北海道の山野でとことん遊ぶ!!
I am Amigo!
2016.9.24 『上ホロカメットク山』(1,920m)~『三峰山』(1,886m)~『富良野岳』(1,912m)
この週末は土曜日、紅葉シーズンに合わせた山行とした。
土曜の朝少しゆっくりで、7時にHiromiを迎えに行き、十勝連峰を目指した。
前日は終日雨模様で、その雲の名残が山では午前中引きずるであろうとの予測で、出発を遅らせた。
そしてその予測は的中し、山ではいい思いをすることができた。
9時40分、十勝岳温泉登山口をスタート。
少し登ると辺りはガスに包まれ、ほとんど景色が見えない。
気温が高いので、私もHiromiもまだ短パン。
この紅葉の時期まで、1,500m以上の高山に短パンで登ったのは初めてだ。
それくらい北海道の気温はまだ高い。
スタートして間もなく目にする台風四連発の爪痕。
登山道に大量の水が流れたようで、深い雨烈ができていた。
安政火口に近い渡渉点も土石が流され、沢底が下がっていた。
ルートはD尾根に刻まれた登山道を進む。
急登だが木段が設置されており、距離も短い。
この登りで荒い呼吸をして苦しみながら登る数パーティーを追い越したが、
彼らはいったいいつ目的地に着くのだろう・・・
ハイマツと灌木のブッシュ帯を抜けて、視界が開けると同時にガスが抜け出し、
みるみる素晴らしい風景が広がった。
もうずいぶん見続けてきた風景なのにガスの中から現れると、やけに新鮮で感動を覚えるものだ。
Hiromiの口からも、感嘆の声が次々と飛び出す。
なんて言ってたか、忘れたけどねぇ~
11時10分、『上富良野岳』。
ここから一旦進行方向とは逆の『カミホロカメットク山』に向かう。
しかしそれは目と鼻の先で、
11時25分、『カミホロカメットク山』。
ここはひっきりなしに人が上がってくる。
すぐにその場を離れて『上富良野岳』に戻り、西の『三峰山』へ向かった。
昼も近いので、『三峰山』を目の前にして昼食。
この頃には再びガスが沸き上がり、辺りをすっぽりと包んでしまった。
昼食後進む『三峰山』は全てガスの中。
12時30分、『三峰山』。
ひどいガスに、「これは富良野岳もダメかな?」と『三峰山』を越えていくと、またまたガスが晴れ出した。
そして『富良野岳』の下部に至ると、『富良野岳』全体のガスが晴れた。
13時25分、『富良野岳』。
頂上にガスはなし。誠に不思議である。
いや、そういう時間的行程を組んだ己をほめてやったしだいだ。
と言うのも、我々が『富良野岳』からの下山を開始し、
『三峰山』北斜面の長いトラバースに入る頃には、またガスで『富良野岳』頂上部が見えなくなってしまっていたからだ。
ふと考えるとHiromiがこのルートから『富良野岳』に登ったのは、これが二度目だ。
最初は3年前に私との二回目の山登りのことであった。
Hiromiは通常風景写真を撮ることがない。
ところが今日はずいぶん山風景や紅葉の写真を撮っていた。
それくらい感動したということだろう。
話しはちょっとはずれるが、『富良野岳』の頂上に立つのは午後がいい。
午前中は『富良野岳』一座だけを目指す登山者であふれかえる。
そして皆昼前に下山していく。
だから私はこの山域を歩くときは、『三段山』、或いは『カミホロカメットク山』から入り、
『富良野岳』を最後にしている。
そうすると、ほとんど頂上に人がいることはない。
『三峰山』北側の長いトラバースを淡々と下り、更に黙々と歩いて、
15時15分、登山口。
Hiromi、「いやあ、今日も楽しかったぁ~!」。
2016.9.4 「ポンピ渓谷」~『平ヶ岳』(2,008m)~『十勝岳』(2,077m)
土曜の夜は、『十勝岳』麓の標高約1,000m付近で車中泊。
運転席と助手席のウィンドウを下げ、網戸状態にして寝たのだが、暑くて夜中にシュラフから抜け出て寝た。
そんな標高でも結構な気温なのだから、平地は暑い夜だったと思う。
日曜の朝5時に起床すると心配していた雲は高曇りで、十勝連峰がすっきり姿を現している。
天気予報では「曇り」。
確かに地上は曇りだ。
大雲海が広がっている。
この「曇り」だが、登山愛好家として勝手なことを言わせてもらうと、
「地上から○○mまでが雲の中で、その上は○○mまで雲がかかりません」などと予報をしてもらえると、
山選びが大変楽になるのだが。
いやいや、誠に勝手なことを言っている。
5時50分、望岳台をスタートした。
この望岳台だが、現在センターハウスの建て替え工事が実施されている。
そのため二段に設けられた駐車場のうち、下のハウス側が車両進入禁止となっている。
駐車場が狭くなっているので、前泊か早朝の早い到着をお勧めする。
我々が駐車場に入ったのが5時40分。
