落ち着いた大人になろう!

旅行やら映画やらの独り言

愛媛県の旅 その4 松山

2024-10-22 15:17:20 | 旅行記・四国

10月3日 木曜日 その2

Ⅰ.伊予鉄市内電車(路面電車)

09:30に「ふなや」さんを徒歩で出発して、道後温泉駅から路面電車に乗車。

ポツポツ雨が降ってきたら、運転手さんがフロントワイパーを手動(ツマミみたいのを左右に動かす)で動かしていた! 一番前に乗った甲斐があった。

賑やかな大街道駅で下車して、松山城のロープウェイ乗り場東雲口へ徒歩で移動。

 

Ⅱ.松山城

ロープウェイを降りて松山城の天守閣を私達は目指す。ツアー客の中には目指さない人もいるので、再集合はロープウェイ乗り場東雲口駅舎。

松山城は現存天守12のうちの一つなんだが、「いろいろ昔から修繕しちゃったからねえ。国宝への指定は難しいのよ。」と説明してくれたバスガイドさんは言っていた。クレタ島のクノッソス宮殿を思い出した。

 

俳句ポスト

道後温泉にもあったなあ。横の石碑は「石」ではなくてプラスチック。バスガイドさんが叩いて教えてくれた。

 

②石垣

おおっ!いきなりの石垣。緑色の見える。青石なのかな。

坂道を登っていると、遠くに天守閣が見えてきた。

 

戸無門・筒井門・隠門

そして、ここを抜けると大手の広場。

↓ 「よしあきくん」の人形が迎えてくれる。

 

③天守閣

あまり時間がないので、とっとと登る。

↓ 天守閣からの眺め

登る時は矢印に従って、いろいろ見るようになってたが、降りる時は一気に降りれた。

 

Ⅲ.ランチ

ロープウェイ東雲口駅舎からちょっと歩いて観光バスへ。そしてすぐ近くの「瀬戸内海風仏蘭西料理 門田」さんへ。最後のランチはフランス料理。

和食も美味しいけど、洋食もたまにはありがたい。ここはパンも美味しかった。

↓ バス移動の時に、「ここはよく当たるんですよ」とバスガイドさんに説明される。

そしたら、ツアー客の中に、ランチを早目に切り上げて買いに行っている人がいた。凄い!

 

Ⅳ.萬翠荘

行く前は(洋風建築かあ。今まで散々見た事あるし。)なんて思って、近づいてみたら「城」じゃん。

↑ 建物は大きいので、「坂の上の雲ミュージアム」から見ると全体が撮影できる。

近くで撮るとこんな感じ。

「萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。
陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった伯爵好みの純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたところであります。また、裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財となりました。」

松山というか愛媛県って空襲の被害にあまりあってないから、町並みや建物が結構残っているんだなあ。まあ、全くあってないわけではないらしいが。

近くにあった、赤いネオンが目立つ「漱石珈琲館」

 

Ⅴ.坂の上の雲ミュージアム

工事中の場所は図書館になる予定だそうだ。

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」とNHKのテレビドラマだけでのミュージアム。「21世紀のまちづくり」という構想があって、その中核施設らしいが。

私は小説も読んでなければドラマも見てないから展示物にもあまり興味が持てず。安藤忠雄が設計したという真ん中吹き抜けの三角形の建物は、ミュージアムとしては広い展示室が確保できない構造だし。どんな政治的やりとりがあって、完成したミュージアムなんだろうか?

最後に訪れた場所としては、不思議な場所だった。

この後、バスで松山空港に向かい、17:15発の飛行機で羽田空港18:50着。

愛媛堪能の、2泊3日だった。

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愛媛県の旅 その3 道後温泉

2024-10-15 17:52:26 | 旅行記・四国

10月2日 水曜日 その2

伊予市駅から再び観光バスに乗り、道後温泉へ。でも、宿のチェックインタイムには早過ぎるので、予定になかった石手寺に寄る。

 

Ⅰ.石手寺

急に寄ったけど、大変由緒あるお寺。詳しくは公式HPの「当寺院について」を読みましょう。「石手」とお遍路さんの逆回りに由来がある寺院です。

↓ 国宝の仁王門 1318(天保2)年に建てられた門

↓ 廻廊と言うのか、屋根付きの参道。昔はこの両側が土産物屋さんだったみたいだ。

↓ 護摩堂 かな?

↓ 本堂

 

↓ 詞梨帝母天堂 子授けや安産祈願にご利益がある石の交換(?)場所

↓ 大師堂

三重塔は改修工事中で建屋の中。奥に行くと洞窟もあるらしい。

 

Ⅱ.道後温泉本館

15時過ぎに宿の「ふなや」さんに到着。夕食の17時まで自由行動なので、道後温泉本館に行く事にする。ここに来るまでは道後温泉本館が旅館と思っていたが、温泉共同浴場です。で、いろいろな料金パターンがあるのだが、友人と公式HPを見てもその料金で何ができるのかさっぱり分からない。

「ふなや」にあった道後温泉本館のパンフレットを見たら、なんとなく分かった。神の湯は安い分混むみたいなので霊の湯に行くとこにした。

2,000円の霊(たま)の湯二階席コース(?)にする事にしたのだが、利用時間60分で二つの湯に入って又新殿見学して、お茶飲んでお菓子食べてって不可能だろう。そう、おばさん二人には不可能だった。

15:40に到着。まだ早いのでさすが並んでいる人はいない。一応料金を払う場所で、どんな内容か聞いてみたが、「中に人に聞いてください」と言われた。

①霊(たま)の湯二階席コース

↓ 霊(たま)の湯二階席

この部屋の定員が20名なので、霊(たま)の湯は空いているらしい。あっ、三階に個室8部屋もあって、そこだと90分の利用時間らしい。ので、浴室は混む時にはやっぱり混むのかな?

