11月7日 木曜日
友人と、赤城自然園でハイキングして、温泉に入るという日帰りバスツアーに参加。
Ⅰ.赤城自然園
12時過ぎに赤城自然園に到着。後で友人に聞いたら、横浜の小学生が遠足に行く場所だそだ。
入り口でスタッフの方に簡単に説明を受けると、お弁当と地図を持って後は14:30まで自由散策。
セゾンガーデンと自然生態園あたりを歩いた。
11月7日 木曜日
友人と、赤城自然園でハイキングして、温泉に入るという日帰りバスツアーに参加。
Ⅰ.赤城自然園
12時過ぎに赤城自然園に到着。後で友人に聞いたら、横浜の小学生が遠足に行く場所だそだ。
入り口でスタッフの方に簡単に説明を受けると、お弁当と地図を持って後は14:30まで自由散策。
セゾンガーデンと自然生態園あたりを歩いた。
10月27日 日曜日
8:00頃ホテルをチェックアウトして、出発! 今日は年に1度(位)の、大阪府堺市中区土塔町の土塔の頂上公開の日!
大和八木駅から近鉄奈良線で、大阪難波駅へ。
コインロッカーに荷物を預けて、南海電鉄のなんば駅へ。こんなに歩くんかい! そして、エスカレーターは左側を空ける。大阪だあ!
そして、南海電鉄なんば駅。ホームが8本並んでて、ヨーロッパの始発駅みたいだ。ちょっとワクワク。
9:00頃、堺東駅に到着。
Ⅰ.堺市役所21階展望ロビー
1時間に1本の、土塔行きのバス時間と停留所の位置を確認してから、百舌鳥古墳群が見下ろせる、無料の堺市役所の展望台へ。
そして、予想通り!
21階の高さだから、古墳群はただの茂みにしか見えない。
まあ、こんなもんでしょう。
そして、なぜか「ゴルゴ13展」をやっていた。
↑ こんな風にみえるんだったら、土塔に行くのは10:40のバスでもいいかと思ってたけど、やっぱり09:40のバスに乗ることにして急いでバス停へ。
Ⅱ.土塔
堺東駅前から、1時間に1本の「あみだ池」行きバスに乗車。バスは仁徳天皇陵や堺市博物館のそばを通ってから、30分後くらいに「土塔」停留所に着。帰りのバス時間を確認して、そこからGoogleマップ10分弱歩く。
そして、あった。土塔だ。堺出身の奈良時代の僧、行基が建立したとされる四十九院のひとつ大野寺の仏塔だ。
2年前に奈良の頭塔に行った時、是非、この土塔にも行ってみたいと思っていたのだ。天気のせいもあるのか、瓦のせいなのか、妙に明るい感じで、奈良の頭塔とは全然違う雰囲気。
やっぱり、管理する組織の差かな?ボランティアの方もいっぱいいて、地元に愛されている感じだった。
頂上の人も楽しそうで。
では、登ろうと、登り口に向かったら
復元して瓦が葺かれているのは、二面だけだった・・・。
↓ 上からの景色
瓦の色がいろいろあるのは、赤は生焼け状態だからだそうだ。上手に焼けた状態の瓦だけを使う訳にはいかなかった、復元の経済事情だったそうだ。
↓ 土塔復元模型
後世の人にこんなに愛されてるなら、行基さんも喜んでいるんだろうなあ。
Ⅲ.ランチ
11:02発のバスに乗って、仁徳天皇陵と履中天皇陵の間にある大仙公園内にある「こふん前Cafe IROHA」へ。
日曜日のお昼だけあって、20分以上待つ。お腹が空いて動きたくなかったので、大人しく待つ。
限定20食の“日々是好日”を食べる。
これにデザートとコーヒーが付いて2,000円位。今回の旅行で、初めて観光客らしい、のんびり、美味しいランチとなった。
Ⅳ.堺市博物館
大仙公園内にある堺市博物館。
常設展「百舌鳥古墳群と堺の歴史・文化」の“古代~古墳の時代~”を重点的に見学。
天皇陵に入れた頃の調査資料が展示されていた。今は入れないからなあ。どうなのよ、それって。
↓ 湯山古墳の石棺
石室は高度成長化時代の工事で壊してしまったそうだ。そんなもんさ。
↓ 行基様
今年行った高知県と愛媛県では“弘法大師様“だったけど、奈良と大阪は“行基様“。
Ⅴ.仁徳天皇陵など百舌鳥古墳群
上の図の仁徳天皇陵の拝所⑦あたりから後円の②あたりまで歩いて、①の反正天皇陵まで行ってみる事にする。
1.仁徳天皇陵拝所とお堀と陪塚(ばいちょう)
仁徳天皇陵の陪塚を一つ一つ確認して歩いたのだが
こんな感じでしたあ。まあ、しょうがないか。都会の真ん中だし。仁徳天皇陵のお掘りも、場所によってはよどんだ水溜りみたいな感じの所もあった。
