永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(439)

2009年07月08日 | Weblog
09.7/8   439回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(48)

 一方、衛門の督の君(柏木)も、以前から内裏に参上の折々に、朱雀院がことのほか女三宮を大切にご養育なさっていらっしゃいましたのを存じ上げており、ご縁談のあれこれの時にも、意中をお知らせしておりましたのに、

「かくことざまになり給へるは、いと口惜しく胸いたき心地すれば、なほえ思ひ離れず。」
――結局のところ、このように源氏に降嫁なされたことは、たいそう口惜しく今でも胸痛む思いがするのでした――

「『対の上の御けはひには、なほおされ給ひてなむ』と、世人もまねび伝ふるを聞きては、かたじけなくとも、さるものは思はせ奉らざらまし、(……)」
――「紫の上の御寵愛には、やはり及ばないようだ」と世の人が次から次へと噂し合うのを聞いては、畏れ多いことながら、私ならそんな物思いはおさせしないものを(と、女三宮の侍女で乳母子の小侍従を責め立て(女三宮との御仲を取り持って欲しい)ながら、源氏がいずれ、ご出家なさりたいというお気持ちがあるのを知っていますので、その時は、と、油断なく宮に気を付けています)

 三月の空うららかに晴れ渡った日、公私ともにお暇な源氏は、「このような日は、退屈で気が紛れないね」と、参っておられる蛍兵部卿の宮や柏木にお話になっています。
源氏は、夕霧が花散里の所で大勢の人に蹴鞠(けまり)をさせてご覧になっているらしいとお知りになって、こちらへとお呼びになります。

「乱れがはしき事の、さすがに目さめてかどかどしきぞかし。」
――蹴鞠(けまり)は行儀のよい遊びではないが、さすがにぱっとして、眠気もさめそうだね――

 参ったのは、若いのも歳の者も大勢で、その中でも太政大臣殿の君達で、頭の弁、兵衛の佐、大夫の君などは、姿かたちといい、ご様子が一段と冴え冴えとしていらっしゃる。ようやく日も傾きはじめ、風もそれほどではなくなって、蹴鞠には丁度良い頃と思われて、弁の君さえも仲間にお入りになって興じるのでした。

◆弁官は儀式を司る官なので、普通は蹴鞠(けまり)などはしない。
   蹴鞠は貴族の遊びとしては不作法なものと思われていた。

◆写真:蹴鞠を見る源氏と蛍兵部卿の宮  風俗博物館

ではまた。


源氏物語を読んできて(蹴鞠)

2009年07月08日 | Weblog
蹴鞠(けまり)

 鹿皮で作った鞠(まり)を数人で落とさないように蹴り上げ、回していく競技である。大陸から伝来し、平安時代の貴族に愛好された。

 平安後期には、動作や装束、場所などの細かい規定が定まり、「蹴鞠道(しゅうきくどう)」として儀式化し、伝習する特定の家が定まるようになった。蹴鞠を行う施設を「懸(かかり)」といい、四隅に柳・桜・松・楓の四種の木を植える。

 鞠を蹴る演技者を鞠足(まりあし)といい、四隅の木のもとに二人ずつの計八人を配置する。ほかに野臥(のぶし)という介添(かいぞえ)役が鞠足に一人ずつつく。そして見証(けんしょう)という監視役が、動作の状態や回数を見て、鞠足の優劣を判断するのである。

 現在では蹴鞠専用の鞠水干(まりすいかん)という長絹の直垂(ひたたれ)様の上衣に葛袴(くずばかま)を履いて鞠を蹴るが、平安時代には束帯(そくたい)や直衣(のうし)を着て蹴った。

◆参考と写真:蹴鞠に興じる若い君達  風俗博物館