エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターは面白い 改訂版

2016-01-08 18:22:52 | アイデンティティの根源

 

 

 
生かされている、不思議な命 3訂版
  自分の命。実に不思議ですよね。昔、保育士を目指す20才前後の人たちに話したことがあります。それは、昔ビートたけしさんがやっていたTV番組「たけしの万物創世紀」...
 

 ルターは、人並み外れたしなやかさの持ち主でした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.250の、3行目途中 から。

 

 

 

 

 

ルターは自分自身を、結婚、名士、友情、教えること、といった親しい関係の中で、自分の母親からもらったはずのものを、他の人達にあげる時間が、ほとんどない人みたいに、のめり込みました。ルターは、気前のいいお父さん、気前のいい牧師さん、気前のいい持成し手として、お母さんみたいでした。それはちょうど、何物も意に介さずに、全てを抱え込んで(おでぶちゃんが)世話をするようでした。ルターは自分の食卓では、ケンカ腰の説教にふけることもありました。ケンカ腰の説教はローマ教皇の秩序と闘うために、一回ゴワサンだと主張するものでした。それから、ルターは奥さんを、冷やかし半分にからかうことも、いつものことでした(たとえば、耳を欹てるたくさんの子どもやお客の前で、「奥さんをもう一人もらっちゃおうかなぁ」等と言い建てたりしたんですね)。

 

 

 

 

 ルターは、自由だったんだと感じますね。ちょっと、細やかさには欠けていたのかもしれませんけれども、愉快な感じの人だったはずですね。でもね、その辺の事情が分からない堅物や、真面目だけがとりえの人には、不愉快だったかもしれません。

 「奥さんもう一人もらっちゃおうかなぁ」なんて言う牧師さんがいたら、面白いと私は思います。神父さんには、「僕は1人の奥さんもいないんだぞぉ」と叱られるかもしれませんけれどもね。ニヤッ

 

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ジョアンの覚悟は、涙が出るほど、素晴らしい!!

2016-01-08 07:52:10 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ビジネスライクで生きましょう?? 日和見の正義と真実
 信頼のもとなるスピリット。その悦び。 p98の14行目途中から。      現代の...
 

 

 ジョアンも、感性が鋭い感じです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.2の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 素晴らしい物語という縦糸と横糸、それから、注意深く選んだ言葉で、人生の巡り合わせ全体は、一枚の紙の上に、描くことが出来ます。将来改良する点や練り直すべき点があるなどとは、とても思えませんでしね。のちのち、この人生の巡り合わせの地図は、その丈も胴回りも伸びることになりましたし、鮮やかな色で織りあげられることになりました。私がいつも申し上げてきていることは、人生の巡り合わせの地図が、本当に意義深いものになるのは、自分の人生を織物に見立てることが出来た時だけだということなんですよ。いいえ、むしろ、人生の巡り合わせの地図が、本当に意義深いものになるのは、自分の人生を織り上げて、自分自身になる覚悟を持つ時だけだ、ということです。

 

 

 

 

 

 この素晴らしい覚悟があったればこそ、実に見事なほどに、様々な人に人生の織りなす物語に、ビィビィッと応用が利くライフサイクルの理論にすることが出来たのだと思います。

 エリックとジョアンの人生の巡り合わせに対する深い洞察は、万人のためにこそあるものと考えて間違いありません。

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#発達トラウマ障害DTD や #愛着障害 の #子どもは、#誤診され続けている #子どもの視点 は #見捨てられ 続けている

2016-01-08 06:49:44 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
他者の誠実さに自らを委ね続ける態度 改訂版
  ガンディーにとっては、敵も味方も皆兄弟。傷つけていい相手などいないのですね。 p239最後の行から。   &...
 

 発達トラウマ障害DTD,愛着障害の子どもは、誤診され続けています。また繰り返しのテーマです。児童精神科医でさえ、善く分かってない位なんですね。何故、児童精神科医も愛着障害のことをよく知らないのか? それは、精神医療の分野でも、トラウマ研究、特に、発達トラウマ研究は、アメリカでもベトナム戦争以降のことですから、40年ほどの歴史しかない、新しい研究領域なので、児童精神科医も、発達トラウマのことは、ほとんど教えられていない、ということがあります。佐々木正美先生、王子クリニックの石崎朝代先生、岡田クリニックの岡田尊司さん、のような、愛着障害のことがよくお分かりの、立派な児童精神科医もいないではない。あるいは、福井大の友田明美さんや、浜松医大の杉山登志郎さんのように、また、岡田尊司さんみたいに、愛着障害のことを、広く世間に知らせようとしている人もしますでしょ。しかし、残念ながら、それは、それじゃあなくても、少数しかいない児童精神科医の中でも、ごくごく少数派。やっと巡り合った児童精神科医が、発達トラウマ障害DTD,愛着障害のことをよく知らない、ということの方が、普通だと考えて良いのが、残念ながら日本の悲しき現状の1つです。

