ネパールの記録その3
5月4日
詳しく言えば5月3日の23時2分起床。4日1時出発。パーティは、プーちゃん、Tさん、Nさん、Aさんの4名と、ロメちゃん、サンちゃん、N隊長、ガストンの4名の2パーティに分けた。プーちゃんパーティが先行する。ヘッドランプ頼りで暗い広い雪原を行くのは、ガイドがいないとルートが分からないであろう。先行パーティのトレールとヘッドランプを追う。すると突然トップのロメちゃんの姿が視界から消え、2番手のN隊長がバタっと倒れ、必死にロープを支えている。隊長が「ガストンさんこのロープを固定してくれ」と言う。私は、ここで初めてロメちゃんがヒドンクレパスに落ちたことを認識した。と同時に私はとんでもないミスをしていることを知った。斜面が緩いので両手にはストック、さらに余計なシュリンゲはザックの中であった。ザックを降ろし、ピッケルをザックから外し、さらにザックの中からシュリンゲを出す時間を考えたら、サンちゃんのピッケルとシュリンゲを借りたほうが早いと判断、サンちゃんに借りようとした、と同時にサンちゃんが傍に来てクレパスの中を覗き、自分のロープをロメちゃんに投げた。そのロープをロメちゃんはどのようにして体に付けたかはわからないが、サンちゃんはそれを確認してロープを引っ張り始めた。わたしも一緒に引くとロメちゃんの体が上がってくるのがわかった。「よし、これは上るぞ」と渾身の力で引っ張ると、運よくロメちゃんの姿が見え、無事脱出できた。ロメちゃんはケガもなく元気でホっとした。
やはり日本の山とは違う。ピッケルとシュリンゲを出していなかったことを深く反省した。
この先、登るにつれて地吹雪も強くなり寒さも厳しくなってきた。下着、シャツ、フリース、インナー羽毛服、アウタージャケットの5枚を着ていても寒さを感じた。この寒さで、Nさんは手と足の指に、Aさんは顔面に凍傷を負った。
頂上近くまで来たとき太陽が登った。いままでの寒さがウソのように暖かい。狭い雪稜上で、シェルパ達は「ここが頂上です」と言う。すぐそばにもっと高い所があるではないか。「あれはなんだ?」と聞くと「サミット」と答える。じゃあ「ここはなんだ?」と聞くと「サミット」だと言う。ロシア隊はもっと下までしか登っていないらしい。どうやら富士山みたいなもので、この辺り一角はどこでも頂上らしい。6時1分着
まわりはクレバスも多く、雪庇なども考えてシェルパが判断したのだろう。
時間をかけて高度順応してきたせいか、チンボラソの時のような苦しさはなかった。
少し下り、広い所で日の丸とネパール国旗を掲げ記念撮影をした。すぐに下山開始。あんなに時間と労力と金をかけて来たのに、頂上にいる時間は、ものの数分だ。登山というものはこんなものなのである。風も治まり、照り返しで今度は暑くてどうにもならないくらいだ。下りはC2発10時、だいぶ疲れて足が捗らずC1発15時。
今日はC1で泊まる予定だったのだが、シェルパ達は荷物を背負ってやるから今日中にBCまで降りようと言う。これには逆らえず了承した。シェルパは約束通りC1からは私達の荷物を背負ってくれた。天気は下り坂で、すでに雪が降ってきており、フィックスの下まで降りたら、ポーターがお茶を入れたポットを持って迎えに来てくれた。BCからは3~400mの高差を登ってきてくれたのである。感謝感激。BC着17時30分。あ~あ疲れた。
読者の皆さんには申し訳ないが、なぜかC2の写真がない。完全に撮り忘れたようだ。それに真夜中の行動だったのでアタック中の写真もない。夜が明けて頂上直下の広くなった尾根の所でしか写真が撮れなかった。
やっと夜が明けて暖かくなってきた
頂上直下はクレバスが縦横無尽にはしっていた
頂上直下の広いところで記念撮影
その4に続く ガストンガニマタ
