落ち着いた大人になろう!

旅行やら映画やらの独り言

奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その6 土塔と百舌鳥古墳群

2024-11-27 22:09:51 | 旅行記・関西

10月27日 日曜日

8:00頃ホテルをチェックアウトして、出発! 今日は年に1度(位)の、大阪府堺市中区土塔町の土塔の頂上公開の日!

大和八木駅から近鉄奈良線で、大阪難波駅へ。

コインロッカーに荷物を預けて、南海電鉄のなんば駅へ。こんなに歩くんかい! そして、エスカレーターは左側を空ける。大阪だあ!

そして、南海電鉄なんば駅。ホームが8本並んでて、ヨーロッパの始発駅みたいだ。ちょっとワクワク。

9:00頃、堺東駅に到着。

 

Ⅰ.堺市役所21階展望ロビー

1時間に1本の、土塔行きのバス時間と停留所の位置を確認してから、百舌鳥古墳群が見下ろせる、無料の堺市役所の展望台へ。

そして、予想通り!

21階の高さだから、古墳群はただの茂みにしか見えない。

まあ、こんなもんでしょう。

そして、なぜか「ゴルゴ13展」をやっていた。

↑ こんな風にみえるんだったら、土塔に行くのは10:40のバスでもいいかと思ってたけど、やっぱり09:40のバスに乗ることにして急いでバス停へ。

 

Ⅱ.土塔

堺東駅前から、1時間に1本の「あみだ池」行きバスに乗車。バスは仁徳天皇陵や堺市博物館のそばを通ってから、30分後くらいに「土塔」停留所に着。帰りのバス時間を確認して、そこからGoogleマップ10分弱歩く。

そして、あった。土塔だ。堺出身の奈良時代の僧、行基が建立したとされる四十九院のひとつ大野寺の仏塔だ。

2年前に奈良の頭塔に行った時、是非、この土塔にも行ってみたいと思っていたのだ。天気のせいもあるのか、瓦のせいなのか、妙に明るい感じで、奈良の頭塔とは全然違う雰囲気。

やっぱり、管理する組織の差かな?ボランティアの方もいっぱいいて、地元に愛されている感じだった。

頂上の人も楽しそうで。

では、登ろうと、登り口に向かったら

復元して瓦が葺かれているのは、二面だけだった・・・。

↓ 上からの景色

瓦の色がいろいろあるのは、赤は生焼け状態だからだそうだ。上手に焼けた状態の瓦だけを使う訳にはいかなかった、復元の経済事情だったそうだ。

↓ 土塔復元模型

後世の人にこんなに愛されてるなら、行基さんも喜んでいるんだろうなあ。

 

Ⅲ.ランチ

11:02発のバスに乗って、仁徳天皇陵と履中天皇陵の間にある大仙公園内にある「こふん前Cafe IROHA」へ。

日曜日のお昼だけあって、20分以上待つ。お腹が空いて動きたくなかったので、大人しく待つ。

限定20食の“日々是好日”を食べる。

これにデザートとコーヒーが付いて2,000円位。今回の旅行で、初めて観光客らしい、のんびり、美味しいランチとなった。

 

Ⅳ.堺市博物館

大仙公園内にある堺市博物館

常設展「百舌鳥古墳群と堺の歴史・文化」の“古代~古墳の時代~”を重点的に見学。

天皇陵に入れた頃の調査資料が展示されていた。今は入れないからなあ。どうなのよ、それって。

 

↓ 湯山古墳の石棺

石室は高度成長化時代の工事で壊してしまったそうだ。そんなもんさ。

 

↓ 行基様

今年行った高知県と愛媛県では“弘法大師様“だったけど、奈良と大阪は“行基様“。

 

Ⅴ.仁徳天皇陵など百舌鳥古墳群

上の図の仁徳天皇陵の拝所⑦あたりから後円の②あたりまで歩いて、①の反正天皇陵まで行ってみる事にする。

 

1.仁徳天皇陵拝所とお堀と陪塚(ばいちょう)

仁徳天皇陵の陪塚を一つ一つ確認して歩いたのだが

こんな感じでしたあ。まあ、しょうがないか。都会の真ん中だし。仁徳天皇陵のお掘りも、場所によってはよどんだ水溜りみたいな感じの所もあった。

ヘリに乗って見たら楽しいのだろうなあ。3名集まれば、1人あたり16,000円かあ。

 

2.反正天皇陵

こちらは住宅街の中に残る古墳。

仁徳天皇の息子らしい。反正天皇というのはおかしな名前だな、と思ってたら“「正しさに反する」のではなく「正しい状態に返す」という意味”だそうだ。

↓ 後ろから覗きこんだ所

古墳群は予想通り、茂みであった。

堺東駅は、西側があんなに大都会だったのに、東側はとっても可愛い改札だった。

新大阪駅で大混雑にびっくりして(女子トイレなんてトイレ外の壁際に行列を作るように指示する注意書きが当たり前のようにあって、皆行列してた)、でも「大人の休日倶楽部」割引では新幹線の“ひかり”しか乗れないので、ガラガラのホームのベンチに座ることができた。

行きたい所、全てに行った3泊4日の奈良&堺の度はこうして終わった。

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その5 飛鳥

2024-11-24 23:34:46 | 旅行記・関西

10月26日 土曜日

今日は特別公開のキトラ古墳を11:30、牽牛子塚古墳を15:30に予約。キトラの前に益田岩船に寄る。

 

Ⅰ.益田岩船

益田岩船は初めて訪れる。松本清張の「火の路」によると石の宝殿とも関係あるらしい。

近鉄吉野線飛鳥駅の一つ前、8:00頃に岡寺で降りる。新興住宅街を抜けて、山に向かう。

ここを登って、右手へ。遊歩道を少し下る。Googleマップはこの階段までしか表示されないので、通行人に道を教えてもらった。

そしてここから山の中へ入って登る。

一応道はある。

↓ 土が崩れている場所には岩が見える。このような岩を利用して作ったのかな?