割り当てられたスペースの衣装盆(?)から浴衣とタオル類を取り出して、登ってきたのとは別の階段を降りて霊(たま)の湯の女湯へ。

↓ ネットから拾った画像

男子浴室は「皇室同伴者用の浴室」とパンフレットにはっきり記載されているけど、女子浴室は特に記載がないなあ。でも、そうに違いない。

私たちの前に1名入っていたが、しばらくすると出て行ったので、2人で独占!

風呂上りは浴衣を着て、再び二階席へ。初々しいバイトのお兄さんが運んできてくれたお茶とお菓子。

 

又神殿(ゆうしんでん)

「1899(明治32)年に増築された「又新殿」は、日本で唯一の皇室専用の湯殿。4畳の前室、8畳の御居間、その奥の一段高い場所に玉座の間があり、桃山時代風の豪華絢爛な装飾が目を引きます。」

展示室の向こうにあるらしい。行ったら又新殿の説明ガイドさんがいて、スマホのみ持込可でガイドさんの説明を聞きながら部屋と浴室を見学。

↑ 奥の白い布がかかったソファが天皇が座る玉座

天皇陛下は一度しか利用していないらしいが、皇族は計11回使用しているらしい。入れ物を作ってから客を呼ぶ戦略はまあ成功なのかな。

↓ こちらは、誰も使用したこのないトイレ

ガイドさんから、どっちが前だ?と質問されたが、臥龍山荘ですでに勉強済に私達は当ててしまう。

↓ 宝珠の釘隠し

浴衣の柄や電灯のガラスにも宝珠がデザインされていた。

せっかくなので、浴衣姿でダッシュで神の湯を覗きに行く。脱衣所にも洗い場にも、結構な人がいた。

そして、霊の湯の脱衣所のロッカーに戻って洋服に着替えたら、ぴったり1時間。道後温泉本館は、迷路のような場所だった。そして、帰る頃には廊下にも人が多くいて、料金所にも行列ができていた。

 

③外観

雨もほぼ止んだので、本館の周りを1周してみる。

↓ 囲いの上にも白鷺

↓ 本館のてっぺんにも白鷺

↓ 又新殿の皇室専用の入り口

湯神社の駐車場というか、空の散歩道という足湯の場所に上って、建物全体を見下ろす。

そう、本館の回り中、高層のビルなんだよねえ。そして、ここから三階の個室や貸切室が見えてしまうんだが、多分日本人以外のアジア系の方々が使用していた。

 

Ⅲ.道後温泉町歩き

道後温泉駅

右端に写っているのが坊ちゃん列車。松山って明治時代から都会だったんだなあ。

 

坊ちゃんカラクリ時計

この2階建ての時計台がどうなるんだろう? 

最終形態で4階建てになった!さすが、平成生まれのカラクリ時計だ。

正直、「坊ちゃん」はちゃんと全部読んでないけど、何となくは分かる。

 

③アーケード内散策

連なる土産物さんには結構お客さんが入っていた。松山空港は国際空港なので、直行便が飛んでる台湾や韓国の観光客が多い。

蛇口から様々な種類のミカンジュースが飲める「愛媛の食卓1970」に入ろうとしたが、同じツアーのお客さんで結構座席が埋まっていたり、ミカンジュースのカップが小さい割には種類によっては結構高かったりしたのもあって、入るのを辞める。

そして「10FACTORY道後店」でみかんビールを飲む。

めちゃめちゃみかん味だった。でも、しっかり適度に酔う。

 

Ⅳ.宿泊「ふなや」

宿泊は老舗旅館の「ふなや」さん。1627年(寛永年間)創業だ。皇室の方は大勢泊っている、由緒ある旅館。フロント対応も優しくて良かった。

 

①建物

1963年(昭和38年)落成、1993年(平成5年)に改装との事で、古い大型旅館といった感じ。

お風呂が南館にあるため、階段を使用して南館に行くのがちょっと面倒。お風呂は夜と翌朝にもしっかり入浴。

 

②食事

凄く美味しかった。一品一品が、逸品。

↓ 夕食

↓ 朝食

もちろん両方共完食!

 

③内装

↓ 昭和25年(1950年)に昭和天皇が宿泊されたお部屋を移築した部屋

 

④庭

翌朝に散歩。

詠風庭(えいふうてい)という1,500坪の広大な自然庭園なんだが、ふなや自身の建物と周辺のビルの圧迫感を感じてしまう。

↓ 葵苔(あおいごけ)

丸い葉っぱの苔。昭和天皇が「大切にしなさい」と言ったそうだ。

 

10月3日 木曜日 その1

Ⅴ.伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)

ふなやさんの入り口のすぐ右側に聳える石段。

朝、登ってみた。

社殿は(1667)年5月15日に竣工。京都の石清水八幡宮を模したと言われ、八幡造りだそうだ。石清水八幡宮に行った事がないので、かなり珍しい建物の配列だった。

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愛媛県の旅 その2 大洲~伊予市駅

2024-10-13 13:39:19 | 旅行記・四国

10月2日 水曜日

8:30にホテル出発。昨夜、晩御飯を食べた油屋さんがある、伊予の小京都・大洲へ。

 

Ⅰ.大洲の町並み散策

大洲まちの駅「あさもや」の駐車場にバスが止まって、現地ガイドさんの説明を受けながら観光開始。

①おはなはん通り

「おはなはん」は私も友人もテーマ曲の出だしを唄う事ができた。「東京ラブストーリー」のドラマは、リアルが忙しくてドラマを観ている場合じゃなかったので観ていない。

町並み保存のために川を掃除する人や空き地の草刈りをする人々がいた。愛媛って、文化レベルの高い都会だなあと、つくづく思った。

 

②大洲神社周辺

真ん中の高い燈篭は、昭和3年に建てられた高さ12メートルの「昭和燈」で鉄筋コンクリート造り。目立つ!

