永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(455)

2009年07月24日 | Weblog
09.7/24   455回

 三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(9)

折しも季節は十月二十日頃(今の十一月半ば)で、住吉の社は、

「神の斎垣にはふ葛も色変はりて、松の下紅葉など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり」
――「ちはやぶる神の斎垣(いかき)にはふ葛も秋にはあへずうつろひにけり」の古歌のように、社の玉垣に這う葛の葉も色づき、松の下草も紅葉して、風の音ばかりでなく、
はっきりと秋の気配です――

 「東遊びの耳慣れたるは、なつかしく面白く、波風の声に響きあひて、さる小高き松風に、吹きたてたる笛の音も、外にて聞く調べには変はりて身にしみ、(……)」
――東遊びの耳慣れた舞楽の音の、なつかしく面白く、浦波や風の音と響き合って、
小高い松風に吹き立てる笛の音は、外で聞く調べとは変わって身にしみて、(所が所だけに、優雅で物寂びてきこえます)――

源氏は、

「昔の事思し出でられ、中ごろ沈み給ひし世の有様も、目の前のやうに思さるるに、その世の事、うち乱れ語り給ふべき人もなければ、致仕の大臣をぞ、恋しく思ひ聞こえ給ひける」
――昔の事を思い出され、あの須磨明石に流された折りのことも、今目の前のように思い出されますのに、その時代のことを心置きなく語り合う人もいないので、今は職を辞された太政大臣(当時は頭の中将)を恋しく思いやられるのでした。――

 紫の上はいつもご自邸にばかりおいでになり、このような都の外への外出は初めてなので、朝夕の景色を珍しくご覧になるのでした。

 明石の尼君のことを、世間の人々は万事につけて羨ましく思い、話の種となって、幸福な人のことを、「明石の尼君」と言うようになりました。

「かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つときのことばにも、『明石の尼君、明石の尼君』とぞ、賽は乞ひける」
――あの、太政大臣家の近江の君は、双六を打つ時、良い数が出るようにと祈ることばにも、「明石の尼君、明石の尼君」と賽を振っているとか――

◆写真:東遊びの装束 風俗博物館

ではまた。