おおっ、見えてきた。竹林の中で、なかなか幻想的な雰囲気。こっちは北面になるらしい。

 

1.北面

下の方は格子状に模様が入っている。東西幅11m。高さ4.7メートル。やっぱデカいわ。

 

2.西面

地面が斜面になっているので、なんとか上部が見えるけど、覗きこむことはできない。

 

3.南面

のっぺりしてる。

 

4.東面

南北幅8m。

私以外誰も来なかったので、セルフタイマーで大きさ比較のため自分を撮影。結構、走った。転ばなかったけど。

石室の作り途中説が最近は有力らしいけど、このメロンパンのような切込みが不思議だあ。実物見られて良かった!

 

Ⅱ.ブランチ

岡寺駅周辺には何もないので、1時間に2本の電車に乗って飛鳥駅へ。駅前の「珈琲館 御園(みその)」さんへモーニングを食べに行く。

09:30過ぎに到着。私でちょうど満席。地元の人が週末の朝は家族でモーニングを食べにくるらしい。

このボリュームで740円!なかなか良いお店でした!

 

Ⅲ.キトラ古墳&壁画公開

10:20過ぎに、飛鳥駅から一駅先の壺阪山駅に到着。ここから、飛鳥よりさらに人家のない畑の中を歩く。

11:00前に国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区に到着。壺阪山駅からの歩いた方が、キトラ古墳などには近い。でも結構歩いたなあ。年取って歩くスピードが落ちたのかなあ。

キトラ古墳壁画公開の予約は11:30の回なので、その前後でキトラ古墳壁画体験館「四神の館」と復元されたキトラ古墳を見学。

 

1.キトラ古墳壁画体験館「四神の館」

入場無料。壁画公開も無料。壁画の保存方法に頭を悩ませた結果、壁画を剥いで保存している所です。

↓ 2階が入り口

↓ 1階にも出入口があって、お洒落な造り

石室の壁画のレプリカもあって、入ることができる。ガイドさんの説明付き。

石室の南壁に穴が開けられ盗掘されているけど、高松塚古墳のように壁画が壊される事無く、上手い具合に四神が残っていたそうだ。

あとは壁画の説明と、保存方法の説明のパネル展示。

キトラ・プラネタリウム」というのも見てみた。定員10名なので?と思って行ったら、半球体のキャンプ用のテントの中に、ビーチチェアみたいのが10個。

内容は「秋の星空を舞台にして、キトラ天文図にも描かれている中国の星座と西洋の星座を対比させながら、わかりやすく解説する新番組」で、飽きることなく(プラネタリウムって、結構飽きないか?)ちゃんと面白く観られた。

 

2.キトラ古墳壁画公開「天井・天文図」

こんな風に期間を決めて、ガラスケースに入った、剥いだ壁画を公開している。で、私が行った時は天文図。

3階の展示室に10名位で入室。良く見えるように、双眼鏡を貸してくれた。写真撮影は禁止!

星の金箔が穴あけポンチで大きさ2種類を使ったような感じで面白かった。7世紀末~8世紀初頭に造られたのだから、穴あけポンチくらいあったろうなあ。コンパスの穴の跡も肉眼で確認できたけど、下書きやコンパスの穴を消す手間を惜しんだのはなぜだろう?

エジプトの4,500年前の壁画と比べてはいけないんだろうが、ちょっとなあ。と正直思う。

 

3.キトラ古墳

↓ 古墳前の広場

「古墳鑑賞広場」という名前らしい。隣の家が立派だ。

 

Ⅳ.高取町土佐街道

壺阪山駅からキトラ古墳に行く時に横切った場所。電車時間まで見学。

なかなかお洒落な街並み。街並み保存、大変なんだろうなあ。なんで飛鳥で土佐?と思ったら「飛鳥時代の初期に大和朝廷の都造りに駆り出された土佐(高知)の人々が帰郷できず、この地に住み着いたことが起源とされている。」そうだ。そのまま、地名として残っているんだ。高取町って、飛鳥駅の隣なのに、全然違った雰囲気だ。

 

Ⅴ.岩尾山古墳

飛鳥駅に戻って、15:30予約の牽牛子塚古墳の途中にある岩尾山古墳に寄ってみた。

階段を登ると石室入り口。

なかなか大きい石だ。

中は広くて立派じゃないか! 整然とした立方体の組み合わせ。

勝手に入って良くて、広くて立派で、楽しい!

 

Ⅵ.牽牛子塚(けんごしつか)古墳・越塚御門古墳

飛鳥駅のサイクリングコースの反対側を20分位歩く。

ここも途中の家々が立派。

見えてきた! 15:30からの特別有料エリア(1名500年)を予約していた牽牛子塚古墳・越塚御門古墳。

↓ 模型

上の白い石で覆われた方が牽牛子塚古墳で、下の小さいのが越塚御門古墳。1グループに1名つくガイドさんに連れられて、まずは越塚御門古墳内で、プロジェクターで投影された牽牛子塚越塚御門古墳のビデオ鑑賞。

天智天皇が、牽牛子塚古墳に母である皇極・斉明女帝と姉妹の間人皇女との合葬、自分の娘で皇極・斉明女帝の孫でもある大田皇女を葬した越塚御門古墳について、政治の犠牲になった3人を弔う感動的な物語と、古墳の説明が、要領よくまとめられていた。本物の石室越しの映像をみるのは不思議な感じ。

そして、凝灰岩切石で葺かれた復元された牽牛子塚古墳。

石室に入れるのかと思ったら、階段を降りて、閉まってる鉄柵の間から覗くだけだった。

本当に二つ部屋がある。

天皇のみが祀られている八角墳の説明をガイドさんから聞いたりして、1時間以上滞在。

ただ、復元時は、こんなに白かったのに

たった2年でこれ?

