永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(476)

2009年08月14日 | Weblog
09.8/14   476回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(30)

「院の上だに、『かくあまたにかけかけしくて、人におされ給ふやうにて、一人大殿籠る夜な夜な多く、つれづれにて過ぐし給ふなり』など人の奏しけるついでにも、すこし悔い思したる御気色にて、『同じくは、ただ人の心安き後見を定めむには、まめやかに仕うまつるべき人をこそ、定むべかりけれ』と宣はせて」
――朱雀院でさえ、「源氏はあれほど多くの婦人たちを持っていて、女三宮も他の女方に気圧されているようで、一人寝の夜が多く、心細く退屈に過ごされているようだ」と人が申し上げられた折には、すこし後悔なさったご様子で、「同じく臣下で気楽な夫を定めるなら、忠実にお仕えするような人に定めるべきだった」と仰せられて――

「『女二宮のなかなか後やすく、行く末長き様にてものし給ふなる事』と、宣はせけるを伝へ聞きしに、いとほしくも口惜しうも、如何思ひ乱るる。げに同じ御筋とは尋ね聞こえきかど、それはそれとこそ覚ゆるわざなりけれ」
――(つづいて)「女三宮の御姉君の女二宮の方が、却って気楽で将来も安心して末長く添い遂げられそうだ」とおっしゃったそうなのを、人伝てに聞きましたが、私はあの女三宮をお気の毒にも残念にも思い、どんなにか思い乱れたことでしょう。なるほど同じ血筋のご姉妹と思ってお迎えはしましたが、それはそれで、同じ方ではないのだから――

と、ため息を漏らされます。小侍従は、

「いで、あなおほけな。それをそれとさし置き奉り給ひて、またいかやうに限りなき御心ならむ」
――まあ、何ともったいないことをおっしゃいます。それはそれとしてなどと…、女二宮(落葉の宮)を差し置いて、いったいまあ、どこまで限りのないお心でしょう――

写真:柏木中納言  風俗博物館

ではまた。

源氏物語を読んできて(475)

2009年08月13日 | Weblog
09.8/13   475回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(29)

 柏木中納言は、ご声望が高まるにつけても、女三宮への恋慕が思うように遂げられないことに堪えかねて、

「この宮の御姉の二の宮をなむ得たてまつりてける。下の更衣腹におはしましければ、心やすき方交りて、思ひ聞こえ給へり。人柄も、なべての人に思ひなずらふれば、けはひこやなくおはすれど、もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ、なぐさめ難き姨捨にて、人目に咎めらるまじきばかりに、もてなし聞こえ給へり」
――女三宮の御姉君の二の宮(落葉の宮ともいう)を御降嫁願って、正妻に頂いたのでした。落葉の宮という方の御母は、身分の低い更衣でいらっしゃるので、柏木にはこの宮を、多少軽んずるところがありました。落葉の宮ご自身は、普通の女に比べれば優れていらっしゃるのでしょうが、前から思い込んでおられる女三宮への思いが深いので、どうしても心は慰められず、人に怪しまれない程度には、落葉の宮を扱っていらっしゃる――

 柏木の相談に付きあわされている小侍従という人は、女三宮の乳母の娘です。この乳母の姉が柏木の乳母でしたので、柏木は早くから女三宮の御幼少の様子をお聞きになっておりました。大そう可愛らしく、御父帝の朱雀院から、女宮の中でも一番大切にご養育されておいでになったことなど、聞いていましたので、柏木の恋は、もうその頃から始まっていたのでした。

「かくて院も離れおはします程、人目少なくしめやかならむをおしはかりて、小侍従を迎へ取りつつ、」
――紫の上へのご看病で、源氏を始め、みな二条院の方へ行かれていますので、六条院には人も少なく静かであろうと想像して、柏木は小侍従を呼んで――

 熱心に訴えます。

「昔より、かく命も堪ふまじく思ふ事を、かかる親しきよすがありて、御有様を聞き伝へ、堪へぬ心の程をも聞こし召させてたのもしきに、さらにそのしるしのなければ、いみじくなむつらき」
――昔から、こうして私の命も縮む程、宮を思う恋心を、あなたのような縁者があって、宮のご様子も知り、わたしの堪え難い心の内をもお知らせ出来る頼もしさと思っていましたのに、一向にその甲斐もなく、はなはだ情けない――

 ◆なぐさめ難き姨捨(おばすて)にて=慰められない無味の世界?