 愛着障害のことをよく知らない児童精神科医は、発達トラウマ障害DTD,愛着障害の子どもを、ADHDや自閉症など、発達障害と誤診し、コンサータ、リタリンなどが間違って、処方することが多い

 何故なんでしょう? それは、すでにご指摘したように、児童精神科医が愛着障害のことをあまり習って来なかった、ということがあります。でも、それだけじゃぁ、ありません。

 発達障害と,発達トラウマ障害DTD,愛着障害を比べてみますと、発達障害は、生まれ持った、生物的な器質的な要因からくるものであるのに対して、発達トラウマ障害DTD,愛着障害は、親の養育態度などの環境要因からくるものです。母親にとっては、発達障害と言ってもらった方が、自分の責任に対する免罪符を貰う感じになりやすい。ですから、親にとっては、愛着障害と言ってもらった方が良い。

 児童精神科医の方も、かつて、自閉症のことを「母原病 ぼげんびょう」と呼んだ時代のトラウマがあります。自閉症は、冷たい母親の養育態度に原因がある、とする見立てです。それは、科学的根拠がないとされている見方です。児童精神科医は、ですから、親の養育態度に帰するような診断名を出すことをタブーと考える傾向にあんですね。つまり、児童精神科医も、発達トラウマ障害DTD,愛着障害と、母親を前にして言い辛い傾向にあるんです。その結果は、児童精神科医の方も、発達障害と言った方が良い、ということになりますね。

 こうして、母親にとっても、児童精神科医にとっても、発達トラウマ障害DTD,愛着障害ではなくて、発達障害を選択したい、という共通利害が生まれやすい。しかし、そこで見落とされている視点がありますでしょ。それは子どもの視点です。

 今のニッポンは、弱い立場の人はおしなべて、切り捨てられていますし、それを一億総活躍」などという、吐き気を催すほどの「美辞麗句」で、粉飾、偽装されてるんですね。子育て環境も、「先進国」の中でも最悪です。少子化と言うと、世の中のすう勢だから、仕方がない、と何となく感じている人も多いでしょうけれど、そうじゃないんですね。これは、真面な子育て政策をしてない、政治の不作為のせいであって,時代の趨勢ではありません。子どもの視点はじめ、弱い立場の人達の視点は全て、政治が見捨ててんですね。その時代の力の故に、本来は、子どもの代弁をすべき、母親や児童精神科医さえも、子どもの視点を捨てる結果になっているのも、悲しいかな、ニッポンの偽らざる姿の1つです。

 いま必要なことは、子どもの視点の再生です。

 

 

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MDMA(エクスタシーと言う麻薬)を使いたい人もいる

2016-01-08 00:03:30 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
他者の誠実さに自らを委ね続ける態度 改訂版
  ガンディーにとっては、敵も味方も皆兄弟。傷つけていい相手などいないのですね。 p239最後の行から。   &...
 

 MDMAは、心理臨床の補助に使えそうですね。

  ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.225の、ドラッグの第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 最初のパイロットスタディは、期待通りでした。最初の研究には、戦闘に参加した退役軍人や、PTSDの警察官、も含まれていましたし、結果良好でした。2回目の研究では、以前のセラピーでは効果が出来なかった20人の退役軍人の相談者を、12人のMDMAを併用する人と、8人の効かない偽薬を服薬する人に分けて、行われました。ゆったりした部屋に座ったり、横になったりして、20人全員に、28時間の心理療法を受けてもらいました。それは主に、心的な家族システムを活用した家族療法のセラピーを主とした、この本の17章の被験者の人達です。2ケ月後、MDMAを併用した、83パーセントのクライアントが、寛かいと見なされる様になったのに対して、偽薬を服用したクライアントは、25%のクライアントが寛かいと見なされるにすぎませんでした。おそらく、最も興味深かったのは、研究に参加してくれた人達は、面接を受けている最中の方が、研究修了後1年後よりも、寛かい状態を保てた、ということでした。

 

 

 

 

 

 面白いですね。確かにMDMAを併用した心理療法は著効を示す、と言えるレベルです。しかし、さらに面白いのは、ヴァン・デ・コーク教授が指摘しておられるように、1年後よりも、心理療法も面接を受けている時の方が、寛かい状態を保てた、と言う点です。

 何故なんでしょうか?

 

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