エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

楢葉町の住民帰還事業は、人類に対する犯罪だ! 改訂版

2016-01-24 09:19:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
国立市から 改訂版
  国立市。東京の小さな町。私の出身地。 国立市在住で最も有名な人はだれか? 山口百恵さんを挙げる人が多いでしょうね。 でも、私は生まれも育ちも国立市谷保...
 

 昨日の晩に、福島県楢葉町の住民の帰還が、なかなか進まない現状を伝える、NHKスペシャル「東日本大震災・原発事故5年 ゼロからの町再建 楢葉町の苦悩」と言う番組を見ました。9月5日2015年に、「避難指示」が解除されました。しかし、避難前の楢葉町の住民7,400人の内、実際に町に戻ったのは、高齢者を中心に400人ほど、人口の6%に留まっていると、この番組は伝えています。

 ですから、上下水道、電気・ガスなどが使えるようになり、コンビニも楢葉町にはあるそうですが、大型スーパーや病院などは、まだないそうです。経営できるだけのお客さんがいないからだそうです。でも、なんで住民が戻らないのか? について、この番組では、本当のことは報道しませんでしたね。

 日本には、一般の日本市民が被ばくしても仕方がない、とする被爆のレベル(線量被ばく)は、一年間に、1ミリシーベルト(mSv)以下にしなくてはなりません。これは、放射線障害防止法「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律
(昭和三十二年六月十日法律第百六十七号)
」という法律で決められていることです。この法律には、放射線技師など、放射線を活用した仕事をする専門家には、年間20mSvという別の基準があります。(https://www.jrias.or.jp/disaster/pdf/20120213-134623.pdfhttp://law.e-gov.go.jp/htmldata/S32/S32HO167.html

 しかし、放射線には「安全」の閾値はありません。放射線の専門家の山本義隆さんや、小出裕章さんの言葉です(http://www.dailymotion.com/video/x34x391)。

 ところが、小出裕章さんによれば、今の日本はまだ原発事故後の「緊急事態宣言」が出ている状況だそうです(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4220.html)。一般市民の被ばく限度が、年間1mSvから、専門家にしか許されない年間20mSViに、上げられたままになってしまっています。楢葉町の住民の被ばく限度は、年間1mSvではなくて、専門家にしか認められないはずの20mSvが適応されているのですね。これって、果たして、日本市民の命を守っていることになるのでしょうか?

 いまにフクシマ原発から、東電社長の広瀬さんは、「最大で1日あたり最大200億ベクレルのセシウムが放出されているとみている」と言っているくらいです。

 小出裕章さんは、日本外国特派員協会での講演で、

「この4号機の半分壊れた原子炉建屋の中に、使用済み燃料プールが宙づりになっているのですが、そのプールの底には広島原爆に換算すると、約1万4000万発分のセシウム137が含まれていました。それがプールの底で発熱を続けているわけで、プールの水が干上がってしまって、燃料が溶けるようなことになれば、「東京すら放棄するしかない」と当時の原子力委員会の近藤駿介委員長が報告書を出しました。」

とおっしゃっています(https://www.youtube.com/watch?v=nCbXX3DURd0)。

 フクシマ原発事故は、アンダー・コントロール、作業が進んでいるのではなくて、アウト・オブ・コントロール コントロールできず、いまも、放射能が撒き散らされている状況が暴走している訳です。

 フクシマ原発は、漏れた放射能汚染水で、「放射能汚染水の沼」になっていると言います。

 いまも、フクシマ原発は、放射能の泥沼にあり、フクシマ原発から、放射能が撒き散らされているのが、日本の偽らざる真実の姿なのですね。

 そんなところに、一般市民である楢葉町の住民を戻していいのでしょうか?

 そんなところで、オリンピックなんぞをしていていいのでしょうか?

 私は、楢葉町に一般市民を戻すことは、全人類に対する犯罪 だと確信します。

 今のニッポンは、オリンピックなんぞをしている場合ではない と確信します。

 

 

 

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ビルの症状とその改善

2016-01-24 05:34:03 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
歴史と個人を作る力
  自分を確かにする感じ、時代さえ変えてしまう力があります。 p177第2パラグラフ。    &n...
 

 ヴァン・デ・コーク教授は、患者から学ぶ人だから、頼りになります。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.229のブランクの後の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ビルは衛生兵として、ベトナムでは1967-71年従軍しました。そして、帰国後、軍隊で身に着けた記述を使って、地元の病院の火傷治療室に勤務していました。看護をすれば、ビルはクタクタになり、癇癪を起し、イライラするのですが、それが、ベトナムで経験したことと関係があるなどとも、思っても見ないことでした。結局、PTSDの診断がまだなくて、アイルランド系の労働者階級の人はボストンでは、分析医に相談することもありませんでした。ビルの悪夢と不眠は、ビルが看護業務から離れて、牧師になる口座に登録した後では、軽くなりました。ビルは最初の息子が1978年に誕生するまで、助けを探したりしませんでした。

 

 

 

 

 

 不眠と悪夢と言ったら、いまではPTSDの典型的症状ですが、当時はまだよくわからなかったみたいですね。衛生兵として働いたビルが、その経験に近い看護業務をすると、その症状が出たのですが、その業務から離れると、症状も緩和したとも言います。こういったことからも、PTSDの性質をりかいしていったのでしょう

 

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眼の前の子どもの見方が、180度転回する時。

2016-01-23 11:07:51 | アイデンティティの根源

 

 

 
≪自分を確かにする感じ≫ 負けるが勝ち 改訂版
  ≪自分を確かにする感じ≫。聴いたことないでしょ? これは普通「アイデンティティ」と言われている言葉の本来の訳語とすべき言葉です。元の言葉は a sense o...
 