ではまた。

源氏物語を読んできて(474)

2009年08月12日 | Weblog
09.8/12   474回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(28)

 明石の女御も二条院にお出でになって、源氏とご一緒に看病なさいます。紫の上が、

「ただにもおはしまさで、物怪などいと恐ろしきを、早く参り給ひね」
――(女御様は)普通のおからではなく、ご懐妊の御身体でいらっしゃるのですから、物怪など憑いてはいけません。はやく宮中へお帰りください――

 と、苦しそうなご様子の中でおっしゃる。また、明石の女御の御子たちの可愛らしいお姿をご覧になって、大そうお泣きになり、

「おとなび給はむをえ見奉らずなりなむ事。忘れ給ひなむかし」
――若宮がご成人になったお姿を拝見できなくなるなんて。私のことなど忘れておしまいになるでしょうね――

 とおっしゃると、明石の女御は悲しみに涙がとめどなく流れるのでした。

 お側におられた源氏は、

「ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものし給はじ。心によりなむ、人はともかくもある。」
――縁起でもない、そんなことお考えなさるな。ご病気といっても大したことはありますまい。気の持ちようで人は何とでもなるものですよ――

 源氏は神仏への願文の中に、紫の上の罪障が軽いこと(ご性質の穏やかで良き人)などを記されて奉られます。御修法の阿闇梨(あざり)たちや、夜を詰めて祈祷する僧たちも、源氏のこの狼狽ぶりがお気の毒で、いっそう心を引き立ててお祈り申し上げます。


 五、六日少しご気分が良いと思うとまた重体になられる、という具合がいつまでも続き、一体どういうご病気なのか、治ることがあるのだろうかと、源氏をはじめ、人々のご心配は尽きないのでした。

さて、

「まことや、衛門の督は中納言になりにきかし。今の御世には、いと親しく思されて、いと時の人なり。」
――それはそうと、あの衛門の督の柏木は中納言に昇進されておりました。今の帝は柏木をたいそうご信任になっておられ、今まさに時勢にのっていらっしゃる。――

◆阿闇梨(あざり/あじゃり)=梵語の音訳。「手本」とか「規範の師」の意味。天台宗・真言宗で、僧職の一つ。

ではまた。


源氏物語を読んできて(473)

2009年08月11日 | Weblog
09.8/11   473回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(27)

 六条院では、邸内の上下をあげ、悲しみに包まれております。冷泉院もお聞きになって、

「この人亡せ給はば、院も必ず世を背く御本意遂げ給ひてむ」
――紫の上がもしも亡くなられたら、源氏もきっと出家の御意志を遂げられるであろう。(そのようになったならば、御後見役を失う女三宮を心配している)

 夕霧も心をこめてご看病のため、御修法なども、源氏とは別にご自分でもおさせになります。紫の上は少し意識が戻られた時などに、

「聞こゆる事をさも心憂く」
――あれほど出家のお願いをしましたのに、お許しくださらないとは…それがとても情けないのです――

 と、おっしゃいます。源氏は、

「昔より、自らぞかかる本意深きを、とまりてさうざうしく思されむ心苦しさに、ひかれつつ過ぐすを、さかさまにうち棄て給はむとや思す」
――昔から私こそ出家の志が深かったのですよ。でも後に残ったあなたが淋しがられるのがお気の毒で、それに心引かれて過ごしていましたのに、逆に私をお棄てになるおつもりですか――

 とただただ嘆くばかりです。出家をしたならば回復なさるかも知れないが、しかし日に日に弱っていかれる今のご様子を見ては、もう臨終かとおもえることも多く、迷っておいでになります。
源氏は一時も二条院をお離れになることもできず、六条院の女三宮のところへも、ほんのちょっとでもお渡りになれません。

 六条院では、あの女楽にお使いになった弦楽器類も、興ざめたようにみな片付けられ、人々も多くが二条院に集められておりますので、火が消えたように沈みきっていて、あのように六条院が華やかであったのは、

「人ひとりの御けはひなりけりと見ゆ」
――紫の上お一人がおいでになっていらしたからであったのかと、今さらながら思われるのでした――

◆出家をしたならば回復なさるかも知れない=当時は出家によって罪障が消され、罪による体の病気も取り除かれると信じられていた。

ではまた。

源氏物語を読んできて(472)

2009年08月10日 | Weblog
09.8/10   472回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(26)

 女房たちも心配の余り、源氏に早くお知らせしようとしますが、紫の上は苦しそうな中でも、「知らせてはいけません」と言われます。しかし熱も高く上がってきて、これでは、と明石の女御にお知らせしますと、そちらから源氏に伝えられて、驚いた源氏は、胸のつぶれる思いで急いで女三宮のお部屋からお帰りになりました。
 
