幸せは、意外にも身近にある? 改訂版
「三高」でも、幸せとは限らない、としたら、私どもは何を頼りにしたらいいののでしょうか? p3の15行目途中から。 &nb...
敗戦後教育を振り返る「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択(5)教育」の番組の再放送を、改めて見ました。
敗戦後の教育は、戦争中に使った教科書に墨を塗ることから始まりました。私の両親の世代が、まさに教科書に墨を塗った世代です。両親からその話を聞いたことはありませんが、母親の兄から、教科書に墨を塗った時の話を直接聞いたことがあります。その伯父は、特に「感慨」を語ることはありませんでした。この番組では、敗戦後の教育は、戦前の「死ぬための教育」から180度転回した「生きるための教育」だった、と明らかにしてくれました。
この番組では、いつくかの貴重な歴史的証言がありましたね。その内の2つを、備忘録的に文字にして、このブログに残しておきたいと考えました。
ひとつは、無着成恭さん(88才)が、「1946年に来日した『アメリカ教育使節団』のレポートを読んで、衝撃を受けた」とおっしゃる、そのレポートの件です。
「教師の最善の能力は、自由な空気の中おいてのみ、十分にあらわされる」。
この≪自由な空気≫が何よりも大事なわけですね。無着成恭さんは言葉を続けます。
「だから、教育を政府が政治的に縛っちゃぁ、いけない、ってこと、言ってる訳ですね。自由主義の光を与えることが、教師の仕事なのであって、その反対のものを与えることではない。これが教師の仕事の内容だってね。ほぉ~、アメリカではこういう風な考え方でやってんのか。日本とは逆でね。子どもに、国家の仕事をいかに押し付けるか、という形でだけ、知識を授けるでしょ。日本の教育は国家のための教育であって、人間のための教育ではなかったんだ、って、師範学校の生徒の時代に感じたわけですね」。
いまどきの、ニッポンの学校の押し付けがましい感じは、敗戦後教育の出発点では、反省されていたんだぁ、って感じたわけですね。
もう一人は、敗戦後教育の出発点で、教育をリードした東大名誉教授の太田堯(あきら)さん(97才)の言葉です。
「今度は、我々ピープルが教育を作らなくちゃぁ、いけないんだ、というのが、地域教育計画の発想なんです。教育というものは、国家のものじゃぁないんです。教育というものはね、公共のものなんです。パブリックなものなんです。道路と同じなんですよ。みんなが世話をしなきゃぁ、いけないの。パブリックって言うのは、そういうひとりびとりのもんなんだ。ここんところは、民主主義の根本原理ですからね、これをしっかり定着されなきゃならないと思ってね。
本当のエデュケーションとは、どういう意味なのか? 子どもが自己表現して、自分を育てていくという、根源的な自発性というものがある。そこを大事にするのが大事なんであって、一人一人の人間が持つ、自らを変えていく力、あるいは、根源的な自発性、そう言うものが軸なんだと…」。
私も、根源的な自発性こそが、今では教育の軸なんだと…。
私どもは、もう一度、敗戦後教育の出発点に戻って、教育を、私どもひとりびとりのものに取り戻して、自由な空気の中で教師が最善な力を発揮してもらって、子どもひとりびとりが、その根源的な自発性を育むことが出来るように、したいものです。