アニメ「思い出のマーニー」にも、湖畔に建つさびれた洋館が描かれていたが、人里離れた山林の奥にある朽ちた建造物、誰も住んでいない古びた廃屋を見ると、もの悲しさ、薄気味悪さ、生活から解放された安らかさ、懐かしさ、といった複雑な気持ちになる。
いちばんポピュラーな廃屋と言えば、うち捨てられて黒ずみ、今にも崩れそうな木造の校舎だ。私が小学生のころ通っていた校舎にもすでに壊れそうな心もとない雰囲気があった。なので廃校になった木造校舎には妙に親近感が湧くのだろう。わざわざ廃校を買い取って、記念館や美術館、会社のオフィス、貸しスタジオ、レストランなどに活用する事例はあちこちにある。そうするのは、きっと年寄りたちが廃校の魔力に抵抗しきれないからなのだ。
古いコンクリート造りの廃墟にも趣があるという人がいる。私は嫌いだが。
先日訪れた炭鉱跡の、使い手を失って埋もれたコンクリート構造物などは、一九七三年まで実際に使われていた。この写真に映っている廃坑跡に建つ鉄製の建造物は、坑夫たちを地下深く送り込んだ立坑巻き上げ櫓なのだ。産業遺産として、戦前の労働環境にいちゃもんをつけられながら、今でも動き出しそうな往時の姿そのまま保存されている。その櫓の周辺には数万人も居住する炭鉱住宅が並んでいたというが、今では草木によってすっかり覆われてしまい、近寄りがたい寂寥感といったものが濃厚に漂っていて、当時の面影はまったくない。
そんな奇々怪々、見方を変えれば興味津々な廃墟に、それこそ喜々として入り込む人たちがいる。廃墟マニアとは何を見ても薄気味悪いとか、恐ろしいとか、虚しいとか感じないものらしい。同伴者が、このクレーンめがけて草ぼうぼうの斜面を一直線にすいすい登るので、回り道してでも安全な方がいいという私には、ついて行くのはずいぶん難儀だった。
私は若いころ、ロブノールや敦煌といったユーラシア大陸の西域に魅せられ、ぜひ行ってみたいと思っていたが、今となってはそれらの地域は群雄割拠の戦乱時代に逆戻りしてしまい、とうてい行くことは叶わなくなった。たとえ羽のついた乗り物で連れて行ってくれるとしても、私自身、敦煌の窟ひとつさえまともに踏査するような体力気力が残っているか危うい。仮に残っていても行く気はない。
廃墟というと、私の脳裏にすぐ浮かぶのは、二年前、このブログにも登載した懐かしい叔母の家とおぼしき廃屋。その写真を再掲する。向かって右手が住居、左側が鍛冶屋の作業所だった。報告していなかったが、この廃屋は昨秋、取り壊された。私は、ちょうどサラ・プツへの出張の道すがら、偶然なのか、そこに引き寄せられたのか、取り壊し現場に出くわした。あぁと、声にならない声を上げ、そのまま通り過ぎるより手だてはなかった。翌日の帰路その傍を通ったときには、作業は終わりかけていた。重機の近くにいた若い作業員に、依頼主は何という人かと聞いてみたが、仲介する会社から頼まれただけなのでわからないと、彼は少しすまなさそうな表情で話してくれた。この家に住んだ子どもたちはこのことを知っているだろうか。そのとき、ふと彼らの代わりに私が呼ばれてここに立ち会っているんだという気持ちがした。(2015.10.15)