永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(女房の日常・冊子の装丁)

2008年06月21日 | Weblog
女房の日常 冊子の装丁

「粘葉装(でっちょうそう)」と呼ばれる装丁のしかたです。「平凡社CD-ROM版世界大百科事典 大内田 貞郎氏」によれば、「粘葉装」とは、用紙を一枚ごとに二つ折し、外側の折り目に沿って5mm幅ほどを糊付けして重ねて貼り合わせ、表紙をつけて冊子とした書物装丁をいいます。

 糊を用いて各葉をとじつけるところから「粘葉」といい、それ以前の「折本(おりほん)」や「旋風葉(せんぷうよう)日本では「ふくろぞうし」とも言う」に代わって盛んになっていたそうです。

◆ 写真は 絵冊子、絵も描かれて美しく仕上がっています。
  風俗博物館より

源氏物語を読んできて(84)

2008年06月20日 | Weblog
6/20 

【須磨】の巻  その(14)

 一方、須磨のお住いでは、月日が経つにつれ、源氏は紫の上の居られない生活がお辛く、かといって紫の上を呼び寄せることは、お咎めの身には考えられないことと思われます。

このようなうたを詠まれます。
「山がつのいほりに焚けるしばしばもこととひこなむ恋ふる里人」
――山里に住む者が、庵に焚いたその柴のように、しばしばわたしを訪ねてください、恋しい故郷の人々よ――

 やがて冬になりまして、雪の降り荒れる季節を迎え、相変わらずの寂しさに源氏も供びとも、何かにつけては京を思い出され、涙をぬぐってお過ごしになっておられます。

 明石の浦は、這っても行ける程のところです。良清はかの明石入道の娘(前出・若紫の巻)を思い出して文を遣りましたが、お返事がありません。

父の入道から
「『きこゆべきことなむ。あからさまに対面もがな』、と言ひけれど……」
――「申し上げたいことがあります。ちょっと面会したいのですが」と、仰るけれど、どうせ不承知を告げられてみじめな姿で帰ることになろうと、しょげて行きません。

 この入道は並はずれて気位が高く、偏屈とも思われておりますが、源氏が侘びしく須磨にお出でになっていらっしゃると聞いて、北の方に
「『……あこの御宿世にて、覚えぬ事のあるなり。いかでかかるついでに、この君に奉らむ』、といふ」
――「あの桐壺の更衣腹の光君が、須磨に来られているそうだ。娘の御幸運のためにこんな意外なことがあるとは。良い居りだ、娘をこの源氏に差し上げよう」と言います――

ではまた。

源氏物語を読んできて(83)

2008年06月19日 | Weblog
6/19 

【須磨】の巻  その(13)

 師(そち)の大貳が源氏にご挨拶をということで、子の筑前守を遣わせます。源氏が以前、蔵人に推挙なされて、目をかけておやりになった人ですが、ご挨拶に参ったことを見ている人が居り、噂をすることを憚って長居もできません。

源氏は
「『京離れて後、昔親しかりし人々あひ見ること難うのみなりにたるに、かくわざと立ち寄りものしたる』と宣ふ」
――京を遠く離れて、以前から親しくしていました方々とお逢いすることが難しくなっております昨今に、このようにお出でくださって、と話されます――

五節の君も、あれこれ無理をしてお文だけはお届けしました。

さて、
 都では、月日の過ぎていきますにつれて、帝をはじめとして、春宮も、春宮の御母の藤壺の宮も困ったことと思い嘆いていらっしゃいます。
初めのうちは、源氏のご兄弟の親王方や上達部からご消息されてもおいででしたが、源氏のそのお文が世に賞賛されるのを大后(弘徴殿大后)がお聞きになって、