この階段の上が大洲神社。時間がなくて参拝はせず。

↑ こののれんが町のあちこちにあった。「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」という分散型ホテルだそうだ。ちなみに大洲城にホテルとして宿泊できるそうだ。空き家活用って事かな?

 

臥龍山荘

元々は歴代藩主の遊賞地だったが荒廃してたのを、やはり木蝋貿易で富を得た河内寅次郎が、十年余りの歳月をかけて、臥龍山荘を築造したそうだ。隅々まで趣向を凝らしていた。愛媛って、本当に文化レベルが高い!

あちこちに使われている緑色の石は、「大洲の青石」。とってもきれいな石だ。

で、その石を使って、手前の丸い石が月で、ガイドさんの指さすのは舟の形をした石で情景になっている。

茅葺屋根の農家風の臥龍院にも細部が凄い!

↓ 床の間の襖の引手が、梅と松(ぼっくり)で白い影に薄く竹の柄が入っている

↓ 廊下の釘には大工さんの銘が入っている物もあった

↓ お庭

↓ 不老庵からの眺め

↓ 不老庵の天井

バスの出発時間までは時間があったので、昨夜の油屋さんの方に行ってみる。

おおず赤煉瓦館

↓ 油屋

司馬遼太郎の小説にも登場する油屋旅館の蔵を保存再生してお店にしている。

↓ 本町陸閘

「陸閘とは、堤防を切って設けられた河川への出入り口を閉鎖する門のことで、洪水の時には陸閘が閉められ堤防 としての役割を果たします。」

へえっ~。肱川の氾濫による洪水を防ぐための堤防だったんだあ。

↓ 大洲城

平成16年(2004年)に復元。若いなあ。

 

Ⅱ.ランチ

バスは瀬戸内海沿いを北上。雨が降ってきた。JR予讃線の下灘駅近くの「魚吉」さん。

↓ フグの唐揚げ

 

Ⅲ.下灘駅

魚吉さんからバスでちょっと移動して、道路沿いでバスを下車。雨の中、坂道を下灘駅まで登る。

JR予讃線なんだけど、2014年3月15日から伊予市駅 - 伊予大洲駅間の海回り区間に「愛ある伊予灘線」の愛称が付けられているそーだ。口に出すのは、ちょっと恥ずかしいぞ。

↓ こんなに線路上に朝顔がしげっているのに、ちゃんと電車は走るんだあ、とちょっとビックリ。

 

かつては「日本で一番海に近い駅」で、青春18きっぷのポスターに使われたり、映画やドラマのロケ地にも使われてる。そのため、私たちのツアー客以外にも雨の中、10名位の観光客がいた。

青空と青い海だったら、良かったんだろうが、まあ、しょうがない。

↓ 観光客用にこんなベンチもあった。

13:01発の一両編成の電車に乗車。

40名の団体なので乗るのに手間取ったけど、車両の前後にしかドアがないので座席数が多く全員座れた。地元の方が遠慮して座らなかったせいもあるけど。

13:21に終点の伊予市駅到着

バスに乗るために、道路を渡ったら、また違う駅があった! 不思議!

伊予鉄道郡中線の郡中港駅だそうだ。同じ駅名だと何かまずいのだろうか?

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愛媛県の旅 その1 内子宿~大洲

2024-10-09 14:13:49 | 旅行記・四国

友人に愛媛県を巡る2泊3日のツアーに誘われた。有名な道後温泉に行ってみたかったので参加した。

10月1日 火曜日

羽田空港9:40発のANAで、松山空港11:10に着。

名物の蛇口みかんジュースだ!カールもある! カールは帰りの空港で買おうか迷ったけど、かさばるし、つぶれるかもしれないので、結局買わず。

観光バスに乗って、愛媛県喜多郡内子町へ向かう。

 

↓ 空港近くの坊ちゃんスタジアム

内子町までの車窓からの景色の感想は「都会だあ!」。一昨日の千葉の風景より、はるかに都会だあ。不思議。

 

Ⅰ.ランチ

12時半前に内子町のそば処下芳我邸に到着。

こちらは、木蝋生産で栄えた芳我家の13分家の一つのお屋敷を利用した飲食店。築140年。

↓ 多分、野遊び弁当 1,850円

2階はギャラリーになっていた。

芳我家は、鶴と亀がトレードマークだそうで、釘隠しも鶴と亀。

 

Ⅱ.自由散策 

地元ガイドさんのツアー出発までに30分位あったので、コースに入っていない内子座の方に行ってみる。ここら辺は、六日市という地区らしい。

①八幡神社 随神門

 

商いと暮らし博物館

道沿いにこの蝋人形。インパクト大!