その時点で既に3~4台の駐車スペースしか空いていなかった。
100名山はこれだから好きではない。
我々の服装は、9月に入っても暑いなら半袖、短パン。
そしてこの日はそれでもちょうど良い気温。
いや、暑くて汗も大量に流した。
高曇りで直射日光があまり射して来ないのが助かる。
「雲の平」の長いトラバースを終え、ポンピ沢に下ってゆく途中に一箇所、深い沢形を越える場面がある。
ここは年々火山灰を多く含んだ土砂が流され、どんどん深くなって行く。
以前はそんなに深さがなく、簡単に越えていた。
それが今では10m以上の深さがあり、大変怖い。
誰がいつ備え付けて下さったのかわからないロープは、不安なので使わずに一旦沢床まで下るが、
そこからの登り返しを、またどなたがいつ備え付けて下さったのか不明なはしごを登る。
これも頼りなくて怖い。
そんな危険箇所を越えると、下りきったところがポンピ沢だ。
7時30分、ポンピ沢出合。
このポンピ沢を渡渉して登山道を進むと『美瑛岳』だ。
しかし我々はここからポンピ沢を遡行する。
遡行とは言っても登山靴のまま、濡れないように登るのだ。
しかし、ポンピ沢もやはり増水していた。
それに深く掘られ、沢床が下がっている。
大量の流水に土石が流されたのだ。
以前は楽に渡渉できた『美瑛岳』へのルートも、今はその渡渉が大変だ。
さて、このポンピ沢出合いから遡行してポンピ渓谷に入るのだが、増水でHiromiがちょっとピンチ。
渡渉個所がなかなか見つからない場面が多々。
しかしなんとかかんとか水量の少ない地点まで登ると、荒々しい風景が広がるポンピ渓谷だ。
私はこのグランドキャニオン(行ったことないけどねえ…)のような風景が好きで、しばしばこの渓谷に入る。
そして沢は小沢となり、二股が現れる。
これをまっすぐに進むと、やがて『美瑛岳』の核心部に吸い込まれる。
我々はここを右の枝沢に入る。
水量が少ないときならば、ほとんど水を目にすることのない枝沢だが、
今回は水量が少ないながらも音を立てて流れていた。
高度をグイグイ上げて、水が涸れると火山灰地となり、火山灰に深く足をとられながらもがき続けて、
9時15分、『十勝岳』~『美瑛岳』間の登山道のほぼ中間地点に合流。
ここからは遮るもののない広い山風景の中を『十勝岳』へ向かう。
ただ、広々とした風景は素晴らしいのだが、火山灰で歩きにくい。
9時40分、『平ヶ岳』。
この『平ヶ岳』だが、その存在を知る人は少ない。
地形図にも「2,008m」としか記されていない。
『美瑛岳』から『十勝岳』に向かって進むと、右手に『鋸岳』の頂を見、次に現れるピークが通称『平ヶ岳』だ。
その存在は知られなくとも、れっきとした2,000m級の山だ。
この『平ヶ岳』の辺りでガスが出てきた。
ここから『十勝岳』までは、濃いガスに見舞われると進行方向を失う危険性がある。
そこで訓練のため、Hiromiを前に立たせた。
しかしガスは薄く、やがて晴れてしまった。
いや、晴れてよかったっていう話しなんですけどねえ…
10時10分、『十勝岳』。
日本100名山のその頂上には、積雪期でない限り人がいる。
それも大勢。
ただ、この日は人の数も少ないよう。
それでもそこにとどまる気にはなれず、そのままスルー。
下り出すと一旦ガスがすっかり晴れた。
いつもは下山途中で背後の景色を振り返ることなぞほとんどないHiromiがしきりに振り返り、頂上に目をやっている。
いったいどうしたんだろうね?
その後、下るほどにガスが濃くなり、ほんの目先しか見えないくらいになってしまった。
下りになると膝に痛みを訴えるHiromiはなかなか下りてこない。
先に進んではHiromiの到着を待ち、また先に進んでは到着を待つことを繰り返しているうちに、
ふと目の前を登ってくる一人の女性が現れた。
そして立ち止まったので顔を見ると、見覚えのある顔だ。
しかし頭の中は「???」。
「マヤです」、「マヤぁっ!!」。
ブログ、「エーデルワイス日記」の主宰者「マヤ」だった。
マヤとは2年前の『オプタテシケ山』下山で出会い、声をかけられた。
先週の『三頭山』での「Keishi」との出会いに続き、二週連続だ。
不思議だねえ。
山なんかそこらじゅうに存在するのに、再び三度、いやそれ以上出会いを繰り返す山友がいることに、
ある種のロマンを感ずるのは私だけだろうか…
マヤとは記念撮影をし、またどこかの山で出会うであろうことを約して別れた。
11時50分、望岳台。
う~ん、登りなれたルートではあるが、なかなかいい山旅であった。
Hiromiも「楽しかった!」を連発。
まあ、Hiromiの場合は毎週その繰り返しだけどねえ。
二日間の楽しい山行を終え、豊かな気持ちで帰途に着いた。
