永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(夏・篝火)

2009年02月04日 | Weblog
◆写真:篝火  風俗博物館
 
 右近大夫(左)の指示のもと、草鞋を履いた2人の雑色が篝火を焚いている。
右近大夫は五位の武官。実際の雑用は雑色がする。

源氏物語を読んできて(287)

2009年02月03日 | Weblog
09.2/3   287回

【篝火(かがりび)の巻】  その(1)

同じく、晩夏から初秋にかけて。(現在では、六月末から七月にかけて)

 この頃、世間の人が噂の種に、「内大臣の今姫君が…」と、何かにつけて言い散らしますのを、源氏がお聞きになって、

「ともあれかくもあれ、人見るまじくて籠り居たらむ女子を、なほざりのかごとにても、さばかりに物めかし出でて、かく人に見せ言ひ伝へらるるこそ、心得ぬことなれ。」
――ともかくも人目に触れず引っこんでいた女子を、何か口実があるにせよ、それほど仰山に扱われて、このように人目にもお示しになって、噂の種にされる内大臣のお気持ちが分かりませんね――

「いと際々しうものし給ふあまりに、深き心をも尋ねずもて出でて、心にもかなはねば、かくはしたなきなるべし。よろづの事もてなしがらにこそ、なだらかなるものなめれ」
――内大臣というお方は、一体に黒白をはっきりと立てるご気性でありすぎて、深くも調べずに連れて来て、気に入らぬとなればこうも冷遇なさる。万事はやり方次第で穏便に済むものなのに――

 と、近江の君に対して気の毒がられます。

 玉鬘は、近江の君と内大臣のお噂をお聞きになって、それにつけても、なるほどよくぞ自分は内大臣邸に行かないでいたことよ、いくら実の親でも昔からのご気性も存じ上げずお馴れしたなら、恥ずかしいこともあったであろうとお思いになっております。右近も源氏の有難さをことさらに申し上げます。

「にくき御心こそ添ひたれど、さりとて、御心のままにおしたちてなどももてなし給はず、いとど深き御心のみまさり給へば、やうやうなつかしう打ち解け聞こえ給ふ」
――源氏の君には迷惑な恋心がおありですが、それかといって、感情に任せて無理なお振る舞いなどもなさらず、いよいよご親切が勝りますので、玉鬘は源氏に対して、だんだんとなつかしく打ち解けてゆかれるのでした――

 秋になりました。
風が涼しげに吹き始めるころ、源氏は恋しさに耐えかねて、たびたび玉鬘のお部屋に行かれては、一日中そこにおいでになり、お琴なども教えていらっしゃいます。

ではまた。



源氏物語を読んできて(年中行事・六月祓)

2009年02月03日 | Weblog
◆年中行事・六月祓

『風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける』
(そよ風の吹いているならの小川の夕暮れは、もうすっかり涼しくて秋の気配だけれども、みそぎをしているのを見ると、まだ夏なのだなあ)」は、『小倉百人一首』にも採られた藤原家隆の歌。上賀茂神社境内を流れる「奈良の小川」における六月祓を詠んだものとして有名である。

「六月祓」は「夏越祓(なごしのはらえ)」ともいい、六月晦日(みそか)に、半年間の心身の穢(けが)れを祓はらう行事。菅(すげ)や茅(ち)で作った輪をくぐったり、また、人形(ひとがた)を作ってそれを自分の分身とし、体を撫で、息を吹きかけて罪や穢れを移し、海や川に流したり水盤に張った水に投じたりした。
 
 これらは神事として今も各地の神社で行われ、例えば上賀茂神社では毎年六月三十日夜、境内の奈良の小川で人形を流す夏越祓式が行われている。
また、半年間の穢れを払うのみならず、長寿を祈る行事でもあった。

◆写真と参考:平安神宮の大祓式  風俗博物館

源氏物語を読んできて(神殿造・釣殿)

2009年02月02日 | Weblog
神殿造り・釣殿(つりどの)

「常夏の巻」冒頭の、「いと暑き日、東の釣り殿に出で給ひて涼み給ふ」の情景。

 日本の住宅は冬よりも、暑い夏をいかに過ごすかという観点から造られていた。寝殿造では対の屋の南の廊つなぎに、釣殿や泉殿(いずみどの)とよばれる建物が池に張り出していた。
 釣殿は池中の魚を釣る風情から、泉殿は湧泉に面するところから付けられた名であるが、実質的には類似の夏の納涼を目的とした建築である。

◆写真と参考:風俗博物館

源氏物語を読んできて(286)

