⑥名越切通(第3切通)
さっきの分岐点まで戻って、まんだら党やぐら群方面へ。
正直、どれが第3切通なのか、分からなかった・・・。
この標識の後に小さな階段があり、それを登ると到着!
⑦まんだら堂やぐら群
一般公開中なので、鉄格子の扉が開いてて、中にボランティアガイドさんの待機場所のテントがある。
で、そこを通るといきなりあった!
面白い! 不思議だ!
私のイメージとしては、鎌倉=ちょっとした崖にはやぐら、なのだが、これだけまとまって残ってるのは、やっぱり凄いな。
この最初の広場は、こんなふうに結構穴が残っているが、奥の広場のやぐら群は半分崩れてる。
↓ ここからは奥の広場。
で、この広場の奥の草むらには緑色のシートがあるんだが、
ボランティアガイドさんによると、五輪塔のバラバラの石をまとめて置いて、シートをかけているんだって。
ちなみに穴の中の五輪塔も結構適当に積んでるらしい。
展望台みたいな場所もあり、そこから最初の広場を見渡せる。
上から見ると、結構崩れそうだ。砂岩だから脆いそうだ。頑張れ保護! もちろん、カンパ箱にカンパしてきた。
展望台(山)の周りも、やぐらがあった。
だから、造成中の時はかなり広大な敷地だったんだろうなあ。
秋の公開日には、こんなふうに友達と来たいなあ。今はまだ、友達を誘うのが怖くて。
⑧名越切通(第2切通・第1切通)
再び名越切通へ。
↑ 多分、第2切通。
で、ここが第1切通。
狭いでしょ。人1人しか通れない。鎌倉時代に防衛のためにわざと狭く作ったと授業で習った。今から半世紀前だけどね。
でも、現代では「平成12年度に第1切通部分で通路を横断するトレンチ調査が行なわれました(調査主体:神奈川県教育委員会、(財)かながわ考古学財団)。その結果、現在私たちが歩いている路面の下60cmまでの間にすくなくとも4回、道路を補修した痕跡が確認され、最下層の岩盤削り出しの路面上からは18世紀後半以降に作られた焼物の破片が出土しました。つまり、現在のルートの下に残っている最も古い道は、江戸時代に使われていたものだということです。平成16年度、同じく第1切通部分の崩落防止工事に伴う通行路付替えに先立って、部分的な発掘調査を実施したところ、切通路のもっとも狭まった部分の幅は現在約90cmですが、かつては約270cm以上あったことがわかりました。それ以外の部分についても、現在の道幅の倍以上広かったと推定されます。以上のことから、名越切通の第一切通部分は、江戸時代の後半には現在よりも幅の広い道路でしたが、それ以降、数度の大地震等で崖が崩落して埋まり、その都度かさ上げしながら道幅を狭めつつ復旧し使われてきたものと考えられます。」だそうだ。
やっぱ、科学でにきちんとした調査でしか真実は分からない。というか、必要だよな。人の話なんて、あんまり当てにならないって事は、昔からの伝承も、今のSNSも同じなのかな。
で、第1切通の後、唐突に切通は終わって、住宅街になる。
切通が尾根沿いにあったため、目線に山の山頂が見え、
住宅街も凄い角度の坂に建ってる。自動車、良く登れるなあ。スキーだと初心者コースではない角度だ。ここからまた逗子駅まで20分位歩いて戻る。
⑨庚申塔
岩殿寺から横須賀線沿いの道に庚申塔の説明看板と庚申塔があった。
そしたら、名越切通を抜けて、亀ヶ岡団地の住宅街の中にも庚申塔を見つけた。
これも3猿でしょ。日蓮を助けた白猿も3匹なんだよなあ。3猿がいろいろごっちゃになってる気がする。
岩と遺跡好きに私には、とっても満たされた1日だった。まんだら堂やぐら群の秋の一般公開日にも、また行こうっと。その頃には友達を誘えるかなあ。