今でこそ相模原在住歴が長い私ですが、下宿していた親戚の家(東京都世田谷区用賀)から引っ越す時には色々と各地域を物色いたしました。
今回はその中の一つである「神奈川県川崎市高津区溝の口」周辺をご紹介いたします。
どちらかといえばやや下町的な雰囲気のある溝の口の街です。
この街は私は中学校に上がる直前に自転車を購入した時からその付き合いは始まります。
当時、東京の親戚宅は改築中でして、仮住居ということで世田谷区鎌田にアパートを借りておりました。
時代はバブル真っ盛り。
私は千葉の片田舎に住んでましたから、世田谷で一戸建てを購入して現在改築中とはどんなに豪邸なんだろう?と思っていたもんでした。
実際は銀行からの過剰融資でできたもので、その後の返済はかなり苦しくなってしまうのですが、当時はそんな大人の事情は知りません。
で、そんな頃に私は従兄弟と多摩川の向こうに広がる街に興味がありました。
私「なぁ、あの川向こうの街ってどこなの?」
従兄弟「あー、あそこは川崎さ。たまに買い物とか行くけど物価が安いって母ちゃんが言ってた」
私「へー・・・」
・・・とまぁ、そんな認識だったのですが、そんな話をした翌日に溝の口にて私が地元で使用する自転車とヘルメット(通学ではヘルメット着用が必須だった)を購入したのです。
実際、地元の同級生が購入した自転車とヘルメットと較べて、明らかに垢抜けてましたが、この自転車はどちらかといえばシティサイクルといわれる代物。しかもギアが無いので、アップダウンの激しい地元ではかなり苦労する代物ではありましたが・・・。
そんな溝の口との出会いから7年。
私は就職するにあたりまして、家探しを始めておりました。1996年秋のことです。
当時はバブルが弾けて、だいぶ地価が下落したとはいっても、まだまだ現在と較べれば高いほうにあたります。
就職する会社は東急田園都市線沿線の三軒茶屋駅です。
三軒茶屋ならば溝の口は乗り換えなしで大体15分もあれば行けます。
しかし、物価が安いとはいっても当時の私の収入では月に5万円以下に家賃設定するしかできません。
さすがに駅周辺には該当物件はなく、ようやく見つけたのは駅から15分程度の山の上のアパート(恐らく築30年は超えてます)です。
さすがにここに住む勇気はなく、その後の紆余曲折があり現在の場所に落ち着いた訳です。
で、その後なんですが、就職した先の同僚との会合はほぼ必ずこの溝の口が会場となりました。
理由は溝の口周辺に住んでいる同僚が多かったってのと、離れていてもこの駅を起点とするとちょうど距離的に良かったからです。
会合は大体朝まで行われますので、我々は「溝の口サミット」とこの会合を名づけておりました。
でも、メンバーの中では一番遠いのは私。
けっこう帰るときなどは、途中に家がある同僚や後輩の家に宿泊させてもらったりしたものです。
その後、溝の口でのディープな商店街「西口商店街」で美味しい卵焼きを食べたりして溝の口を楽しんだものです。
私が溝の口を歩いた当時とは随分様変わりしてしまったようですが、またあの街で遊んでみたいと時折思う今日この頃です。
ちなみに溝の口には元々用水路が巡ってます。駅前からちょっと離れて歩くと、用水路と柳の木というなんとも情緒的な光景を目の当たりにいたします。
元々、宿場町(大山街道)なので、昭和初期頃は花柳界でもあったようです。
用水路と柳の木を見ていると、なんだか江戸時代にタイムスリップした感じになりますよ。