永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(女房の日常・双六あそび)

2008年06月24日 | Weblog
女房の日常・双六

 もう一方の局では、同じく袿姿の二人の女房が双六盤を前にしています。戸口のところには女童がいて、女房に何やら話しかけているようです。

 振り返った女房の姿勢に袖や袴の裾など、動きのある装束の形が見られます。

 また、双六盤の脇には巾着袋が無造作に置いてありますが、これは駒や筒などを入れるためのものかと思います。

 近くには絵物語の冊子も広げられています。

◆写真 風俗博物館より

源氏物語を読んできて(87)

2008年06月23日 | Weblog
6/23 

【須磨】の巻  その(17)

お二人のうた
源氏「ふるさとをいづれの春か行きて見むうらやましきは帰るかりがね」
――いつの春わたしはふるさとに帰れるでしょう。今北に帰る雁がうらやましいことです――
宰相「あかなくにかりの常世を立ち別れ花のみやこに道やまどはむ」
――仮の常世としていつまでもここに居たいのですが、心ならずも立ち別れたなら、花の都への道も迷うことでしょう――

 宰相からは京の土産として整えて出された物は、優れた名笛で
「形見に忍び給へ」
――形見として思い出してください――

 源氏からは、黒駒を差し上げます
「ゆゆしう思されぬべきれど、風にあたりては、いばえぬべければなむ」
――日陰の身からの贈り物は縁起でもないと思われるでしょうが、ふるさとの風が吹けば、馬もいななくでしょうから――

と、人がとがめ立てなさるほどの品は取り交わされませんでした。
 
 日がようよう昇ってきましたので、あわただしくお見送りなさいます。源氏はいつ京へお帰りになれるともわからぬ身を思い、悲しくてぼんやり眺め暮らしておいでです。

 三月はじめの巳の日に
「今日なむ、かく思すことある人は、御禊し給ふべき」
――今日こそ、このように御心労の多い方は、御祓いをなさるのが良いのです――

と、物知りに言う人がいますので、源氏は海辺の様子もご覧になりたいと、お出かけになります。ざっと軟障(ぜじょう)の幕をめぐらせて、陰陽師を召して、御祓いをおさせになっています。船にたくさんの人形(ひとがた)を乗せて流すのごらんになって、ご自分も流され人なので、その人形に譬えられてのうた

「知らざりし大海の原に流れ来てひとかたにやはものは悲しき」
――今まで知らなかった大海原に人形のように流れて来て、ひとかたならぬ悲しい思いをするとは――
「(人形(ひとかた)に一方(ひとかた)をかけた)

 海の面はうらうらと凪いで、はてしなく見えます。

◆人形(ひとがた)=なで物または、形代(かたしろ)とも言う。陰陽師が祓いや、祈祷の時に用いる。紙などを人の形に切り、それで身を撫で、災いを移して水に流す。

ではまた。

源氏物語を読んできて(ひな人形の由来)

2008年06月23日 | Weblog
ひな人形の由来

 ひな祭の歴史は古く、その起源は平安時代中期(約1000年前)に迄さかのぼります。
 その頃の人々は、三月初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、無病息災を願う祓いの行事をしていました。 陰陽師(おんみょうじ、占師のこと)を呼んで天地の神に祈り、季節の食べ物を供え、 また人形(ひとがた)に自分の災厄を託して海や川に流すのです。

 また、その頃、上流の少女たちの間では“ひいな遊び”というものが行われていました。ひいなとは人形のことです。 紙などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、いまの“ままごと遊び”でしょう。
長い年月の間に、こうした行事と遊びが重なり合って、現在のようなひな祭となりました。

 上巳の節句が三月三日に定まったのは、我国では室町時代(約600年前)頃のこととと思われます。
◆参考:(日本人形協会編「ひな祭の歴史」より)


源氏物語を読んできて(軟 障)

2008年06月23日 | Weblog
軟 障(ぜじょう)

この写真は、宮中の立派なものですが、壁代(かべしろ)の高級なものが軟障です。
絹製で四方に紫の縁をつけ、高松に唐人などの絵を彩色した。

この物語の場面では、もっと簡便なものです。

◆写真は 風俗博物館より

源氏物語を読んできて(86)

2008年06月22日 | Weblog
6/22 

【須磨】の巻  その(16)

 須磨の源氏のお住いでは、年が代わって日中の日差しも延び、つれづれなうちに、植えた桜の若木がちらほら咲き始めて空の気色もうららかな、このようななかで、源氏はいろいろなことを思い出されては涙ぐむことが多いのでした。

 源氏が、毎日なすこともなく居られたある日、左大臣家の三位中将(故葵の上の兄君で、頭中将であった)が訪ねておいでになりました。今は宰相の位に上られて、人物もご立派で世の人望もめでたくいらっしゃいましたが、

「世の中あはれにあぢきなく、物の折りごとに恋しく覚え給へば、事の聞えありて罪にあたるともいかがはせむ、と思しなして」
――世の中がつまらなく、何かの折々には源氏をなつかしく思われますので、この事が悪い評判になって罪を蒙ろうとも、ままよと決心なされて――お出でになったのでした。

二人は
「ひとつ涙ぞこぼれける」
――思いがひとつになって涙をおこぼしになりました――

 源氏のお住いは、唐風に設えて趣があり、源氏のご様子は
「山がつめきて、ゆるし色の黄がちなるに、青鈍(あおにび)の狩衣指貫うちやつれて、……」
――源氏は里人めいて、だれもが着る質素なお召し物ながら、大層きれいでいらっしゃる。
――

