ヒアリング独り言シリーズ最終回も皆の民訴ちゃん。
「不良」答案は,「弁論主義や自白の意義といった民事訴訟法の基本的な概念についての理解が不十分な答案」,「訴えの利益,訴訟物,既判力といった基本的な民事訴訟法の概念の理解が不十分な答案」である。民訴の場合,他の科目以上に答案作成上要求される法的概念の理解の比重が大きいといえる。問題を解く上で(問題の所在を指摘する上でも),背景に鎮座する民訴法理論,法概念に遡って論述することが求められるケースが多いということである。受験生的には,どのような場合にどこまで翻って論述すべきか普段から意識する必要がある。
例えば,自白成立云々の前に,主張として弁論に出てきていなければそもそも証明の必要性の問題自体が出てこない。とすると不要証事項かどうか言う前に,そもそもある主張が弁論に出てきているといえるのかどうかが議論として先行するはずである。だから建物買取請求権行使の事実に関する主張がなされたと言えるのかどうかを検討する為に,主張共通や,権利抗弁かどうかという議論をする実益もあるわけである。そういう意味で,今年の問題を解く上では民訴理論の理解は不可欠の要素といえた。私は昨年年初から,「民訴が単独出題される可能性が高い。またその場合は,難易度が上がる。」と色々な機会を利用して指摘して来ました。大大問形式による制約のフラストレーションが民訴試験委員にあったことは従来のヒアリング等により明らかでした。だとすると足かせが取れたときに自由に問題を作成してくることは容易に想像できます。また,第3回まで「民訴は現場思考で何とかなるさ」的な甘い雰囲気が受験生にあったのは事実だと思います。元々旧司法試験では民訴の難易度が高いのは有名でしたので,明らかに危険なギャップが醸成されていたわけです。そのリスクが現実化したのが第4回です。見事な問題を出してきたものです。
本年度以降どうなるのか気になるところですが,私は以下のように考えます。大大問は既に大問が2個同じ問題用紙に掲載されている以上の意味を持っていません。当事者としての会社名が同じだけで,完全に後日談です。となると,仮に大大問で民訴が出ても,大大問だからと言って民訴法が実体法サイドに引きずられる必要性もなくなってきます。だとすれば,大大問だろうが大問だろうが,実質的には3科目が独立して問題を作成っされることになります。特に昨年の民訴の評判がいいだけに,完全に開き直って作成して来る可能性は十分あります。つまり昨年と同質の問題になる可能性が高いということです。もちろん,従来型の出題もあります。つまるところ,民訴は現場思考だから(あんまり勉強しなくても大丈夫)とはもはや言えなくなった,ということになります。旧司法試験の民訴は勉強の素材としては大変良いです。
その他,説問1については,「擬制自白の問題として安易に結論を出している答案」は,「不良」,「問題の所在は把握しているものの,検討の肉付けが不十分であるような答案は」,「良好」,「問題の所在を把握した上できちんと分析をし,自分なりの結論を導き出しているものは」,「優良」ということになるようです。
説問2については,小問1について,「十分な説得的な論述がなされている答案から,訴えの利益の概念を簡単に書いて結論を出してしまっている答案まで様々であり,そういうものが「優良」から「一応の水準」に分かれることになったのだと思う」とあります。また小問2については,既判力の一般論から直ちに結論を導き出している答案がほとんどであって,「優良」や「良好」に当たるような答案はかなり少なかった印象である」という指摘があります。「一般論」からダイレクトに事案処理をすると,評価がかなり下がってしまうようです。しかしながら,「不良」まで落ち込まないのは,それより下のレベル(一般論さえ書けない)が多いからと見て良さそうです。少なくとも一般論で処理しきる事が最低限狙うレベルと言う事になりそうですね。小問3については殆ど見るべきコメントがありませんが,一番書きにくい問題(というより何を書けばいいのか分からん系)は間違いなくこいつでした。期待可能性の理論はちょっと出てこないんじゃないかなぁ。
さて,大大問ですが早急に廃止すべきでしょう。元々,民事系の試験時間は6時間が想定されており,3科目一括出題となることから,大問・大大問制ができたと言うのが本来の経緯です(ちなみにこれも試験時間がやたら長いアメリカの司法試験制度に引きずられたのが原因)。ところが,朝からぶっ続けで6時間論文試験をやるのは受験生に酷である(昼ご飯を食べられないし)との批判があり,4時間と2時間に分かれたという経緯があります。まぁ,この段階で,アメリカかぶれの「民事系6時間構想」は完全に意味の無いものになったわけで,じゃ止めようかと言う事で「2時間毎に3セット」にすれば何の問題もなかったんですが,何故か6時間を前提に制度設計された大問2時間,大大問4時間に今度は拘り,2時間と4時間という意味不明の制度になってしまいました。法務省サイドも大大問作るのが大変,受験生も試験開始まで科目の割り振りが分からないから,試験前どの科目の勉強をすればいいのか分からない,気がつけば事実上2時間×3セットの試験でしかない,という誰も嬉しくない試験制度になってしまいました。事ここに及んで全くもって何をしたいのか分かりません。
ですから一刻も早く大大問は廃止すべきと考えます。もし廃止しないならしないだけの出題をしなければ意味がないといえます。現状では受験生に悪戯に負荷をかけているだけです。