ヘリに乗って見たら楽しいのだろうなあ。3名集まれば、1人あたり16,000円かあ。
2.反正天皇陵
こちらは住宅街の中に残る古墳。
仁徳天皇の息子らしい。反正天皇というのはおかしな名前だな、と思ってたら“「正しさに反する」のではなく「正しい状態に返す」という意味”だそうだ。
↓ 後ろから覗きこんだ所
古墳群は予想通り、茂みであった。
堺東駅は、西側があんなに大都会だったのに、東側はとっても可愛い改札だった。
新大阪駅で大混雑にびっくりして(女子トイレなんてトイレ外の壁際に行列を作るように指示する注意書きが当たり前のようにあって、皆行列してた)、でも「大人の休日倶楽部」割引では新幹線の“ひかり”しか乗れないので、ガラガラのホームのベンチに座ることができた。
行きたい所、全てに行った3泊4日の奈良&堺の度はこうして終わった。
10月26日 土曜日
今日は特別公開のキトラ古墳を11:30、牽牛子塚古墳を15:30に予約。キトラの前に益田岩船に寄る。
Ⅰ.益田岩船
益田岩船は初めて訪れる。松本清張の「火の路」によると石の宝殿とも関係あるらしい。
近鉄吉野線飛鳥駅の一つ前、8:00頃に岡寺で降りる。新興住宅街を抜けて、山に向かう。
ここを登って、右手へ。遊歩道を少し下る。Googleマップはこの階段までしか表示されないので、通行人に道を教えてもらった。
そしてここから山の中へ入って登る。
一応道はある。
↓ 土が崩れている場所には岩が見える。このような岩を利用して作ったのかな?
おおっ、見えてきた。竹林の中で、なかなか幻想的な雰囲気。こっちは北面になるらしい。
1.北面
下の方は格子状に模様が入っている。東西幅11m。高さ4.7メートル。やっぱデカいわ。
2.西面
地面が斜面になっているので、なんとか上部が見えるけど、覗きこむことはできない。
3.南面
のっぺりしてる。
4.東面
南北幅8m。
私以外誰も来なかったので、セルフタイマーで大きさ比較のため自分を撮影。結構、走った。転ばなかったけど。
石室の作り途中説が最近は有力らしいけど、このメロンパンのような切込みが不思議だあ。実物見られて良かった!
Ⅱ.ブランチ
岡寺駅周辺には何もないので、1時間に2本の電車に乗って飛鳥駅へ。駅前の「珈琲館 御園(みその)」さんへモーニングを食べに行く。
09:30過ぎに到着。私でちょうど満席。地元の人が週末の朝は家族でモーニングを食べにくるらしい。
このボリュームで740円!なかなか良いお店でした!
Ⅲ.キトラ古墳&壁画公開
10:20過ぎに、飛鳥駅から一駅先の壺阪山駅に到着。ここから、飛鳥よりさらに人家のない畑の中を歩く。
11:00前に国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区に到着。壺阪山駅からの歩いた方が、キトラ古墳などには近い。でも結構歩いたなあ。年取って歩くスピードが落ちたのかなあ。
キトラ古墳壁画公開の予約は11:30の回なので、その前後でキトラ古墳壁画体験館「四神の館」と復元されたキトラ古墳を見学。
入場無料。壁画公開も無料。壁画の保存方法に頭を悩ませた結果、壁画を剥いで保存している所です。
↓ 2階が入り口
↓ 1階にも出入口があって、お洒落な造り
石室の壁画のレプリカもあって、入ることができる。ガイドさんの説明付き。
石室の南壁に穴が開けられ盗掘されているけど、高松塚古墳のように壁画が壊される事無く、上手い具合に四神が残っていたそうだ。
あとは壁画の説明と、保存方法の説明のパネル展示。
「キトラ・プラネタリウム」というのも見てみた。定員10名なので?と思って行ったら、半球体のキャンプ用のテントの中に、ビーチチェアみたいのが10個。
内容は「秋の星空を舞台にして、キトラ天文図にも描かれている中国の星座と西洋の星座を対比させながら、わかりやすく解説する新番組」で、飽きることなく(プラネタリウムって、結構飽きないか?)ちゃんと面白く観られた。
2.キトラ古墳壁画公開「天井・天文図」
こんな風に期間を決めて、ガラスケースに入った、剥いだ壁画を公開している。で、私が行った時は天文図。
3階の展示室に10名位で入室。良く見えるように、双眼鏡を貸してくれた。写真撮影は禁止!