 調度類は当座の物として、碁、双六の盤、弾ぎの具(たぎのぐ)、念誦の具が見えます。

「海士ども漁りして、かひつ物持て参れるを、召し出でて御覧ず。……」
――漁師に貝類を持って来させ、ごらんになります。(この海辺に久しく暮らしている様子などお訪ねになりますと、いろいろと生活の苦しさを、聞き慣れない言葉でとりとめもなくさえずっています。なるほどと
「心の行くへは同じ事、何か異なると、あはれに見給ふ……」
――人の心の行方は、身分の上下に異なることがあろうか、とあわれ深くお思いになって(御衣裳をわたされます)――

 お二人は、この月頃の京のことなど、泣いたり笑ったりなさりながら語り合います。
若君のこと(夕霧)、左大臣のお嘆きは言うまでもなく、あまりにもあれこれたくさんありますので、片端から書き置くわけにも参りません。夜もすがら詩をお作りになるのでした。

 「さ言ひながらも、物の聞こえをつつみて、いそぎ帰り給ふ。いとなかなかなり」
――あのようには仰ってはいらしても、世間を憚って急いでお帰りになるのでした。本当になまじっかお逢いしたばかりに、悲しみはおおきいのでした――

◆鈍色(にびいろ)写真
 青鈍(あおにび)色は、鈍色よりもやや軽い凶服の色とされます。

◆弾ぎの具(たぎのぐ)=碁石をはじいて勝負を争う遊技

◆ゆるし色=禁色の深紅と深紫に対し、薄紅と薄紫をゆるし色という。ここでは黄味の勝った薄紅色の下着。

源氏物語を読んできて(禁色)

2008年06月22日 | Weblog
◆禁色(きんじき)


狩衣や女房装束の色は自由に選んだカラフルなものでしたが、特に使用が制限された色があります。それが禁色と忌色です。

 禁色は皇族や高位の公卿のみに許された色で、この色を服色に用いるのには「禁色勅許」が必要でした。この許可が得られることは一つのステータスとして扱われ、「色許されたる人」として殿上人の中でも羨望の対象でした。
 蔵人の年功者は天皇の袍色である「青色」を「麹塵色」と称して着用することが出来ました。
 禁色には3つの意味がありました。
(1)位袍の当色(とうしき)が位階不相応である色は使えない。自分より下位の色は使用可。
(2)有文の綾織り物は許可なくして使えない。
(3)禁色七色の使用不可 
<支木(くちなし・黄丹に似る)、黄色、赤色、青色、深紫、深緋、深蘇芳>
 明治以降、装束界で禁色とされるのは「黄櫨染」と「黄丹」の二色です。

◆写真  禁色例:天皇の袍色「黄櫨染」

源氏物語を読んできて(85)

2008年06月21日 | Weblog
6/21 

【須磨】の巻  その(15)

 母は「あなかたはや……」
――まあみっともない……(京の人の噂では、やむごとなき妻をたくさん持って、その上忍んで帝の御妻とも過ちをお起した「朧月夜の君のこと」方が、どうしてこんな山住みの賤しい者に、お心を留められるでしょう)――

 入道は腹立たしげに、「あなたには分からないことだが、私には別の料簡がある。差し上げる用意をするように。いずれここにも来て頂こう」と、一徹者らしく言います。

 母は「などか、めでたくとも、物の初めに、罪に当たりて流されておはしたらむ人をしも思ひかけむ。……」
――いくら結構なことでも、初めての結婚にどうして、罪のために流されてきた方を選ぶことがありましょう。それでも娘に心を留めてくださるならとにかく、冗談にもそんな事はあるはずがありません。――

 入道は妻のことばに、ぶつぶつ言います。
「罪にあたることは、唐土にも、わが朝廷にも世に優れた人には必ずあることです。あの方をどんな方と思っているのか。光君の御母の桐壺の更衣という方は、私の叔父の按察使の大納言の姫君だったのですよ。容貌もお人柄も大層優れておいでで、宮仕えにお出になりましたところ、帝の御寵愛が並ぶ人がいないほどだったために、他の人のひどい嫉妬に早世されたのです。源氏の君が残られたことは結構なことでした。これをみても、女は心を高く持つべきなのです。私が田舎人になっているからといって、あの方はお見捨てにはなるまい。」

「このむすめ、すぐれたる容貌ならねど、なつかしうあてはかに、心ばせあるさまなどぞ、げにやむごとなき人に劣るまじかりける。身の有様を、口惜しきものに思ひ知りて……」
――この娘、ことにすぐれたご器量ということではありませんが、ものやさしく、上品で才気のあるところは、まことにやむごとなき方々に劣らないほどでございます。この方自身は、自分の身分の高くないことを良く知っていて、(身分の高い方はわたしをものの数にもお思いにならないでしょう。かといって身分相応の縁を求めることは決してしたくない。長生きをして親に先立たれたならば、尼にもなろう、海の底にも飛び込んでしまおうと、思っているのでした。)――

父の入道は、大層気を付けて娘を大切にしていて、
「年に二度住吉に詣でさせけり。神の御しるしをぞ、人知れず頼み思ひける」
――年に二度は住吉明神に参詣させ、ご霊験で娘が良縁を得るようにと、人知れず頼みに思っているのでした――

◆入道:本来は悟りの境界に入る意で、転じて出家して仏道に入った人をいう。しかし日本では、一般的に在俗のままで僧形となり、仏道を修行する篤信、強信の人をいう。

ではまた。