添乗員さんからバスで受け取った資料の中で、「香取神宮」と「鹿島神宮」に「要石(かなめいし)」があると知る。えっ?「すずめの戸締り」の要石だ。ここにもあったのかあ。映画を観てない友人は、今一ピンときていないようだ。そりゃそうだ。
13:30~14:35 香取神宮
両脇に土産物屋やカフェの並ぶ参道を進む。歓迎されてる。
①鳥居
②参道 なかなか趣のある参道だ。
③楼門
④拝殿
えっ? 何? 可愛い!
「元禄13年(1700年) 徳川幕府の手によって造営、慶長年間の造営で用いた桃山様式を元禄の造営時にも取り入れよく受け継いでいます。本殿の様式は正面柱間三間の流造に後庇を加えた両流造り、現在屋根は桧皮葺ですが、もとは柿葺でした。規模も大きく、また建築様式も近世前期の正統的な手法を用いており、全国的に見てもこの時期の神社建築を代表する建物です。」
桃山様式なんだ。銅葺の屋根じゃなくて、黒い桧皮葺で金と緑の色合いが可愛い。
⑤奥宮
民家がある普通の小路を歩いて行くとあった。結構人気だ。
社殿は昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材を使用したそうだ。
⑥要石(かなめいし)
奥の院から、またちょっと戻った所。
直径30㎝位かなあ。小さな石だ。
「大地震は、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。」
この小さな石に、そんな伝説をしょわせているのが面白い。いや、もしかしたら本当なのかも・・・。なんてね。
⑦香取護國神社
要石から参道に戻る所にあった。なぜか、心魅かれた。
「昭和二十一年九月創建されました。明治以降の国難に殉じた香取郡出身の御霊を御祭神としています。春・秋、二度の例祭が行われています。」
なぜ、私はこれに何かを感じたのだろうか?
15:00~16:00 鹿島神宮
要石まで遠い!と、思って歩き出したら、全然大丈夫だった。
①大鳥居
木製だ。「東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました。」
成程、そうだったのか。
②楼門
日本三大楼門の一つと、今知った。素通りしてしまった・・・。
③本殿・石の間・幣殿・拝殿
「令和の大改修」中。
本殿の屋根は拝める。香取神宮と似ている。可愛い!
④参道
なかなか荘厳な雰囲気。
雪も残っている。
こんな注意書きもある。
⑤鹿園
餌を買うと、近くまで行くことができる神の使い。
⑥奥宮
結構立派だ。「現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。」なるほど、元本殿なのか。
屋根が白いのは雪。
⑦ナマズの踏む武甕槌大神像
⑧要石
こちらの要石は、結構ゆったりスペースの敷地だ。
こちらの要石は凹型。
「水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。
1日で3つも有名な神社仏閣を回る。なかなか良い1日だった。良い1年になるかなあ。1月30日からの仕事は結局断っちゃたけどね。