「『公の勘事なる人は、心に任せてこの世のあぢはいをだに知ること難うこそあなれ。面白き家居して、世の中を謗りもどきて、かの鹿を馬といひけむ人のひがめるやうに追従する』など、悪しき事ども聞えければ、わづらはしとて、絶へて消息聞え給ふ人なし」
――大后が、「朝廷からお咎めを蒙った人は、自由に日々の食事さへ取りがたいものなのです。それなのに、風流な家を造って住み、ご時勢を誹謗非難なさるとは、かの鹿を馬と言った人がいましたように、源氏に追従する人がいるとは、」と仰っていらっしゃるとか、ご機嫌の悪い様子が聞えてきますので、身に覚えのある方々からは面倒なことになりそうだと、ぱったりとお伺いの文も途絶えてしましました――

二條院では、
「東の対に侍ひし人々も、みな渡り参りし初めは、などかさしもあらむと思ひしかど……」
――東の対での源氏付の女房たちもみな、西の対に渡って、紫の上に仕えた当初は、紫の上はなんのたいした方ではないと思っていましたが、(慣れるにしたがって、紫の上のおやさしくご立派な様子、細やかで思いやり深く上品でいらっしゃるので、誰一人お屋敷を去る人はおりません。あまたのご婦人の中で源氏の愛情が特に深いのも、もっともとお見上げ申し上げるのでした)――

◆「鹿を馬に…」=史記にある秦の趙高が、鹿を指して馬と言ったところ、群臣はその権勢をおそれて、これに追従したという故事。

ではまた。

源氏物語を読んできて(女房の日常 刀子)

2008年06月19日 | Weblog
女房の日常 刀子(とうす)

 すでに鋏はありましたが、主として整髪用でした。
 紙を切るのには刀子が使われました。
 女房は、絵冊子を写し作りもしました。常に刀子を身に付けていたようです。

◆写真 刀子

源氏物語を読んできて(82)

2008年06月18日 | Weblog
6/18 

【須磨】の巻  その(12)

 源氏は、また供の人たちと和歌を詠みあいます。

良清
民部の大輔(みんぶのたいふ)惟光
前の右近の将監(さきのうこんのぞう)は伊豫介の子、(今回のため、官職を解かれている。)

 この、前(さき)の右近の将監は、父が常陸介になって任地に下りましたのに誘われても行かず、源氏にお供して来たのでした。内心では悩みもあるでしょうが、元気に胸をはって何事もないように振る舞っております。

 月がくっきりと上ってきました。源氏は、ああ今夜は十五夜であったと思い出されて、内裏での管弦の遊びなど恋しく思い出され、あちらこちらのご婦人たちもこの月を眺めておいでかと

「『二千里外古人心(にせんりのほかのこじんのこころ)』と誦し給へる、例の涙もとどめられず」
――「三五夜中新月の色、二千里の外故人の心」と白氏文集を口ずさまれますと、人々は、みな例によって涙を留めえません――

 源氏は入道の宮(藤壺)が「霧や隔つる」とうたわれたことを思い出されますのは言うまでもなく、折々のことを思い出されて、声を出して泣かれるのでした。

 この夜は、朱雀院がお話になったご様子が故桐壺院によく似ていらしたことなども思い出されて、

「『恩賜の御衣は今ここにあり』(菅公の詩)と誦しつつ入り給ひぬ。御衣はまことに身離たず、傍らに置き給へり」
――(菅家後集「九月十日」と題する菅公の詩)を口ずさみながら、寝所にお入りになりました。朱雀院から賜った御衣をまことに身から離さず、お側に置いていらっしゃいます――

さて、
その頃、筑紫太宰の大貳(だいに)が任を終えて京へ上ってきました。一族の人数がおびただしく多く、ことに娘が多くて旅行には不自由ですので、北の方の一行は舟で浦づたいにあちこと見物しながら来ましたところ、須磨に源氏が隠遁なさっておいでだと聞きます。はやり心の若い娘たちは、源氏に見られもせぬ舟の中でさえ、恥ずかしがって胸をときめかせております。

