09.7/23 454回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(8)
明石の女御は、つぎつぎと御子に恵まれ、ご寵愛も並ぶ者のない御ありさまですし、退位されました冷泉院は、ご自由の身になられて、外出も思いのままにお過ごしです。
新帝(朱雀院と髭黒の御妹・承香殿女御の皇子)は、御妹宮(母違い)であります女三宮について、特にお心にかけておられます。なにしろ源氏の御寵愛はやはり紫の上を置いて無く、女三宮は及ばないように見受けられますので。
けれども、紫の上は源氏に、
「今は、かうおほぞうのすまひならで、のどやかにおこなひをもとなむ思ふ。この世はかばかりと、見はてつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべき様に思しゆるしてよ」
――今はもう、このような雑事に取り紛れて過ごすのではなく、静かに仏道の修行(出家)に勤めたいと思います。現世はこの程度のものと分かったような齢になりました。適当にお許しくださいませ――
と、出家を真面目にお願いになることが度々ありますが、源氏は、
「あるまじく辛き御事なり。みづから深き本意ある事なれど、とまりてさうざうしく覚え給ひ、ある世にかはらむ御有様の、うしろめたさによりこそながらふれ。つひにその事とげなむ後に、ともかくも思しなれ」
――とんでもない、夢にもそんなことをおっしゃってくださるな。私自身、昔から深く出家の志はありながら、あなたが後に残ってはさぞ淋しいでしょう。私の居ない後はどのようなお暮らしをなさろうかと、それが心配で延ばし延ばしにしているのです。私がいよいよ出家した後に、あなたもお好きなようになさい――
と、おっしゃるばかりで、いつもお止めになるのでした。
さて、
源氏は、これまであちらこちらの神社に願い事をしてきましたことが、明石の女御の入内から皇子もご誕生になり、思いが叶う方向に万事が進んでおりますので、そろそろ住吉の神社に、御願解き(がんほどき)の参詣に行かねばと思われるのでした。また明石の入道が明石の御方に願懸け(がんかけ)なさったという願文の願解きも一緒にしようということになりました。この度は紫の上もご一緒にお連れになることになりました。
源氏が御参詣になるという噂はひとかたならぬ騒ぎで、何事も世間の迷惑にならぬようにとの思いも、准太上天皇という御位に対する決まりもありますので、やはりまたとないほどの盛んな行粧となったのでした。
「女御殿、対の上は、ひとつにたてまつりたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗り給へり」
――明石の女御と紫の上はご一緒の車に、次の車には明石の御方と尼君がそっと乗られました――
◆おほぞう=いいかげんな様
◆願解き(がんほどき)=神仏に懸けた願いが叶ったとき、そのお礼まいりをすること。願懸けも願解きにも、大そうな寄進物がなされます。
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(8)
明石の女御は、つぎつぎと御子に恵まれ、ご寵愛も並ぶ者のない御ありさまですし、退位されました冷泉院は、ご自由の身になられて、外出も思いのままにお過ごしです。
新帝(朱雀院と髭黒の御妹・承香殿女御の皇子)は、御妹宮(母違い)であります女三宮について、特にお心にかけておられます。なにしろ源氏の御寵愛はやはり紫の上を置いて無く、女三宮は及ばないように見受けられますので。
けれども、紫の上は源氏に、
「今は、かうおほぞうのすまひならで、のどやかにおこなひをもとなむ思ふ。この世はかばかりと、見はてつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべき様に思しゆるしてよ」
――今はもう、このような雑事に取り紛れて過ごすのではなく、静かに仏道の修行(出家)に勤めたいと思います。現世はこの程度のものと分かったような齢になりました。適当にお許しくださいませ――
と、出家を真面目にお願いになることが度々ありますが、源氏は、
「あるまじく辛き御事なり。みづから深き本意ある事なれど、とまりてさうざうしく覚え給ひ、ある世にかはらむ御有様の、うしろめたさによりこそながらふれ。つひにその事とげなむ後に、ともかくも思しなれ」
――とんでもない、夢にもそんなことをおっしゃってくださるな。私自身、昔から深く出家の志はありながら、あなたが後に残ってはさぞ淋しいでしょう。私の居ない後はどのようなお暮らしをなさろうかと、それが心配で延ばし延ばしにしているのです。私がいよいよ出家した後に、あなたもお好きなようになさい――
と、おっしゃるばかりで、いつもお止めになるのでした。
さて、
源氏は、これまであちらこちらの神社に願い事をしてきましたことが、明石の女御の入内から皇子もご誕生になり、思いが叶う方向に万事が進んでおりますので、そろそろ住吉の神社に、御願解き(がんほどき)の参詣に行かねばと思われるのでした。また明石の入道が明石の御方に願懸け(がんかけ)なさったという願文の願解きも一緒にしようということになりました。この度は紫の上もご一緒にお連れになることになりました。
源氏が御参詣になるという噂はひとかたならぬ騒ぎで、何事も世間の迷惑にならぬようにとの思いも、准太上天皇という御位に対する決まりもありますので、やはりまたとないほどの盛んな行粧となったのでした。
「女御殿、対の上は、ひとつにたてまつりたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗り給へり」
――明石の女御と紫の上はご一緒の車に、次の車には明石の御方と尼君がそっと乗られました――
◆おほぞう=いいかげんな様
◆願解き(がんほどき)=神仏に懸けた願いが叶ったとき、そのお礼まいりをすること。願懸けも願解きにも、大そうな寄進物がなされます。
ではまた。