3部作の1作目で、3部目が「週刊文春」でベタボメだったので本屋に行ったら、平積みされてた。
スウェーデンの作家でスウェーデンが舞台。
スウェーデンって、なんか遠い感じがしてたが、小さい時に読んだ「長靴下のピッピ」「やかまし村の子供たち」「名探偵カッレくん」などアストリッド・リンドグレーンの作品や「小さバイキングビッケ」なんかで、遠くない国だったんだ。
あと5年位前に、北の方の山村にオーロラを見に行ってるんで、田舎の雰囲気もビジュアルが浮かんで、小説に出てくる真冬のマイナス30度も体験してるじゃん。私。
でも、スウェーデンって、私が中学生頃は、ABBA(←これしかでない)とフリー・〇ックス(この単語を伏せ字なしでブログに書くと変なコメントが付くらしい。)の国で、男の子はスウェーデンと聞いただけで、妄想を膨らませて大騒ぎだった。なんて、無邪気な時代だったんだ。
だが、21世紀の今の日本で思う。「フリー・〇ックス」って騒いだのはなんだったんだろう?
ただその名残か(?)、主人公の46歳の男性は、上は56歳から下は24歳の女性から誘いを受けて関係を結びます。56歳だよ~。今だって、いや昔から、自分からなんて誘えないのに、56歳になった時、私は46歳の男性を誘えるんだろうか? 女としてOKなんでしょうか?と、小説の本題から全く離れて所で、立ち止まる私であった。
で、やはりその名残か(?)、小説の章(部)の扉の次のページに、外国の小説だとよく他の小説からの引用の文章とか、〇〇に捧げるとか掲載されているページには「スウェーデンでは、女性の46%が男性に暴力を振るわれた経験がある」「スウェーデンでは女性の13%が性的パートナー以外から深刻な性的暴力を受けた経験がある」という文章が書いてあって、?と思うんだが、小説を読み進めるうちにこれがジワジワ効いてくる。
で、本をスキャンするまで気がつかなかったんだが、腰巻(本の帯)にこんな大きく、なぜ児玉清?