 紫の上の大そう苦しそうなご様子に、源氏は、

「昨日聞こえ給ひし御つつしみの筋などおぼし合わせ給ひて、いと恐ろしくおぼさる」
――昨日、紫の上に、ねんごろにご祈祷(厄除け)のことなどお薦めしたことを思い合わされて、しみじみ不吉で恐ろしく思われます――

 お粥も召し上がらず、ちょっとした水菓子さえも物憂くなさって、起き上がる事もできず何日か経ちました。源氏は厭な胸騒ぎがして、気も動顚の状態ながらも、僧など召して加持祈祷を、熱心におさせになります。

 紫の上の状態は、

「胸は時々おこりつつわづらひ給ふさま、耐えがたく苦しげなり。さまざまの御つつしみ限りなけれど、しるしも見えず」
――胸の痛みがときどき起こって耐えがたく苦しまれ切なそうです。神仏への様々なご祈祷やご謹慎もこの上なくなさいますが、一向にこれという効き目も見えません――

 病気というものは、たとえ重体であっても、自然に回復するということもありますが、この紫の上のご様子では、とてもそうとは思えず、源氏はただただ心配で悲しいとばかりご覧になって、朱雀院の御賀のことも、自然に立ち消えになってしまいました。
 朱雀院も紫の上のご病気をお聞きになって、たびたびお見舞いを山の寺よりお寄せになります。

「同じさまにて、二月も過ぎぬ。言う限りなくおぼし歎きて、こころみに所をかへ給はんとて、二条の院に渡し奉り給ひつ」
――紫の上のご病状が一向によくならないまま、二月も過ぎました。源氏はただもう居ても立ってもいられないほどご心配になられ、試みにお住いを変えてみてはと、紫の上が私邸として使っておられた、気持ちの安まる二条の院にお移し申し上げました――
 
 ◆写真:病気の紫の上  wakogenjiより

源氏物語を読んできて(471)

2009年08月09日 | Weblog
09.8/9   471回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(25)

 源氏が、明石の御方についておっしゃることに紫の上は、「他の女方にお会いしたことがないので、存じませんが、明石の御方はちょっとうち解けにくい感じがします。私のような開け放しの性質を、どう思っていらっしゃるかと、気がひけますが、きっと分かってくださっているでしょう」と申し上げます。

 源氏は紫の上が、あれほど明石の御方を怪(け)しからぬ女と嫌っていらっしゃった人を、今は明石の女御を思うお心から、明石の御方を許しておいでかと思うとあり難く、

「君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により事に従ひ、いとよく二すじに心づかひはし給ひけれ。さらに、ここら見れど、御有様に似たる人はなかりけり。いとけしきこそものし給へ」
――あなたこそは、心に隙(すき)がないわけではないものの、相手によって、事情によって、上手に二通りのお心を使い分けて来られたのですね。まあたくさんの女たちを知っていますが、あなたほどの人は決していませんでしたよ。私への嫉妬は随分なさいましたがね――

 と、微笑んでおっしゃる。

 紫の上は、源氏が女三宮の御殿にお渡りでさびしい夜は、夜遅くまで女房たちに物語などを読ませては聞き入っておられます。その昔の物語にも、軽薄な男や、色好み、また二心のある男にかかわり合った女などのことを、いろいろ書いてあるのにも、所詮男というものは、結局一人の女に定めてしまうものらしい……、自分は、

「あやしく浮きても過しつる有様かな。げに、宣ひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍び難く飽かぬ事にする物思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ、あぢきなくもあるかな」
――なんと浮草のように世を過ごしてきてしまったことか。たしかに源氏の君がおっしゃるように、人に勝った運に恵まれた身ではあるでしょうが、人の妻であれば、夫の浮気に誰でも辛くて我慢できない嫉妬の苦しみから逃れることのできないままに、結局自分はこのまま死んで行ってしまうのかしら、何とつまらない味気ないこの世だろう――

 と、考えつづけながらお寝みになって、

「暁方より、御胸をなやみ給ふ」
――明け方より、お胸が苦しく、ご病気になられたのでした。――

ではまた。


源氏物語を読んできて(470)

2009年08月08日 | Weblog
09.8/8   470回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(24)

