落ち着いた大人になろう!

旅行やら映画やらの独り言

モンゴル7日間 その9 帰国と雑記

2024-08-31 20:29:34 | 旅行記・モンゴル

8月2日 金曜日

5:00 出発

団体ツアーのあるあるで、ちょっとしたお弁当を持たされる。バスの中で食べる。

6:00 チンギス・ハーン空港に到着

チェックインも出国手続きもとってもスムーズに済む。なので、搭乗までの時間がいっぱいあった。

ウォッカの小瓶も売ってた。

MIATモンゴル航空 7:45→成田空港13:40

暑くて人が多い、日本に到着。京成で帰ろうとホームに行ったら、外国人でホームがビッシリ! 外国に来ちゃったのかと思ったよ~。

 

雑記

①マイレージ

モンゴル航空はJALとコードシェア便だったので、JALのマイレージが付くと思って、家でネットでポイント付けようとしたら・・・、付かなかった。モンゴル航空は単独のマイレージだった。

②服装

昼は、上は下着代りのユニクロ・エアリズムの半袖シャツか綿のフレンチリーブのシャツ。それに日焼け止めを塗るのが面倒なので、長袖のポリエステルのお洒落めシャツ。ポリエステルだとたたむと小さくなってシワにならないから。下はワークマンのポリエステルのパンツかGパン。雨の時はワークマンのバッグインレインジャケット(背中のファスナーを開けるとリュックの上から着る事ができる)を上から着る。面倒なので、持って行った傘は使わなかった。

シャワー後の寝る時は、下は膝下のジャージ(くるぶしまで長さがあるとシャワー室で履くとき面倒)。上はホテルでは半袖Tシャツ。ゲルでは長袖Tシャツの上に半袖Tシャツ。

寒いかと思って持って行った、裏がフリースで表地ナイロンのジャケットは、せっかくなのでゲル3泊目で着た。別にレインジャケットで代用できたけど。

靴は、倉庫バイトの時のウォーキング用の靴と、ゴムだけどオシャレ目のサンダル。

③モンゴルという国

歴史はYoutubeの、ゆっくり解説、ここが分かり易い。

個人的な感想としては、ユーラシア大陸の真ん中にあって、国を維持していくのには、大変なんだなあと。これから、どんどん変わっていくんだろうなあ。

そう考えるとロシアと中国って、国として長い歴史があって、今でも国土を広げようとしていて、凄いと言うか、強いと言うか、図太いと言うか。う~ん。

 

 

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モンゴル7日間 その8 ウランバートル市内観光

2024-08-30 10:00:12 | 旅行記・モンゴル

8月1日 木曜日

7:00 朝食

8:00 ウランバートルに向け出発。広大で静かな風景ともお別れ。

↓ 途中、雨が降り出して、雨が止んだらこんな太陽

また、途中のカルフールで休憩

↓ ウランバートルの、私にとっての目印、火力発電所

 

1.カシミヤ工場&ショップ GOBI 10:45~12:30

仕入れた羊毛から製品化まで一括で行われるカシミヤGOBI Corporationの巨大工場を見学。

見学者用のベスト着用、ガイディングレシーバーを渡され、写真撮影は禁止。今時の工場だなあと思ってたら、ガイディングレシーバーは不調で使い物にならず。結局、工場の人がその場でモンゴル語で説明→ガイドさんが日本語で大声で説明となった。

カシミアの原毛4色の実物を見せてもらう。オーストラリアの羊の毛刈りのイメージでいたら、1頭ずつミニ熊手で産毛を集めるそうだ。遊牧民族の人数と羊の数を考えたら、その方が効率いいかも。

集めた羊毛の埃取りや毛糸にする過程など、丁寧に見せてくれる。体育館の半分位の場所に大型機械が並んでいるんだが、そのほとんどが日本製。JICAが関わっているらしい。

毛糸から製品への過程では大勢の従業員がいて、雇用を生んでて良かった。モンゴルの産業ってなんか他国に美味しい所は持って行かれてる気がして。

↓ ここでは写真撮影OK。従業員が少ないのは、お昼休憩に入ってしまったから。

従業員の食堂(そこも体育館位の大きさ)を通って、店舗へ。

今の、冬でも暖かい東京に住んでて、カシミア製品が必要だろうか?と、終活に入っている私は思い、始めから購入する気ゼロ。羽田空港にもSHOPがあって、値段を比べるとモンゴルの方が60~70%位の値段。お客さんは中国人多かった。中にカフェもあった。

 

2.ランチ 13:20~14:20

ナイラムダル公園内にある、ソウルという大型レストランでランチ。

韓国料理なのか、中華料理なのか、日本風の味付けなのか分からないけど、美味しかった。でも、私はたった中5日のモンゴル滞在なので、ずっとモンゴル料理でも良かったのだけど。

ナイラムダル公園のナイラムダルって友好という意味らしい。緑もいっぱいで、子供たちが安心して遊べる感じの公園。

 

3.スフバートル広場 14:30~14:50

広場の周りをモンゴルの役所関係の建物が取り囲む。

チベット密教の活仏ボグド・ハーンの宮殿と寺院群→1924年にモンゴル人民共和国により解体→1947年からソ連により再構築・日本人捕虜も周辺の建物建築に携わる→1990年のモンゴル民主化から旧建築物の後に高層ビルが建築→2013年チンギス・ハーン広場へ改名→2016年に1923年から使用していたのスフバートル広場へ名称変更

↑ 左の像が、1920年頃に中国からの独立のために戦ったスフバートルの像。後ろ(北側)が政府宮殿(国会議事堂)。スイスの国旗が飾つてあるのは、この日モンゴル史上初めてスイスイの大統領が訪問してて、私たちの見学後、この広場でイベントがあるため。

↓ 政府宮殿のチンギス・ハーン像

↓ 広場東側、日本人捕虜が建築に参加した(させられた)右が国立オペラ・バレエ劇場、左が文化宮殿

↓ 広場西側の左からコミュニティセンター、中央郵便局、ウランバートル市役所。

建物自体は可愛い!