この日の山行が、私にとって今年100回目の山登り。
これで16年連続で、年間100回以上の山登りを継続したことになる。
山はいいぜえ・・・
2016.9.3 『大麓山』(1,460m)
この二週間の間に、北海道には3つの台風がやってきた。
こんなことはかつてなかった。
台風の影響が皆無という年もあるというのに。
そしてそれらの台風が各地に甚大な被害をもたらした。
被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
台風の被害は我々登山愛好家にも大きな影響を及ぼす。
林道が倒木と決壊の嵐に見舞われていることが、容易に想像できる。
そこでこの土曜日は林道を覗いてみることにした。
富良野市麓郷の奥から広大な東大演習林の林道を利用して登る『大麓山』(だいろくさん)には、MTBを利用する。
登山口が約11kmの林道を進んだ奥にあるためだ。
東大演習林のゲートに向かう途中の麓郷では警備員が道路に立っており、
大洪水に見舞われた南富良野町方面への通行を規制していた。
9時30分、東大演習林のゲートをスタート。
スタートしてすぐ、沢が増水して林道を横断していた。
MTBを押して沢を渡るHiromiがよろめいて、危うくMTBごと沢に身を投じるところだった。
その後林道に横たわる倒木が現れたものの、ひょいとMTBを担ぎ、難なくクリア。
それからは倒木が現れても同じようにクリアでき、汗をかきかきペダルを踏む。
途中に現れる複数の災害復旧用重機には、皆「東京大学」と名称が入っている。
すごいねえ東大って。
広大な演習林を所有するだけでなく、一台数千万はするであろう重機が何台もあるのだ。
その種類だってブルドーザ、ショベルカー等。
ゲートから随分汗をかいてペダルを踏み、倒木を越えるも、とうとうMTBを持っては越えられない倒木が現れた。
10時35分、MTBをデポ。
徒歩に切り替えて登ることにする。
ここまで約5km。
その後は6kmで林道終点。
この6kmが長い。
そこに大木、巨木の倒木の嵐だ。
倒木が次から次に現れ、それらを越えて行く。
なんだか木登りに出かけたみたいだ。
そして林道歩きは単調だ。
12時10分、林道終点。
この終点から1kmほど古い作業道を歩き、ようやく「大麓山」登山口となる。
12時20分、登山口。
MTBでは低速ギアに入れっぱなしで、さっぱり着いて来ないHiromiだったが、最後は元気に頂上へ!
12時45分、頂上。
Hiromiは初めての頂上だ。
先週の『三頭山』に続き、また初登の山。
幸せだねえ~
下山はまた長い林道をただただ淡々と下り、MTBデポ地で「ホッ・・・」
あとはペダルを踏むことのない下りを楽しんで、
15時15分、ゲート着。
そこでHiromi、「いやあ、楽しい自転車の下りだったぁーっ!」
でしょ~っ!
この山行で日高山脈における林道の状況が、おおよそ把握できた。
おそらく今シーズンはどこの林道も利用できないだろう。
下山後『十勝岳』麓へ移動して、いつもの車中泊地で「かんぱーいっ!!」
2016.7.24 『富良野岳・原始ヶ原』(1,912m)
やっと晴れた、日曜日!
8週間ぶりか・・・
長かったなあ・・・
山は晴れると100倍楽しい!
今日はMocchanが参加。
Mocchanとは5月、『神居尻山』に登って以来だ。
その本人曰く、あの『神居尻山』でバテて足がつり、大変な思いをしたことがトラウマとなり、
なかなか参加できなかったんだと。
そして今日はドキドキ参加。
5時半に我が家に着いたMocchanの車を置き、私の車に荷物を積んだ。
そしてHiromiを拾い、高速自動車道三笠インターから富良野へと向かった。
富良野市布礼別より『富良野岳』原始ヶ原登山口へ。
到着すると車が2台だけ。
相変わらず静かな山旅を思わせる風景だ。
8時ちょうど、登山口をスタート。
登りに要する時間は3時間と設定した。
Hiromiと二人の場合は2時間半と設定するのだが、Mocchanのスピードを考慮した。
Mocchanの足取りを気にかけながら登るが、なかなか快調だ。
このところの山行を聞いても、けっこうきついところにも登っているので、もう大丈夫だろうと確信した。
しかし・・・
8時45分、原始ヶ原。
Hiromiは以前にも登っているが、全くそのときの記憶をなくしている。
そしてMocchanは初めてだ。
原始ヶ原に初めて立つ人間は、100%その風景に感動する。
原始ヶ原の北にそびえる『富良野岳』の姿が美しく、盛んに感動を口にしていた。
9時45分、原始ヶ原を抜ける。
ここまでは緩い登り勾配の原始ヶ原を、淡々と歩を進めたMocchanに突如異変が!