星の金箔が穴あけポンチで大きさ2種類を使ったような感じで面白かった。7世紀末~8世紀初頭に造られたのだから、穴あけポンチくらいあったろうなあ。コンパスの穴の跡も肉眼で確認できたけど、下書きやコンパスの穴を消す手間を惜しんだのはなぜだろう?
エジプトの4,500年前の壁画と比べてはいけないんだろうが、ちょっとなあ。と正直思う。
3.キトラ古墳
↓ 古墳前の広場
「古墳鑑賞広場」という名前らしい。隣の家が立派だ。
Ⅳ.高取町土佐街道
壺阪山駅からキトラ古墳に行く時に横切った場所。電車時間まで見学。
なかなかお洒落な街並み。街並み保存、大変なんだろうなあ。なんで飛鳥で土佐?と思ったら「飛鳥時代の初期に大和朝廷の都造りに駆り出された土佐(高知)の人々が帰郷できず、この地に住み着いたことが起源とされている。」そうだ。そのまま、地名として残っているんだ。高取町って、飛鳥駅の隣なのに、全然違った雰囲気だ。
Ⅴ.岩尾山古墳
飛鳥駅に戻って、15:30予約の牽牛子塚古墳の途中にある岩尾山古墳に寄ってみた。
階段を登ると石室入り口。
なかなか大きい石だ。
中は広くて立派じゃないか! 整然とした立方体の組み合わせ。
勝手に入って良くて、広くて立派で、楽しい!
飛鳥駅のサイクリングコースの反対側を20分位歩く。
ここも途中の家々が立派。
見えてきた! 15:30からの特別有料エリア(1名500年)を予約していた牽牛子塚古墳・越塚御門古墳。
↓ 模型
上の白い石で覆われた方が牽牛子塚古墳で、下の小さいのが越塚御門古墳。1グループに1名つくガイドさんに連れられて、まずは越塚御門古墳内で、プロジェクターで投影された牽牛子塚・越塚御門古墳のビデオ鑑賞。
天智天皇が、牽牛子塚古墳に母である皇極・斉明女帝と姉妹の間人皇女との合葬、自分の娘で皇極・斉明女帝の孫でもある大田皇女を葬した越塚御門古墳について、政治の犠牲になった3人を弔う感動的な物語と、古墳の説明が、要領よくまとめられていた。本物の石室越しの映像をみるのは不思議な感じ。
そして、凝灰岩切石で葺かれた復元された牽牛子塚古墳。
石室に入れるのかと思ったら、階段を降りて、閉まってる鉄柵の間から覗くだけだった。
本当に二つ部屋がある。
天皇のみが祀られている八角墳の説明をガイドさんから聞いたりして、1時間以上滞在。
ただ、復元時は、こんなに白かったのに
たった2年でこれ?
本当に凝灰岩で覆われていたのかな? 復元は、墳丘がその重さで崩れないように石の板を貼っているだけだそうだが、いったい何が流れ出てこんなになってしまったんだ?と、そこが一番の疑問だった。
Ⅶ.夕食
大和八木駅近辺には飲み屋が多かったので、八木西口駅の今井町の方に行ってみた。ここも古い町並みが残る地区らしいが、暗くて景色が全く分からない。
そこの古民家カフェ「Hackberry」さんへ。
10月25日 金曜日 その3
Ⅷ.ランチ
石舞台のすぐそば。12:30頃到着。「明日香 夢の旬菜館」内の「レストラン ポカフレール」へ。
豚ロースステーキ1,000円+コーヒー200円。見た目はワンプレートなので最初は量が少ないと思ったけど、実際は食べ応えがあった。古墳のそばで食べると、大抵古代米が出てくる。肉も美味しかった。
Ⅸ.石舞台
ここも国営飛鳥歴史公園の石舞台地区という事で、広い公園になっている。遠足の中学生が芝生広場で元気よく騒いでいた。
世界の遺跡・ドルメンを見てきたけど、もちろん時代は石舞台の方が全然新しいから(2,000年以上)比べるのはおかしいんだけど、でも大きいわ。石室としての大きさは世界的にも立派だわ。
↓ 中に人が入っている所を、外側から、石の隙間から撮影
↓ ぼやけているのは私です。大きさ比較として。
こんな言い方は良くないが、無駄にデカい。
↓ 中にあったはずの家型石棺の想像復元
この後、おしゃれな街並みを走る。
Ⅹ.酒船石遺跡
どかにあるんだ?と思いながら自転車を漕いでたら、「万葉文化館」の駐車場のそばだった。
40年前に来た時は、酒船石しかなかったけど、2,000(平成12)年の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ばれるようになった。歴史は後世の発見で塗り替えられるから面白い。
1.酒船石
40年前は謎の遺跡だったのだ。手塚治虫の「三つ目がとおる」第4話とかさ。酒か薬を調合する道具だとかさ。宇宙人が作ったとかさ。ロマン溢れる遺跡だったのだ。
しかもこちら側(案内所:料金を払う場所の右手の山道を登る)はなぜか無料。
↓ 西暦2,000年前の説明版なので亀形石造物には触れてない。
長さ約5.5メートル、幅約2.3メートル、厚さ約1メートルと大きいので、上手く写真におさまらない。
不思議な形でしょ。
変に切り取られている(ほぞ穴)のは近くの高取城増築する時に、持って行かれたらしい。
↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカでは、こんな風に使われていたんだろうと復元。やっぱり水を使った儀式用庭園の一部だったのかな?