源氏はまだまだ続けて、

「心ゆるびなくはづかしくて、われも人もうちたゆみ、朝夕の睦びを交はさむには、いとつつましき所のありしかば、うちとけては見貶さるる事やなど、あまり繕ひし程に、やがて隔たりし中ぞかし」
――御息所と対していますと、油断もできず気が張って、お互いに睦み合って暮らすには具合が悪かったのでしょう。調子にのって気を許せば、見貶されはすまいかと思っているうちに、疎遠になってしまった仲なのでした――

「いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる歎きを、いみじく思ひしめ給へりしがいとほしく、げに人がらを思ひしも、われ罪ある心地して止みにしなぐさめに、中宮をかく、さるべき御契とはいひながら、取り立てて、世の謗り人のうらみをも知らず、心寄せ奉るを、かの世ながらも見なほされぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しき事も多くなむ」
――私との間に浮名を流して、軽率の誹りを受けた辛さをひどく気に病んでおられたのがお気の毒で、なるほど御息所のお人柄から考えても、罪は私にあると思いまして、隔たったままになりました気休めに、御息所の御子の秋好中宮を宿世というのでしょうか、特にお世話をして、世間の非難や怨みも構わず御後見しているのです。御息所もきっとそれをあの世から見て、機嫌を直してくださるでしょう。今も昔も私のいい加減な気まぐれから、お気の毒なことや、後悔するようなことを多くしてきたものです――

 と、過去に親しくした女方のことを少しずつお話になって、

「内裏の御方の御後見は、何ばかりの程ならずとあなづりそめて、心安きものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深き所ある人になむ。うはべは人に靡き、おいらかに見えながら、うちとけぬ気色下に籠りて、そこはかとなくはづかしき所こそあれ」
――明石の女御のお世話役(明石の御方)は、大した身分ではないので、はじめから侮って気も遣わずにいましたが、どうしてなかなか心の底を見せない、本当に深みのある方です。うわべは人の言うことを聞いておっとりとしているようでいて、心を許さないところがあって、どことなくこちらが気を遣ってしまうところがありますね――

◆うちたゆみ=打ち弛む=心がゆるむ。気をゆるす。油断する。

◆つつましき所=慎ましきところ=気恥ずかしい。気が引ける。

◆あはあはしく=淡淡し=軽々しい。軽率

◆あなづる=侮る=軽蔑する。見下げる。あなどる。

ではまた。

源氏物語を読んできて(469)

2009年08月07日 | Weblog
09.8/7   469回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(23)

 源氏は続けてお話になります。

「数多くとは言えませんが、女の人にはそれぞれに取り得があるものと分かるにつけても、真底から穏やかで落ち着いた気立ての人は、めったにいないものだと思うようになりました」と。また、

「大将の母君を、幼なかりし程に見そめて、やむごとなくえさらぬ筋には思ひしを、常に仲よからず、隔てある心地して止みにしこそ、今思へばいとほしく悔しくもあれ、またわが過まちにのにもあらざりけりなど、心一つになむ思ひ出づる。」
――大将の母君(葵の上)とは、私が十二歳のときに正式に夫婦となって、本妻として動かしようのない人とは思っていましたが、どうも仲睦まじくはなれず、隔てある気持ちのままで終ってしまったことなど、今の心では気の毒にも残念にも思われますが、だからといって、私だけが悪かったのではないなどと、人知れず思い出すのですよ。――

「うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかな、と覚ゆる事もなかりき。ただいとあまり乱れたる所なく、すくずくしく、すこしさかしやといふべかりけむ、と、思ふにはたのもしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。」
――(葵の上は)端正で重々しくて、どこが不満ということもありませんでした。ただ、あまり打ち解けたところがなく、生真面目で少々賢女すぎたとでもいいましょうか、離れていれば妻としては頼もしいけれど、顔を合わせていると鬱陶しい人でしたよ――

「中宮の御母御息所なむ、さまことに、心深くなまめかしき例には、先づ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。うらむべきふしぞ、げに道理と覚ゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。」
――秋好中宮の御母君の六条御息所という方は、並々ならぬお方で、ご教養の底知れぬ深さ、容色も優れて優雅でいらした例としては一番に思い出されるのですが、あちらが気を遣われますとこちらにも響いて、逢っていても気づまりで辛い感じの方でした。私を怨むのも成程もっともだと思われる点(浮気っぽさ)を、そのままいつまでも深く怨まれたのには、本当に困ったものでした――

◆すくずくしく=いかにも生真面目、愛想がない。

ではまた。


源氏物語を読んできて(468)

2009年08月06日 | Weblog
09.8/6   468回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(22)