「不良」答案は,「弁論主義や自白の意義といった民事訴訟法の基本的な概念についての理解が不十分な答案」,「訴えの利益,訴訟物,既判力といった基本的な民事訴訟法の概念の理解が不十分な答案」である。民訴の場合,他の科目以上に答案作成上要求される法的概念の理解の比重が大きいといえる。問題を解く上で(問題の所在を指摘する上でも),背景に鎮座する民訴法理論,法概念に遡って論述することが求められるケースが多いということである。受験生的には,どのような場合にどこまで翻って論述すべきか普段から意識する必要がある。
例えば,自白成立云々の前に,主張として弁論に出てきていなければそもそも証明の必要性の問題自体が出てこない。とすると不要証事項かどうか言う前に,そもそもある主張が弁論に出てきているといえるのかどうかが議論として先行するはずである。だから建物買取請求権行使の事実に関する主張がなされたと言えるのかどうかを検討する為に,主張共通や,権利抗弁かどうかという議論をする実益もあるわけである。そういう意味で,今年の問題を解く上では民訴理論の理解は不可欠の要素といえた。私は昨年年初から,「民訴が単独出題される可能性が高い。またその場合は,難易度が上がる。」と色々な機会を利用して指摘して来ました。大大問形式による制約のフラストレーションが民訴試験委員にあったことは従来のヒアリング等により明らかでした。だとすると足かせが取れたときに自由に問題を作成してくることは容易に想像できます。また,第3回まで「民訴は現場思考で何とかなるさ」的な甘い雰囲気が受験生にあったのは事実だと思います。元々旧司法試験では民訴の難易度が高いのは有名でしたので,明らかに危険なギャップが醸成されていたわけです。そのリスクが現実化したのが第4回です。見事な問題を出してきたものです。
本年度以降どうなるのか気になるところですが,私は以下のように考えます。大大問は既に大問が2個同じ問題用紙に掲載されている以上の意味を持っていません。当事者としての会社名が同じだけで,完全に後日談です。となると,仮に大大問で民訴が出ても,大大問だからと言って民訴法が実体法サイドに引きずられる必要性もなくなってきます。だとすれば,大大問だろうが大問だろうが,実質的には3科目が独立して問題を作成っされることになります。特に昨年の民訴の評判がいいだけに,完全に開き直って作成して来る可能性は十分あります。つまり昨年と同質の問題になる可能性が高いということです。もちろん,従来型の出題もあります。つまるところ,民訴は現場思考だから(あんまり勉強しなくても大丈夫)とはもはや言えなくなった,ということになります。旧司法試験の民訴は勉強の素材としては大変良いです。
その他,説問1については,「擬制自白の問題として安易に結論を出している答案」は,「不良」,「問題の所在は把握しているものの,検討の肉付けが不十分であるような答案は」,「良好」,「問題の所在を把握した上できちんと分析をし,自分なりの結論を導き出しているものは」,「優良」ということになるようです。
説問2については,小問1について,「十分な説得的な論述がなされている答案から,訴えの利益の概念を簡単に書いて結論を出してしまっている答案まで様々であり,そういうものが「優良」から「一応の水準」に分かれることになったのだと思う」とあります。また小問2については,既判力の一般論から直ちに結論を導き出している答案がほとんどであって,「優良」や「良好」に当たるような答案はかなり少なかった印象である」という指摘があります。「一般論」からダイレクトに事案処理をすると,評価がかなり下がってしまうようです。しかしながら,「不良」まで落ち込まないのは,それより下のレベル(一般論さえ書けない)が多いからと見て良さそうです。少なくとも一般論で処理しきる事が最低限狙うレベルと言う事になりそうですね。小問3については殆ど見るべきコメントがありませんが,一番書きにくい問題(というより何を書けばいいのか分からん系)は間違いなくこいつでした。期待可能性の理論はちょっと出てこないんじゃないかなぁ。
さて,大大問ですが早急に廃止すべきでしょう。元々,民事系の試験時間は6時間が想定されており,3科目一括出題となることから,大問・大大問制ができたと言うのが本来の経緯です(ちなみにこれも試験時間がやたら長いアメリカの司法試験制度に引きずられたのが原因)。ところが,朝からぶっ続けで6時間論文試験をやるのは受験生に酷である(昼ご飯を食べられないし)との批判があり,4時間と2時間に分かれたという経緯があります。まぁ,この段階で,アメリカかぶれの「民事系6時間構想」は完全に意味の無いものになったわけで,じゃ止めようかと言う事で「2時間毎に3セット」にすれば何の問題もなかったんですが,何故か6時間を前提に制度設計された大問2時間,大大問4時間に今度は拘り,2時間と4時間という意味不明の制度になってしまいました。法務省サイドも大大問作るのが大変,受験生も試験開始まで科目の割り振りが分からないから,試験前どの科目の勉強をすればいいのか分からない,気がつけば事実上2時間×3セットの試験でしかない,という誰も嬉しくない試験制度になってしまいました。事ここに及んで全くもって何をしたいのか分かりません。
ですから一刻も早く大大問は廃止すべきと考えます。もし廃止しないならしないだけの出題をしなければ意味がないといえます。現状では受験生に悪戯に負荷をかけているだけです。