本当に凝灰岩で覆われていたのかな? 復元は、墳丘がその重さで崩れないように石の板を貼っているだけだそうだが、いったい何が流れ出てこんなになってしまったんだ?と、そこが一番の疑問だった。

 

Ⅶ.夕食

大和八木駅近辺には飲み屋が多かったので、八木西口駅の今井町の方に行ってみた。ここも古い町並みが残る地区らしいが、暗くて景色が全く分からない。

そこの古民家カフェ「Hackberry」さんへ。

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その4 飛鳥

2024-11-23 11:17:43 | 旅行記・関西

10月25日 金曜日 その3

 

Ⅷ.ランチ

石舞台のすぐそば。12:30頃到着。「明日香 夢の旬菜館」内の「レストラン ポカフレール」へ。

豚ロースステーキ1,000円+コーヒー200円。見た目はワンプレートなので最初は量が少ないと思ったけど、実際は食べ応えがあった。古墳のそばで食べると、大抵古代米が出てくる。肉も美味しかった。

 

Ⅸ.石舞台

ここも国営飛鳥歴史公園の石舞台地区という事で、広い公園になっている。遠足の中学生が芝生広場で元気よく騒いでいた。

世界の遺跡・ドルメンを見てきたけど、もちろん時代は石舞台の方が全然新しいから(2,000年以上)比べるのはおかしいんだけど、でも大きいわ。石室としての大きさは世界的にも立派だわ。

↓ 中に人が入っている所を、外側から、石の隙間から撮影

↓ ぼやけているのは私です。大きさ比較として。

こんな言い方は良くないが、無駄にデカい。

↓ 中にあったはずの家型石棺の想像復元

この後、おしゃれな街並みを走る。

 

Ⅹ.酒船石遺跡

どかにあるんだ?と思いながら自転車を漕いでたら、「万葉文化館」の駐車場のそばだった。

40年前に来た時は、酒船石しかなかったけど、2,000(平成12)年の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ばれるようになった。歴史は後世の発見で塗り替えられるから面白い。

 

1.酒船石

40年前は謎の遺跡だったのだ。手塚治虫の「三つ目がとおる」第4話とかさ。酒か薬を調合する道具だとかさ。宇宙人が作ったとかさ。ロマン溢れる遺跡だったのだ。

しかもこちら側(案内所:料金を払う場所の右手の山道を登る)はなぜか無料。

↓ 西暦2,000年前の説明版なので亀形石造物には触れてない。

長さ約5.5メートル、幅約2.3メートル、厚さ約1メートルと大きいので、上手く写真におさまらない。

不思議な形でしょ。

変に切り取られている(ほぞ穴)のは近くの高取城増築する時に、持って行かれたらしい。

↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカでは、こんな風に使われていたんだろうと復元。やっぱり水を使った儀式用庭園の一部だったのかな?

 

2.亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣

こちらは2,000年に発掘された有料地区。お金を払う小屋のおじさんが、親切に説明もしてくれた。

水を流してる木、木を支えてる黄色い石、石垣の補強の黒い土嚢以外は発掘したままの物なんだって。

「万葉文化館」の駐車場のために土を掘ったら出てきたそうだ。説明してくれたおじさんは「日本書紀以外の文献に記述がないのは、あまりの大規模土木事業のため、人々の生活を圧迫したので、良く思われなくて、忌み嫌われたからではないか」という説をあげていた。

確かに広い! 大規模工事だったのに、違いない。また、40年後に来たら、何か発見されているのかなあ。おじさんの話を聞く事ができてラッキーだった。

 

また、おしゃれな街並みを通り抜ける。

飛鳥寺は40年前の記憶があったので、パスする。謎の石はないし。

 

Ⅺ.奈良文化財研究所飛鳥資料館

ここの庭園には、飛鳥の謎の石のレプリカが並んでいる。庭園だけなら無料だ! なんて素晴らしい場所なんだ!

 

1.高松塚古墳の石室のレプリカ

穴は盗掘者が開けたもの。

 

2.高取の猿石

猿石の仲間。高取までは距離があるのでここで見られて良かった!

 

3.京都の料亭に現物がある酒船石

 

4.須弥山石(しゅみせんせき)

石神遺跡出土。噴水の機能を持つ石造物で、使われていた当時のようすを再現しているので、ちゃんと水が出ているのだ。

↓ こちらは館内にある現物

 

5.石人像

技術的には凄いと思うが、飛鳥時代の人はこれを見て美的には感動したのだろうか?

↓ 館内の現物

 

入場料を払って、ちゃんと館内も見学しました。

飛鳥資料館の庭園で大満足。飛鳥の謎の遺跡は、大陸→百済から伝わった、水を操る庭園に使われた物だったんだねえ。亀石は違う気がするけど。

 

満足したし、飛鳥駅のレンタサイクル屋さんに5時まで自転車を返却しなければならので、そのままのんびり駅に向かう。

この頃になると、余裕で自転車を漕ぐことができた。年寄りは適応能力がないな。

↓ この奥が甘樫丘地区

なかなか充実した1日だった。

 

Ⅻ.ホテル

25日と26日は、奈良より飛鳥に近い場所で安いホテルを探した。1ヵ月前で、ここしか空いてなかった。

大和橿原シティホテルのスーペリアシングルルームの素泊まりで、25日が7,700円で26日が土曜日なので8,700円。口コミだとあまり評価が良くなかったが、別になんともなく快適に過ごせた。

【喫煙ルーム】しか空いてなかったが、昭和育ちの私は若い頃吸ってたので、部屋に入って5分もたてば、匂いが分からなくなっていた。

 

XⅢ.夕食

Farmers CAFE and GRILL「奈良食堂」-leaves-に行ったら、「予約でいっぱいです」。大和八木駅周辺は、居酒屋が多くてなんか入り難そうだったので、うどん屋へ。

コンビニでビールとつまみと翌朝分のパンを買って、この後部屋飲み。

 

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その3 飛鳥

2024-11-17 11:48:40 | 旅行記・関西

10月25日 金曜日 その2

 

Ⅳ.鬼の雪隠&鬼の俎板

欽明天皇陵の陪塚の石室が分離したものと考えられている。

こんだけ古墳があるので、石室や巨石は見慣れているはずなのに、鬼の仕業にした村人が不思議。

なんとこの石の管理は宮内庁!