 

③内子町ビジターセンターと児童館

左が内子町ビジターセンター。昭和11年建設の元警察署。右は児童館で明治34(1901)年に創立された 内子尋常高等小学校の「化育校」と呼ばれた建物を模して新築されましたそうだ。どうも、洋風建築の方が、私は好きらしい。

 

④ 内子座

公式HP

「大正5年(1916年)に大正天皇の即位を祝い創建された内子座。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋として建設されました。回り舞台や花道、桝席、楽屋などがあり当時の建築技術の粋が集められた建造物です。」

これから4年間の保存修理工事のため、もうすぐ外観は工事用外壁で覆われてしまうらしい。

屋根の上には狐。招き猫のポーズを取ってる。

近くには彼岸花。

 

Ⅲ.ガイドさんと八日市護国の町歩き 13:45~16:00

ツアー客は人数が多いので、元気グループとのんびりグループに分かれる。私達は元気グループ。ってか、平日の宿泊ツアーなので、多分私達が最年少。笑

 

森文醸造株式会社

 

② 大森和蝋燭店は残念ながらお休み

ってか、道沿いの土産物店は、火曜日はほとんどお休み~。笑

↓ 大森和蝋燭店前にあった木蝋(Japan wax)の原料のハゼの実。

漆の仲間なので、カブレる人もいるらしい。江戸時代頃に琉球王国からやってきたらしい。それまで漆から木蝋を作っていたそうだ。いずれにしても、この実から蝋を作ることを発見した人は偉大だ。「蝋」の存在と役割に気づいた人も凄い。

 

③ 元活動写真館森文旭館

「大正14年(1925年)竣工の常設活動写真館です。昭和43年に閉館されましたが、平成25年に保存会が結成され年に数回イベントが開催されています。」

保存会の主催は、森文醸造株式会社さん。文化保存に熱心で立派。お金もかかるのに。

 

軒下を支える木(名称は分からない)の模様は猪の目。

 

本芳我家住宅

左側のお宅。外観と庭のみ見学可。

「本芳我家の主屋は木蠟(もくろう)の生産で財をなした明治22年(1889)に建てられたもの。漆喰塗籠の重厚な建物は、鏝絵(こてえ)と呼ばれる彫刻や海鼠壁(なまこかべ)などで飾られ、町並みの中でも圧倒的な存在感を放っています。主屋に隣接する土蔵には、当時の商標「旭鶴」の鏝絵が今も輝いています。」

↓ 鬼瓦は木蝋の輸出で繁栄したので、船の帆

なまこ壁は、四角形が普通だけど手間がかかる六角形。金持ちの証だそうだ。

↓ 商標の「旭鶴」の鏝絵(こてえ)懸魚(げぎょ)

紋はカタバミの花だそうだ。

↓ 反対側の懸魚は龍

↓ 亀の漆喰彫刻

↓ 幸福を呼ぶ蝙蝠もさりげなく

↓ 庭園

 

木蝋資料館上芳我邸

分家の上芳我邸は資料館となっているんだが、広い!

↓ 母屋

↓ こんな人力の機械でハゼの実を絞っていたそうだ

ほんの百数十年前にはここまで栄えたのに・・・。今は危ないから、蠟燭を灯す事もしなくなってしまったなあ。

 

高昌寺

「嘉吉元年(1441)に創建された曹洞宗の古刹。文政7年(1824)に建てられた本堂に楠材を多く使っていることから伊予の楠寺とも呼ばれる。また、曹洞宗の本山永平寺を模していることから「伊予のミニ永平寺」とも呼ばれている。広い境内には本堂・禅堂・開山堂・霊集堂などが回廊で結ばれ、御開山一代記などの寺宝も多い。平成10年(1998)建立の長さ10m、重さ200トンの巨大な石造涅槃仏もみどころ。」

日本最大級の石造涅槃像と聞いて、期待してしまった。石造だから(中国から切断して運んで組み立てたそうだ)、この大きさかあ。今までいろいろ見てきたからなあ。小さっ。

本堂の楠の一枚板や梁がとにかく立派で、涅槃像より建物が良かった。

この後、道の駅に一ヶ所よってから大洲市のホテルへ。

 

Ⅳ.ホテル

ホテルは、スーパーホテル愛媛・大須インター。シングルルームのビジネスホテル。近所にコンビニやらマックやらが広々と広がる土地に建っていた。天然温泉の大浴場もあった。

 

Ⅴ.夕食

18:00にホテルをバスで出発。大洲の「大洲炉端 油屋」さんへ。当団体の貸し切りになってしまっていた。後からきた個人客の方、ごめんなさい。

ここの鯛めしは、鯛の炊き込みご飯じゃなくて、鯛の刺身を卵を溶いた出汁に絡めてご飯の上にのせて、さらにその上に出し汁をかけて食べるパターン。

これが、美味しかった!

油屋のそばを流れる肱川(ひじかわ)と防波堤みたいな塀。

ホテルには20:00過ぎに戻る。

 

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室戸岬と足摺岬 そして唐人駄馬遺跡巨石群 その6

2024-07-14 22:51:47 | 旅行記・四国

6月25日 火曜日 その2

 

3.竜串海岸(たつくしかいがん)11:00~12:00

↓ ネットから拾った、空からみた画像

今回のツアーで行きたかった場所、No.2だったんだけど、いやあ、実際一番楽しかったかも。

だって、いきなりこの風景!

「この付近は古第三紀の堆積岩が分布するが、竜串海岸周辺にのみ新第三紀(3千万年~6千万年前)の極浅い海に堆積した砂岩・泥岩が分布し,広い海食台にさまざまな奇岩
が立ち並んでいる。」

↑ 大竹小竹
「海底に泥と砂レキが交互に堆積して形成された砂泥互層のうち、軟らかく浸食されやすい泥岩層が浸食され、硬く浸食されにくい砂岩層は残る。厚い砂岩層のうち比較的厚い層は「大竹」となり、薄い層は「小竹」となる。」

 

↓  絞り幕

ネットで調べると「幕を絞ったように見える生痕(生物の活動の痕跡)があることから絞り幕と呼ばれるようになったそう。」という説と「液状化現象があった痕跡」「砂岩中のコンボリュート・ラミネーションが風化により浮かび上がったものと思われる」という説がある。


砂岩部分は色が綺麗!

