エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

世の中が変わるのは、たった一人の気付きから!

2016-01-29 18:51:34 | アイデンティティの根源

 

 

 
レイチェル・カーソンが心の底から信じていることは?
  子どもにとって大事なのは知識じゃぁない。だから、大人が自然についていろいろ知ってる必要はないらしい。 p55の8行目途中から。 &nbs...
 

 

 人間の暮らしに欠かせないものって、いったい何でしょうね。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.254の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 以前の本で、私は研究計画について触れましたよね。そこでは、ひとりびとりの人生の舞台と、根源的な人生の習慣とを繋ぐものについて説明しましたね。この本は、その舞台の一つ、自分を確かにできない危機、を描き出したのにすぎません。すなわち、この本で描かれているのは、組織化された宗教が、世の中の価値を支配していた時代に、自分を確かにできない(訳注:1人の人の)危機が本来備えている、世の中の価値が新しくなる経過との関係なんですね。

 

 

 

 

 

 ちょっと翻訳を読んだだけでは、パッと分からないかもしれませんね。ゴメンナサイ。私の翻訳もまだまだだからでしょう。でも西平さんのものよりもマシでしょうね。

 世の中はなかなか変わらない。選挙に行ったって、どの政党に入れても同じだ…。などと、一見、物分かりが良さそうな、その実、諦めの塊のようにことを言う人が、結構いますよね。そんな人には、ここでエリクソンが教えてくれていることに、耳を傾けてもらいたいと思います。

 エリクソンは、

世間を支配していた価値が変わるのは、たった1人(の価値)が変わることから

って、言ってんですからね。そのあたり、よろしくね。

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見ることと見識

2016-01-29 08:43:38 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
キリスト教の英雄時代
  ルターに影響した価値とは何だったのか? p178の第3パラグラフ。      キ...
 

 「叡智」は、「見て知る」ことから。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.6の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもは、見るという素晴らしい恵みを当然と思うのは、見ることが、期待通り、思い通りに、役立たない場合か、まだ、役立たない時でしょう。私どもはずっと昔を振り返ることもできますし、そうすれば、自分自身の人生や自分が住んでいる世の中について理解するのに役立ちます。私どもは将来を展望することもできますし、見ることは、単に見たいものや望ましい夢を見るだけになるかもしれませんね。でもね、未来を期待する見通しがなければ、心配で心配で元気がなくなりますでしょ。しかし、大らかなアメリカ人のやり方では、昔からの叡智を受け容れたことを示す言い回しがあることが分かりますよ。日常的に、" Oh I see. I get it. I understand " 見ることが、分かったことになりますよね。さらに、enlightment 光を当てることが「啓蒙」になり、discernment シッカリ見ることが、「判断力」「洞察力」になり、insight 内側を見ることが「卓見」「洞察」になるなど、見ることや資格に関係する言葉に敬意を払って理解していることが分かりますでしょ。

 

 

 

 

 

 ちょっと考えても、見ることと深い理解、見識と結びついていることが分かりますね。

 

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霊的な教育は、センスと不立文字だ!

2016-01-29 04:19:09 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
加藤周一さんが言う「ぜいたく」
  「ぜいたく」贅沢と言えば、何を想像されるでしょうか? 海外旅行が、すでに贅沢とは呼べないくらいになって久しい今、何を以て贅沢とするかは、意外に難しい問いなのか...
 


 霊的な教育。霊的とは、スピリチュアル、ということですね。

 1998年に改定された、WHO(世界保健機関)の「健康」の定義によれば、

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

この霞が関の翻訳はウソとゴマカシに満ちています。mentalspitirualを一緒くたにして「精神的」と訳してしまってますからね(http://www.japan-who.or.jp/commodity/kenko.html)。

人間が健康でいるためには、「霊的にも幸せ」である必要があることがハッキリしている時代です。

 内村鑑三は、中江藤樹の章で、WHOと同様に、身体と心と霊の事情に合わせて、薫陶することが、教育において大事だと言います(岩波文庫版の鈴木俊朗先生の翻訳では、「霊的」ではなくて、「精神的」と訳されている)。

 内村鑑三が強調している中江藤樹先生の教育の特色は、「感化」でしょう。しかも、感化しようなどと言うスケベ根性で感化するのではありません。自分が感化しているなどとは思わないで、感化するのが、藤樹先生の感化でした(岩波文庫版、p.135)。その昔、児童自立支援施設、教護院が、「感化院」と呼ばれていた、その「感化」です。これって、単なる知識の伝授でもなければ、カリキュラムの完全実施でもない訳でしょ。感化と言えば、相手が感じることでしょうから、知的て言うよりも、感性的。客観的と言うよりも、人格的人格の香りを子ども等が感じて、その、すぐには言葉にならない感じを、育んでいくことでしょう。これは、エリクソンが繰り返し ” a sense of ~ “ と言ってきていることと完全に重なりますね。

 私に言わせたら、霊的な教育とは、まずは、センス senseの教育だ、ということになりますね。ですから、それは、文字ではなくて、いわば、不立文字で伝えるものでしょう

 

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ヴァン・デ・コーク教授とビルさんの関係

2016-01-29 02:23:47 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
レイチェル・カーソンが心の底から信じていることは?
  子どもにとって大事なのは知識じゃぁない。だから、大人が自然についていろいろ知ってる必要はないらしい。 p55の8行目途中から。 &nbs...
 

 ビルさんは、神経疾患のために、車いす生活を覚悟しなくてはならない程、麻痺が出てしまいました。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.230の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ビルの厳しい見通しを聴いて、私はビルに、「身体に感じる痛みを、十二分に感じて、馴染んでほしい」と強み薦めました。「それは、一番痛ましい戦争の記憶に耐えられるようになり、折り合いをつけられるようになったのと同じだよ」とね。私が勧めたのは、専門のマッサージ師に相談したらいい、ということでした。そのマッサージ師が私に紹介してくれたのが、フェルデンクライスでした。フェルデンクライスは、いろんな身体の感覚や筋肉の動きを整える、穏やかで、実際的な治療をしていました。ビルがどうしているのかを、また話しに来てくれた時、ビルはだいぶ身体の自由が効いてきた、と嬉しそうでした。それで「僕は最近、ヨガを自分でも始めたし、(正義の源研究所の)トラウマセンターでもヨガのプログラムを始めたから、良かったら、次の治療法にヨガをやりませんか?」と誘いました。

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授とビルの関係が目に浮かぶようですね。ビルがいかにヴァン・デ・コーク教授を信頼しているかが分かりますからね。事あるたびに、ビルはヴァン・デ・コーク教授のもとを訪ねてきていますでしょ。

 それに対して、ヴァン・デ・コーク教授の方も、ビルの状況に合わせて、最善と思われる提案を繰り返していますよね。

 

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