 

1.鬼の雪隠

農道を西へちょっと走ると畑の中にまずは「雪隠」が見えてくる。

 

2.鬼の俎

道の反対側、斜面を登った林の中にある。

↓ 背面から入り口方面を見る

ステッチみたいな、大きい破線みたいのは、後の誰かが石を切り出そうとした跡だそうだ。

 

Ⅴ.天武・持統天皇陵

「鬼の雪隠&俎」が宮内庁管理であることに驚いて、やはり宮内庁管理の「天武・持統天皇陵」にも寄ってみた。どーせ、入れないけど。

今調べたら、ちゃんと天武天皇と持統天皇のお墓なのに、1235年に滅茶滅茶な盗掘をされていた。気の毒だ。

↓ 後側から見た、古墳部分

 

Ⅵ.亀石

畑の中に唐突に現れる。40年前に飛鳥に行った時より謎が解明されてきた石が多い中、この子は未だ謎のまま。

可愛い! 亀というよりカエルに見える。吉備姫王墓の猿石などとは全くデザインが違っているので、別の流れのような気がする。益田岩船に似てる。

「亀石は当麻の蛇の仕業で湖が干上がって死んでしまった亀を弔ったもので、元は北向きだったものが現在の南西へと向きを変えており、亀が当麻の方向である西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという怖い伝説も残されています。」怖っ!

おおらかなラインだ。

↓ 背面 翌日行った益田岩船のようなメロンパンみたいな大きい格子状の模様が見える。

 

Ⅶ.橘寺

「創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。当初は66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。」

 

1.本堂

 

2.目的の二面石

やっぱり、猿石の仲間のような気がする。これも、今日最後に行った飛鳥資料館庭園に、もっと顔が見やすいレプリカがあった。

私は二面両方共、邪悪な顔にしか見えないのだが・・・。私の心は邪悪なのだろうか?

 

3.方丈池

 

4.往生院(限定公開)

念仏写経研修道場として平成9年(1997)に再建された往生院。その格天井には現代画家らが競作した260点の花の天井画。

 

5.五重塔跡の塔心礎

「一辺2.7mと巨大な塔礎石は、中央には直径約1mの孔が開いています。その周囲には3か所の突出部があり、添え木を入れるために設けられたものと考えられています。橘寺の五重塔は平安時代後期の久安4年(1148)に落雷で焼失し、鎌倉時代の文治年間(1185~1189)に三重塔として再建されましたが多武峰の焼き討ちで再び焼失。以降再建されずに礎石の一部のみが残されています。」

孔は橘の形になっている。

 

6.三光石&阿字池

「三光石は、 聖徳太子が勝鬘経を講讃した際、日、月、星の光を放ったという。阿字池 - 梵字の「ア」を形どって聖徳太子が作ったという。」

太陽・月・星の光ってなんだ?

「推古14年秋7月(606年)、聖徳太子は天皇の仰せによって勝鬘経(しょうまんきょう)を三日間にわたって御講讃になった。
その時、大きな蓮の花が庭に1mも降り積もり(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、推古天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるように太子に命ぜられた。」

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その2 飛鳥

2024-11-11 13:35:14 | 旅行記・関西

10月25日 金曜日 その1

近鉄奈良駅のホテルをチェックアウトし、大和西大寺駅と橿原神宮前駅で乗り換えて9:30過ぎに飛鳥駅に到着。40年前にも来てるけど、1時間近くかかって、3線も乗り換えたっけ? おまけに橿原神宮駅での乗り換えでは、なぜか踏切を渡った・・・。

飛鳥駅で、リュックをコインロッカーに預けて、駅前のレンタサイクルで1,400円の電動自転車を借りる。私のあまりにも下手さに(自転車に乗るのは7年振り)レンタサイクル屋の人に呆れられる。私が事故を起こしたら、飛鳥のサイクリング観光、大打撃だからなあ。

なので電動自転車に慣れるまで、電源を切ってこぐ。高松塚古墳までは、車道の脇の歩道を進む。

 

Ⅰ.高松塚古墳

 

国営の飛鳥歴史公園の1地区になるため、広大な広さだ。歴史公園館の方に自転車を停め、車道したのトンネルを通って、里山というか公園内をかなり歩く。

ドックランまであるんだが・・・。飛鳥にドックランって必要なのかな?

 

1.高松塚壁画館

1ヵ月の前に、この前週の壁画修復作業室の公開に申し込もうとしたらすでに空きがなかった。

壁画の模写がゆっくり鑑賞できる所。「壁画模写は、前田青邨氏のご指導により、昭和49年に平山郁夫 東京芸術大学教授(当時)を監修に、守屋多々志 愛知芸術大学教授(当時)を中心に、20名の方々に制作をお引き受けいただき、約2年の歳月を経て完成しました。」と誇らしげに解説している。

が、今となっては2,000年以降の保存の劣化問題が有名になってしまっているので、ちょっと気の毒な感じも・・・。

↓ 観覧料チケットはこちらを購入

三ヵ所巡るなら200円お得!

あと、ここでゲットした「明日香村 観光マップ」が広げるとA2サイズになる大型地図なので、見やすくて便利だった。

 

2.高松塚古墳

壁画館からちょっと登る。

もちろん復元。2段構成の円墳。

↓ 背面

↓ ここから見えるあの茂みも古墳なんだろうなあ

 

3.展望台

せっかくなので、公園の中を歩く。

おおっ、日本の風景だ! んん?右側の白い三角形は・・・

↓ 翌日ガイドツアーを申し込んでいる牽牛子塚(けんごしづか)古墳だ!目立つなあ!

