エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

新たな気付き

2016-01-16 11:32:06 | アイデンティティの根源

 

 

 
幸せは、意外にも身近にある? 改訂版
  「三高」でも、幸せとは限らない、としたら、私どもは何を頼りにしたらいいののでしょうか? p3の15行目途中から。  &nb...
 


 

 エリクソンは、自分の仮説をもう一度確認してくれるようですね。

 今日から、Young Man Luther 『青年ルター』p.251、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のブランクの後から。

 

 

 

 

 

 ルターが自分の祈りの底の底に挑戦したとき、新しい神学のための基盤が見つかるなどと、思ってもみませんでした。フロイトも、自分を新たな形で、自分自身を内省して分析するチャンスを得たときに、新たな心理学の指針が見つかるなどとは思ってみなかったのと、同じです。私はルターに対して、信仰を絶対視することを終わらせた点で、最初のプロテスタントだいえますが、フロイトが見つけた洞察を当てはめてきました。また、理性を絶対視することを終わらせた点で、フロイトを最初の精神分析家です。私は、ルターとフロイトの2人に、偶然そうに見える共通点に、触れてきました。結論では、この2人の繋がりを、今まで以上ハッキリと申し上げなくてはならないでしょう。

 

 

 

 

 ルターとフロイトの2人は、新たな気付きを得た点で、共通していました。

 

 

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ガッテンはユッタリ

2016-01-16 10:16:19 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
共存共栄を確かにする道
  相手の個性を大事にすることは、とっても大事。でもね、それが分かっているからと言って、相手の個性を大事にできる訳ではないのが、人間の不思議です。自分の個性を大事...
 

 エリクソンのライフサイクルの地図には、7番目の舞台が、後から挿入されたんですね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.3の、下から5行目から。

 

 

 

 

 

 人が今、人生の巡り合わせの中の何処にいるのかを理解し、見通しを持つことって、難しい。今日が明日と同じなのは、ユッタリとして、あれこれと考えてみないからです。老年期は、ひそかに忍び寄り、光陰矢の如しでしょ。私ども2人は、8番目の舞台の細々したことを、ユッタリとすることで漸う、学び出したんですね。

 

 

 

 

 

 これは、エリクソンに限ったことではありませんね。ライフサイクルの地図は、すぐには理解不能です。分かったつもりで、8つの舞台の特質を暗記するのが、しかも間違って暗記するのが関の山でしょう。自分の人生を、あるいは身近な人の人生を、エリクソンのライフサイクルの地図を参考に、あれこれと考えて、「なるほどなぁ」と繰り返し、ガッテン して、初めて徐々に理解できるものだからです。

 

 

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教師の仕事:敗戦後教育の出発点

2016-01-16 09:02:02 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
幸せは、意外にも身近にある? 改訂版
  「三高」でも、幸せとは限らない、としたら、私どもは何を頼りにしたらいいののでしょうか? p3の15行目途中から。  &nb...
 

 敗戦後教育を振り返る「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択(5)教育」の番組の再放送を、改めて見ました。

 敗戦後の教育は、戦争中に使った教科書に墨を塗ることから始まりました。私の両親の世代が、まさに教科書に墨を塗った世代です。両親からその話を聞いたことはありませんが、母親の兄から、教科書に墨を塗った時の話を直接聞いたことがあります。その伯父は、特に「感慨」を語ることはありませんでした。この番組では、敗戦後の教育は、戦前の「死ぬための教育」から180度転回した「生きるための教育」だった、と明らかにしてくれました。

 この番組では、いつくかの貴重な歴史的証言がありましたね。その内の2つを、備忘録的に文字にして、このブログに残しておきたいと考えました。

 ひとつは、無着成恭さん(88才)が、「1946年に来日した『アメリカ教育使節団』のレポートを読んで、衝撃を受けた」とおっしゃる、そのレポートの件です。

教師の最善の能力は、自由な空気の中おいてのみ、十分にあらわされる」。

この≪自由な空気≫が何よりも大事なわけですね。無着成恭さんは言葉を続けます。

「だから、教育を政府が政治的に縛っちゃぁ、いけない、ってこと、言ってる訳ですね。自由主義の光を与えることが、教師の仕事なのであって、その反対のものを与えることではない。これが教師の仕事の内容だってね。ほぉ~、アメリカではこういう風な考え方でやってんのか。日本とは逆でね。子どもに、国家の仕事をいかに押し付けるか、という形でだけ、知識を授けるでしょ日本の教育は国家のための教育であって、人間のための教育ではなかったんだ、って、師範学校の生徒の時代に感じたわけですね」。

 いまどきの、ニッポンの学校の押し付けがましい感じは、敗戦後教育の出発点では、反省されていたんだぁ、って感じたわけですね。

 もう一人は、敗戦後教育の出発点で、教育をリードした東大名誉教授の太田堯(あきら)さん(97才)の言葉です。

「今度は、我々ピープルが教育を作らなくちゃぁ、いけないんだ、というのが、地域教育計画の発想なんです。教育というものは、国家のものじゃぁないんです。教育というものはね、公共のものなんです。パブリックなものなんです。道路と同じなんですよ。みんなが世話をしなきゃぁ、いけないの。パブリックって言うのは、そういうひとりびとりのもんなんだ。ここんところは、民主主義の根本原理ですからね、これをしっかり定着されなきゃならないと思ってね。

 本当のエデュケーションとは、どういう意味なのか? 子どもが自己表現して、自分を育てていくという、根源的な自発性というものがある。そこを大事にするのが大事なんであって、一人一人の人間が持つ、自らを変えていく力、あるいは、根源的な自発性、そう言うものが軸なんだと…」。

 私も、根源的な自発性こそが、今では教育の軸なんだと…。

 私どもは、もう一度、敗戦後教育の出発点に戻って教育を、私どもひとりびとりのものに取り戻して、自由な空気の中で教師が最善な力を発揮してもらって、子どもひとりびとりが、その根源的な自発性を育むことが出来るように、したいものです。

 

 

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お薬よりも、やっぱり、マインドフルネスがお勧め

2016-01-16 04:59:26 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
Je suis Charlie 私はシャルリだ 改訂版
  「Je suis Charlie 私はシャルリだ」 つい先日、ロサンゼルスで開催されたゴールデングローブ賞の授賞式、ジョージ・クルーニーさんが、「Je s...
 

 「眼を動かすことで、脱感作とトラウマ処理をするやり方(EMDR)」の方が、SSRIよりも、よく効くみたい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.227の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 自律神経に作用する薬、たとえば、プロプラノロルとかクロニジンとかは、過覚醒やストレスに対する反応を和らげてくれます。この種の薬が効くのは、アドレナリンの物理的な影響、すなわち、覚醒レベルの上昇を邪魔するので、悪夢や不眠やトラウマ反応の引き金になる反応を減らしてくれます。アドレナリンの働きを邪魔すれば、理性的な脳を働かせることが出来ますし、自分で選んで生きることも出来ます。「これって、ホントに私がしたい事なのかしら?」と考えることが出来ます。私は、マインドフルネスとヨガを私の仕事に取り入れてから、薬を使わなくなりました、クライアントが安眠をとりたいときに、薬を使うくらいですよ。

 

 

 

 

 良かったです。ヴァン・デ・コーク教授も薬をほとんど使わないことを知ったからです。薬よりも、マインドフルネスですかね。

 

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