↓ 広場南側のブルースカイホテル

TVドラマ「VIVANT」のロケ地でもある。去年観たけど、なんとなくそう言われればそうかなあ・・・と。

さっきまで晴れてたのにだんだん雨雲が出てきた。スイス連邦大統領の到着時間も迫ってきて、警官の数も増えてきた。この後、車両は通行止めになったらしい。

 

4.ガンダン寺 15:00~16:00

「正式名称はガンダン・テクツェンリン寺。モンゴル最大規模の仏教寺院で、5000人にも及ぶ僧侶を擁し、モンゴル仏教界の最高学府。チベット密教の活仏ボグト・ハーン5世によって1838年建立。大モンゴル国最後の皇帝ボグド・ハーン8世(1911~1924年)が盲目になっていまったため平癒祈願に観世音菩薩像を作ったが、1938年にソ連に持ち去られ、寺自体も閉鎖・破壊され、スターリンの指示で約1,000人の僧侶が粛清された。しかし、1944年から復興が始まり、社会主義の監視の下に1990年までにほぼ復興した。」

①右側の囲いの中

1956年に第8代ボグド・ジェブズンダンバの遺骨寺院として設立されて、今は図書館とか資料館の役割があるらしい。

中は撮影不可。仏像があったと思う。

私が生まれる5年間の建物なのだが、古いなあ。年季入ってるなあ・・・。と、自分の年齢を突き付けられた感じ。

↓ お祈り(五体投地)のための台

 

②1938年の破壊を免れた柱

↓ 雨の中、柱を時計回りに回りながらさすっている人々

「ガンダン寺を破壊しようとした人々が柱を取り除こうと、柱にロープをかけ、車で引っ張ったそうです。それでも柱は倒れません。倒れないのであればと、今度はのこぎりを使って柱を切り倒し、火をかけたそうです。するとなんと、この柱が血を流したのだそうです。それを見て柱を壊すのをやめたという言い伝えがのこっているようです。
それ以来、この柱にはガンダン寺の魂が宿っていると考えられ、いつしか、この柱にお願い事をすれば、夢がかなうという言い伝えに変わっていったのだそうです。」

 

③観音堂

釘が1本も使われてない観音堂。

「1996年再建の機運が高まり、多くのモンゴル人篤志による寄付金が寄せられ、再び建立されました。首都西方のエルデネット鉱山産出の銅を使用し、金箔仕立ての極めて美しい二代目仏像として蘇ったのでした。」

↓ 二代目観世音菩薩像

25mの高さがあるので、お顔はよく見えない。もらったパンフレット表紙のお顔 ↓

↓ 右手の上の手

↓ お供物のお菓子

周りはマニ車とガラスケースに入った小さな仏像

小さな仏像はお寺に寄付をした人の仏像で、一体一体顔が微妙に違うそうだ。

今、家で寺の歴史を調べると「ええっ!」と思うが、実際に見学している時はただ見てた・・・。

 

5.ノミンデパート 16:15~17:30

社会主義時代に建てられたモンゴル最大のデパート。

内装は綺麗!

6階の土産物売り場へ行ったみた。

可愛いなあと見る。

1階と地下1階の食品売り場へ。

日本か? モンゴルの年配の人は野菜=草=家畜の食べ物という考え方なのでが、若い人は野菜(=輸入品)を採りたいそうだ。物価は日本と同じ。

一応、チョコや蜂蜜や松の実、ウオッカなど、日本円で3,000円位購入。会社辞めたからバラマキ土産はいらないし、親も妹も友人も「お土産もらうと、自分も買わなきゃいけないからいらない」派だし。

↓ チョコ

左のゲル型パッケージの方がチョコが個装になっている。1,200円前後。右のは8個位、PPの形にチョコのままセットされてて750円位だったよーな。

 

6.ビートルズ通り

時間が余ったので、ノミンデパート前の“ビートルズ通り”という広い歩道を散策。社会主義時代にモンゴルではビートルズが流行って愛されたそうだ。

アンブレラ通りにしていて、両脇には出店。ほとんど閉まっていたが、開いているお店は新入学用品を扱ってた。

これが、ビートルズのモニュメント。このもっと先にサーカス場があって、ガイドさんが「大分前に朝青龍が買い取ったけど、何ができるんでしょうかねえ」と言っていた。他の人のブログで朝青龍はモンゴルであまり好かれてない説があった、うちのガイドさんの言い方もそんな感じだった。

↓ 通りの両側のビルには壁画が描かれてた。

↓ ウランバートルでは、電動キックボードや原付のレンタルが発達してた。

たった3泊ゲルに泊っただけなのに、ウランバートルの人の多さと空の狭さに気持ち悪くなる。

 

7.夕食&ボグト・ハーン宮殿博物館 18:15~20:00

夕食は“HOT POT(火鍋)”というのが店名で、旅行会社の日程表によると“しゃぶしゃぶ”です。鍋は個人個人だった。そりゃそうだ。

肉は、羊と鶏と牛。チャーハンまでは流石に食べられなかった。

同じビルにあったラーメン屋さん。(知らない)と思ったら、関東にないけど世界14ヵ国で展開してる熊本ラーメンの店だった。

そして、やはり同じビルに映画館が入っているのだが、モンゴル映画以外に

「マッドマックス:フュリオサ」「クワイエット・プレイス:DAY 1」そして「劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦」だ!! 良いラインナップだ。

そして、道路の向かい側に変わった建物があったのでガイドさんに聞いたら“ボグド・ハーン宮殿博物館”だった。

ボグド・ハーン8世の宮殿は、ここの冬の宮殿以外はソ連に破壊されてしまって、残っているのはここだけ。スフバートル広場にあった宮殿は主に夏に使用していたらしい。

この白い建物の窓の飾りはペンキで描いてあったので、なんだ?ここは?ドイツのフュッセンか?と思って不思議に思ってガイドさんに聞いたんだが、今調べると、建物の向こう側は綺麗にしているけど、道路側はペンキで描いているみたいだ。

結構、良い博物館みたいだ。

 

8.ホテルへ

雨がどんどん酷くなったきた。

東横INNにチェックイン。どうせ、明日朝5:00出発だからとホテル側は思ったらしく、2階で(まあ、これはむしろありがたい)、テレビが壊れてて、前にはあったスリッパもなかった。笑

↓ ホテルの窓から

雨が止んだからと21:00なのに、子供が遊んでる。平和だ。

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モンゴル7日間 その7 ホスタイ国立公園-2

2024-08-29 19:26:50 | 旅行記・モンゴル

7月31日 水曜日

タヒではない。

 

