エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

確かな自分、一貯上がり!

2016-01-27 07:59:50 | アイデンティティの根源

 

 

 
子どもと一緒 改訂版
  真実は、不思議を感じる心から生まれてくるものらしい。 p55冒頭。      も...
 

 

 世代の新たな関わりが、新しい関係と新しい在り方をもたらしてくれます。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.254の、5行目途中から。

 

 

 

 

 

ですから、社会は単にいろんな衝動を抑圧したり、その衝動を昇華したり等はしません。社会はまず、ひとりびとりの自我の働きを助けなくてはなりませんし、その自我は、本能的なエネルギーを、いつくかの行動パターン、性格、生き方へと変えていきます。すなわち、核になるまとまりのある、確かな自分になるのです。そして、このまとまりのある確かな自分こそは、伝統から引き出されるものであると同時に、伝統に貢献するものでもある訳です。

 

 

 

 

 

 こうして、確かな自分の一貯上がり。本能的なエネルギーが、むき出しになるのではなくて、伝統と言う枠の中で、ある行動バターンになり、その行動パターンに応じて、人の性格や生き方も、できてくるのですね。そこに確かな自分も生まれます。しかし、それは単に伝統の再生さんが行われるのではなくて、伝統そのものも、その行動パターンが少しずつ変化することによって、変えられていくのですね。

 

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叡智の源

2016-01-27 07:51:42 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
考えることは、本を読み直すことに似ている
  映画「ハンナ・アーレント」。映画館をいろいろ探したけれども、なかなか行けませんでした。昨日wowowで、ようやく見ることができました。 映画は、ハンナ・ハ...
 

 

 人生の巡り合わせの8番目の舞台の生きる力、人間力は「叡智」と「まとめる力」ですが、こう言われたら、高尚な響きがあるために、歯が浮く感じがする場合があります。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.6の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもは「叡智」と「まとめる力」という、まさに種に対する根っこを堀り下げなくてはなりませんね。『オックスフォード英語辞典』は、言葉の意味を煮詰めて、古くからあり、価値もある、地に足のついた結びつきを教えてくれます。15cmを超える細かい字の印刷の本を捲って、ようやく、その言葉、母のように人を惹きつけ、神髄となる輝かしい「叡智」に至ります。この小さな根っここそ、veda ベーダ、「見て知る」ことです。

 

 

 

 

 

 「叡智」の源は 印欧語語幹のVeda、インド哲学のVeda、「見て知る」ことだと言います。これはギリシア語の、良心」 シュネーデシスの語幹のエイドンが「見て知る」と全く同じなんですね。面白いですね。

 

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教育=パーソナル+パブリック

2016-01-27 04:25:30 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
偉人は先取り
  ダーウィン、コペルニクス、フロイト。世界の見方を変えた人。 p178の6行目途中から。    ...
 

 教育哲学者の大田堯先生の『教育とは何か』(1990年、岩波新書 新赤版105)を読みますとね、教育は、パーソナルであると同時に、パブリックなものだと言いますよね(P.180)。これって、どういうことだと思いますか?

 まず、教育がパーソナルなものということの意味ですね。パーソナルということの意味は、分けることが出来ない個人(in[否定]-dividual[「分ける」と言う意味])と言う意味だそうですね。ちょっと響きがバタ臭いかもしれません。もっと日常的な言葉で申し上げますとね、「かけがえのない一人」と言う意味、「その人ならではの生き方が出来ること」と言うほどの意味だと申し上げて、大過ないだろうと考えます。

 エリクソンの言い方で言い換えますとね、「自分を確かにさせる生き方をする」ということです。「アイデンティティ」と言われても、実感のある言葉じゃないでしょ? もう何年もの間、毎日毎日エリクソンを読んできても、「アイデンティティ」ってだけ言われたら、実感が弱いですもんね。「自分を確かにされる」と言われたら、だいぶ感じが違います。私の感じですとね、「湧き上がる悦びがある感じ」+「柔軟に相手に合わせられるしなやかな感じ」+「相手がどう出ようと、揺るがない感じ」+「楽しいんだけれども、同時に、厳かな感じがする感じ」…、が「自分を確かにする生き方」にはありますね。そういう生き方を、子どもにプレゼントすることが、教育です。もちろん、そういう生き方をプレゼントするためには、プレゼントする大人が、まず「自分を確かにする生き方」をしてないとね。

 それからパブリック。大田堯先生は、「パブリックはピープル(people)がカギになる言葉で、人びとの、人びとによる、人びとへの、といった開かれたもの」だ、といいますね(p.180)。まるで、リンカーンのゲティスバーグ演説の件みたいでしょ。普通の言葉で言えば、公園や川の掃除を地元の人が一緒にする時みたいに、子どもを教育することを、その地域の人が共同作業で進める、って感じですかね。エリクソンが言うように、「新しい世代」を共同で創り出す感じ。ですから、教育は、親ばかりが責任を持つものでもなければ、親が、学校や教員を選ぶと言った恣意に委ねて良いものでもない、というのが、大田堯先生のご主張です。時と場合によっては、やっぱり、親のやり方に文句を言ってもいいわけですね。

 今のニッポンの教育には、この「パーソナル」な教育も、「パブリック」な教育も、どちらも欠けている感じがするのは、私の思い違いですかね?

 

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日々の痛み

2016-01-27 03:30:02 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
子どもと一緒 改訂版
  真実は、不思議を感じる心から生まれてくるものらしい。 p55冒頭。      も...
 

ビルは、ベトナム戦争帰還兵ですから、戦争トラウマがありました。でも、それ以前に、発達トラウマもありました。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.230の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもの時代のもう1つの大事なテーマは、ビルが牧師として直面した日々の痛みです。例えば、交通事故で殺された若者たちを埋葬することでした。その若者たちは、その数年前に洗礼をビルが行ったり、ビルが結婚式を司式したカップルで、家庭内暴力の危機に陥った人たちでした。ビルは支援団体を組織して、同じようないろんなトラウマで苦しんでいる人たちを支援するようになっていましたから、ビルは地元で有力な支援者になっていました。

 

 

 

 

 

 ビル自身の抱える困難にもかかわらず、ビルは、地元で支援団体を組織するような人なんですね。さすがは牧師さんですね。しかし、ビルには更なる困難が待っていたなんてね。

 

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