 

↓ ハチノス状の岩

砂岩の隙間に海水が染み込んで表面が剥がれ落ちた蜂の巣状の石(タフォニ)。不思議だ。なんでこんな穴ができるんだ?

 

↓ 兜岩


「団塊(ノジュール)が、人の顔またはお面のように見えることから兜岩(かぶといわ)と名付けられた。このあたりで見られる団塊(ノジュール)は、赤褐色球状の異質岩体で、堆積物の中の化石や砂粒などが核になり、粘着性の高い化学成分が濃集してできたと考えられます。赤い色をしているのは鉄成分の影響と思われます。」

そうかあ、割ると中に化石があるかもしれないんだ。

 

↓ 蛙の千匹連

「竜串で見られる生痕化石(生物の生きた痕跡の化石)は約2500万年~3000万年前のアナジャコの住処のあとです。 海岸の様々なところで見れますが、地質学的にはとても珍しいものです。 「蛙の千匹連れ」も生痕化石のあつまりです。」

 

なぜ、竜串海岸について、今、ネットで調べているかというと、歩いているうちにツアーのお客さんが大幅に遅れてきて、その場で講師の人が説明する事ができなくなってしまったから。

 

↓ 天の橋立

この辺り、急に地層が垂直になっている。

 

↓ 不背山と千畳敷

↓ 遊歩道最後の岩が、他と種類が違うらしい。確かにツルツルしている。不思議だ・・・。

ここからグラスボードに乗って、見残し海岸にも行けるんだが。行きたかったなあ。

バスの駐車場あたり、「海のギャラリー」やらダイビングサービスの建物があったんだが、平日だったせいか閑散としてた。

そして、こんな建物も。

竜宮城という1階がレストランで2階3階が珊瑚の博物館だった、今は廃墟。

竜串海岸、素晴らしい場所だったので、もっと大勢が訪れますように。

 

4.ランチ 12:00~13:00

道の駅めじかの里土佐清水で、「極上鰹のたたき定食」!

毎食、鰹のたたきは出るんだけど、さすが地元!ちゃんと藁の香りがして、こっちでスーパーで購入する鰹のたたきとは全く違ってて美味しい!

ので、「もう飽きた」と言って全く手を付けない他のツアー客の分も食べる。

 

5.観音岩 13:40~14:00

柏島のすぐ手前。昔、ダイバーだったので、竜串海岸やら柏島の地名は、ダイビングポイントとして知っているし、柏島の海って透明度の良さで最近注目されてるんだよね。

養殖してるのは、なんとマグロなんだって。

ここは花崗岩。

確かに、心が弱くなっていたら、観音様に見えるんだろうなあ。

そして、ここが最後の観光スポットで、バスは一路空港へ。

 

6.空港にて

ランチを2人分食べてしまったので、お腹が空かない。

なので、ウツボの唐揚げを食べてみた。ウツボ、前も佃煮を食べた事があったかな? 揚げてあるので、普通に白身の魚だった。

19:15発のJAL498便で羽田に20:35着。

自動車の運転ができない私には、行きたかった唐人駄馬巨石群と竜串海岸に行くことができたし、室戸岬と足摺岬の両方に行けたし良かった。でも、せっかく会社辞めたんだから、のんびり公共交通で回っても良かったのかなあ。と、ちょっと思う。

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室戸岬と足摺岬 そして唐人駄馬遺跡巨石群 その5

2024-07-13 21:32:27 | 旅行記・四国

6月25日 火曜日 その1

 

1.足摺岬白山洞門(はくさんどうもん)8:05~8:50

8:00にホテルを出発し、昨日のジョン万次郎銅像脇の駐車場でバスを降り、今度は西側へ遊歩道を歩く。

 

①足摺岬の七不思議

もちろん、ここの遊歩道にも弘法大師にまつわる七不思議がある。

その7 犬塚

「生まれ変わって城の主となって世の平和をもたらすことを願った僧が、補陀洛渡海の際に右手に南無阿弥陀仏の文字を書いて出立。飼っていた犬は飼い主を待ち続け、この場で息絶えてしまった。
その後、土佐2代藩主・山内忠義の右手に墨痕のような痣があり、この故事を知った忠義は自らを僧の生まれ変わりと想い、金剛福寺再興をおこなっている。」

その8 汐の干満手水鉢


「潮の干満に合わせて、岩の窪みにある水の量が増減するとされる。」

広島・宮島の弥山(みせん)にも同じ言い伝えの岩があったよなあ。そうか、弥山も弘法大師なんだ。

 

その9 亀石


「亀の姿に似た岩。その首にあたる部分は、亀呼場の方角に向いている。」

亀よりカエルに見えるんだが・・・。

で、白山神社の鳥居をくぐらず右に階段をくだると

 

白山洞門

国内最大級の花崗岩海食洞、だそーだ。足摺岬全体が花崗岩らしい。

 

③フナムシ

神奈川の海で見るフナムシは、ほぼ黒色一色なのに、ここで見たフナムシはオレンジに似た明るい茶色と背中は紺色に水色の点々と華やかな色彩だったので、別の生き物かと思った。で、調べたら、結局フナムシだった。

 