2.鹿石

20分位北に走って、“鹿石”へ。

右側の、古い木の柵の中に立っている。高さは、1.5m位。

模様は残っているんだけど、正直、私には鹿(トナカイらしいが)に見えない・・・。本当に鹿(トナカイ)なのかなあ。

鹿石はモンゴルはじめ中央アジアと南シベリアに1,200体以上発見されていて、モンゴル北部のフブスグル県と中央部のアルハンガイ県の鹿石は2023年に「鹿石および青銅器時代の関連遺跡群」として世界遺産に登録されている。まだ、日本語のページがなかったので、Google翻訳したら「モンゴル中央部のハンガイ山脈の斜面にあるこれらの鹿石は、儀式や葬儀に使用されていました。紀元前 1200 年から 600 年頃のもので、高さは最大 4 メートルで、単独またはグループで地面に直接設置されており、ほとんどの場合、キルギスールと呼ばれる大きな埋葬塚や犠牲の祭壇を含む複合施設内にあります。高度に様式化された、または表現的な雄鹿の彫刻で覆われた鹿石は、紀元前 2 千年紀から 1 千年紀の間に発展し、その後徐々に消滅したユーラシア青銅器時代の遊牧民の文化に属する最も重要な現存する建造物です。」だそうだ。

こちらの方のページにも詳しいです。

「紀元前7世紀頃から紀元前3世紀にかけてユーラシアのこの地域を勢力下に置いていた乗馬遊牧民、スキタイ人が手がけたのだと考えられていた。しかし、いくつかの石の近くで発見された馬の頭蓋骨の放射性炭素年代測定は、スキタイ文化が後期青銅器時代(紀元前10世紀前後)に定着する前に作られたことを示しているという。」という事で、良く分からなくなったらしくて、「ムー」のWEBページにも取り上げられてる謎の遺跡らしい。

で、鹿石の周辺には、へラクスル(古代のモンゴルの王権の象徴とされる建造物(Wikipediaより)→私の感想:古代に“モンゴル“という概念はなかったので、カラスク文化かスキタイ文化の貴族の墓だったのではないか)が残る。

↓ 石積があって、直線状に並べられた石がある。 

↓ ストーンサークルも3ヵ所見つけた。

周辺は、石が採り易い丘になっている。

 

3.奇岩とタヒ

さらに東へ向かう。だんだん、緑一色の丘から、花崗岩剥き出しの丘へ。

と、運転手さんがタヒ発見!

確かに稜線に何かいる。肉眼だとこれくらい。さすが運転手さん!

↓ カメラで撮影して、拡大するとこれくらい。

確かに、家畜の馬とは違う!

だが、私は周辺の奇岩に目を奪われる。

↓ 名前があってもいいような岩だ。

↓ 枝がモジャモジャしているのは、ワシ(多分)の巣らしい。

そして、また走る。

そして、また運転手さんがタヒ発見!

さらに走ると、いきなりの土砂降りに。

タヒの観察ポイントに到着。田舎のバス停の待合室よりちょっと小さな建物が2コあって、固定された望遠鏡があり、民族衣装を着たおじさんもいるんだが、雨が凄すぎて、首からかけた自分のカメラをレインジャケットから出す気がせず。おじさんの望遠鏡でタヒを確認したら、ガイドさんにスマホを渡して望遠鏡越しに撮影してもらう。

今年16頭しか生まれていない仔馬もいる。タヒも3回も見られてラッキー!

観察ポイントには欧米人の人も。人石に向かう時にはピクニックしている欧米人もいたけど、よくこの轍しかない公園内で道が分かって自動車を運転できるなあと思っていたら、雨の中、ツーリストキャンプに戻る私たちの自動車を、欧米人が乗った自動車が待っていて、そして後を付いてきた。だよね。

なかなか楽しい国立公園だった。本当は公園内にもっと遺跡があるんだが、ツアーだからしょうがない。

 

4.夕食 19:00~20:00

↓ サラダ

ランチの時、ツアー客皆に「夕食はチキンとカルボナーラのパスタのどちらにしますか?」と聞かれたので、私が思わず「パスタ!」と答えたら、夕食全員パスタになってしまった。

出てきたパスタはチキンがのったミルク味のパスタだった。どっちみちチキンだった。完食したけど。

デザートにオレンジが出たと思う。

その後、雨は小降りになった。夜は気温15度位あるのでそんなに寒くなないのだが、ツアー客の半分位の人が(最後のゲル泊だから)とストーブに薪を1本くべてもらって気分を味わったそうだ。

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モンゴル7日間 その6 ホスタイ国立公園-1

2024-08-25 14:28:20 | 旅行記・モンゴル

7月31日 水曜日

7:00朝食、8:30出発 

ホスタイ国立公園へ約180㎞移動。

来た道路を戻るルートになるので、ブルドに来るときに寄ったスーパーでトイレ休憩を1回。

そのうち舗装した道を外れて、バスは走る。

 

1.HUSTAI TOURIST CAMP

12:00過ぎに、今日の宿泊地でもある“ホスタイツーリストキャンプ”に到着!

ここはホスタイ国立公園に隣接していて「生物学や生態学の研究者やレンジャーの活動のインターン、国際的な会議や外国からの訪問団の視察など、観光客以外にも国内外の多くの人が訪れるため、国立公園の保護活動をささえる資金調達のため、委託されたNPO団体が運営するツーリストキャンプは通年営業しています。」

なので、今年の年始には、日本人のツアー客70名近くがここでランチしてタヒ(世界最後の野生馬でモンゴルの固有馬)探索をしたらしい。

スタッフ用の建物は鉄筋コンクリート(多分)。バルコニーのあるゲルはシャワー・トイレ併設の高級ゲル。私達は共同のシャワー・トイレです。

↓ レストラン

↓ 早速ランチ。ビュッフェスタイルだった。

↓ 2皿目は半分以上食べてから、思い出して撮影。

↓ 私が泊る、シャワー・トイレ別棟のゲル

シャワーは、ブルドのツーリストキャンプより温かかった。ここは静かなキャンプだった。

 

2.博物館(ツーリストキャンプ内)14:20~14:40

ホスタイ国立公園内の動物についての展示。メインはタヒ(蒙古馬)についての説明。世界最後の野生馬。16世紀の世界中で絶滅したと思われていた野生馬がモンゴルにいた!とヨーロッパ人が発見。保護しないでヨーロッパの各動物園に送られて、元々食用にもされていたのでモンゴルでは絶滅。ホスタイ国立公園が復帰場所とされ、1992年にヨーロッパから16 頭のタヒが里帰りして、飼育下で2023年時点で420頭まで増えたそうだ。

 