綺麗に笹を刈られた登山道から、急勾配のガレ場に達した時だった。
Mocchanのスピードがガクンと落ちた。
信じられないくらいの変貌だ。
ストックを突きながら、ほんの小さく出る一歩、そしてまた一歩。
もう辛さがにじみ出ており、なんとも気の毒になる。
随分待ったが、あまりにもスローなスピードに、後ろでただただたたずむように追尾しているHiromiに、
「先に行っていいぞ」と指示。
Hiromiは水を得た魚のように猛然と登りだし、あっという間に去っていった。
その後もMocchanを待つが進まない。
「これは無理だな」と判断し、その旨を伝えると、「いや大丈夫です」との返答。
しかし私の中では完登無理と結論を出し、先に待たせているHiromiに「お前一人で頂上に行ってこい」と指示。
「じゃあ行ってきます!」と、何もためらわないHiromi。
この時点で私はMocchanを待ち、Hiromiが下りてきて合流と同時に下山するつもりだった。
だがやっと晴れたチャンスに、私の足もどうしても上向いてしまう。
Hiromiを追いながら下方に目をやると、Mocchanの姿がはっきりとガレ場の中に有り、
これは安全上問題なしと結論づけて更にHiromiを追った。
11時25分、頂上着。
いつもは人がゴチャゴチャいる『富良野岳』頂上だが、今日はほんの数名だけで静かだった。
即下山を開始し、Mocchanと合流。
Mocchanは頂上手前約400mのところまで登ってきていた。
そして合流と同時に下山のつもりだった私に、「もうタイムリミットですか?」と問うMocchan。
「えっ? いや、まだ時間はあるが・・・」とたじろぐ私に、「じゃあ行ってきます!」。
中学から大学まで一貫してバレーボールに打ち込んだスポーツマンは根性がある!
まいったね、おそれいったね・・・
Hiromiとゆっくり昼食を摂りながら待っていた。
30分ほどして頂上から戻ってきたMocchan曰く、「結局12時ちょうど頂上に着いたので、登り4時間ちょうどでした」。
そんなMocchanに昼食を摂ってもらい、下山開始。
また美しい原始ヶ原の風景を楽しみ、ほとんど下り勾配の作業道を淡々と歩いて、
14時25分、登山口。
その後「ハイランド富良野」で入浴して帰途についたが、車中でMocchanに、
せめてガイドブックの参考タイム内で登れるようトレーニングをして欲しいと思い、
「ガイドブックのタイム見たぁ?」と尋ねると、
「はい、今日の山は4時間30分になってました」。(獲得標高差約1,200m)
あれっ!? じゃあMocchanが遅いわけじゃないじゃん!
ただHiromiが速いというだけなんだわぁ・・・
まあ、『ミニ山の会』で登るときは、その頂きに立つことより、仲間で楽しく登ることが第一の目的だから、今日は花丸!
楽しかったねえ・・・
2016.5.21 『美瑛富士』(1,888m)
金曜の夕方、Hiromiを拾って美瑛町の白銀温泉へ向かった。
日の長いこの頃、まだ薄明かるいうちに到着できたので、目指す山の麓を確認。残念ながら融雪が進み、尾根に取り付けそうもない。
それで土曜の山行を『美瑛富士』に変更した。
土曜の早朝、『美瑛富士』の登山口駐車場に行ってみると、他に車はなし。
6時ちょうど、駐車場をスタート。
しばらくは雪のない登山道を進む。
しかし、間もなく雪渓が現れ、その後は登山道が見えたり隠れたり。
そのうちに全てが雪の下となった。
全てが雪の下とは言っても、それは登山道の話しで、ブッシュやハイマツはかなりの面積がむき出しとなっている。
こんなときのルートファィンディングが難しい。
純白の世界ならどこでも歩くことができ、目標に到達できるが、春山ではルートファィンディングを誤ると、
ひどく回り道をしなければならなくなったり、戻ったりを繰り返すことになる。
そんな春山も、長年の経験と勘で動き回ってきた私だが、そばにGPSを持ったHiromiがいると、ついついそれに頼ってしまう。
夏道登山道沿いに歩くべく、時折「それたか?」と声をかける。
結果的にこれが間違いだった。
GPSが示すルートに戻ろうとすると、かえってハイマツ帯につかまってしまう。
それであちこち歩き回り、ずいぶん時間を要した。
7時45分、天然庭園。
Hiromiがハイマツに足を取られて転倒。
その際に手にしていたGPSを落としてしまった。
ただ雪上に落としたのなら何の問題もない。
しかしそこには運悪く岩の裂け目があった。
その中にスッポリ落ち込んでしまった。しかもその裂け目は大変狭く、底も深い。
ストックを140cmまで伸ばして中を探ろうとしても、底まで届かない。諦めるしかなかった。
まだ買って1年も経っていない7万円のGPSが、一瞬にしてパ~だ。
『美瑛富士』の裾を北たから南に回り込むような長いトラバースを終えると、広い東斜面に取り付き、あとは淡々と登る。
かなり傾斜のきつい斜面ではあるが、雪が腐りかけて滑落の心配はない。
私は「淡々」とは行かず、きついきつい。
やはりトレーニング不足で、要するになまっているのだ。
勤め先が変わってから、運動不足となり、体重も増した。
結局Hiromiにおいていかれ、少し遅れて
10時ちょうど、頂上着。
実に4時間を要してしまった。
季節外れの高温で空気が透明感を失ってはいるものの、素晴らしい風景が広がる。
人っ子一人おらず、風も弱い。
なんと贅沢な空間か?