歴史公園館まで戻って、その右脇の小道から、謎の石巡りへ。この後は、田んぼのあぜ道が自転車用に整備されているので、走り易い!

 

Ⅱ.吉備姫王(きびひめのおおきみ)墓の猿石

民家の間の幅50㎝位の道を登る。吉備姫王は、皇極天皇(642~645)&斉明天皇(655年~661年):同一人物で天智天皇のお母さん、のお母さん。「この墓は欽明天皇陵(梅山古墳)に隣接し、8m程度の小円墳とされるが、考古学的な裏付けはない。古墳ではないとの説もあるが、現在は欽明天皇陵の陪塚とされている。」そうで、かなりあやふやだ。そして宮内庁管轄。

この拝所の柵の向こうに、猿石はいる。18世紀初め頃に付近の水田から掘り出されたもの。「花崗岩」とする文献もあるが、宮内庁の調査報告では材質は石英閃緑岩らしい。

柵の間にスマホを突っ込んで撮影。

↓ 女(左)・山王権現(右)

↓「 山王権現」と言われている像の後姿 。飛鳥資料館の庭園レプリカを撮影。

かなり不気味だ。

 

↓ 僧(左)・男(右)

↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカの「僧」の後ろ姿。あばら骨みたいなのが彫ってある。

↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカの「男」

↓ 「男」の後姿。なんかしゃがんだ人みたいのがくっついてる。

そう、宮内庁管轄のせいで、実物はじっくり見られないのだが、飛鳥資料館の庭園で、レプリカをしっかり見る事ができる。しかも庭園は無料だ。なんて素晴らしい庭園なんだ!

多分、百済から来た人、もしくはその指導を受けた日本人が、天然の石の形を利用して掘って、当時の庭園に飾った石像だと私は思う。

吉備姫王墓の周辺の民家の屋根はこんな感じで立派だった。「煙り出し」と言うのかな?

 

Ⅲ.カナヅカ古墳

吉備姫王墓のちょっと先。看板だけあった。形状は方墳らしい。ここが吉備姫王の真の墓という説もあるらしい。明治時代に壊されてしまって、よく分からないらしい。

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その1 奈良

2024-11-05 12:21:11 | 旅行記・関西

3泊4日で奈良と堺市に行ってきた。奈良在住の友人と1日目と3日目に一緒に回るはずだったが、体調不良で結局1人旅となった。

 

10月24日 木曜日

↑ 冠雪なしだったので、一瞬、富士山とは分からなかった。

近鉄奈良駅近くの待ち合わせ場所で友人と会ってランチ。その後は一人で、友人のお勧めコース(春日大社→下の禰宜道→志賀直哉旧居→新薬師寺)を回る。

 

Ⅰ.春日大社

近鉄奈良駅の東側に、東大寺と興福寺と春日大社が入り組んであるんだが、春日大社は行った事がなかったので。

↓ 途中の興福寺中金堂

修学旅行生とインバウンドがいっぱい! 五重塔は修復中。

 

一の鳥居

「古くは春日大社と興福寺旧境内との境に立つ結界としての役割を持っていました。」そうだ。だろうな、こんなに入り組んでたら。

 

↓ 奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター

建物は、明治35年(1902)竣工の「飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れる一方、窓にはイスラム風の意匠もみられます。構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されて」いる立派な建物。

↓ そして参道には、外国人大喜びの鹿たち

雄は発情期なので、角が切られているけど、たまに雌を追いかけたり、雄同士喧嘩したり、やたら鳴き声を上げていた。

↓ カッコいいコンクリの建物がある!と、近づいたら鹿苑(ろくえん)だった

↓ 鹿のフン

 

②参道の石燈籠

そして、今も石燈籠は増えている。

 

③二の鳥居

この横に立派な駐車場やトイレがあった。団体はここから参拝が始まっていた。

 

④南門

 

御本社(大宮)回廊

せっかくですから、700円払って中へ。

釣燈篭って、最初は金色なんだね。

江戸時代まで神職の詰所であった藤波之屋という部屋を鏡張りにして、燈篭に火を灯し(危ないから火じゃないけど)、春日万燈籠の雰囲気を観光客にサービス。

本殿を出るとまた石灯籠。

この金色の石灯籠は「徳川家康が紀州徳川家の初代となる十男、長福(後に頼宣と改名)の病気平癒を願い春日大社(奈良市)に寄進したとされる石燈籠

 

Ⅱ.下の禰宜道(ささやきの小道)

二の鳥居から小道に入る。

いきなり、誰もいない。いや、後ろから私を抜かす男性が1人いたんだが、ちょっと警戒してしまうほどの寂しい山道。

で、この道を抜けたら高畑町。

↓ 志賀直哉旧居

 

Ⅲ.新薬師寺

私のパソコンでは「危険!」という表示が出て、新薬師寺の公式HPを開く事が出来ない。

友人が「バサラ」とやたら言っていて、お勧めのお寺らしい。

この本堂は、天平19年(747)の頃の建築だそうだ。中に入ってようやく「バサラ」の意味が分かった。写真撮影は禁止なので、ネットで拾った画像を貼っとく。

本尊薬師如来坐像(木造・国宝)と、それを囲む日本で最古最大の十二神将立像(塑像・国宝)が安置。うち、500円切手になっているのが伐折羅(バサラ)大将(迷企羅大将)。

そう言えば、見た事あるな。

 

Ⅳ.鏡神社

新薬師寺の門のすぐそばにあったので、何気なく入ってみた南都鏡神社

「本殿は、代々春日社々殿を下賜されてきました。現本殿は延亨3年(1746年)第46次御造営の際に、第3殿を賜ったものです。」

へえっ~、そうなんだあ。春日大社を観た後だったので、なんか愛おしかった。

この後、ブラブラと近鉄奈良駅まで戻る。

 

入江泰吉記念奈良市写真美術館

↓ 鹿がいっぱい!