2.唐人駄馬遺跡巨石群 9:00~10:00  

今回の私のメインだ。ツアーの客層から、最悪遠くから見て終わりとなる可能性があったので、前日に講師に「私は凄い楽しみにしてる」とアピール。

多分、自力で来たら、バス停を降りたらこの道を歩くんだろうなあ。バス停から徒歩35分とGoogleマップでは出てるけど・・・。もっとかかるな。

ツアーなんで観光バスで進むんだが、霧が出てきて道も細くてカーブも多い。切り返しをしないと曲がれないカーブもあった。

なぜ、急にここだけ霧が出てるか不思議だった。

唐人駄馬(遺跡)巨石群については、こことかこことかこことか。「唐人」とは異人とか異邦人、「駄場」とは平らな土地と言う意味。縄文時代今より海面が15~20m高かったので、足摺岬に海から来る人々にとって巨石群が目印になっていたという説がある。また、平らな土地だったため早くから人々が住み着いたので、縄文早期(7000年程前)の玦状耳飾(三角形に近い形の耳飾り)、さらに縄文前期(6000年程前)の擬似縄文土器片につづき、石斧、石錐、石鏃、スクレイパー(ヘラ状の器具)などが出土したらしい。ストーンサークルもあったらしい。

が、ろくに調査もしないで、1977(昭和52)年と1986(昭和61)年県の公園整備工事でキャンプ場やら牧場やらを造成してしまったらしい。駄馬だから、造成しやすかったんだろうなあ。

↓ ネットから拾った、唐人駄馬園地としての画像

キャンプ場は予約なしで利用できるらしい。テニスコートもあった。が、人影は私達だけだった。

で、巨石群。ちなみに全体の半分の見学。

 

①南のサークル

入り口にある。

 

②途中の岩

 

磐座(いわくら)

↓ ちょっと進んだところ。こんなふうに花崗岩の巨石がゴロゴロしている。

巨石群はどこからか運ばれた古代文明説もある。けど、TV番組でやってが滋賀県と三重県の間にもこんな場所があるらしいし、スパッと平らに割れるのは花崗岩の特徴らしい。古代文明とか好きなくせに、冷静な私。

 

④亀石

↓ 行きに見た亀石。本当は亀と石の間に、頭という漢字が入る。

↓ 帰りに見た亀石

 

⑤千畳敷石

一度に10人位が乗れる平たい石。そこからの眺め。

 

⑥唐人石

千畳石の背面。

残念ながらここで引き返す。なぜなら、ツアー客の方々、岩移動の際、四つん這いになるんだよ~。

普通に歩けるんだよ。本当なら。笑

 

⑦牧場&公園(ストーンサークル跡)

バスでほんのちょっとだけ移動。

ストーンサークルを壊したり埋めたりした造成地。

ちょうど紫陽花が満開。標高が高いからかな。

↓ 道路の反対側

ここでガイドをしている方の説では、「石の並びから(大きい石小さい石と順番に並んでいる様子)当初、ストーンサークル(唐人駄場遺跡)は弥生人が猪に農作物が食べられない様にする為石を置いた「しし囲い」ではないかとも云われていたそうです。」だそうだが、私もそう思う。

雨も降らず、無事に巨石群の雰囲気は味わえたので、良しとしよう!

帰りの細い道は、また霧が出ていた。巨石群では晴れてたのに。不思議だ。

 

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室戸岬と足摺岬 そして唐人駄馬遺跡巨石群 その4

2024-07-10 14:17:18 | 旅行記・四国

6月24日 月曜日 午後

バスは足摺岬方面に移動。高岡群中土佐町の海のすぐそばにある八幡宮へ。

 

3.久札(くれ)八幡宮 12:50~13:20

本降りの雨のせいもあり地味に見えた久札八幡宮だけど、インスタもやってるし祭りも盛大らしいし、平成20(2014)年には屋根の銅板を張り替えたらしい。

 

①拝殿

額に入った面は、万延元(1860)年に奉納されたらしい。

最近の奉納額はこんな感じ ↓

 

②厄ぬけ石

拝殿の左側。

石に穿たれた穴を通り抜け、その先にある御神木の楠に参拝すると、厄を祓うことができるそうだ。

石は砂岩に甌穴ができたものが貫通したもので大正初期に久礼指川のトロッコ軌道工事中に土中から発見され久礼八幡宮に寄進されたそうだ。

もちろん私はくぐったさ。肩幅のある男性は、くぐれなかった。

くぐれた嬉しさで、ご神木に参拝するのを忘れて、後で横からご神木に挨拶した。ご神木の割に小さいなと思ったら「樹齢1000年以上のご神木から株分けされて成長した、直径137㎝、樹高28mの楠」だそうだ。

ツアー客の他の人は、ランチの時にお店の人に聞いた、ところてん屋さんに行ってしまった。

 

③海岸

神社の前は道路をはさんですぐに海。1707(宝永4)年の宝永地震(江戸時代の南海トラフ巨大地震)の津波被害で、神社の記録が全て失われたのも納得。

なので、ここにも展望台兼の津波タワーが。

 

バスはさらに足摺岬を目指して進む。

んん? 雨がやんできたぞ。

 

4.四万十川

橋を渡っただけだし、清流感は全くなし。ここで講師の方から「四万十川の名前は、1928年から1994年まで渡川(わたりがわ)が正式名称だったが、四万十川=清流ブームで名称変更した」事実を聞く。びっくりしたけど、大成功!の正式名称変更だね。

 

5.足摺岬(天狗の鼻展望台&足摺岬展望台&足摺岬灯台) 15:40~16:40

38番札所金剛福寺の向かいから入る遊歩道を歩く。

 

38番札所金剛福寺

外から見ただけ~。

 

②遊歩道

周りは椿の木。2月頃来たら満開なんだろうなあ。

幹が迷彩模様の椿の木もある。

 

③天狗の鼻展望台

↑ 灯台の右上が足摺岬展望台

 

④足摺岬展望台

灯台をズームで見てみると

年季が入っている。

↑ さっきいた天狗の浜の展望台

 

足摺岬灯台

ここから見ると綺麗だ。大正3年(1914)に点灯されて、昭和35年(1960)に修復って、なんだ、私と同い年じゃん。年季入ってるって言っちゃったよ。

 

⑥足摺岬の七不思議

遊歩道沿いに弘法大師にまつわる七不思議がある。これは楽しい! 大き目の岩にそれぞれ伝説が。実際は21あるらしい。凄い!