3.ホスタイ国立公園探索 15:00~18:50

ホスタイ国立公園って、屋久島と同じ位の面積らしい。

↓ このロシア製のバンと別のバンの2台に分乗。ロシア製のバンの方が乗り心地が悪いと説明があったけど、どちらも似たようなもんだった。Roadと表示されてるけど、轍の跡があるだけで、凹凸のある草原を40㎞位で走る。

揺れるし窓ガラスは汚れているので、写真は撮れない。道路沿いにシベリアマーモット(タルバガン)が数匹肉眼で見る事が出来た。

シートベルトもないので、手足を踏ん張って、揺れたり跳ねたりする乗り心地を楽しんで50分ほど。

地図の左下にある“Ungut Grave”に到着。

 

①人石(Ungut Grave)

おおっ!なんじゃこりゃ! 草原の中に唐突に立っている石達!ガイドさんは「昔の王様のお墓です」という解説で、“石人”が何か、なんで“Ungot Grave”なのか良く分からない。

現地のプレートには英語で解説があった。Google翻訳すると“「ウンゴット」墓、この墓地には中央アジアで最多の人型石が 32 体あり、紀元 6-7 年のテュルク系ハン国に由来しています。この墓地には石の礼拝テーブル、壁、ライオンと羊の像もあります。2.1 km にわたって 552 個の「バルバル」石が建てられています。考古学者によると、この墓地はトゥラキの高位貴族のものであるとのことです”

↓ ライオン

で、家に帰ってから調べると、このエリアは「古代の居住と使用の痕跡が数多く残っています。最も古いものの中には、トゥール川渓谷の台地や内部の渓谷の一部に点在する多くの新石器時代の墓があります。最も古いものは 4000 年以上前のものだと言われています。しかし、最も見事な墓地は公園の西側の境界線のすぐ外側にあり、いくつかの彫像で構成されています。この墓は、比較的最近 (約 1200 年前) にトルコ系の人々 (オンゴット) によって建てられました。 神聖なホスタイ山は、地元の人々によって長い間崇拝の対象となってきました。これにより、長年にわたって山とその生態系は、その資源の過剰利用から十分に保護されてきました。

なるほど。このエリアは遺跡や史跡の宝庫だったんだ。

中央アジア最大の石人の集結”だそうだ。

「30個の男石があり、両手は尊敬の象徴である石の囲いに向かって胸に彫られています。」トルコにある人石は、右手に盃を持ち、左手で武器を持っているそうだが・・・。

トルコ系の人々 (オンゴット)は、私の年代だと高校の世界史で習った“突厥(とっけつ)”という6世紀中から8世紀中まであった、トルコ系騎馬民族。テュルク系ハン国。

なので、トルコにも人石があるそうだ。モンゴルの他の場所にももちろんあるそうだ。

人石の多い場所のみ保護のため鉄柵で囲われているが、鉄柵のドアの鍵はドライバーさんが持ってるのかな? 1m位なので乗り越えられるけど。

「55 m x 38 mの土塁がモニュメントアンサンブルを囲んでいます。考古学者たちは、ウンガット記念碑が考古学的発掘調査の数を経て、貴族のための供物の場所であったことを明らかにしました。30個の男石があり、両手は尊敬の象徴である石の囲いに向かって胸に彫られています。発掘調査では、木製の柱脚、建材、屋根瓦など13点が見つかり、ウンガット記念碑は供物場であると結論付けられました。男の石やさまざまな石像を除いて、日の出方向に2km伸びる550以上のバルバルストーンがあります。」

↓ 祭壇跡かな?

↓ 柱状列石じゃん。

「日の出方向に2km伸びる550以上のバルバルストーンがあります。」

バルバルって何と思ったら、トルコでは人石の事をバルバルというらしい。

モンゴルで柱状列石に会えるとは! 感激!

私の乗った自動車はバルバルストーン沿いを走ってきたのに、車高が高すぎて気が付かなかった・・・。

人石は花崗岩だったけど、バルバルストーンはいろんな石が混ざってる。片方だけだけど、エジプトのスフィンクス参道みたいな感じだったのかな?

2㎞、歩いてみたかった。

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モンゴル7日間 その5 カラコルム(ハラホリン)世界遺産「オルホン渓谷の文化的景観」

2024-08-23 15:28:24 | 旅行記・モンゴル

7月30日 火曜日

6:00頃起きる。外のトイレに行かなくちゃ。

7:00朝食

8:30出発と言われていたが、皆早く集合して、出発。一気にカラコルム(ハラホリン)へ。

↓ カラコルムに近づいてきたら、こんなストゥーパ(仏塔)みたいなのも草原に見えた。

そして、車窓からカラコルムのエルデネ・ゾーの白い仏塔と外壁が見えてきた。

そう、「チンギス・ハーンが大西征の兵站基地をこの地に造営し、第2代オゴデイが1235年に宮殿・城壁を築いてモンゴル帝国の首都に定めた。オゴデイの時代にジャムチ(駅伝制)が整備され、モンゴル帝国各地との結びつきが強められた。」モンゴル帝国の首都なんだけど、その頃の建築物は、16世紀末にチベット仏教の寺院エルデネ・ゾー建設の資材になってしまった。おまけに社会主義時代のスターリン政権下では寺院のほとんどが壊されてしまっている。

なので、元時代の首都カラコロムの痕跡はほとんどなくて、破壊を免れたルデネ・ゾー(ゾー=寺)の建物が残っているだけなのだ。寂しい現実。

 

1.エルデネ・ゾー 9:50~11:50

①西門

周囲は一辺420mの正方形で、全部で108の白い仏塔と壁に囲まれてる。けど、最盛期は62の寺院と500棟の建物を擁し、1万人の僧侶がここで修行していたけど、そのほとんどが壊されてしまったので、この塀の中は北側は賑やかだけど、南側はガラーンとしている。

 

②ゴルバン・ゾー

残っている中国風建築の3伽藍。木の柵に囲まれている。入場料別途だからかな?