そんな申し分のない頂上に、いつもより長い時間留まった。
美しい風景を堪能したあとは、来たルートをそのまま戻る。
下りは登りよりルートファィンディングが更に難しい。
ポイントを見落とすと、あっという間に別方向へ下ってしまう。
それが嫌なので、登ったトレースを忠実に辿った。
しかし樹林帯に入ると完全に融けてなくなった。
その後は勘に従うが、なかなか登山道が見つからない。
登山道が刻まれている尾根を蛇行しながら探すも、むき出しの笹の面積が大きくなり、それ以上の下降は危険と判断し、
トレースを見失った地点まで戻るべく、登り返すことにして間もなく、雪渓の中にわずかな登山道露出部分を発見。
あとは下降するに従って、登山道の露出部分が多くなる。
13時25分、駐車場着。
たいして長い行程ではないのに、ひどく疲れた山行だった。
それにしても好天続きで助かる。
2016.5.15 『前富良野岳』(1,625m)
ねえちょつと皆さん、聞いてくださいよ~っ!
土曜の夜ねえ、富良野市布礼別の原始ヶ原登山口で三人宴会をやっているとき、車を出入りするToshiのジーンズの尻ポケットが膨らんでいるので、
「Toshiぃ、尻ポケットに何入れてんのよ?」と尋ねると、「財布です」。
「そんなものそんなとこに入れてたら、またなくすべやあ!」、「残念ですが、財布は30年以上なくしたことがありません」
「ホントかよ~っ!?」
そして今朝、テントから出てきたToshiが、何かを熱心に探している。
「Toshi、何探してる?」、「財布がないんですよねえ・・・」
「何言ってんのよ? ジーンズの尻ポケットに入ってるべや!」、「アッ・・・」
皆さん、こういう人が某株式会社の専務取締役の地位にいるんですよ。
考えられますぅ?
うちの女房に言わせると、「そう言う人でなきゃ出世できないんだわ」。
とにかく“キングToshi”は相も変わらず我が道を行く!
今朝5時55分、夏道登山口をスタートして『前富良野岳』を目指した。
今回も原始ヶ原からの『境山』を融雪進行で変更した。
この時期は現地で山容を確認しなくては、積雪の状態を把握できない。
歩き出して30分ほどで左手に現れる無名の小沢に入る。
この沢は水量が少なく、夏場は水が涸れる。
そして沢は出合いまで雪が残っており、藪漕ぎの煩わしさがなくて助かった。
すり鉢状の沢形はまっすぐ『前富良野岳』に向かっている。
ただ、『前富良野岳』の南面は斜度がきつく、一直線に登るわけには行かない。
いつもは向かって右側(東側)の尾根を利用するのだが、この日は左側(西側)を登ることにした。
高度を増すに従って斜度もきつくなるが、雪が融けてアイゼンを深く食い込ませてくれるので、滑落の心配はそれほどでもない。
8時15分、『前富良野岳』とその西の「1,459mP」を結ぶ稜線上に上がった。
と同時に凄まじい風が南から吹き付ける。
Hiromiが飛ばされはしないかと恐怖で、深く突き刺したピッケルにしがみついている。
それでも風というのは、自らの立ち位置を少し変えただけでぐんと弱まるものだ。
そんなところに導き、「どうする、ここで待ってるか?」と尋ねると、少し間を置いて「行く!」。
それから強風下ではあるが、素晴らしい風景を眺めながら頂上を目指し、
8時35分、頂上着。
強風の下、雪渓にカメラの三脚を突き刺して記念撮影。
その後速やかに下山を開始した。
下山になるとやたら張り切って、バッタバッタと走り回るToshiとは対照的に、静かだが心配なのがHiromiだ。
もし滑落したら大変なことになる。
しかし、融けかかった雪がほどよく足場を確保してくれ、何事もなく下山。
沢形に下り立ったあとは淡々と下り、
10時10分、登山口着。
前日と同じく「ハイランド富良野」で汗を流し、その間にザック、ピッケル、アイゼン、ストックその他の装備を全て車の屋根の上に上げて乾かし、悠々と帰途に着いた。
日曜日の早い帰宅は時間にゆとりができて助かる。
洗濯、写真の整理等、やることがたくさんある。
それにしてもいい週末だったなあ・・・
2015.8.15 『鋸岳』(約1,980m)
盆休み三日目の朝は白金温泉近くで目覚めた。
辺りは真っ白で、濃いガスに覆われていた。
そんなときは高所に登るとガスを突き抜け、雲海を楽しめる可能性がある。
そしてその予感は的中した。
7時20分、望岳台をスタート。
『美瑛岳』~『十勝岳』を回るつもりだった。
ところがこの日も途中で変更。
Amigo登山は常に状況判断から「変更」の連続だ。
この日の変更も、正午を堺にしての豪雨の懸念からだ。
標高が1,000mを超えても空気が温かく、湿気を含んでいる。
そんなときは必ず大気の状態が不安定となり、午後山沿いを中心に土砂降りとなる。
今回は前二日間でそれをはっきりと体験した。
「雲の平」の長いトラバースを過ぎて「ポンピ沢」へ。
ここで登山道を離れ、ショートカットをするために、上流の「ポンピ渓谷」に向かった。