2.亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣
こちらは2,000年に発掘された有料地区。お金を払う小屋のおじさんが、親切に説明もしてくれた。
水を流してる木、木を支えてる黄色い石、石垣の補強の黒い土嚢以外は発掘したままの物なんだって。
「万葉文化館」の駐車場のために土を掘ったら出てきたそうだ。説明してくれたおじさんは「日本書紀以外の文献に記述がないのは、あまりの大規模土木事業のため、人々の生活を圧迫したので、良く思われなくて、忌み嫌われたからではないか」という説をあげていた。
確かに広い! 大規模工事だったのに、違いない。また、40年後に来たら、何か発見されているのかなあ。おじさんの話を聞く事ができてラッキーだった。
また、おしゃれな街並みを通り抜ける。
飛鳥寺は40年前の記憶があったので、パスする。謎の石はないし。
ここの庭園には、飛鳥の謎の石のレプリカが並んでいる。庭園だけなら無料だ! なんて素晴らしい場所なんだ!
1.高松塚古墳の石室のレプリカ
穴は盗掘者が開けたもの。
2.高取の猿石
猿石の仲間。高取までは距離があるのでここで見られて良かった!
3.京都の料亭に現物がある酒船石
石神遺跡出土。噴水の機能を持つ石造物で、使われていた当時のようすを再現しているので、ちゃんと水が出ているのだ。
↓ こちらは館内にある現物
5.石人像
技術的には凄いと思うが、飛鳥時代の人はこれを見て美的には感動したのだろうか?
↓ 館内の現物
入場料を払って、ちゃんと館内も見学しました。
飛鳥資料館の庭園で大満足。飛鳥の謎の遺跡は、大陸→百済から伝わった、水を操る庭園に使われた物だったんだねえ。亀石は違う気がするけど。
満足したし、飛鳥駅のレンタサイクル屋さんに5時まで自転車を返却しなければならので、そのままのんびり駅に向かう。
この頃になると、余裕で自転車を漕ぐことができた。年寄りは適応能力がないな。
↓ この奥が甘樫丘地区
なかなか充実した1日だった。
Ⅻ.ホテル
25日と26日は、奈良より飛鳥に近い場所で安いホテルを探した。1ヵ月前で、ここしか空いてなかった。
大和橿原シティホテルのスーペリアシングルルームの素泊まりで、25日が7,700円で26日が土曜日なので8,700円。口コミだとあまり評価が良くなかったが、別になんともなく快適に過ごせた。
【喫煙ルーム】しか空いてなかったが、昭和育ちの私は若い頃吸ってたので、部屋に入って5分もたてば、匂いが分からなくなっていた。
XⅢ.夕食
Farmers CAFE and GRILL「奈良食堂」-leaves-に行ったら、「予約でいっぱいです」。大和八木駅周辺は、居酒屋が多くてなんか入り難そうだったので、うどん屋へ。
コンビニでビールとつまみと翌朝分のパンを買って、この後部屋飲み。
トム・ハーディが好きだから。
MARVEL映画は飽きたし、「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース」なんか知ったとこではない。冒頭のメキシコのバーのシーンは、スパイダーマンと関係あるらしいが、関係ないわい!