入り口。

↓ 敷石にも、カラコルム時代の壊した建築物が使われているかもというので、写真を撮ってみる。

何か痕跡はないかと敷石を見てたら、ゴルバン・ゾーの入場券売り場で、建物内部の写真撮影代の日本円で約1,000円を払う気でいたのに、ガイドさんも「撮影代払う人はいませんね?」とツアーの人達もとっとと中に入ってしまったので、走って追いかける。

なので、内部の仏像や刺繍の曼荼羅などの写真はなし。寺院のモンゴル語での説明ガイド→うちのツアーの現地ガイドが日本語で説明してくれた。でも写真ないと、忘れちゃうんだよねえ。ネットでは詳しい説明も、写真もなかった。ちなみにここが公式HP。

↓ 外側の写真です。左から西寺、中央寺、東寺。

↓ ネットから拾った3寺院の全体像

↓ 真ん中の中央寺

↓ 東寺

↓ ネットから拾った仏像

 

③ソボルガン塔

「境内にある巨大な仏塔はソボルガン塔といい、堕落した僧侶たちを戒めるものといわれる。」だそうだが、広大な大地に立つので、ちっとも巨大に見えなかった。

 

④(多分)ラフ寺

↓ ラフ寺からのゴルバン・ゾー

 

⑤ミニ博物館

この建物の中は写真撮影OKだった。

 

⑥ラブラン・ゾー

外から見ただけ。今も修行が行われているそうだ。

 

⑦東門

ここを出て、モンケ・ハーンの寺址&亀石まで歩く。

後ろを振り返ると、歩いたなあ。

 

2.モンケ・ハーンの寺址&亀石

二つともすぐ近く20m位の場所にあるんだけど、このモンケ・ハーン(元の第4代皇帝)の興元閣という跡地で、当時の柱の跡(礎石跡?)が保護されていた。

この白い四角い四角の中に柱の跡。

ああ、残ってたんだあ。

で、その横に背中の四角に碑文が立っていたという、元時代の亀石。本当は亀趺(きふ)というらしい。

一応、発掘作業は各国の協力でやっているらしいんだが・・・。何も残ってない元時代の首都。でも、モンゴル国としては、《元=モンゴル帝国時代》にアイデンティティを見出している・・・。不思議な感じ。

駐車場まで実際より遠く感じた。平原なんだもん。

 

3.ランチ 12:00~13:20

エルデネ・ソーのすぐ近くの、“ハラホリン・ホステル&レストラン”。

ガイドさんはボルシチと言ってたが、多分違う。

ビーツはあったけど・・・。

 

4.小高い丘 13:40~14:00

バスはレストランからゲル集落を抜けて丘の麓で適当に停まる。登る。

正直(どこが、世界遺産のオルホン渓谷の文化的景観なのだ?)と思ってたら、丘に登ってハラホリンの町の反対側を見たら、あった!

確かに渓谷だあ!

反対側は、ハラホリンの町。

向こう側はエルデネ・ゾ―の近くなのでビルが並んでるが、手前側はゲル集落。また、雨がポツポツ降ってきた。

 

5.ブルド砂丘 15:30~16:20

旅行会社の日程表に“ブルド砂丘”とあるので、ガイドさんとしてはこなさなければならない。雨と風の中、宿泊しているツーリストキャンプの近くのラクダや馬に乗れる場所へ到着。

ただ、ここで使えるのは現地通貨のみだったので、30,000トゥグルグ持っていたエルデネ・ゾーで写真撮影代がかからなかった私と、ビールを飲まない一人参加の女性2名の計3人のみが乗馬体験をする。他の人は何をしていたのかは分からない。バスにいたのかな?

馬といっても、ロバみたいな小ささだし、鞍があるから内腿に力をいれなくていいし、少年が引率するので、楽。のんびり20分位歩く。写真代がこっちになって楽しかったかも。

その後、ツーリストキャンプに戻る。

 

6.夕食 19:00~20:00

 

7.砂丘散歩 20:00~21:00

雨も止んだし、濡れて砂丘も歩きやすくなっただろうし。ツーリストキャンプの近くの砂丘にお散歩。

雨を含んでいるので、足が埋まらないで歩ける。砂丘と草原の両方が身近に体験できて不思議。

ラクダの死骸もある。骨はいろんな所に落ちていた。

遠くに見えるのは、私のツーリストキャンプ。

こちらは遊牧民のゲル。

ヤバい!暗くなってきた。

お散歩終了。その後シャワーを浴びる。

 

8.星空を眺める 22:15~23:15

“レジャーシートとスープもご用意。星空を眺める”というのも日程表に入っていた。昨夜は雷雨だったけど、今夜はどうでしょう? 

ガイドさんからは開催する場合は23:00からと言われていたけど、もう星は出てたし、またいつ天候が変わるか分からないので、隣のゲルの1人参加の女性と二人で先にツーリストキャンプの駐車場の先の光が届かない場所へ行く。一応ツアーの他のお客さんにはその旨伝えたので、しばらくするとガイドさんやツアー客の皆さんが集まり出した。

あらあ、星が見えるじゃないか。おまけにα6400のオートモードで写真が撮れる! 凄いなあ、カメラって。

でも、半球の夜空の南端と北側は雷が光ってる。

流れ星も写真に写ってる。

レジャーシートに寝転んで、ガイドさんがレーザービームで星の説明をしてくれる。スープもご馳走になった。

↓ 北斗七星が良く目立った。

その後、だんだん雲が出て来たので、ナイスタイミングだった。満喫!

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モンゴル7日間 その4 ブルドへ、そして遊牧民宅訪問

2024-08-17 18:31:53 | 旅行記・モンゴル

7月29日 月曜日

8:00出発!今日は300km程移動する。

 

1.“ザイサンの丘”の代替えの丘 8:20~8:30

旅行を申し込んだ際には、“ザイサンの丘”に登って(階段が600段あるらしい)ウランバートル市街を眺めるはずだったんだが、この階段が工事により最近、閉鎖されたらしい。なので、ザイサンの丘のさらに南側の丘にバスで登って、そこから市街を眺める。

正面の緑の丘がザイサンの丘で、頂上の白い塔がモニュメント。丘の手前の緑っぽい大きな建物はアパートメント。丘の向こうの高層ビルがウランバートル中心地。その向こうの灰色のモヤモヤした所はゲル集落。

 

↓ ザイサンの丘を拡大

 

↓ ザイサンの丘をさらに拡大

 

2.ウランバートルからブルドへ  8:40~13:40

↓ ウランバートル市内の目印の火力発電所

↓ トール川 毎日夕方には雨が降るので、結構な水量

↓ そしてちょつと郊外に行くと

↓ 菜の花はちょっとした木の杭で目印がしてある畑

油を採るためなんだが、刈り取ると中国に運んで、中国で菜種油に加工するそうだ。

バスがブレーキを踏むのは、道路を横断するため家畜をよけるため。

トイレ休憩は2回。

↓ 1回目はカルフール! 日本からは撤退したので初めて入った。

毎日ガイドさんから、500mlの水の配給はあるけど、これからゲルに3泊するので1.5リットルの水のペットボトルを購入。ゲルはトイレ・シャワーは別棟になるので、水の設備はない。

↓ 2回目の休憩のスーパー

↓ ツバメが巣を作ってたんだが、モンゴルのツバメって、お腹が白じゃなくてオレンジっぽい茶色

↓ 町

↓ 自動車とバイク(馬も使用してたけど、結構バイクで家畜を追ってた)は遊牧民の必需品らしい。

そして、アスファルトの道路を外れて、草原の轍の道をさらに20分! 

