エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ゴマ化しきれるかなぁ? 

2016-01-13 08:28:46 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
大事にしたい相手をみつけるのって、難しい
  人気があって、色気があれば、それはちやほやされ易い。でもそれって一時の事じゃぁないですか?残るものって何かしらね? p2の第二パラグラフ。 ...
 

 今朝の朝日新聞一面(1. 13, 2016 12版▲)に、遠慮がちに「東証、479円安 年明け6日続落」の見出しで、株が下げ続けていることを報じる記事が出ましたね。何兆円もの、虎の子の年金資金まで、湯水のようにつぎ込んで、株を買い支えていた、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちですが、もう、持ちこたえられないみたい。

 自分のアホノミクスの「業績」を、人のお金を何兆円もつぎ込んで、しかも、日本市民に大損までさせても、平気で平左で、粉飾しようとしていた、その化けの皮が剥がれつつあるのでしょう。筋が悪すぎです。

 それにしても、アベ・詐欺師ちゃんって、おバカですね。何とかごまかせるとでも思ったのでしょう。でも、ゴマ化しきれるものではない、ということは、私どもは知っておいた方が良いではないでしょうか?

 「隠されたものは皆現わされるためであり、おおわれたものは皆明らかにされるためである」(「マルコによる福音書」第4章22節 前田護郎訳)

 

 

 化けの皮は 剥がれるもの

 隠れた祈りは 実現するもの

 

 

 あなたは、今日、どちらを生きたいでしょうか?

 

 

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本物で、確かで、自由であること

2016-01-13 07:12:28 | アイデンティティの根源

 

 

 
大事にしたい相手をみつけるのって、難しい
  人気があって、色気があれば、それはちやほやされ易い。でもそれって一時の事じゃぁないですか?残るものって何かしらね? p2の第二パラグラフ。 ...
 

 ルターは、自分自身になること、≪本当の自分≫になることを、何よりも大事にしていました。

 今日から、Young Man Luther 『青年ルター』p.251、第Ⅷ章 終章(エピローグ)に入ります。

 

 

 

 

 

   終章(エピローグ 終わりの言葉)

 

 ルターを引き下げて、信仰時代のあだ花として、陰のある偉人にしてしまっても、ルターの人生が真に意味することを、私どもが理解することにならないでしょう。ルター自身の言葉で確かめてみましょう。

 「私は自分の神学をいっぺんに学んだのではありません。でもね、自分の神学を求めて、底の底を探さなくてはなりませんでした。そこでは、いろんな誘惑があったんですよ。」。1人の神学者が誕生するのは、≪いまここ≫を生きる時です。いいえ、我に死んで地獄に落とされた時です。考えたり、本を読んだり、あれこれ思索したからと言って、神学者になれるわけじゃぁ、ありませんからね。

 

 

 

 

 

 オーセンティック authentic 。「本物の」、「確かな」と言う意味の言葉ですが、エリクソンの好きな言葉があります。このオーセンティックと言う言葉は、オートス αυτος 「自分自身」から派生した言葉なんですね。「我に死んで、地獄に落とされる」と、表面的な、この世的な、損得勘定の、自己中心の自我が死んで、≪本当の自分≫に生かされるようになります。≪本当の自分≫に由るから、また「自由」でもある訳ですね。

 本物で、確かで、自由であることほど、人間にとって大事なものは、他には、ない

のですね。

 

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人生は、やっぱり、悲しすぎる?

2016-01-13 06:04:03 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
人類滅亡を覚悟できない場合は、核を使うな!
  倫理がバラバラですと、自分を確かにするのは夢のまた夢。 p241ブランクの下11行目途中から。   &nbs...
 

 

 シェークスピアの人生の地図は、やっぱり、もの悲しい。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.3の、8行の詩の後半から。

 

 

 

 

 

               次は裁判官

     丸いポッコリお腹  お行儀良しで日和見で

     怖~い目つきに   お堅いおひげ

     格言好きに    おニューが目立つ その裁き

     そうして役目をこなします 第六幕は

     痩せてスリッパ   履くぼけジジイ

     鼻に眼鏡で     脇に小袋

     流行りの靴下 手元に残すも  世間同様デカすぎる

 

 

 

 

 

 成人期にしても、老年期にしても、悲しすぎる現実の一面ですね。成人期は、虚飾そのもの、老年期はわびしさそのもの、なのですから。 

 シェークスピアは、なぜこんなに人生を悲嘆するのでしょうかね?   

 

 

 

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薬はあくまで、補助みたい

2016-01-13 05:03:55 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
「腑に落ちない」をゴマ化さない 吉本隆明さん
  吉本隆明さんのことを、NHKが「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回」で取り上げています。http://www.nh...
 

 

 人間は、戦場に行ったら、5人に1人が、向精神薬の厄介にならなければならず、何千億円もの薬代を負担しなくてはなりません。戦争程バカゲタことは、ありませんね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.226の、フランクの後の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ところが、どんな薬も、トラウマを「治す」ことなどできません。薬は、身体の不調の兆しを弱めることが出来るだけです。それに、薬をやったからと言って、自分で自分をコントロールする訓練にはなりませんよ。薬がしてくれるのは、気分と行動をコントロールすることくらいで、しかも、いつも代価を払わなくちゃいけませんでしょ、というのも、薬が効くのは、関わり合い、動機づけ、痛みや喜びを司る科学的な仕組みをプロックするからですね。私の同僚の中には、楽天的な人もまだいますよ。真面目な科学者らが、脳の恐怖の回路を奇跡的に元通りにする、いつ見つかるとも分からない、魔法の薬を探し回っていることを議論するような会議に出たこともあります(それはまるで、トラウマのストレスが、1つの単純な回路とだけ関わっているかのような議論でしたね)。私もいろんな薬を処方しています。

 

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授は、薬には一定程度の効果を認めていますけれども。それは非常に限定的な感じですね。薬は治療の補助的な役割があるだけみたい。

 

 

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