前2作、観てはいるけど、予習せずに行ったけど、丁寧に説明されてたし、「ヌル」と「コーデックス」の関係も良く分かった。コンビニのチャンさんは強烈なキャラだったので、ちゃんと覚えたので、問題なし。まあ“偶然”べガスで会う訳にないけど、映画だからなあ。
今回のトム・ハーディのエディは、メキシコに逃げてきてるせいもあって、Tシャツにアロハシャツを羽織ってひざ丈のパンツ。ヨレヨレで、体も顔もダボダボで全然カッコよくない。ベガスでスーツに着替えたら、少しカッコよくなった。「セクシーな男」に選出されたのもネタになってた。
「インセプション」の時、本当にカッコ良かったのになあ・・・。素敵だったのに。
エディとヴェノムは知り合って1年という設定で、2人の思い出シーンも出てくるんだが、第1作目の2018年の頃は若くてさあ・・・。ヴェノムはCGだから全く変わらないけど、トム・ハーディは生身に人間だからなあ。生身に人間って、やっぱり弱いよねえ。こんな弱い人間が、エイリアンと戦うのって、やっぱり無理だよねえ。
前作に続いて脚本と製作にもトム・ハーディの名を連ねていた。
映画自体は、面白かったよ。登場人物のキャラが、底が浅いと言うか分かり易いというか。女博士2名と将軍も分かり易い性格で。UFO好きのマーティン一家も、いなくてもいいけど、いればまあ感動できるし。ヴェノムはじめ、シンビオート達は皆いい奴ばかりだし。
長~いエンドロールクレジットで2回もエピソードが挿入されているけど、もう見る気はないので、関係ないや。
「靴」の扱いも、しつこい。分かるようで分からない。無くてもいいと思った。
10月25日 金曜日 その2
欽明天皇陵の陪塚の石室が分離したものと考えられている。
こんだけ古墳があるので、石室や巨石は見慣れているはずなのに、鬼の仕業にした村人が不思議。
なんとこの石の管理は宮内庁!
1.鬼の雪隠
農道を西へちょっと走ると畑の中にまずは「雪隠」が見えてくる。
2.鬼の俎
道の反対側、斜面を登った林の中にある。
↓ 背面から入り口方面を見る
ステッチみたいな、大きい破線みたいのは、後の誰かが石を切り出そうとした跡だそうだ。
Ⅴ.天武・持統天皇陵
「鬼の雪隠&俎」が宮内庁管理であることに驚いて、やはり宮内庁管理の「天武・持統天皇陵」にも寄ってみた。どーせ、入れないけど。
今調べたら、ちゃんと天武天皇と持統天皇のお墓なのに、1235年に滅茶滅茶な盗掘をされていた。気の毒だ。
↓ 後側から見た、古墳部分
Ⅵ.亀石
畑の中に唐突に現れる。40年前に飛鳥に行った時より謎が解明されてきた石が多い中、この子は未だ謎のまま。
可愛い! 亀というよりカエルに見える。吉備姫王墓の猿石などとは全くデザインが違っているので、別の流れのような気がする。益田岩船に似てる。
「亀石は当麻の蛇の仕業で湖が干上がって死んでしまった亀を弔ったもので、元は北向きだったものが現在の南西へと向きを変えており、亀が当麻の方向である西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという怖い伝説も残されています。」怖っ!
おおらかなラインだ。
↓ 背面 翌日行った益田岩船のようなメロンパンみたいな大きい格子状の模様が見える。
Ⅶ.橘寺
「創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。当初は66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。」
1.本堂
2.目的の二面石!
やっぱり、猿石の仲間のような気がする。これも、今日最後に行った飛鳥資料館庭園に、もっと顔が見やすいレプリカがあった。
私は二面両方共、邪悪な顔にしか見えないのだが・・・。私の心は邪悪なのだろうか?
3.方丈池
4.往生院(限定公開)
念仏写経研修道場として平成9年(1997)に再建された往生院。その格天井には現代画家らが競作した260点の花の天井画。
5.五重塔跡の塔心礎
「一辺2.7mと巨大な塔礎石は、中央には直径約1mの孔が開いています。その周囲には3か所の突出部があり、添え木を入れるために設けられたものと考えられています。橘寺の五重塔は平安時代後期の久安4年(1148)に落雷で焼失し、鎌倉時代の文治年間(1185~1189)に三重塔として再建されましたが多武峰の焼き討ちで再び焼失。以降再建されずに礎石の一部のみが残されています。」
孔は橘の形になっている。
6.三光石&阿字池
「三光石は、 聖徳太子が勝鬘経を講讃した際、日、月、星の光を放ったという。阿字池 - 梵字の「ア」を形どって聖徳太子が作ったという。」
太陽・月・星の光ってなんだ?
「推古14年秋7月(606年)、聖徳太子は天皇の仰せによって勝鬘経(しょうまんきょう)を三日間にわたって御講讃になった。
その時、大きな蓮の花が庭に1mも降り積もり(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、推古天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるように太子に命ぜられた。」
10月25日 金曜日 その1
近鉄奈良駅のホテルをチェックアウトし、大和西大寺駅と橿原神宮前駅で乗り換えて9:30過ぎに飛鳥駅に到着。40年前にも来てるけど、1時間近くかかって、3線も乗り換えたっけ? おまけに橿原神宮駅での乗り換えでは、なぜか踏切を渡った・・・。
飛鳥駅で、リュックをコインロッカーに預けて、駅前のレンタサイクルで1,400円の電動自転車を借りる。私のあまりにも下手さに(自転車に乗るのは7年振り)レンタサイクル屋の人に呆れられる。私が事故を起こしたら、飛鳥のサイクリング観光、大打撃だからなあ。
なので電動自転車に慣れるまで、電源を切ってこぐ。高松塚古墳までは、車道の脇の歩道を進む。
Ⅰ.高松塚古墳
国営の飛鳥歴史公園の1地区になるため、広大な広さだ。歴史公園館の方に自転車を停め、車道したのトンネルを通って、里山というか公園内をかなり歩く。
ドックランまであるんだが・・・。飛鳥にドックランって必要なのかな?