 

3.ランチ 13:40~14:30

本日から2泊するツーリストキャンプに到着! さっそくレストランの大きなゲルでランチ。

なんと、レストランでは結婚披露宴の最中。調度、ケーキ入刀してた。この一画でランチ。

サラダは、人参サラダ(キャロットラペみたいの)

そして、おすそ分けに結婚式のケーキを頂く。

さらに、結婚式の飾り(?)のアーロールなどのチーズの盛り合わせを、ツアーのお客さんが所望してそれもおすそ分けに与る。

 

4.BAYANGOBI(バヤンゴビ) TOURISTCAMP

ここに2泊した。

↓ 私のゲル

部屋にはバスタオル1枚。コンセントも1つ。マルチタイプだった。コンセントも1つあれば、スマホとカメラの充電、ドライヤー、そして持っていった携帯用湯沸かし器も使えたので、コーヒーも飲めた。1人部屋だからね。

入ると中は広い。夜になると虫が凄いと聞いたので、「キンチョーの蚊がいなくなるスプレー」をシュッ―とはした。蚊はいなかったような気がする。羽音がうるさかったのはハエ。朝になると1㎝に満たない黒い虫が床に10匹以上死んでた。寝てるとたまに顔に止まってた。スプレーが効いてたのかな?

↓ トイレ&シャワー棟

トイレは4つ。シャワーも4つ。シャワーのお湯の温度は、体感「水ではない」という程度。冷たくて浴びれない程ではない。

 

本当に“キャンプ”場みたいな感じだった。特に不便は感じなかった。まあ、ダイビングしてた頃はインフラのない島とか泊ってたからなあ。

ただ、このキャンプの経営が韓国系なのか、スタッフにも韓国人がいた。昼間の結婚式の旦那さんの方は韓国人。夜はその親戚がキャンプファイヤー&韓国語のカラオケ。翌日も韓国人の団体が各ゲルで騒ぐので一時間位しか眠れず。注意するとゲルの外で騒ぐのは辞めてくれるんだが、ゲルの中で宴会するので声が筒抜け。なんか、2泊で一生分の韓国語を聞いたような気がする。

次の予定の遊牧民のお宅訪問まで時間があったので、ツーリストキャンプの近所を散歩。

キャンプの近くに幅は狭いんだけど細長い砂丘がある。

ピラミッドみたいな山。

近くに遊牧民のゲルがあって、そこの馬やら羊やら牛がいっぱい!

小川もある。

馬や牛が草を食べる時、草をむしる音が結構大きく聞こえる。鳴き声以外、それぐらいしか音がないからねえ。

 

5.遊牧民のお宅訪問 17:00~18:30

キャンプを16:30に出発。草原の轍道を30分位走る。

ゲルは全部で8個位あった。多分、観光客も泊まらせてるような感じだった。

遊牧民の方2名とツアー客13名とガイドさんが入っても、全く狭さを感じさせないゲル。テーブルの上には保存食のチーズ。木の樽みたいの中には馬乳酒。その右横の洗面器みたいのに馬乳酒を入れて、客人(私達)が回し飲みをする。宮古島のオトーリみたいだなあ。飲み干さなくていいし、度数は違うけど。

ガイドさんは馬乳酒が大好きだそうで、ガバガバ飲んでた。薄いヨーグルトみたいな感じで、アルコールはあまり感じなかった。

この子は、学校には親が自動車で送迎するそうだ。

↓ ストーブ

ツーリストキャンプのストーブは薪だけど、遊牧民は家畜の糞を使用。家畜はハーブを食べてるから良い香りがするからと、実際火をつけて匂いをかいだ。全く臭くはないけど、良い香りがするという程ではなかった。

↓ 家族にとって大切な物コーナー

↓ ゲルの外側

↓ 近所の人がバイクで馬を集めて

家族で馬乳酒のために、馬の乳を搾る。

そして、野趣溢れるホルホグの作り方!

首と足を落として、足部分を閉じて、袋状にした羊の皮の中に、羊の肉と根菜と焼けた石を交互に入れて、首の閉じる。

さらにバーナーで外側からも焼く。多分欧米人が2名位いたので、その人達の晩御飯かな。

モンゴルって大卒率が98%なんだって。だから遊牧民も大卒。今回訪問した遊牧民の一家は1,000頭程家畜を飼っているので、かなり裕福らしい。いつまで遊牧民を続けていくんだろうか。

 

5.民族衣装試着

ツーリストキャンプに戻って、旅行会社の日程表にあった民族衣装の試着。でも、黒いガウンみたいで、可愛くない・・・。

 

6.夕食 19:00~20:00

もっと出たような気がするが、多分写真撮るのを忘れて、食べたんだろうなあ。

 

夕陽が沈むのが21:00頃。

で、この日の夜は11時頃から雷雨となった。

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モンゴル7日間 その3 テレルジ国立公園&夕食&花

2024-08-16 16:38:43 | 旅行記・モンゴル

7月28日 日曜日 その2

テレルジ国立公園

入口、ゲートのある町はモンゴルじゃなくて、例えばニュージーランの新しい観光地の町みたいな感じだった。なんか外国人が開発したような・・・。

 

4.アリヤバル寺院(Aryaval monastery)14:50~16:20

私の目的、亀岩を通り越して、まずは寺院の駐車場へ。

「アリヤバル寺院は1810年代にモンゴル人とチベット人の芸術家によって建てられ、Manzushir修道院の仏教僧が瞑想のためにやって来ました。しかし1930年代後半にモンゴルの共産主義者が寺院を破壊。その後2000年代になって寺院の修復作業をしたそうです。」

寺院にたどり着くには108段の階段を登るとは聞いていたが、大型バスの駐車場(大型車が駐車できる空き地)からこの門まで、そして108段の階段下までも結構歩いた。

私は岩が楽しい! 花崗岩が面白い割れ方をしてる。やっぱり高知の唐人駄馬遺跡も自然石のままだよなあ、と確信する私。

↓ この岩、何か名前が付いているのかとガイドさんに聞いたら、「適当に好きな名前をつけていいよ」だそーだ。高さ10m以上あるんだけど。

そして、モンゴルでもフォトウェディングが流行中!

