原題のCODAは、劇中にもでてきたが「Child of Deaf Adults」の略語で「聾唖の親を持つ子供」という意味だそうだ。そんな単語が存在するとは。あと音楽用語で、『楽曲の終わりを表す記号であり、また次の章が始まる意味も持っている』らしい。凄い題名だなあ。
フランス映画「エール」のリメイクらしいが、「エール」は観ていない。
主人公の女子高校生ルビー以外の家族は、本当の聾唖の役者さんが演じているらしい。お母さん役のマーリー・マトリンって、1986年の「愛は静けさの中に」のヒロインじゃん。観てないけど。でもアカデミー賞授賞式は観た。黒髪のイメージだったけど・・・。役者さんを続けていたんだあ。
ルビー、偉いんだよ。毎日朝の3時に起きて、父親と兄と船に乗って漁に出て、それから自転車で高校に行って。確かにずっと聾唖の家族の中で育ってきたから、言葉の発達が遅くて話し方も変だったんだろうから学校でもイジメにもあってるし。実際、魚臭いだろうし。
でもルビーはそんな境遇に全然負けてなくて。「うちの家族は町で目立つから」と。両親と一緒に病院に行って、性病の通訳も冗談を交えながら淡々とこなす。
だから、なぜ監査員が船に乗る日に、乗らなかったんだろう? 家族から自立したい高校生だけど、その1日を我慢すればややこしい事にならなかったのに。まあ、それじゃ、映画にならないけど。
両親・兄が、やたら元気なんだよ。いろんな意味で。自分達の出す音や声が聞こえないから。ああっ!なるほど。ルビーは大変だあ。
ルビーの晴れ舞台、合唱部のコンサートで、片思いだったマイルズ(「シング・ストリート」の主人公コナーを演じたフェルディア・ウォルシュ=ピーロ)とのデュエットで、二人の歌を聞かせるのかと思ったら。両親・兄の立場に変わって、音が消える。このシーンには驚いた。何も聞こえない。そりゃ、夕飯何にする?とか手話で話出すわけだ。でも、周囲の人の反応で、どうも娘が凄い歌声だと気が付く。
お父さんが音楽好きで、重低音を感じるからラップが好き。娘の声も喉を触って、只者ではないと感じる。
で、音楽の先生の協力もあり、客席に忍び込んだ家族の向け手話を使って伸び伸びと歌い、バークリー音楽大学に合格。
そして、家族で始めた事業も仲間の協力でうまく回り出す。ルビーと家族はそれぞれ自立の道を進む。メデタシ、メデタシ。
でもさあ、歌が上手いだけで、2ドルのレコードプレイヤ―だけの音楽の素養で、大学でやっていけるのかなあ。映画のラストとしては「アメリカズ・ゴット・タレント」みたいなオーデション番組に受かる、では、家族からの自立にはならないからダメなのかなあ。
受験に失敗したマイルズとはしばらくしたら別れるだろうなあ。お兄さんも文字通り体つながりの彼女としばらくするとうまく行かなくなるんだろうな。なんて、考えたらいけないんだろうなあ。映画なんだから。
元気はもらえる。でも、感動して泣く程ではなかった。