沢の水量は少なく、登山靴を濡らさずにポンポン進めるところではあるのだが、Hiromiがなかなか手こずる。
まず入渓地点で簡単な藪こぎができず、沢に下りられない。
「登山道まで戻って迂回してこい」と言ってやると、その後音沙汰がない。
どうしたものかと藪を漕いで様子を見に行くと姿がない。
「Hiromi!」の声がけに、遠くから返事が聞こえてくる。
首をかしげながら登山道に出ると、もう帰ってしまうのか? と思えるくらい遠くまで戻っていってしまっていた。
なんとも頼りない限りだ。
入渓してからも簡単な渡渉をリズムよくこなしてはいけず、テンポが上がらない。
根本的な運動神経の問題が絡むので、無理なことは言えないが。
「ポンピ渓谷」は美しい。
林立する巨岩の奥に緑が広がる。
この風景にはHiromiも感動だ。
そして源頭から広い稜線に向かって一歩一歩高度を稼ぐ。
その最終段階は火山灰地で蟻地獄のようにぬかるみ、一歩一歩がきつく数歩登っては呼吸を整える。
しかしそう長くは続かず『十勝岳』と『美瑛岳』の間の広い稜線に飛び出す。
あとは登山道を『十勝岳』に向かって進む。
そして『鋸岳』に到着し、そのピークに立って『十勝岳』に目をやってまた気持ちが変わった。
大勢目に映る人影。
前日の『白雲岳』でけっこうな人に出会っているので、今日は勘弁、勘弁と言ったところだ。
まあ、「日本100名山」の山なのだから仕方ないが。
『鋸岳』からそのまま火口源を下ることにした。
深い火山灰地は柔らかく、下半身に優しい。
思いっきり走って下りられる。
火口の底まで走ったHiromiが、「これをしてみたかったんです!」
その時になって聞いたのだが、Hiromiは前夜の車中泊で「火山灰地を走って下ってみたい」と言っていたのだそうだ。
他人事のように言ってしまう私だが、私にはそれを聞いた記憶がない。
まあ、楽しめたんだからいいさあ・・・
下りきったところで昼食とし、その後登山道に戻って下山した。
午後1時、望岳台着。
この日は雨に当たらずに済んだが、車を走らせラジオに耳を傾けると、前日の上川町にまた「土砂災害警戒警報」が発令された。
十勝連峰に移動してよかったぁ・・・
十勝連峰『鋸岳』と言って即座にその山をイメージできる人は、かなりの熟達者と思われる。
国土地理院の地形図にもこの山の名はない。
従って標高はあくまでも等高線から拾ってこと。
表大雪にも同盟の山がある。
『北鎮岳』』から『比布岳』に向かう際、登山道の北側にはっきりそののこぎり型の形状を見て取れる山がある。
それが『鋸岳』(2,142m)であり、登山道から簡単に登れる。
下山後夕張に向かって車を走らせた。
2015.8.14 『赤岳』(2,078m)~『小泉岳』(2,158m)~『緑岳』(2,020m)~『白雲岳』(2,230m)
盆休み二日目の朝は、表大雪の「銀泉台」で目覚めた。
外を見ると雲海が広がっているものの、上部はガスに覆われている。
今日は景色を望めないかな? と思いつつも、5時30分、「銀泉台」登山口をスタートした。
スタート当初は『忠別岳』への長い距離を往復する予定だった。
しかし、歩き始めて間もなくそれを変更することにした。
と言うのは、前日と同様の雨を予感してのこと。
このところの空模様は、「晴れ」と予報されても、午後になると大気の状態が不安定となり、ところによって局地的大雨をもたらしている。
それが山においてはてきめんであり、この日も直感的にそれを感じて変更した。
そしてその判断は正しかった。
ルートは「第二花園」を過ぎるとガスの中に突入だ。
濃くてくらーいガスの中を歩いていると、「今日はもう何も望めないんだろうな」という誠に悲観的な気持ちになる。
『赤岳』を過ぎ『小泉岳』へ。
濃いガスの中でなぁんにも見えない。
この辺りは表大雪のど真ん中で、2000m級の山々が林立する。
従って、2,158mの『小泉岳』からは2,020mの『緑岳』に向かって、どんどなん下って行くことになる。
実に奇妙な感じだ。
『緑岳』は円錐状の美しい頂上を備えた山であり、大雪山の中ではなく、違う山域にそびえていたなら素晴らしい山と称されたことだろう。
そんな『緑岳』頂上も濃いガスの中で何も見えず。
ところが『緑岳』を離れて「白雲岳避難小屋」分岐を過ぎてからだった。
突然視界が開け、『白雲岳』と「高根ヶ原」があらわになった。
「素晴らしい!」
青い空と緑のコントラストが実に美しい。
Hiromiとのアホな記念撮影にも力が入る。
「白雲岳避難小屋」に向かって下っていくと、広い雪渓に出くわす。
この辺りの雪渓は万年雪だ。
辺りの遅い雪解けに、アオノツガザクラ、エゾコザクラ他の花たちが、今が盛期とばかりに咲き誇っている。
そんな涼しい光景をあとにすると、「白雲岳避難小屋」にたどり着く。
思えば私がこの小屋に宿泊させていただいたのが42年前、大学1年生の秋であった。
もちろん今の小屋とは違い、建て替えられる前の小屋であった。
その時は公共交通機関を利用し、ひとり『黒岳』から一泊の予定で登ってきたものだ。