上の画像のグループとは別の花嫁さん ↓ 写真撮っていいかと身振りで聞いたら、この笑顔!

寺院は、まだ先~! 途中の花(高山植物 標高1,400mだから)がいっぱい咲いてて、きれいだった。

岩肌にはチベット文字やら仏様やら。

階段は、そんなにきつくなかった。倉庫バイトで体を鍛えてる(?)からだろうか。

お坊さんいたけど(写真は撮ってはいけない)、スマホで動画を見てた。2024年、平和な時代だ。

建物の外装も楽しい!

↓ 地獄

↓ パンダ

↓ マニ車 寺院を一周して全部回してみた

寺院の左側の、ミラレパのお堂 ↓

中には緑の石の不気味なミラレパさんが ↓ 

「裸同然の姿で過ごし、食事としてはイラクサを煮たものだけで、体の色も緑色に変色した」という逸話を表現しているらしい。

ここからの見晴らしが素晴らしい! 山蔭が多いので、松の木や白樺の木も生えてる!

真ん中に見えるのが、亀岩。だが、裏側から見ると全く亀に見えない!

 

5.亀岩 16:30~17:00

駐車場という名の空地に戻ってバスで亀岩へ。が、ここに大きい土産物屋のゲルがあり、ツアー客さん、私以外全員そちらへ。

1人で楽しむ。自分が入った写真は、白人の観光客に撮ってもらう。

岩の後から登って、↓ こんなふうに首の窪みに登れる事を私は知っていた。

だが、私1人で登って怪我でもしたら・・・と、おばさんは諦めた。

オボー

観光地なので、鷹匠体験みたいな事もできる。

↓ 乗馬体験も

雨がポツポツと降ってきた。

ウランバートルに戻る。途中、雷雨となる。が、雨が止むと太陽。

↓ 蛇行している線路に、長~~い貨物列車

 

6.夕食 18:40~20:00

ウランバートル市内の、外装は地味だけど、内装がやたらお洒落なレストラン。

店の名前は読めない。

↓ 多分、ボールツォグとヨーグルト

↓ スーティ・ツァイ ミルクティーと訳されるが、しょっぱいけど味が薄いミルク

↓ シュル(スープ)

↓ メインのホルホグ

羊の肉だが、全然臭みはなくて、心地よい脂と甘みがあった。本当はナイフで食べるらしいが、もちろん手掴みで食べた。

あとチャーハンとデザートにアイスも出た。

 

7.お散歩 20:15~

緯度が高いため、まだまだ明るいのでホテルの周りを歩く。

こんなふうに、メインの道路の建つ8階(だったかな?)までのベージュの建物がソ連時代のアパートメント。(ガイドさん曰く)民主主義になって、その手前に入り口を増築して店舗にした店の看板は英語表記が多い。

バスに時刻表はなくて、適当にやってくるそうだ。乗用車は、ほとんどが燃費がいいからトヨタのプリウス。渋滞緩和のため、ナンバープレートの数字で走ってはいけない曜日があるのだが、お金がある人は2台目のプリウスを買ってしまうそうだ。

↓ 露店では輸入した果物や野菜が売っていた

↓ そこら辺中にあった、コンビニのCU

100mおきにあるんじゃないかと思う位、いっぱい! 韓国資本のコンビニなので、ほとんどが輸入品。

翌日は移動日なので、バスでお腹が空かないように、お菓子やライチのジュースを購入。ゴールデンゴビのチョコは、モンゴル産なので、お土産に購入。値段は日本と変わらなかった。

 

8.花(高山植物&ハーブ)

ランチを食べたツーリストキャンプとアリヤバル寺院で、あまりにも花が咲いていてきれいだったので、撮影してみた。花の名前は正解かどうかは分からない。

↓ キジムシロ

↓ デルフィニウム

↓ スカビオサ(マツムシ草)

↓ 分からない

↓ エーデルワイス 歌は素敵なんだが・・・

↓ ヤナギラン

↓ サイヨウシャジン

↓ ルリタマアザミ

↓ ワレモコウとノアザミかな?

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モンゴル7日間 その2 日本人慰霊碑&チンギスハーン騎馬像&ランチ

2024-08-12 22:36:08 | 旅行記・モンゴル

7月28日 日曜日 その1

7:00から朝食で、8:30出発!

 

1.ダンバダルジャー日本人慰霊碑 8:50~9:20

ウランバートル中心から北へ。ダンバダルジャー寺院近くにある、モンゴルで亡くなった日本人捕虜の慰霊碑

円盤状のオブジェにモンゴルの地図。門のような慰霊碑に続かない、円盤の上の線の延長線上には日本がある。

↓ 車窓から見えたダンバダルジャー寺院の一部

ソ連に日本人捕虜の抑留、ダンバダルジャー寺院の衰退など、ソ連と共に歩んだモンゴルの近代史がここにあった。モンゴルの文字もロシアの文字だし。

そして、周辺はゲル集落

遊牧民が遊牧を辞めて土地を買い、囲いを建てる→手持ちのゲルを建てる→昔ながらのトイレを敷地内に建てる→木造の家を主に自分達で建てる→鉄筋コンクリートの家を建てると言った順番らしい。現地ガイドさんによると、スラムではなくて、中にはお金持ちもいるらしい。

 

一度ウランバートル中心に戻り、今度は東へ60㎞弱。遊牧民のゲルを見ながら移動。途中で一度外資系スーパーに寄り、トイレ休憩。

 

2.チンギス・ハーン像テーマパーク 10:50~12:00

この騎馬像は、一般の人が100万円位を払うと1騎作る事ができるらしい。将来的には百騎になるそうだ。多分。

不自然に大きい!

台座の中 ↓

もちろん、像の上まで登ってみる。途中までエレベーターだが、その後は狭い階段を上がる。2008年と最近建てられたのに、なんでこんなに狭い階段なんだ?