1.高松塚壁画館
1ヵ月の前に、この前週の壁画修復作業室の公開に申し込もうとしたらすでに空きがなかった。
壁画の模写がゆっくり鑑賞できる所。「壁画模写は、前田青邨氏のご指導により、昭和49年に平山郁夫 東京芸術大学教授(当時)を監修に、守屋多々志 愛知芸術大学教授(当時)を中心に、20名の方々に制作をお引き受けいただき、約2年の歳月を経て完成しました。」と誇らしげに解説している。
が、今となっては2,000年以降の保存の劣化問題が有名になってしまっているので、ちょっと気の毒な感じも・・・。
↓ 観覧料チケットはこちらを購入
三ヵ所巡るなら200円お得!
あと、ここでゲットした「明日香村 観光マップ」が広げるとA2サイズになる大型地図なので、見やすくて便利だった。
2.高松塚古墳
壁画館からちょっと登る。
もちろん復元。2段構成の円墳。
↓ 背面
↓ ここから見えるあの茂みも古墳なんだろうなあ
3.展望台
せっかくなので、公園の中を歩く。
おおっ、日本の風景だ! んん?右側の白い三角形は・・・
↓ 翌日ガイドツアーを申し込んでいる牽牛子塚(けんごしづか)古墳だ!目立つなあ!
歴史公園館まで戻って、その右脇の小道から、謎の石巡りへ。この後は、田んぼのあぜ道が自転車用に整備されているので、走り易い!
Ⅱ.吉備姫王(きびひめのおおきみ)墓の猿石
民家の間の幅50㎝位の道を登る。吉備姫王は、皇極天皇(642~645)&斉明天皇(655年~661年):同一人物で天智天皇のお母さん、のお母さん。「この墓は欽明天皇陵(梅山古墳)に隣接し、8m程度の小円墳とされるが、考古学的な裏付けはない。古墳ではないとの説もあるが、現在は欽明天皇陵の陪塚とされている。」そうで、かなりあやふやだ。そして宮内庁管轄。
この拝所の柵の向こうに、猿石はいる。18世紀初め頃に付近の水田から掘り出されたもの。「花崗岩」とする文献もあるが、宮内庁の調査報告では材質は石英閃緑岩らしい。
柵の間にスマホを突っ込んで撮影。
↓ 女(左)・山王権現(右)
↓「 山王権現」と言われている像の後姿 。飛鳥資料館の庭園レプリカを撮影。
かなり不気味だ。
↓ 僧(左)・男(右)
↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカの「僧」の後ろ姿。あばら骨みたいなのが彫ってある。
↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカの「男」
↓ 「男」の後姿。なんかしゃがんだ人みたいのがくっついてる。
そう、宮内庁管轄のせいで、実物はじっくり見られないのだが、飛鳥資料館の庭園で、レプリカをしっかり見る事ができる。しかも庭園は無料だ。なんて素晴らしい庭園なんだ!
多分、百済から来た人、もしくはその指導を受けた日本人が、天然の石の形を利用して掘って、当時の庭園に飾った石像だと私は思う。
↓ 吉備姫王墓の周辺の民家の屋根はこんな感じで立派だった。「煙り出し」と言うのかな?