 

↓ 鷺池の浮見堂

撮影されてる方もカメラマンも、日本人ではなかった。

 

Ⅳ.夕飯

友人に聞いた、たかま家さんに行ったんだが・・・。従業員がいきなり休んだとか、材料手配に失敗したとか、何かあったのかな?

食べたかったメニュー及びその周辺のものは「今日は用意ができなくて」と言われ、しょうがないからヨレヨレの紙に書かれた“今日のおすすめ”とそばを頼んだんだけど・・・。なんだかなあ。帰りにコンビニでおにぎりを買った。

 

Ⅴ.ホテル

空いてて、近鉄奈良駅から近くて、安さで選んだ、“ベーカリーホテル シャトードール“。前回泊った“変なホテル”が料金が高くなっていたので、こちらに。駅そばで、立地もよくて、清潔で良い感じでした。

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京都&奈良 3泊4日 その5

2022-07-01 20:19:36 | 旅行記・関西

6月22日 木曜日

今日は友人が「きたまち」を案内してくれるそうです。

 

①奈良女子大学記念館

10:00に門前で待ち合わせ。

 

明治42(1909)年10月に竣工した建物。女子大生に紛れて入ろうとしようとは、さすがにしなかった。

 

②奈良少年刑務所

少々登った所にあった。ここも中には入れない。公式には本当に監獄だったので「旧奈良監獄」と言うらしい。

↑ 門

ここも「明治41年に建造されました。奈良を代表する明治の建築。ヨーロッパ中世の城や修道院を参考に設計された赤煉瓦造りの美しい建物。設計者は、ジャズピアニストの山下洋輔さんのおじいさんにあたる山下啓次郎。」という事で、どうも私は古い町屋より、明治時代の西洋式建物にワクワクするらしい。古い日本家屋って、子供の頃に行って泊った田舎の親戚の家なんだもん。

折角の立派な建物、いろいろなイベントを開催しているらしい。

↑ 庁舎

将来的にホテルになると友人は言っていた。

 

③植村牧場

ここのソフトクリームが有名らしくて、11:00前なのに何人か売店の開店を待っていた。

 

ここの牛、ものすごく足が長く感じたんだが。牛の種別はさっぱり分からないが、そんな科なのかな?

 

④武田商店

鹿せんべいを製造・卸している商店。見学は要予約なのでが、友人がダメ元で頼んでみたらOKしていただけました。

製造場所は狭くて暑いので、2名だったからOKが出たのかも。

 

奈良市内に鹿せんべいを製造しているのは5店。そのうちもっとも歴史が古い(100年以上)そうだ。

米糠と小麦粉だけで作っているそうです。奈良公園では200円で売っているから、卸値は・・・。しかも5店舗もあるのかあ。大変なお仕事です。

 

⑤般若寺

↑ 楼門 

②~④の道路沿いにあるんだけど、日本最古の楼門遺構は老朽化してるので、通行禁止。なので入口は国道まで回らないと入れない。

知ってた? コスモスって6月から咲いてるんだよん。奈良に来て、桔梗とコスモスが6月に咲く事を知りました。

般若寺は飛鳥時代からの歴史があるんだが、最近の人の心を掴むのも上手で、もの凄く訪れる人が多い。コスモスと紫陽花。映えるアジサイガラスボール。

しかも駐車料金は30分無料なので、狭い境内を効率よく人が出入りする。

 

やるなあ!って感じのお寺でした。

 

⑥東大寺転害門

南に戻る。途中、行く時に私が気になった門に寄る。

行く時、道の向こうに見えた時は大きく見えたのに、近くに来たらあんまり大きくなかった。

ここも東大寺なんだ。大きいなあ、東大寺の境内。

「三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構」だそうだ。一度も焼け落ちず、東大寺建設の最初からずっと建ってるらしい。地味な門だけど、凄い歴史だ。

↓ 若草山を眺めながら

西大門跡や、754号線の水草だらけの池を通り、

 

道が工事中のため、吉城園(多分)を通り抜ける。

 

⑦ランチ

ムッシュペペというフレンチ・カフェのお店。今回の京都・奈良で、カフェでゆっくりランチしてる。そんなふうにランチをするのって、コロナ禍になってから何年振りだろう。

 

ここもデザートと飲み物までついて、2,000円とお手頃価格。

 

⑧奈良国立博物館・なら仏像館

日差しが強くなってきたので、こちらで仏像を拝みながら涼む。

青銅器館もじっくる見る。

吉野の金峰山寺  (あっ、今思い出した。ここに40年位前に行ったことある) の金剛力士立象のみ撮影OK。

 

住宅街や東大寺二月堂にいた鹿は我関せずだったけど、奈良公園の鹿は、餌を求めて寄ってくる。鹿も環境で変わるんだなあ。

この後、またカフェに寄って、“変なホテル”で荷物をピックアップして、近鉄奈良駅で友人と別れて、帰路へ。

京都駅18:33発のひかりに乗車。

こんな風に旅行するのは何年振りだろう。でも、遅い電車で帰るのが怖くなってる私。

また、感染者増えてきてるしなあ。これから、どうなるんだろう。

京都・奈良を訪れる修学旅行生の笑顔が続きますように。

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京都&奈良 3泊4日 その4

2022-06-30 10:25:27 | 旅行記・関西

6月22日 水曜日 その2

頭塔を観た後は、奈良に移住して10年の友人女性と、ならまちの“格子の家”で待ち合わせ。今日と明日は彼女の案内で回ります。

こんな住宅地の空地にも普通に鹿だ。google mapって、初めての場所でもどんどん歩ける。本当に便利だ。歩いて10分位。

 

Ⅰ.ならまち散策

ならまち格子の家

無料だ。ゆっくりできる。久々にあった友達と喋る。

 

 

②庚申堂

 

庚申堂(こうしんどう)は、奈良市のならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれる。庚申信仰の奈良の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠(Wikipedia)」で、この地区だけ、軒先に「身代わり申(さる)」がぶら下がっている。

 

奈良町博物館

こちらも無料です。

庚申と言うと、関東では庚申塔なんだが・・・。でも、関東の風習や鎌倉の話をするとちょっと気まずい雰囲気になるのを3日目の京都・奈良で気付いた私は何も言わない。

 

菊岡漢方薬局

 

⑤元興寺

元々、ならまち一帯は元興寺の境内だったらしい。

ここも蓮の鉢が並んでいる・・・。流行なのか?