13世紀村というテーマパークでもあるので、周辺にはツーリストキャンプや乗馬・コスプレサービスなどいろいろな施設がある。

台座の地下1階は博物館。

↓ 馬頭琴

↓ モンゴルの元々の文字。義務教育でも習うらしい。

真ん中に、MONGOLと書いてあるんだが、アルファベットを縦書きにしてる・・・。

ダンバダルジャーに行ってからここに来ると、民族のアイデンティティ13世紀まで遡ってチンギス・ハーンに頼っているよな感じが・・・。

 

テレルジ国立公園に向かって移動。

モンゴルの人向けの街道の食堂街。入り口を入るとその先はもちろんゲルだそうだ。

だんだん、観光客向けのツーリストキャンプ(宿泊用ゲルとレストランの集合)が目立つようになる。あと、花崗岩の岩山も目立つようになる。

 

3.ランチ&ゲルの組み立て体験 12:50~14:40

ツーリストキャンプのレストランでランチ。

民族衣装の女性にお出迎えされる。右手の器の中には保存食のチーズのアーロール。甘酸っぱい、モアッとした味わい。

入ると広くて立派なレストラン。

ビールは旅行期間中ずっと、500mlの缶ビール(350mlはないと言われた)は1万トゥグルグ(500円)、たまに生ビールがあって1万5千トゥグルグ(750円)と言われてた。薄い紅茶が、日本のお茶代わりにサービスされる。

ラインナップは、サラダ。野菜は、中国やロシアからの輸入品。モンゴルでは野菜の栽培があまりできないそうだ。2ヵ月しか落ち着いた天候じゃないからなあ。また。高齢の方は家畜の餌と同じだと食べないそうだ。ただ、スーパーに行くと日本の野菜ジュースがいっぱい売ってたので、若い人は野菜生活(?)のシフトしてるのかも。

温かい具入りスープ。昼間は30度位あって直射日光を浴びるのでかなり暑いのだが、毎回美味しく頂きました!

ボーズという、羊肉の蒸し餃子など ↓

羊肉には全く抵抗のない私。ガイドさん曰く、モンゴルの家畜(羊・ヤギ・馬・牛)は高山植物のハーブを餌にしてるので、肉にも糞にも臭みがないそうだ。

食後、ツアーの皆さんとゲルの組み立て体験!

意外とお客さん達に好評のイベントだった。しかも中に入ると広い!

外側は、体験用ゲルなのでビニールシートをかぶせるだけ。30分位で完成!

その後、テルレジ国立公園を目指す。

 

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モンゴル(テレルジ&ホスタイ国立公園とカラコロム)7日間 その1

2024-08-11 20:45:15 | 旅行記・モンゴル

7月27日(土)~8月2日(金)、モンゴルに行ってきた。

TVドラマの「VIVANT」に触発された訳ではなく、コロナ前から旅行先の候補にしてた。

子供の頃、井上靖の『蒼き狼』を読んで(当時好きだった平井和正の「ウルフガイシリーズ」が“蒼き狼と白き牝鹿”に言及していたので、その流れで)、カラコルム(現ハラホリン)に行きたかったからだ。調べたら、おばさん1人で旅をするのは大変そうだったので、日本からツアーに入った。

7日間のツアー内容は

1.ウランバートルへ移動 泊)ウランバートル東横イン

2.チンギスハーン騎馬像&テレルジ国立公園観光 泊)ウランバートル東横イン

3.ウランバートルからブルドに移動 遊牧民宅訪問 泊)ブルドのゲル

4.カラコルム観光 泊)ブルドのゲル

5.ホスタイ国立公園 泊)ホスタイのゲル

6.ウランバートル観光 泊)ウランバートル東横イン

7.帰国日

ツアー代金は+一人部屋追加料金で35万円。元々最大19名までのツアーだったが、参加者13名で、大型観光バスをゆったりと使用。添乗員はいなくて、現地ガイドの若いママさんがスルーで付いてくれた。

緑の草原と、半球に広がる空の7日間(実際5日間)だった。

 

7月27日 土曜日

12:10 成田国際空港の団体カウンター集合

集合と言っても、カウンターでeチケット貰って注意事項を聞くだけだけど。その際、モンゴルは入国カードが必要だと説明される。んん?要らないはずなのに。結果要らなかった。

MIATモンゴル航空のチャックインには、40分並ぶ。搭乗ゲートは、昔、電車が走ってたターミナルで、出国してから15分位歩いたかな。成田まで行って、飛行機に乗るまでで結構疲れるな。

14:40 ちょっと遅れたけど離陸

一応、各自にモニターは付いているんだが、見られるのはモンゴルの映画やドラマのみ。吹替えや多分英語字幕もなかったかも。ゲームなどはサービスなしだった。

あと、行きも帰りも冷房効きすぎ! ブランケットは薄くて、子供優先。まあ、大人はモンゴルに着いた時用に、1枚上着は持っていたのでそれを羽織ってた。 

 

19:15(現地時間、日本より1時間遅れ) モンゴルのウランバートルのチンギスハーン国際空港到着

入国手続きは、係りの人がどんどん列を流してくれるので10分かからず。

バスの乗り込むと、空港の外はいきなりの草原!

バスの中で、ガイドさんから5,000円→100,000トゥグルグに両替してもらう。カードが使える店ではカードを使ったから、私はこれで足りたけど、場所によっては現地通貨しか使えなかったので、人によってが現地通貨が足りなくなってしまった人もいた。ドルが使えるという情報もあったが、思ったより使えなかった。

ウランバートル市街に入ると名物の渋滞が始まる。モンゴルの人口の半分が集中していて、さらに増えているかららしい。

信号は、渋滞した自動車がどこからでも見えるように、二つ並んる。

建築中の高層アパートメントも目立つ。

ケンタッキーとピザハットがやたらあった。

 

東横INNウランバートル

渋滞は思ったほどではなく(ミャンマーのヤンゴンの方が凄かったような)、20:30には部屋に入れた。

テレビはNHKが見られた。

モンゴルの重大な注意事項として、ホテルでもトイレットペーパーは便器に流せない! 最初はストレスだったが、翌日には慣れたわい。

面白かったのは、ベッドの上にあったホテルからのお知らせ↓

部屋の掃除は4泊目で、連泊の場合4日目かチェックアウト後でなければ、ホテルの人が部屋に入る事はないらしい。東横INNだけど、やっぱりモンゴル。

この日は夕食が付いてないので、日本から持ってきたおにぎりとインスタント味噌汁を部屋で食す。

ちなみにホテルの朝食は、こんな感じでした。

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