小屋で一泊したあと、となりで寝ていたお姉さんの二人パーティーに飴をもらったのを、今でもはっきり覚えている。
そしてそのお姉さんたちは『忠別岳』に向かい、『化雲岳』を経てその日のうちに「天人峡温泉」まで下ると言っていた。
今考えるとたいしたお姉さんたちだ。
そんなたくましいお姉さんたちは、今も登り続けているんだろうか・・・
ちなみにその時の私は大雪山が初めてであり、「白雲岳避難小屋」から『白雲岳』に登り、『北海岳』~『旭岳』を歩いて下山した。
あれからもう42年である・・・
「白雲岳避難小屋」からのきつい登りを終えたあとは、『白雲岳』に向かって楽しい歩行だ。
『白雲岳』頂上付近に広がる一種独特の風景は、初めて目にするHiromiの目を奪う。
その光景に感動しきりだ。
そんな感動を与え、その感動する姿が楽しみでいつも連れ歩く私がいる。
10時10分、『白雲岳』頂上。
『旭岳』から『北鎮岳』、『凌雲岳』方面の景色が素晴らしいが、どこも頂上部にはガスが張り付いている。
ただ、ハイマツの緑がシマ模様を描いて美しい。
ゆっくり昼食を摂り、これまたゆっくり下山を開始。
下山はもう殆どがガスの中だ。
しかし、それまでに目にした光景が強く印象に残り、全く苦にならない。
ただ、「第二花園」まで下った頃に雨が降り出した。
私の予想通りだ。
そして雨はその降り方に強弱を繰り返す。
Hiromiを残して足速に下る。
車の屋根に前日ずぶぬれになったザックと登山靴を干してきたのだ。
午後1時、登山口着。
干していたものは若干濡れた。
下山後の片付け、着替えを終えて車に乗り込んだ途端、土砂降りの雨となった。
ラジオからは上川町に「土砂災害警戒情報」が流れてくる。
走る林道は道の端が川となって流れている。
いやあ、『忠別岳』からの変更は自身、実に的確な判断だったと自負する。
前日からの土砂降りに嫌気がさした同山域を離れ、美瑛町のいつもの銭湯で汗を流し、十勝連峰へ向かった。
2015.7.29 『化雲岳』(1,954m)~『トムラウシ山』(2,141m)
Hiromiが天人峡温泉登山口から、『トムラウシ山』を日帰りで踏破した!
歩行距離35.5km、獲得標高差2,240m、総行程13時間30分
これまで男性ではこのルートを日帰り踏破したという話しを2、3耳にしている。
しかし女性では皆無だろう。
日帰り踏破という発想すら出てこないと思う。
もはやHiromiは単に「女性健脚者」にあらず、立派な健脚者である。
私は山中泊を好まず、それ故に人が1泊ないし2泊の山中泊を経なければ登ってこられない山に、日帰りで登ってきた。
例えば、
・「旭岳温泉」~「天人峡温泉」~『化雲岳』~『忠別岳』~「白雲岳避難小屋」~『北海岳』~『旭岳』~「旭岳温泉」
(14時間)
・『コイカクシュサツナイ岳』~『ヤオロマップ岳』~『1839m峰』(13時間50分)
・『幌尻岳』~『戸蔦別岳』(9時間40分)
・『北戸蔦別岳』~『戸蔦別岳』~『幌尻岳』(11時間20分)
・『北戸蔦別岳』~『1967m峰』(10時間30分)
・『カムイエクウチカウシ山』(8時間30分)
・『エサオマントッタベツ岳』(エサオマントッタベツ川、9時間30分)
・『札内岳』(ピリカペタヌ沢、8時間30分) 等。
山中泊を好まぬ理由は、重い荷物を背負って機動力が鈍ることを嫌うだけではなく、何よりも汗をかいたままシュラフに潜り込むことが耐えられない。
学生の頃はそんなこともしたが、今は下山して温泉で汗を流し、すっきりした状態で車中「かんぱ~いっ!!」をすることにこそ、心からの喜びを感ずる。
そんな私と2年前の山中で知り合い、『ミニ山の会』のメンバーとして同行することになったHiromiは、私が実践するスピード登山に即のめり込んだ。
そして休日はともにトレーニング登山をし、ウィークデーは終業後体育館でのランニングに励み、心肺機能を強化してきた。
そんな努力の結果がこの日の快挙をもたらした。
29日3時起床。
3時40分、天人峡登山口をスタートした。
私はこのルートを過去に2度日帰りで往復している。
そして2度とも12時間30分(全行程)を要している。
それで今回はHiromiの足で14時間と想定した。
従って日の長い時期でなければならず、6月からチャンスを伺ってきた。
しかし、こういうように心身ともにギリギリのことをするために狙う時の「チャンス」というのは、そう簡単に訪れるものではない。
心身ともに充実することに加え、天候が味方せねば失敗する。
そんなことで延び延びになってきた。
夏の暑い時期、飲料水は私が4リットル、Hiromiは3リットルを背負った。
第一公園までの退屈な長い登りを終えたところで、飲料水を一部デポ。
若干身軽になって公園を進む。
第一公園は木道の距離が長くなって歩きやすくなったが、第二公園は相変わらずドロドロ状態だ。
そのドロドロに加え、前夜の雨で草木が多量に雨水を含んでいる。
第二公園を抜けたところで二人とも全身ずぶ濡れ。
着替えを済ませて第2ラウンド開始だ。
