エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

世代の新陳代謝

2016-01-25 08:14:01 | アイデンティティの根源

 

 

 
病んで不毛な社会
  「病んだ脆い社会」impoverish society。 これは国際障害者年行動計画の原則の中の63節にある言葉です。それは次の文脈に出てきます。すなわち...
 

 

 私どもは、≪いまここ≫に踏みとどまることを通して、はじめて、人はイキイキとした、悦びに満ちたやり取りのある関係ができます

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.253の、ブランクの後から。

 

 

 

 

 

                2

 

 次に、いろんな世代の代謝と呼んでもいいかもしれないものについて、考えて生きましょう。

 ひとりびとりの人生は、所定の進化の段階、一定の伝統の水準で始まりますし、まわりに対して、いろんな形とエネルギーの源をもたらします。これらの源は育ち、社会化の過程に吸収されますし、社会化の過程に役立ちます。

 

 

 

 

 

 世代が新陳代謝するって、どういうことなんでしょうね。ご一緒に考えて生きましょう。

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高尚すぎると、ウソっぽくなる

2016-01-25 07:17:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
偉人の謙虚さ
  価値には、歴史と個人を作る力があります。 p177第3パラグラフ。      現...
 

 エリックとジョアンは、人生の巡り合わせの舞台の生きる力1つにしても、何十年にもわたって、吟味し続けた、と言いますよ。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.5の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 「叡智」と「まとめる力」は、なかでも、擬人化され、ブロンズで象られ、石や木で形作られた、仰々しい言葉です。このような生きる力や人間力を考える時、このような言葉が意味するいろんな特色を描くために作られた印象的な彫像を思い出すものですね。たとえば、天を仰ぎ見て、手にはトーチを持つ「自由(の女神)」、手に計りを持ち、目隠しされた「正義(の女神)」、あるいは、万能の「信頼」「希望」「慈愛」です。私どもは、これらの、石、石膏、金属で作られた彫像は、静かに賞賛し、高尚な気持ちで、尊敬しますものね。

 

 

 

 

 「叡智」や「まとめる力」は、非常に仰々しく、あるいは、高尚なものになりがちです。具体性や実践力、リアルな感じを失いがちです。

 高尚すぎると、ウソっぽくなりますもんね。

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一緒にいると安心

2016-01-25 01:00:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 
子どもの世界はピカピカ
  子どもって、従順で切ない。 、レイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder 不思議を感じる感じ』から p53。 &nb...
 

 不眠や悪夢があっても、40年前はPTSDとは分かりなかった、そんな時代もあったんですね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.229のブランクの後の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 赤ちゃんの泣き声が、容赦のないフラッシュバックの引き金になったんですね。そのフラッシュバックでは、ビルは、ベトナムで焼かれて、身体の一部を失った子ども等が見えたし、声が聴こえたし、その匂いがしたんですね。ビルはひどく取り乱していましたから、在郷軍人局の同僚の中には、ビルを入院させて、精神病と思しきものの治療を受けさせたいと思うものもいたほどでした。しかしながら、ビルと私が一緒に治療をするようになると、ビルは私と一緒だと安心できるようになり出したんですね。それで、ビルはベトナムで見たことについて、次第に口を開くようになり、圧倒されることなく、自分のいろんな感情に耐えられるようにゆっくりとなったんですね。そのおかげで、ビルは自分の家族の世話に、もう一度気が向くことが出来ましたし、牧師になるコースを修了することにも気が向いたんです。2年後ビルは自分の教区の牧師となり、治療は完了したと、私ども2人は感じました。

 

 

 

 

 

 ここでは、ヴァン・デ・コーク教授がビルの治療をする際に、ビルは安心感があったそうですが、それはなぜか?は、言葉がありませんよね。何故だと思います?

 

 

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BIG HOPE

2016-01-24 10:53:49 | アイデンティティの根源

国立 滝乃川学園のチャペル十字架

 

 
国立市から 改訂版
  国立市。東京の小さな町。私の出身地。 国立市在住で最も有名な人はだれか? 山口百恵さんを挙げる人が多いでしょうね。 でも、私は生まれも育ちも国立市谷保...
 

 

 私どもは、心の中に、あの子供がおられる、と気付いたかどうか、は、眼の前の子どもに対する見方を180度転回してくれます

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.253の、第4パラグラフの7行目途中から。

 

 

 

 

 

ルターもフロイトも、単独になって人が、自分自身がヒュポメノー、すなわち、≪いまここに踏みとどまっていること≫が大事だとに気付く内省の方法を、完全に身につけました。この2人は、また、≪いまここを生きること≫のもう1つの極致、すなわち、世代を跨って人は関わり合っていることも、もっとハッキリと主張しました。というのも、ひとりびとりの子どもの中にある、新生のあの寄る辺なさと、新生のあの希望と向かい合う時だけ、心も大人になった人(女の人も含まれます)は、イキイキと生きて、あれこれと動き回るという 取り消すことが出来ない、やり取りのある関係に気付くことが出来るからです。

 

 

 

 

 ここも、西平さんの翻訳は見ない方が良い、典型ですね。ヒュポメノー、pathienthoodは、患者性ではないからです。自分のpathienthoodに気付くとは、≪いまここに踏みとどまっていること≫が大事だとに気付くなんですね。

 心の中にいる子どもは、寄る辺なさ・無力と希望が同居しています。まるで、十字架上の神の独り子と一緒です。論理的に説明することは、非常に難しいのですが、この神の独り子と同様に、無力と希望が同居していることに気付くと、はじめて、イキイキとした世代を超えたやり取り、突き抜けた悦びを感じあえる関わりが出来るのですね。

 エリクソンが言いたいのは、他でもありません、≪いまここに踏みとどまる≫ということが大事と気付くことを通じて、はじめて、人はイキイキとした、悦びに満ちたやり取りのある関係ができますよ、ってことですよ。

 

 

 

 

 

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「叡智」と「まとめる力」

2016-01-24 10:29:09 | エリクソンの発達臨床心理

 
『不思議を感じる感じ』 より
  昨日で『人を大事にする術』の翻訳が完了。 今日は、レイチェル・カーソンのThe Sense of Wonder 不思議を感じる感じ から p52。&n...
 

 

 エリックとジョアンは、共に人生の巡り合わせの地図を、半世紀以上の歳月を費やして、文字通り命がけで、編み出したのでした。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.5の、第3パラグラフの6行目途中から。

 

 

 

 

 

1940年代初め、人生の巡り合わせで力となる倫理的態度に一番ふさわしい言葉を、あれこれと探している時に、私ども2人は、「叡智」と「まとめる力」を、高齢期に成熟するようになる最後の生きる力に選びました。私どもは最初、「希望」も高齢期に成熟するようになる最後の力と考えたんですけれども、そして、それは、希望こそが私どもが生きていくうえでなくてはならないものだからですし、他の生きる力にとっても必要なものだからですが、希望は、赤ちゃんの頃からずっと必要不可欠なものですから、希望は一生持続するものであるとしても、希望が熟するのに長々とした時間が必要なわけでは必ずしもありません。「叡智」と「まとめる力」を高齢期の生きる力として名付けた後で、私どもは今までずっと、この言葉を選んだことが果たして正しかったのかなぁ? って、あれこれ考えてきました。

 

 

 

 

 エリクソン夫妻は、半世紀以上を掛けて、言葉1つでも吟味し続けていたことが分かります。たんに、学問的なものでもないことも、ハッキリと分かりますよね。

 

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