Ⅲ.カナヅカ古墳
吉備姫王墓のちょっと先。看板だけあった。形状は方墳らしい。ここが吉備姫王の真の墓という説もあるらしい。明治時代に壊されてしまって、よく分からないらしい。
3泊4日で奈良と堺市に行ってきた。奈良在住の友人と1日目と3日目に一緒に回るはずだったが、体調不良で結局1人旅となった。
10月24日 木曜日
↑ 冠雪なしだったので、一瞬、富士山とは分からなかった。
近鉄奈良駅近くの待ち合わせ場所で友人と会ってランチ。その後は一人で、友人のお勧めコース(春日大社→下の禰宜道→志賀直哉旧居→新薬師寺)を回る。
Ⅰ.春日大社
近鉄奈良駅の東側に、東大寺と興福寺と春日大社が入り組んであるんだが、春日大社は行った事がなかったので。
↓ 途中の興福寺中金堂
修学旅行生とインバウンドがいっぱい! 五重塔は修復中。
①一の鳥居
「古くは春日大社と興福寺旧境内との境に立つ結界としての役割を持っていました。」そうだ。だろうな、こんなに入り組んでたら。
↓ 奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター
建物は、明治35年(1902)竣工の「飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れる一方、窓にはイスラム風の意匠もみられます。構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されて」いる立派な建物。
↓ そして参道には、外国人大喜びの鹿たち
雄は発情期なので、角が切られているけど、たまに雌を追いかけたり、雄同士喧嘩したり、やたら鳴き声を上げていた。
↓ カッコいいコンクリの建物がある!と、近づいたら鹿苑(ろくえん)だった
↓ 鹿のフン
②参道の石燈籠
そして、今も石燈籠は増えている。
③二の鳥居
この横に立派な駐車場やトイレがあった。団体はここから参拝が始まっていた。
④南門
せっかくですから、700円払って中へ。
釣燈篭って、最初は金色なんだね。
江戸時代まで神職の詰所であった藤波之屋という部屋を鏡張りにして、燈篭に火を灯し(危ないから火じゃないけど)、春日万燈籠の雰囲気を観光客にサービス。
本殿を出るとまた石灯籠。
この金色の石灯籠は「徳川家康が紀州徳川家の初代となる十男、長福(後に頼宣と改名)の病気平癒を願い春日大社(奈良市)に寄進したとされる石燈籠」
Ⅱ.下の禰宜道(ささやきの小道)
二の鳥居から小道に入る。
いきなり、誰もいない。いや、後ろから私を抜かす男性が1人いたんだが、ちょっと警戒してしまうほどの寂しい山道。
で、この道を抜けたら高畑町。
↓ 志賀直哉旧居
Ⅲ.新薬師寺
私のパソコンでは「危険!」という表示が出て、新薬師寺の公式HPを開く事が出来ない。
友人が「バサラ」とやたら言っていて、お勧めのお寺らしい。
この本堂は、天平19年(747)の頃の建築だそうだ。中に入ってようやく「バサラ」の意味が分かった。写真撮影は禁止なので、ネットで拾った画像を貼っとく。
本尊薬師如来坐像(木造・国宝)と、それを囲む日本で最古最大の十二神将立像(塑像・国宝)が安置。うち、500円切手になっているのが伐折羅(バサラ)大将(迷企羅大将)。
そう言えば、見た事あるな。
Ⅳ.鏡神社
新薬師寺の門のすぐそばにあったので、何気なく入ってみた南都鏡神社。
「本殿は、代々春日社々殿を下賜されてきました。現本殿は延亨3年(1746年)第46次御造営の際に、第3殿を賜ったものです。」
へえっ~、そうなんだあ。春日大社を観た後だったので、なんか愛おしかった。
この後、ブラブラと近鉄奈良駅まで戻る。
↓ 鹿がいっぱい!
↓ 鷺池の浮見堂
撮影されてる方もカメラマンも、日本人ではなかった。
Ⅳ.夕飯
友人に聞いた、たかま家さんに行ったんだが・・・。従業員がいきなり休んだとか、材料手配に失敗したとか、何かあったのかな?
食べたかったメニュー及びその周辺のものは「今日は用意ができなくて」と言われ、しょうがないからヨレヨレの紙に書かれた“今日のおすすめ”とそばを頼んだんだけど・・・。なんだかなあ。帰りにコンビニでおにぎりを買った。
Ⅴ.ホテル
空いてて、近鉄奈良駅から近くて、安さで選んだ、“ベーカリーホテル シャトードール“。前回泊った“変なホテル”が料金が高くなっていたので、こちらに。駅そばで、立地もよくて、清潔で良い感じでした。
M・ナイト・シャマラン監督の映画だ。ワーナーの公式HPだと、脚本はイシャナ・ナイト・シャマラン(映画.comやWikipediaにはM・ナイト・シャマランの名前になっているけど)、重要なキャストでスタジアムでライブをするカリスマアーティストはサレカ・シャマランだ。一家総出だ。「親ガチャ」成功者の姉妹だ。
「一見、愛情深い父親でありながら、実は凶悪な殺人鬼だという男を追い詰めるべく、FBIが巨大ライブ会場に罠を仕掛ける。」というストーリーが3/4位。観ているうちに12人の将来有望な若者を切り刻んだ殺人鬼目線になってしまい、いかに巨大ライブ会場から無事に(?)逃げ出せるかと、ハラハラしてしまう。
個人的にはアリーナ席で、ジョシュ・ハートネットが前に来たら本当に嫌だなあ。何も前が見えないもん。一応、ジョシュ・ハートネットの後の席は、彼よりは背が低いけど男性が配置されてる。
ジョシュ・ハートネットが演じる殺人鬼クーパーは体力も強くて頭も抜群に切れる。そして冷静だ。なぜかFBIは“殺人鬼”がこのレディ・レイブンのライブにいる事を知っている。ただ、FBI側には30代~40代の白人男性で手首に動物の入れ墨という情報しかないので、3万人の観客中、3,000人の該当者(10代の子供の保護者)を一人ひとりあたっていく。
娘とのライブを楽しむ良いお父さんを演じながら、クーパーはFBI&警察&SWATなどの包囲網からどうやってスタジアム脱出をはかるか?