『小化雲岳』の裾を過ぎるあたりからお花畑が広がり、まだまだ美しい。
8時10分、登山口より4時間30分で『化雲岳』着。
この『化雲岳』に5時間以内で登りつけなれれば撤退するつもりでいた。
上々の出だしである。
ところがその後状況は若干下降ぎみ。
『化雲岳』までは11.5kmという長い道のりの中、緩やかに高度を上げる。
ところが『化雲岳』から『トムラウシ山』までの5kmは深いアップダウンの連続だ。
Hiromiはふだんから平坦地の歩行が速い。
それで今回このルートに挑戦させようと思ったのだが、いつも急登となると極端にスピードが鈍る通り、ここでもガクッとスピードが落ちた。
そして辛そう。
それでもこれまでやってきたことに間違いはなく、10時40分、登山口より7時間ちょうどで『トムラウシ山』の頂上に立った。
「おめでとう!」と言いたいが、周りに人がいるし、何やら本州から来たらしいネコ連れの若者がつまらない自慢話しを披露していたので、パッと写真だけ撮り、少し離れたところまで戻って昼食にした。
このときHiromiは空腹で低血糖症状だった。
ロングランにおける空腹管理がまだできない。
さて下山だが、これがまた長い。
登山口までたっぷり18km近くある。
更に、『化雲岳』までの激しいアップダウンを経なければならない。
しかし空腹を満たしたHiromiの元気さが活力になる。
それにしても往路できつかったアップダウンは、復路だと何倍もの負荷を感ずる。
なんだかヘロヘロ状態で『化雲岳』に戻った気がする。
けれど登山口までまだ残り11.5km。
アホなことは言っていられない。
その後は淡々と、ただただ淡々と下る。
第二公園に入ろうとするあたりで、男性の単独行者とすれ違った。
そしてその男性が声をかけてきた。
(前方の小化雲岳を指差し)「あれを越えたらヒサゴかい?」、(はあ!?)と思いつつ「いやいやヒサゴはまだたまだ先」と答える私。
「ええーっ!? まいったなあ。あと何時間くらいかかるの?」。
山を歩いていてこの手の質問が一番困る。
何時間て、その人のスピードがこちらにはわからない。
「ここまでどのくらいかかったの?」と、私。
(時計を見ながら)「6時間? いや、7時間??」、(はあ!? それじゃあナジャよりずうっと遅いじゃん!)
「ここまでそんなにかかったのなら、まだ3時間はかかる」と言って別れた。
いったいどんな知識と自信をもって入山して来たのか、首をかしげずにはいられない人物であった。
その後第一公園の入口にデポした飲料を回収。
Hiromiはザック内の飲料をとっくに飲み干していたので、グビグビ飲む。
ホッとしたところで雨が降り出した。
それからの5kmは、ただただ濡れて歩いた。
私は登りの途中で履き替えたソックスが合わず、Hiromiもこれまでに経験したことのないロングランのため。お互い登山靴内の足に何かしらトラブルを抱えて痛む。
従ってこの下りは長かった。
5時10分、登山口着。
総行程13時間30分。
Hiromi、よくやったなあ!
踏破できると確信したからこそ挑戦させはしたものの、正直緊張の連続だった。
ホッとした。
下山後美瑛町の銭湯で汗を流し、『十勝岳』の麓にて「カンパーイっ!! Hiromi、おめでとーっ!!」
標高約1,000mの車中泊地は、涼しくて快適であった。
2015.7.28 「安政火口」奥散策
28日から30日までの三日間、夏休みを取得でき、Hiromiもそれに合わせて休むことができたので、Hiromiにとって最大のイベントを遂行することにした。
なかなか大変で、失敗するかもしれない大業なので、初日は移動日とし、二日目に決行することにした。
28日の移動途中十勝連峰に寄り、『富良野岳』だけに登り調整登山をして天人峡温泉へ向かうことにした。
ところが『富良野岳』の登山口を入ると上空は濃いガスが覆い、約1,500m以上は全てガスの中だ。
それではどこに登っても同じ。
つまらないと判断し、安政火口の奥を散策することにした。
安政火口奥には何度も足を踏み入れており、何よりも奇岩群が繰り広げる奇抜な風景が目を引く。
初めて足を踏み入れるHiromiは眼前に現れる風景に興味津々だ。
風景は褐色の火山灰地から濃い緑のハイマツ帯へ。
このコントラストがまた美しく目を引く。
しかしそれも長くは続かず、高度を上げるに連れ、しだいに濃いガスの中に入って行く。
そして標高約1,600mほどに達した地点で地形もきわどく危険になったので下山を開始。
慎重に下り、背の低いハイマツ帯で昼食とした。
下界は富良野盆地で気温30度超えの報。
こんなときは高山が涼しくていい。
下山後美瑛町の銭湯で汗を流し、天人峡温泉に向かった。
途中雨が降り出したものの、天人峡温泉に着くとピタリと止んでくれた。
『トムラウシ山』登山口で車中泊。
翌日の早朝行動開始予定に合わせ、9時には就寝した。
さて、Hiromiにとって最大のイベントはどんな結果をもたらすか・・・
« 前ページ | 次ページ » |