 

その1 地獄穴

石に開いた穴だったらしい。一時は埋まってたりしたらしいが、今は祠みたいなミニ小屋に守られてる。お金(コイン)を入れると本当に長い時間石にぶつかるチリンチリンという音が聞こえた。金剛福寺の本堂までつながっているとか・・・。このご時世、コイン(銅)入れて、自然環境に影響はないのだろうか気になった。あるいは、21世紀の今、何か仕掛けがあるのだろうか?

 

その2 大師の爪彫り石

「南無阿弥陀仏」と六字の妙号が彫られているらしい。何か感じが彫ってあるのは分かったけど。

 

その3 亀呼場

大師がここから亀を呼び、亀の背中に乗って前の不動岩に渡り、祈祷をされたといわれているそうだ。

 

その4 大師一夜建立ならずの華表(とりい)

「弘法大師が一夜で鳥居を建てようとしたが、天邪鬼が夜中に鶏の鳴き声を、真似したので、石工が夜が明けたと思い、仕事を辞め完成しなかった。と云われている。石の土台や石柱が5・6本横たわっている。」

弘法大師も結構慌て者だったんだねえ。本当に何かを作ろうとした、加工された石がかなりの量あった。

 

その5 不増不滅の手水鉢

「賀登上人と弟子日円上人が補陀落に渡海せんとしたとき、日円上人が先に渡海していったので非常に悲しみ、落ちる涙が不増不滅の水になったといわれています。」

 

その6 ゆるぎ石

「大きな石の上に小石が三つ積んである。親孝行者がこの大石を動かすと上に積んでいる小石が落ちる。親不孝者は落ちない。いつも親の肩を揉んでいるように動かすとだんだん揺らいで石が落ちることから親孝行者は落ちると大師が言ったのだろうと伝えられる。」

大石を揺さぶってみたが、私は全くゆるがなかった。

翌朝もこの七不思議探しは続く。

 

6.足摺国際ホテル

この日のお宿。ここも温泉で夜も朝も入った。

部屋からの眺め。すっかり晴れてる!

最初から、炊き込みご飯が出てるのは、この地方の客人へのウエルカムご飯みたいな感じなんだって。白米の準備もあるので、炊き込みご飯を食べた後、食べた。

あと、昼も夜も、素麺の上に温泉卵がのっていた。これもこの地方ならではなのかな?

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室戸岬と足摺岬 そして唐人駄馬遺跡巨石群 その3

2024-07-06 18:39:24 | 旅行記・四国

6月24日 月曜日 午前

8:00にホテルを出発。

 

1.龍河洞 8:30~10:30

日本三大鍾乳洞の一つ、高知県香美市の龍河洞。あとの二つは岩手の龍泉洞と山口県の秋芳洞だそーだ。

雨が降ってきたけど、どーせ洞窟の中だしな。結構な階段を登って狭い入口へ。

ここの鍾乳洞は縦に長い。歩く部分が狭くて、天井が高いのだ。そして、入口より出口の方が80m高い位置にあるので通路は登っている。なので、団体で入ると、前の人が歩くのが遅いと詰まる。結果、たっぷり見学できた。笑

①石灰殿

 

③雲の架け橋

壁面にできた模様もなかなか面白い。

↓ エッジが歯みたいだ。

↓ 植物の根みたいな模様。

↓ 飛龍の滝

 

④記念の滝

 

⑤天降石

 

⑥前の千本~奥の千本

↓ これは音無しの滝

 

↓ 龍口

↓ せっかく育った石筍は金網で保護されている。

 

 

⑦玉簾の滝

↓ 鯉か魚の口

この頃から、頭上をたまにだけどコウモリが飛ぶ。

 

⑧逢坂峠

↓ マリア様とお釈迦様に心の綺麗な人は見えるらしい。

プロジェクションマッピングの設備もあるらしいのだが「龍河洞は、鍾乳洞内に生息するコウモリの繁殖期にあたる6月1日から7月15日までの期間、生態系の維持・保全を目的としてプロジェクションマッピングを休止させていただきます。」だそうだ。ないままでもいいと思うのだが。

 

⑨神の壺と実験中の壺

追浜の太平洋戦争中に使用されていた貝山地下壕に行った時も壁面に石灰の模様ができてたなあ。

↓ 弥生人の穴居第一室

↓ 鍾乳洞出口

中は派手だけど、出口は質素だ。なかなか見ごたえのある鍾乳洞だった。出てみると結構雨が降っていた。この後長い階段を降りる。

 

龍河洞博物館

 

2.ランチ 11:30~12:30

須崎市まで移動して、“喜楽”さんにてランチ。

食事の後に何なんですが、バスから景色を見てたら、用水路の壁面のコンクリートに蛍光ピンクの楕円状の物質が。

何だろうと調べたら、ジャンボタニシことスクミリンゴカイの有毒の卵なんだって。お米農家の方には迷惑な存在で有名らしい。

すっかり、都会のおばさんになってしまった私だな。

 