飛鳥寺を移築してるので、古い瓦は「日本一古い瓦」だそうだ。

桔梗って、夏にも咲くんだ・・・。

 

Ⅱ.チラッと興福寺

正直、奈良公園と興福寺と東大寺の境目が分からない。そして、何を観ても、おおっ!と感動する単純な私。

雨がやんで、晴れてきた!

 

興福寺中金堂

 

左②東金堂五重塔 右③南円堂

 

 

④南円堂そばの、燈篭と鐘

 

調度お昼の12時の鐘をついていた。

 

左⑤三重塔 右⑥中金堂の横

 

 

北円堂

サクッと回ったのかと思ったら、中に入らなかっただけで、結構きちんと建物は見てたんだ。と、地図と照らし合わせた今、実感。

 

Ⅲ.ランチとJR奈良駅

そのままJR奈良駅の方へ歩く。

①ランチ

 

カフェ・コジカという店でランチ。デザートも付いてお得で健康に良さそう。暑いし歩いたし、一気にビールを飲んだ。

 

②JR奈良駅

 

彼女はここから、ちょっと変化球で私を天理市観光に連れて行く予定だったんだが。なんと電車が45分後だったので、何も観ても喜ぶ私を見て、彼女は安心してバスで奈良公園も戻る。

 

Ⅳ.氷室神社

氷室神社が、奈良のかき氷ブームのベースになっているとか。

修学旅行生に混じって、せっかくなのでおみくじをひいて、設置された氷にくっつける。大吉! 小さな幸運を積み重ねて今後も生きて行こう。

 

Ⅴ.東大寺

①南大門

わーい! 半世紀ぶりかもしれない・・・。やっぱり、大きい! 

天井板がない、腰屋根構造。再建した鎌倉時代、中国でこの様式が流行してて、マネしたんだが、日本では結局受け入れられなかった、と、修学旅行生が説明を受けていた。

「金剛力士像は、鎌倉時代初頭の建仁3年(1203)に運慶や快慶ら仏師たちによってわずか69日間で造像された巨大像である。像高はいずれも8.4m弱ある。」職人技だなあ。

 

大仏殿

わーい! 緑がきれいだ。立派だ。

 

↓ 修学旅行生が悔しがっていたのがこれ。

気持ちは分かる!

移動。

 

鐘楼

梵鐘は東大寺創建当初の物なんだって。よくぞ、無事に生き抜いたもんだ。

 

一休み。

 

④二月堂

周辺には校倉造の倉庫があって、なんか間近で見られてうれしい。

 

そして、17:30から19:30まで贅沢に二月堂から景色を見ながら過ごした二人。

この後、20時の鐘楼の鐘突きを見に行く。

さらに、ここから階段を降りて、蛍を見に行く。10匹位、舞っていた。

↑ これは、力なく道端に落ちた蛍。

この後、近鉄奈良駅前のサイゼリアで閉店まで過ごす。この日は、伏見稲荷神社の小山巡りをした日よりも歩いた。

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京都&奈良 3泊4日 その3 奈良の頭塔

2022-06-29 10:35:45 | 旅行記・関西

6月22日 水曜日 その1

変な石好きの私の、今回のメイン! 奈良の謎のピラミッド、頭塔です! Wikipediaの解説の方が分かり易いな。

09:00に予約。でも、観に行く人は、春と秋の特別公開期間を狙った方が、いろいろいいと思う。

ホテルからは歩いて30分位。

↓ 奈良公園猿沢池園地

わーい! 鹿だあ!

可愛い!思いながらも、コモド島の餌となる鹿を思い出す、ブラックな私。

 

住宅街の中、あった!

鍵を開けてもらって、自由見学。

入り口があるのは南側

 

↓ 上から観るとこんな感じ。ネットから拾った画像です。m(_ _)m

きちんと東西南北を向いていて、上が南。南は頭塔の森としての価値を認めそのままにし、発掘調査により遺構解明された北側のみを昭和61年から平成12年まで奈良県教育委員会が復元整備したそうです。

一周できるように整備されてた。

元はインドの仏舎利の建築様式なんだろうが、上から見ると正方形のボロブドゥールやアンコールワットより、この頭塔の方が古いというのにビックリ!

 

↑ 北側に設置された説明パネル。でも、ここまでは復元しないと思う。

 

↓ 東側

 

↓ 東側(左)と北側(右)

 

↓ 北側

“見学小広場”がなまじあるため、全体像が屋根が邪魔で見られない。

瓦屋根のある場所に、石仏が残っている。

“見学小広場”から石仏は近くで見られるけど。

 

↓  北側と西側

西側の石仏

 

 

↑ 左が南側の石仏。土に埋もれてる。右の石仏は北側の石仏。

霧雨の中、30分程見学。確かに異質な遺跡だ。

堺市にも復元された土塔があるらしい。こちらは全て瓦でおおわれているらしい。機会があれば行ってみよう。

 

で、個人宅に電話して予約をして鍵を開けてもらうシステムなんだが・・・。改善した方がいいと思うよ。

予約は忘れられてる、個人宅のインターホンは2つとも壊れてる、家族・親戚の話から始まってプーチンの悪口まで聞かないといけないし・・・。

もしくは、ガイドの説明を聞ける特別公開期間に訪れるか、今なら西面に隣接するホテル跡地が更地なので、そこから仰ぎ見るかかな。

それとも、あんまり見に行く人がいないのかなあ。

 