「まして五節の君(ごせちのきみ)は、綱手ひき過ぐるも口惜しきに、……」
――ましてや、源氏が忍んでお通いになったことのある五節の君は、このまま素通りしてしまわれるのが残念でなりません――

◆五節の君:花散里の巻に出てくる君
      源氏とのかかわりなど、物語中に詳しい話は出てきません。

◆写真 船旅はこんな船でしょうか。(源氏物語の時代より100年後の船ですが)

ではまた。


源氏物語を読んできて(髪の手入れ)

2008年06月18日 | Weblog
髪の手入れ

 平安時代になり、国風文化と呼ばれる王朝の優美な文化が形成されていく中で、女性の髪形も自然な垂髪にして裾に引く形へと変化していきました。

 戦乱のない平和な時代が続いたことや、高貴な女性が室内に閉じこもって生活し、彼女たちの社会に参加する度合が少なくなってきたことも 髪形の変化に大きく影響しているでしょう。

 髪をとかしているところ。
 
 ◆写真 風俗博物館より


源氏物語を読んできて(81)

2008年06月17日 | Weblog
6/17 

【須磨】の巻  その(11)

 源氏は一人目を覚まして、秋風のひどく荒れますのが、波が枕元に寄せて来るばかりに思われ、侘びしさに琴を少し掻き鳴らしてごらんになると、われながらに音のさえて凄い様に聞えますので、さらにお弾きになって
「恋ひわびてなく音にまがふ浦波は思ひかたより風や吹くらむ」
――浦波の音が、恋いわびて泣く自分の声に似ているのは、恋しいもののいる方から風がふくからでしょうか――

 人々が目を覚まして、結構に感ずるにつけても、堪えかねて、あちこちでひっそりと鼻をかんでいます。

源氏は
「げにいかに思ふらむ、わが身ひとつにより、親兄弟かた時たち離れ難く、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かく惑ひあへる、と思すに、いみじくて……」
――ここに居る者たちはどう思うであろう、私一人のために親兄弟と片時も離れがたいであろう家から別れてきて、こうして流離っていると思うとひどく気の毒に思われます。(自分が萎れていては、もっと心細いであろうと、昼はなにかと冗談など仰っては気を紛らわし、暇にまかせては、いろいろの色の紙を継ぎ継ぎして、漢詩や和歌など書いて手習いをなさったり、さまざまな絵をお描きになったり、海や山を今はじかにお目にふれますので、何事も見事になさっておいでです)――

 前栽の花が色とりどりに咲き乱れて、風情ある夕暮れに、源氏は海の見える廊にお出になって、佇んでいらっしゃるお姿の空恐ろしい程美しくお見えになること、場所が場所だけにこの世のものとも思われません。

源氏は
「白き綾のなよよかなる、紫苑色などたてまつりて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて『釈迦牟尼佛弟子(さかむにぶつでし)』と名のりて、ゆるるかによみ給へる、また世に知らず聞ゆ」
――白い綾の柔らかな下着に、紫苑色の指貫など召され、色の濃い御直衣に、帯をゆるやかに、くつろいだご様子で「釈迦牟尼佛弟子」と名乗ってゆるやかに読経されますのも、また世になく尊く聞えます――

 沖の方からは舟の謡いざわめき漕ぎ行くのが、また雁の鳴く声とをお聞きになっては涙をおはらいになる源氏の御手が、黒檀の数珠に映えてみえるなやましげなご様子に、ふるさとの女たちを恋しく思う者たちの心を慰め安らげてくださるのでした。

◆綾織(あやおり)
織面に経糸・緯糸により綾目が斜めに連なって現れる織物。経糸・緯糸、それぞれ三本以上の組織(三本の場合は「三枚綾」)がつくられるので平織に比べて緻密に厚くでき、風合いが柔らかく光沢に富む。ただ「綾」と言えば無地、「文綾」と言えば有文の綾地を指すこともある。

◆写真 紫苑色 下左

ではまた。