2009年02月02日 | Weblog
09.2/2   286回

【常夏(とこなつ)】の巻】  その(11)

 弘徽殿女御の女房で大輔(たいふ)の君という人が、近江の君の文を解いてお見せしますと、女御はお読みになって、ほほえまれてお置きになりましたのを、もう一人の女房の中納言という人が、近くに寄ってつくづくと見て、「たいそう洒落たお文のようでございますね」と申し上げます。女御は、

「草の文字はえ見知らねばにやあらむ、本末なくも見ゆるかな」
――私には草体の字が読めないせいか、この歌は上と下の意味が通っていないようにみえますこと――

 と、女房にお渡しになりながら、お返事を中納言におまかせになります。近江の君は女御の御妹君ですので、おおっぴらに笑う訳にもいかず、けれども可笑しくて皆笑い合っております。使いの者がお返事をと急かしますので、中納言が、

「をかしきことの筋にのみまつはれて侍るめれば、聞こえさせにくくこそ。宣旨書きめきては、いとほしからむ」
――面白い引き歌づくめのお手紙ですので、お返事が書きにくくて。代筆ではお気の毒ですから――

 と言って、いかにも女御の直筆らしく、

「ひたちなるするがの海のすまの浦に浪立ちいでよ箱崎の松」
――常陸なる駿河の海の須磨の浦に浪立ち出でよ箱崎の松(ただ地名を並べただけのうた)――

 と書いてお見せになりますと、女御は

「あなうたて、まことに自らのにもこそ言ひなせ」
――まあいやですこと、本当に私の歌として言いふらしますよ――

と、迷惑そうにおっしゃるけれど、中納言は、「それは聞く人が聞けば分かりましょう」と言って、押し包んで使いの者に渡されます。

 近江の君は、その文を見て、

「をかしの御口つきや、まつと宣へるを」
――面白い歌ですこと、「待つ」とおっしゃておいでだわ――

 と、甘ったるい薫物(たきもの)の香を、幾度も衣装に薫き込めていらっしゃる。口紅もたいそう赤くつけて、髪を梳いて身支度をなさるのが、それはそれで派手やかで愛くるしい。

「御対面の程、さし過ぐしたることもあらむかし」
――さぞかし、ご対面の際は、出過ぎた振る舞いがあることでしょう――

◆甘ったるい薫物(たきもの)=薫物の中に多く蜜を加えたもの。蜜が多すぎるのは下品とされていた。

【常夏(とこなつ)】の巻】おわり。

ではまた。


源氏物語を読んできて(285)

2009年02月01日 | Weblog
09.2/1   285回

【常夏(とこなつ)】の巻】  その(10)

 女御のお部屋に伺う前に、先ず、近江の君は御文を差し上げます。

「葦垣のま近き程には侍りながら、今まで影ふむばかりのしるしも侍らぬは、勿来の関をやすゑさせたまへらむとなむ。知らねども、武蔵野といへばかしこけれども、あなかしこや あなかしこや」
――「葦垣の間近」なところに置いていただいておりながら、今までは「影踏むばかり」お近づき申し上げることも出来ず、「勿来の関」をお据えあそばして、お隔てなさるかと悲しゅうございました。「知らねども武蔵野といえば」妹でございますと申し上げるのも畏れ多いことでございますが、あなかしこや、あなかしこや――

と、ところきらわず、繰り返しや、引き歌を混ぜたお文で、その紙の裏には、

「まことや、暮れにも参りこむと思う給へ立つは、厭ふにはゆるにや。いでやいでや、あやしきはみなせ川にを」
――そうそう、今晩にも参上いたしたいと思い立ちましたのは、「厭うに生ゆる」と申しましょうか、厭われるほど思いは「ます田の池」で……なにとぞ乱筆は、密にお慕いしております「水無瀬川下に通いて恋しきものを」の底の真心でお許しを――

と、又その他にも何やらを、青い紙の一重ねに書いてありますのは、

 「いと草がちに、いかれる手の、その筋とも見えずただよひたる、書き様も下長に、理なくゆゑばめり。行の程端様にすじかひて、倒れぬべく見ゆるを、うちゑみつつ見て、さすがにいと細くちひさく巻き結びて、なでしこの花につけたり」
――たいそう草体の仮名が多く、角ばった字で、誰の書風ともつかぬふらついた書き方で、「し」の字など、下を長く引いて無暗に気取っています。行の具合が端の方へゆがんで倒れそうに見えるのを、書いた当人は得意になって眺め、それでもさすがに女らしく細く小さく巻いて、結び文にして、なでしこの花につけたのでした。――

ではまた。