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京都&奈良 3泊4日 その2

2022-06-27 15:14:03 | 旅行記・関西

6月21日 火曜日

今日は奈良に住み大阪の会社に通ってる後輩が自動車を出してくれる日。京都のホテルを10:00にピックアップ。

と、後輩が「せっかくの平日。京都の出町ふたばの豆大福を買いたい!」と言うので、向かう。が、火曜日定休日!! おいおい!調べなかったのか? まあ、そんな後輩です。

 

① 宇治の平等院

私はここも行った事がなくて。平泉の藤原秀衡が建立した無量光院の跡とか、鎌倉の永福寺跡とかは行ったんだけど、建物が現存している本家本元には行ってなかったので、是非にと! 拝観料600円+鳳凰堂内部拝観料300円。でも、建物の外以外撮影は禁止。

 

鉢に入った蓮が並べられていた。この後、訪れた寺もだいたいこの方式。“映え”狙いかな? 移動し易いからかな?

おおっ!憧れのこの風景。でも、想像してたより小さかった。

鳳凰堂の中にいる人が、内部拝観の人たち。雨のせいもあってか、観光客が少なくて、15分後の12:10の内部拝観券を購入できた。

外からズームレンズで阿弥陀如来像を撮影しようとしたら、雨粒にピントがあってしまい、うまくいかなかった。

内部は、阿弥陀如来像と扉内側に描かれた絵画が見どころなんだが、内部が暗いため見易いように扉を開けてくれた面以外は、鳳凰堂のHPの方が見易いなあ。

後輩は、鬼瓦達が気に入ったらしい。

ミュージアムは雲中供養菩薩像(しかも着色を再現した像とか)や元々の鳳凰が間近に見られて楽しかった。

 

②ランチ

平等院の参道(?)の店が並んでいる所で、六条庵の2階「Café Momiji」、カフェバーっぽい感じの店で茶そばランチ。

これに、デザートのアイスクリームと飲み物がついて1,580円という、観光客にはうれしいお値段! 茶そば、美味しかったよ。

で、観光地のスターバックにには入って方がいい!という後輩のアドバイスで、スタバに入店。

スタバの庭。なかなか良い雰囲気。メニューは普通だったけど。

 

③宇治川

 

④奈良・法隆寺

後輩が運転しながら、時間を気にし始める。「法隆寺、閉館時間が近づくとどんどん閉めますから、早く行かないと。」 そうかあ、クラウドファンディングで今話題の法隆寺は、時間の感覚がヨーロッパの美術館なのかあ。最後の職員が正門のカギを閉める時間が閉館時間なのかなあ。

結構、宇治からは遠くて、車窓の風景も想像してた奈良とは遠い。東名高速の沼津インターに入る道路みたいだ。見慣れたチェーン店のロードサイド店舗が立ち並ぶ。本当に古都なのか。こんな所に法隆寺はあるのか?

あった! 南大門そばの駐車料金は100円だった。15:40に到着。

中学の修学旅行で来たのかな?覚えてないなあ。40年前だしなあ。

中門。柱がエンタシスなのは、覚えてた。

金堂と五重塔を開いている扉を全部ゆっくり見てたら、お寺の係りの人が親切にいろいろ説明してくれるが、時間的に早く観るようにと促される。

で、ちょっと離れた夢殿へ。山岸涼子の「日出処の天子」は全巻持っている私です。なので、夢殿はキャー!って場所。

まだ、16:40なのに、遠くの夢殿の入り口で係りの人に手招きされ、「チケットは見せなくてもいいから、早く入りなさい」と言われる。

夢殿の内部は暗くて、ほとんど見えなかった。

 

⑤平城京跡

昔はこんなのなくて、礎石が並んでいただけなのに。今は、立派にただっ広い、国営平城宮跡歴史公園。ここも自動車でないと行きにく場所。

えっ、平城京でなくて、平城宮? と、思って調べたら「平城京は「街」、平城宮は「官庁街&皇居」の違いで平城京の中に平城宮があったと言えます。」だそうだ。

↑ 復元遣唐使船 中に入れる。これに100人乗っていたそうだ。帆が、竹を編んで折りたたみできるようになっていた。

↑ 復元された朱雀門

雨が土砂降りになってきたので、これ以上は奥には行かないで、雰囲気のみ。

後輩曰く、ここで地元の人向けにいろんなイベントをやっているそうだ。公園だもんな。

 

⑥変なホテル 奈良

後輩にはホテルまで送ってもらって、バイバイ!

今日・明日は、前にニュースで見て泊ってみたかった「変なホテル 奈良」。

 

フロントが、ホログラム映像で映し出されてて、向かって左手の白いBOXからアメニティーを各自取るシステム。タオルは部屋にあった。

掃除とタオル交換のないエコなんとか料金で、朝食付き2泊で13,150円。

部屋はランクアップされてて、バスルーム前に4畳位のスペースがあって、そこで荷物を広げられて便利だった。

売りのフロントは、前日の京都のホテルも自動チェックイン&チェックアウトだったから、あまり驚かなかった。家族連れなら、親がチェックインしてる間、子供がホログラム(と言うか単なるスクリーンにしか見えない)を見て退屈しなくていいかも。全然、変じゃなかった。

ちなみ朝ご飯。1階のカフェで。パンはフレンチトーストとクロックムッシュから選べます。美味しかったよん。

 

⑦夕飯

近鉄奈良駅周辺をウロウロ。アーケード内の、観光客のおばさん一人が入り易そうな月日亭さんへ。

三輪そうめんと大和ポークのしゃぶしゃぶ膳。1,580円とビール! 奈良っぽい物が食べられました。

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