 源氏はさらに続けて、

「思ひの外に、この宮のかく渡りものし給へるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる志の程を、御自らの上なれば、思し知らずやあらむ。物の心も深く知り給ふめれば、さりともとなむ思ふ」
――思いのほかに、女三宮の御降嫁だけは、あなたにとって厭なことだったでしょうが、それに対しては、以前にも勝る私の愛情を注いでおりますのに、ご自分では気がつかれないのでしょうか。あなたは利発な方ですから、よもやお分かりにならない筈はないでしょう――

 と、長々お話になりますと、紫の上は、

「宣ふやうに、ものはかなき身には過ぎにたる余所のおぼえはあらめど、心に堪えぬもの歎かしさのみうち添ふや、さは自らの祈りなりける」
――おっしゃいますように、詰まらぬ私には過分なほどの幸いと、余所目には思われましょうが、心に耐えきれぬほどの気苦労ばかりが身に添うてまいりますのが、私のご祈祷となって今まで生きて来られたのです――

 と、まだ言い足りないことがおありのご様子で、それがまことに奥ゆかしい。そして続いておっしゃるには、

「まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御ゆるしあらば」
――本当を申しますと、私は余命いくばくもない気がいたしまして、今年もこのまま、何でもないように過ごしてしまいますのが、大変不安なのです。以前申し上げました出家のこと、何とかお許しいただけないでしょうか――

 源氏は、

「それはしも、あるまじき事になむ。さてかけ離れ給ひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れのへだてなきうれしさのみこそ、ますことなく覚ゆれ。なほ思ふさま異なる心の程を、見はて給へ」
――それはとんでもないことですよ。あなたが尼になってしまわれた後に残って、わたしに何の生き甲斐がありましょう。ただこのように何となく月日を過ごしていても、朝夕一緒にお顔を見ていられる嬉しさだけが、私にはこの上ない幸せなのです。私の愛情の深さが他の人と違うのを、最後まで見届けてください――

 とだけおっしゃるのを、紫の上は辛く思われて、涙ぐんでいらっしゃるのを、源氏はあわれ深く胸塞ぎ、何やかやと、他の話に紛らわせようとなさるのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(467)

2009年08月05日 | Weblog
09.8/5   467回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(21)

源氏は、紫の上と連れ添って来られた年月をしみじみと思い出されたついでに、
「あなた自身の長寿延命のご祈願を、いつもの年より今年は念入りになさい」などとおっしゃり、ご自分のことを、

「自らは、幼くより、人に異なるさまにて、ことごとしく生ひ出でて、今の世のおぼえ有様、来し方に類少なくなむありける。されどまた世にすぐれて、悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし」
――私は幼少から人と違って帝の御子として格別のご寵愛を受けて成人し、今現在も世の中で大切にされています点も、昔にも例がないほどの幸せだと思っています。けれどもまた、人並み以上の悲運にも遭ったのですよ――

「先づは思ふ人にさまざま後れ、残りとまれる歳の末にも、飽かず悲しと思ふこと多く、あぢきなく然るまじき事につけても、あやしく物思はしく、心にあかず覚ゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それにかへてや、思ひし程よりは、今までもながらふるならむ、となむ思ひ知らるる」
――先ず、母桐壷の更衣、御父の桐壷院、祖母、葵上などに先立たれ、生き残ってしまった今の齢までにも、悲しくてたまらない(暗に藤壺)ということに数々出会いましたので、味気ない、そんなことがあってはならないことにばかり出遭うにつけても、あやしく物思わしさばかりつのって、いつも満ち足りたということがないままに過ぎてきたのです。その代わりとして案外にも、これほど長生きするのかとも思われるのですよ――

「君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、物思ひとて心乱り給ふばかりの事あらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれよりつぎつぎは、やむごとなき人といへど、皆必ず安からぬ物思ひ添ふわざなり」
――あなた(紫の上)としては、あの須磨の別れ以外には、あれこれとお心の乱れることはなかったと思いますよ。后といい、ましてそれ以下では、いくら尊い身分でも、みな必ず嫉妬とか、不安が付いて回るものですからね――

「高き交らひにつけても心みだれ、人のあらそふ思ひの絶えぬも、安げなきを、親の窓の内ながら過ぐし給へるやうなる、心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや」
――後宮での女御、更衣などの宮仕えでは、皆それぞれ寵を争って、穏やかでない苦労が添うものなのです。ここでは親の元でお過ごしのような気安さでお暮らしになれたのは、他にはないでしょう。その点ではあなたは人並み以上の幸運だったと思いませんか――

ではまた。