 

 私どもは、いまここに踏みとどまるからこそ、希望を抱き続けることが出来る、ということを忘れてはなりません

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.253の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 この本の中で私が描いたのは、ルターは、かつてはビクビクした子どもでしたが、キリストの十字架の苦しみを学ぶ中で、キリストがお生まれになった事の一番大事な意味に、ルターが如何に気付いたのか、ということです。そして、私がお示ししているのは、フロイトの内省法をしていけば、人間が抱えている葛藤を安全にコントロールできるようなる、ということですが、それは、子どもの頃に大事にされたり、激しい怒りを抱いたりした境を明らかにすることによつて、初めてできることですよ、ということです。ルターもフロイトも、2人とも、 「心の中にも、あの子どもが独りおいでです」ということに気付いたんですね

 

 

 

 

 心の中にも、あの子どもが1人いることに気付くこと、それが、眼の前にいる子どもの見方が180度転回する時です

 これは、コペルニクスの転回です。

 

 

 

 

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人生の巡り合わせの地図が出来るまで

2016-01-23 10:11:40 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
自分を確かにする感じって、革命的!
  ルターは、本気になる前と後では、全くの別人。本気になることって、とっても大事。 p177冒頭から。   &n...
 

 エリック・エリクソンが慎重な者の書き方をするのは、もともと不安が高がったことの名残、と考えることが出来ます。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.5の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私ども2人の人生の巡り合わせの地図の8番目の舞台と、この舞台にある強さを振り返る時の私の目的は、今エリックと私が、いわば「たどり着いた」、意義深くて、大切な食い違いを明らかにする、ということです。私の注釈は、エリックの言葉と照らし合わせて、書いたものです。そのエリックの言葉とは、「人生の巡り合わせを私どもの時代に完成させたいという試みが本当に適当で、理に適ったものなのか」という言葉ですが、私はこのエリックの言葉を振り返って、照らし合わせをしたんですね。

 

 

 

 

 

 人生の巡り合わせの地図が、いかにエリクソン夫妻の共同作業だったかが分かりますね。

 

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言葉の力  あるいは、「なんでうちの子は育たないのか?」 改訂版

2016-01-23 07:34:35 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
エーリッヒ・フロムのパレーシア
  眼に見えるモノに目暗ましを喰らっている内は、人を大事にすることに注ぐべき精力が0ってことにもなりかねません。 p5最後の行から。 &nb...
 

 

 言葉の力。

 『旧約聖書』の「創世記」によれば、神様が最初にしたことは、言葉を話したことでした。最初の言葉は「光あれ」だったと言います。すると、光が出来たと言います。神様の言葉には、≪出来事≫を生み出す力があります

 最近のニッポンの状況ですと、ウソとゴマカシだらけでしょ。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちにような人たちは、言ってることは、日本市民を騙すことばかりですから、言葉は人を欺くものだと言う方が当然になっています。東電、東芝、東洋ゴム、西武学園、三井不動産レジデンシャル、化血研(化学及血清療法研究所)…、キリがありませんが、言ってることとやってることが真逆でしょ。ウソとゴマカシが言葉の目的と考える方が自然みたいな時代です。

 しかし、本来の≪約束≫の言葉は、神様の言葉と同様、≪出来事≫を生み出す言葉です。日本語でも、信じるとは、「人が言う言葉」という漢字「信」から出来ていますし、 「言霊」というものがある位ですから、今の時代状況の方が「狂気」なのであって、やはり、言葉は≪出来事≫になるものだ、と言う考えが、もともとありましたよね。

 しかし、この≪出来事≫になる言葉は、「頭で理解する言葉」ではありません。 「心で感じる言葉」、「身体で生きてみる言葉」です。言葉を換えれば、≪出来事≫になる言葉は、客観的真理を伝える言葉ではなくて、人格的真理をもたらす言葉です。

 子どもは、不思議なことですが、この≪出来事≫になる言葉に敏感です。この≪出来事≫になる言葉は、人を育てる言葉だからでしょう。育つと言っても、その根っこには、いつでも信頼が必要でしょ。≪出来事≫になる言葉ほど、信頼に値する言葉はないのですからね。

 子どもが育たない、と嘆いているお父さん、お母さん。ぜひ、自分が≪出来事≫になる言葉を生きているのか?と自分に問うてみてください。すると、 「なんでうちの子は育たないのか?」かが、ハッキリ分かりますよ。

 

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