22日 3日目
国宝 犬山城 別名 白帝城
すっきりと秋晴れ。
今回の旅行でどうしても行きたい所があり、犬山城はパスしようと思っていたけれど、
息子がどうしても行きたいという。
ならば…・9時の開門前、チケット売り場で1番に並び、天守閣に登った。
空いていて、ユックリ堪能できた。
この天守閣の建てられたのは1573から1592年頃、あるいは1600年あたりと諸説ありますが、
現存する天守閣の中では最も古いと言われています。
江戸時代以前までめまぐるしく城主が入れ替わりましたが、江戸時代に入り、代々成瀬氏が受け継いで幕末を迎えました。
(パンフレットより)
ハハッ 息子とツーショット。 息子も年とって、二人でも照れずに写真に収まるようになったわ
仕事の上で一番忙しい時期は過ぎた?ので、「そろそろ 身を固めたら?」 なんて言いたいけれど、言えないものです。
山の上にあり、見晴らしの素晴しさ、天下一品の天守閣
博物館・明治村
犬山から車で20分、敷地面積100万㎡の場所に明治の建物を移築している。
現在その数67棟、重要文化財が10棟。
明治村についてはホームページをどうぞ
若い時から名前だけは知っていて、特にフランクロイド・ライト設計の帝国ホテルが移築されると聞いて
いつか行こうと思っていた。
幾星霜、白髪が目立つ年齢となりやっと行く事ができた
明治、大正の建物、特に西洋館が大好きです。
日本建築の技術的到達点が明治初めと言われています。
少なくなりましたが明治時代の素晴しい和風建築が 今も各地に残されています。
技術が最高潮に達したにもかかわらず、時代は西洋文化を取り入れ、追いつこうと必死の時代。
建築においても、西洋化の波は免れず、日本の木造建築の高度な技術を持つ大工さん達が、
見よう見まねで西洋館を作り、擬洋風建築という、洋館とは少し違う建物を作っていきました。
その他に外国人の建築技師を雇い、本格的な西洋館も建てられていきます。
明治、大正時代の建物は、実に混沌としていて面白いのです。
そして、建てた人達の意気込みを感じます。
西洋に追いつく西洋館を建てたい! 和風建築の最高を極めたい! 地方だけど、西洋館を建ててみたい!
明治、大正の建築を訪れると、その意気込みがひしひしと伝わってきます。
技術力の高さ、真面目さ、材料を見分ける目、日本人の素晴しさを感じる瞬間でもあります。
時代の波に押され、次々と古い建物が壊される中、明治村に移築して後世に残す・・・・素晴しい事ですね。
この村を考えた方達の見識の高さを尊敬します。
帰ってきて、知り合いたちに明治村の話をするのだけど、知らない方が多く、意外でした。
では写真で紹介
帝国ホテル正面外観
内部には当時の家具も残っている。
川崎銀行本店 展望タワーを残し、建物は斜めにカットして移築。
天童眼鏡橋 その上をレトロバスが走っている。
村内は広いので、バスに乗り、好きな場所で降りて見学するのが効率的 (一日乗り放題500円)
このほかに路面電車や、蒸気機関車が走っている。
ちなみに路面電車は、「花子とアン」 で、撮影に使われた。
聖ザビエル天主堂 (東京中央区)
呉服座(くれは座、と読む) (大阪府池田市) 重要文化財
通常、中には入れないが、丁度案内時間に当たり、10人程度で中に入り、説明を聞いた。
客席一桝に4人入るそうだ。
下は、舞台下の奈落。 暗くて、ワクワク感あり
宇治山田郵便局舎 (重要文化財) (三重県伊勢市)
この中から郵便を出すことができる。
最初に築された16棟のうちの一つ
北里研究所本館医学館 (東京都港区) は「花子とアン」の修和女学館として使われたそうだ。
そうそう、こんな建物だったわ
(夫の携帯に写真がありました。 追加♪)
このほか、西郷隆盛の弟・西郷従道邸、森鴎外・夏目漱石邸などなど、見所沢山
とても一日では無理
また来る機会はあるかしら。
思いを残して4時ごろ明治村退出。ここで息子と別れ
浜名湖沿いの三ヵ日のホテルに。
23日 4日目
朝日 ホテルの窓から
どこにも寄らず、8時半ごろに帰宅の途に
浜名湖の休憩所は散策路まであって美しい。
これで長旅終了です。
運転手が一人なので、前泊あり、後泊ありで、なるべく夫の体に負担をかけないドライブでした。
読んでくださって有難う。
一昨日から酷くお腹の調子が悪く、
今日、医者に行ったら、私もウィルス性胃腸炎と診断されました。
3つ前のブログで、「わが家は無事」と書いたけれど、実は1週間ほど前から少し不調。
すぐに治ると思ったけどダメ。
皆様も風邪にご注意ね。