あまがつなど、御手づからつくり、そそくりおはするも、いと若々し。明け暮れこの御かしづきにて過ぐし給ふ」
――(紫の上は)子供好きのご性質で、子供のお守りをご自分の手を動かして作っておられますのも、若々しいご様子です。明け暮れ若宮のお世話でお過ごしになっておられます――
明石の尼君は若宮をゆっくり拝見できず、不満でなりません。
明石にいる入道は「今こそ安心して現世を離れることができる」と弟子たちに言って、所有物も寺に寄進して、播磨の国の奥山に移って行きました。長いお手紙を明石の御方へ書かれたその最後に、
「命終らむ月日も、さらになしろしめしそ。(……)……この月の十四日なむ、草の庵罷り離れて、深き山に入り侍りぬる。かひなき身をば、熊狼にも施し侍りなむ。」
――私がいつ死のうとも、決してお構いなさいますな。(喪服も何のお召しになる事はありませんよ)……三月十四日にこの庵を離れて深山に入ります。拙ないこの身は熊や狼の餌食にでも与えましょう」
尼君も明石の御方も悲しまれたことはもちろんでございました。
◆憎らかにもうけばらぬ=憎らしげな準備などしない、憎らしく差し出がましいことはしない。
◆あまがつ(天児)=絹で人形を縫い、綿を入れて幼児のお守りとしたもの。
◆そそくり=そそくる=忙しく手を動かして物事をする。
おわす=ありの尊敬語
◆写真:入道からの文を読む尼君と明石の御方
wakogenjiより