5月4日
詳しく言えば5月3日の23時2分起床。4日1時出発。パーティは、プーちゃん、Tさん、Nさん、Aさんの4名と、ロメちゃん、サンちゃん、N隊長、ガストンの4名の2パーティに分けた。プーちゃんパーティが先行する。ヘッドランプ頼りで暗い広い雪原を行くのは、ガイドがいないとルートが分からないであろう。先行パーティのトレールとヘッドランプを追う。すると突然トップのロメちゃんの姿が視界から消え、2番手のN隊長がバタっと倒れ、必死にロープを支えている。隊長が「ガストンさんこのロープを固定してくれ」と言う。私は、ここで初めてロメちゃんがヒドンクレパスに落ちたことを認識した。と同時に私はとんでもないミスをしていることを知った。斜面が緩いので両手にはストック、さらに余計なシュリンゲはザックの中であった。ザックを降ろし、ピッケルをザックから外し、さらにザックの中からシュリンゲを出す時間を考えたら、サンちゃんのピッケルとシュリンゲを借りたほうが早いと判断、サンちゃんに借りようとした、と同時にサンちゃんが傍に来てクレパスの中を覗き、自分のロープをロメちゃんに投げた。そのロープをロメちゃんはどのようにして体に付けたかはわからないが、サンちゃんはそれを確認してロープを引っ張り始めた。わたしも一緒に引くとロメちゃんの体が上がってくるのがわかった。「よし、これは上るぞ」と渾身の力で引っ張ると、運よくロメちゃんの姿が見え、無事脱出できた。ロメちゃんはケガもなく元気でホっとした。
やはり日本の山とは違う。ピッケルとシュリンゲを出していなかったことを深く反省した。
この先、登るにつれて地吹雪も強くなり寒さも厳しくなってきた。下着、シャツ、フリース、インナー羽毛服、アウタージャケットの5枚を着ていても寒さを感じた。この寒さで、Nさんは手と足の指に、Aさんは顔面に凍傷を負った。
頂上近くまで来たとき太陽が登った。いままでの寒さがウソのように暖かい。狭い雪稜上で、シェルパ達は「ここが頂上です」と言う。すぐそばにもっと高い所があるではないか。「あれはなんだ?」と聞くと「サミット」と答える。じゃあ「ここはなんだ?」と聞くと「サミット」だと言う。ロシア隊はもっと下までしか登っていないらしい。どうやら富士山みたいなもので、この辺り一角はどこでも頂上らしい。6時1分着
まわりはクレバスも多く、雪庇なども考えてシェルパが判断したのだろう。
時間をかけて高度順応してきたせいか、チンボラソの時のような苦しさはなかった。
少し下り、広い所で日の丸とネパール国旗を掲げ記念撮影をした。すぐに下山開始。あんなに時間と労力と金をかけて来たのに、頂上にいる時間は、ものの数分だ。登山というものはこんなものなのである。風も治まり、照り返しで今度は暑くてどうにもならないくらいだ。下りはC2発10時、だいぶ疲れて足が捗らずC1発15時。
今日はC1で泊まる予定だったのだが、シェルパ達は荷物を背負ってやるから今日中にBCまで降りようと言う。これには逆らえず了承した。シェルパは約束通りC1からは私達の荷物を背負ってくれた。天気は下り坂で、すでに雪が降ってきており、フィックスの下まで降りたら、ポーターがお茶を入れたポットを持って迎えに来てくれた。BCからは3~400mの高差を登ってきてくれたのである。感謝感激。BC着17時30分。あ~あ疲れた。
読者の皆さんには申し訳ないが、なぜかC2の写真がない。完全に撮り忘れたようだ。それに真夜中の行動だったのでアタック中の写真もない。夜が明けて頂上直下の広くなった尾根の所でしか写真が撮れなかった。
やっと夜が明けて暖かくなってきた
頂上直下はクレバスが縦横無尽にはしっていた
頂上直下の広いところで記念撮影
その4に続く ガストンガニマタ