やはり人間は窮地でパニックを起こさず、冷静に周囲を観察する事が必要だとつくづく実感。まあ、私のこれからの人生、そんなに窮地には陥らないと思うけど。
原題はTRAPなんだけど、スタジアムにあまり罠はしかけられてない。スタジアム全体が罠だけど。むしろスタジアムを出てからの方が罠の掛け合いだ。
スタジアムを出てからは、ネタバレになるかも。
レディ・レイブンはさすがカリスマアーティストだけあって、クーパーと互角に渡り合う。歌も本人だし、スタジアムでライブもやるし、キャストとして大活躍だ。
それ以降は、FBIや警察が間抜け過ぎて。FBIプロファイラーのおばあさん(私より若いかも)が頑張ってんだけど、現場が間抜けでクーパーにしてやられる。
そして、最後は父娘の話から、夫婦間の話へ。へえっ~、そうだったのか。この人が仕掛けた罠だったのか。回りくどいと感じる観客もいるかも知れないけど、一番身近でその人の子供も産んで育てた奥さんなら、自分で結論を出すのは先延ばしにしてこんな事もするだろうなあ。
で、ラストは警官がまたおバカさんで。12人殺してる知能犯なのにねえ。クーパーに生きる希望を与えてしまったじゃないか。
2024年韓国No.1大ヒットのホラー映画だ。これは観なければならない!
「巫堂ファリムと弟子のボンギルは、跡継ぎが代々謎の病気にかかるという奇妙な家族から、高額の報酬と引き換えに依頼を受ける。先祖の墓が原因であることがすぐに判明し、お金の臭いを嗅ぎつけた風水師サンドクと葬儀師ヨングンも合流。4人はお祓いと改葬を同時に行うことにするが、墓を掘り返す儀式を始めた矢先、不可解な出来事が彼らを襲う。」
前に韓国(多分済州島でだったけな?)に行った時、日本のように墓地でなはく、田んぼや空き地に唐突に“墓“があるのは「死者にとって良い場所を風水師が占って、その場所を墓とする。その風習があるから土地の持ち主も墓を作ることにOKするし、まあそこら辺は適当に」と現地ガイドさんから言われたのを覚えていたので、すんなり入り込める。
それにファリムを演じるキム・ゴウンがクールで物事に動じなくてカッコイイし、ボンギルは初々しい中にもどこか頼りがいのあるイケメンなので、ビジュアル的にも満足。
4人で、家族にかかった呪いの元凶をやっつける所(とは言え完全勝利!とは言えないけど)までは面白かった。韓国では一族の血より名字の方が、呪いの対象になるんだあとか、70年前の過去とは言えずに韓国ではまだ呪縛に苦しんいるんだとか。
でも、その後が、「グエムル-漢江の怪物-」の時もそうだったけど、ダラダラ続くんだよ。必要かなあ、こんなに長く。続いた割には、最後に戦闘中の風水師サンドクの数分の独り言で全ての謎がきれいに解き明かされる。字幕が間に合わない位の急激な謎解き。
以下、ネタバレ。
一部で言われている「反日映画」感は、私は全く感じられず。
日本軍に協力してて家族を呪ってた霊の棺の下に、さらに埋まっていたのが、朝鮮半島を虎に見立ててその背骨に鉄杭を打てば朝鮮半島の勢いが弱まるという風水か陰陽師のお告げによる“鉄杭”。その“鉄杭”は、なんと日本軍が埋めた、関ヶ原の合戦での武士の怨霊が鬼となったものを封印した柩だったという展開。
なので、4人と甲冑を着た巨大鬼みたいの(顔はちゃんとは映らない)が戦うんだよ。驚きだあ!
しかもどうやって倒したかというと、前述の風水師サンドクの数分の独り言で倒し方が解説されるという、早回し展開!
“進撃の巨人“か“鬼滅の刃”か“大魔神”か? “耳なし芳一“かよ!と突っ込みたくなるシーンもあるよん。
そして、韓国(朝鮮半島)の平和は保たれ、4人はまた元の生活に戻る。4人はケガをするけど死なない。何かに守られているんだろう。
んん~、必要だったのか? 韓国での武士の怨霊との対決? それとの、400年以上前の日本の武将の怨霊を敵にしたのは、最近の日本を敵にしなかった韓国側の配慮なのかな。