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室戸岬と足摺岬 そして唐人駄馬遺跡巨石群 その2

2024-07-06 16:20:58 | 旅行記・四国

6月23日 日曜日 その他+ホテル

5.水切り瓦のある家

室戸市を走るバスの車窓から見える家が、なんか変わってる。

白い壁に、模様みたいに瓦が水平に配置されててミニ庇みたいになっている。

このツアーは、講師と添乗員が同行してるけど、バスガイドさんは乗っていないため、高知県についての案内はないので、家に帰ってから調べた。

水切り瓦”というそうで、強い風雨から「土佐漆喰」の壁面を守る美しい伝統的建築なんだそうだ。ヘエ~。

 

6.津波避難タワー

ユーラシアプレートにフィリピンプレートが沈み込んでる南海トラフ。南海トラフ地震に対する備えで、車窓や降車地から津波避難タワーが多く見られた。

高知県には100基以上あるらしい。

地形を観光してるけど、浮かれてはいられない地元の方の現実。段丘にも丘の上に続く小さな階段が設けられてて、“津波避難経路”の表示があった。

 

7.メルキュール高知土佐リゾート&スパ

本日のお泊りはこちら。

メルキュール系だ!と内心はしゃいでたら、『Pokémon GO』を開いたら「ロイヤルホテル土佐」になってた。なるほどね。

夕食はアルコール飲み放題!料理も美味しい!ただ、自分達も含めてだけど観光バスが4台入ってて、某国の団体さんがいたので正直落ち着かない。しょうがないけど。

お酒は土佐鶴をいただきました。

たらふく食べる。夜9時からは1Fラウンジが無料開放。太っ腹だなあ。まあ、ホテルの周りは何もないからだけど。

お酒とおつまみを嗜みながら、写真データの整理。お風呂も広かったよ!

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室戸岬と足摺岬 そして唐人駄馬遺跡巨石群 その1

2024-07-04 11:46:31 | 旅行記・四国

6月23日 日曜日 

高知県の唐人駄馬遺跡巨石群に前から行きたいと思っていて、自動車の運転ができない(もうずっとゴールド免許だ)私は公共交通機関のみを利用してたどり着くシミュレーションはしたんだが・・・。バス停からかなり歩くらしい。そしてせっかくだから、その周辺の観光地も訪れようとすると、これがバスの関係ですっごく難しい。 

と、旅行会社の羽田空港発2泊3日のツアーを見つけた。2年前の夏に参加した岐阜の巨石を巡るツアーと同じ講師の企画だ。こりゃ参加するしかないでしょう!

嬉々として申し込んだが、梅雨の最中というのを忘れてた。天気予報は曇り時々雨なのだが、なぜか天気には恵まれた。

羽田空港を09:20発のJAL493便で、高知空港に10:40着。

小学生高学年から中学生時期に新選組にはまった関係で「龍馬が行く」ももちろん読んだ。けど、いつしか人気者になり過ぎてちょつと引く。最近は数奇な運命に翻弄されながらも頑張ったジョン万次郎が好き!

観光バスは、途中休憩しながら室戸岬を目指す。

おおっ!晴れてる!

 

1.室戸世界ジオパークセンター 13:15~14:00

ここでじっくり高知県の地形を学ぶ。というか、分かり易いビデオを観ればそれでOKだった。

付加体という言葉を学ぶ。海岸線に迫る小高い丘は海岸段丘だそうだ。あまり展示物もないので、外に出てみる。

ジオパークセンターの建物は廃校となった市立室戸東中学校の校舎。

そして、表の飲料の自販機には高知県のガチャが併設!

やってみたら、鎧姿の長宗我部元親が出て来た。が、すまん! 知らん m(_ _)m

 

2.室戸三明星院 最御岬寺(ほつみさきじ) 14:20~14:50

四国八十八ヶ所の第24番札所で、弘法大師の開基と伝えられていて、室戸岬海岸段丘のだいたい頂上付近にある。

本当にお遍路さんがいた! 私は、お遍路はしないだろうなあ。

なかなか、立派な建物。

面白かったのが、鐘石↓

この小さい石で大きな石を叩くと、きれいな金属音が響く。金属音が鳴るのはサヌカイト(讃岐岩)のはずなのに、寺の立札には“斑れい岩“という、深成岩(地中深くで溶岩が固まってできた石)だと書いてある。これは、最御崎寺に伝わる「空海の七不思議」の一つらしい。

沖縄の森でさんざん見たクワズイモの由来が、七不思議に入っている。植物分布として室戸岬はやっぱり南国なんだなあ。

 

3.室戸岬灯台 14:50~15:10

最御崎寺の山門から歩いて1分位。

海を眺める。

室戸岬、風速が最大で20mで常時15m位の風が吹いていた。室戸岬→室戸台風のイメージもあり、岬だし、いつもこんなに風が強いんだと思っていたら、この日は特別に強かったらしい。

 

4.室戸岬海岸遊歩道 15:10~15:40

バスで丘を下って、乱礁遊歩道を少し(月見ヶ浜)あたりを講師と共に歩く。室戸ジオパークに少し触れる。

遊歩道は岩と亜熱帯植物が両方楽しめるようになっている。が、植物にはあまり興味がない私であった。

↑ 多分、ハマゴウ

そして、タービダイト(乱泥流堆積物)の岩たち!

南の方に行ったら、ちょっと岩の感じが変わって、玄武岩かな? ↓

↓ 岩に張り付いてる丸い苔は、成長するのにかなり時間がかかるらしい。

↓ 陸側の段丘には、室戸岬灯台が見える。

中岡慎太郎の像に見守られている。

駐車場の展望台(もしかしたら津波タワーを兼ねてるのかな)に登って、室戸岬の海岸を上から眺める。

この後、バスでホテルに向かう。

 

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