他者の誠実さに自らを委ね続ける態度 改訂版
ガンディーにとっては、敵も味方も皆兄弟。傷つけていい相手などいないのですね。 p239最後の行から。 &...
発達トラウマ障害DTD,愛着障害の子どもは、誤診され続けています。また繰り返しのテーマです。児童精神科医でさえ、善く分かってない位なんですね。何故、児童精神科医も愛着障害のことをよく知らないのか? それは、精神医療の分野でも、トラウマ研究、特に、発達トラウマ研究は、アメリカでもベトナム戦争以降のことですから、40年ほどの歴史しかない、新しい研究領域なので、児童精神科医も、発達トラウマのことは、ほとんど教えられていない、ということがあります。佐々木正美先生、王子クリニックの石崎朝代先生、岡田クリニックの岡田尊司さん、のような、愛着障害のことがよくお分かりの、立派な児童精神科医もいないではない。あるいは、福井大の友田明美さんや、浜松医大の杉山登志郎さんのように、また、岡田尊司さんみたいに、愛着障害のことを、広く世間に知らせようとしている人もしますでしょ。しかし、残念ながら、それは、それじゃあなくても、少数しかいない児童精神科医の中でも、ごくごく少数派。やっと巡り合った児童精神科医が、発達トラウマ障害DTD,愛着障害のことをよく知らない、ということの方が、普通だと考えて良いのが、残念ながら日本の悲しき現状の1つです。
愛着障害のことをよく知らない児童精神科医は、発達トラウマ障害DTD,愛着障害の子どもを、ADHDや自閉症など、発達障害と誤診し、コンサータ、リタリンなどが間違って、処方することが多い。
何故なんでしょう? それは、すでにご指摘したように、児童精神科医が愛着障害のことをあまり習って来なかった、ということがあります。でも、それだけじゃぁ、ありません。
発達障害と,発達トラウマ障害DTD,愛着障害を比べてみますと、発達障害は、生まれ持った、生物的な器質的な要因からくるものであるのに対して、発達トラウマ障害DTD,愛着障害は、親の養育態度などの環境要因からくるものです。母親にとっては、発達障害と言ってもらった方が、自分の責任に対する免罪符を貰う感じになりやすい。ですから、親にとっては、愛着障害と言ってもらった方が良い。
児童精神科医の方も、かつて、自閉症のことを「母原病 ぼげんびょう」と呼んだ時代のトラウマがあります。自閉症は、冷たい母親の養育態度に原因がある、とする見立てです。それは、科学的根拠がないとされている見方です。児童精神科医は、ですから、親の養育態度に帰するような診断名を出すことをタブーと考える傾向にあんですね。つまり、児童精神科医も、発達トラウマ障害DTD,愛着障害と、母親を前にして言い辛い傾向にあるんです。その結果は、児童精神科医の方も、発達障害と言った方が良い、ということになりますね。
こうして、母親にとっても、児童精神科医にとっても、発達トラウマ障害DTD,愛着障害ではなくて、発達障害を選択したい、という共通利害が生まれやすい。しかし、そこで見落とされている視点がありますでしょ。それは子どもの視点です。
今のニッポンは、弱い立場の人はおしなべて、切り捨てられていますし、それを「一億総活躍」などという、吐き気を催すほどの「美辞麗句」で、粉飾、偽装されてるんですね。子育て環境も、「先進国」の中でも最悪です。少子化と言うと、世の中のすう勢だから、仕方がない、と何となく感じている人も多いでしょうけれど、そうじゃないんですね。これは、真面な子育て政策をしてない、政治の不作為のせいであって,時代の趨勢ではありません。子どもの視点はじめ、弱い立場の人達の視点は全て、政治が見捨ててんですね。その時代の力の故に、本来は、子どもの代弁をすべき、母親や児童精神科医さえも、子どもの視点を捨てる結果になっているのも、悲しいかな、ニッポンの偽らざる姿の1つです。
いま必要なことは、子どもの視点の再生です。