人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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今帰仁 【7】

2015年11月15日 00時02分32秒 | 日記

 運天 <1>

源為朝が

伊豆大島から逃れて来るときに嵐にあい

「運は天にあり」と漂着したので

これが運天と言う地名の由来であるという!!!


運天は古代から天然の良港として

沖縄本島北部の重要な港とである

近世沖縄の四津口(港)の一つが運天港である


この運天港に

1609年3月25日薩摩軍3000余人

70~80隻の船で侵入する事件など


また、1816年バジルホール

1846年フランス艦船

ペリー艦隊なども訪れている


琉球国府時代には間切所が設置され

北部の行政要所で


1916年まで番所(役場)あった

現在は中曽根にある


運天には、大北墓(うふにしばか)

百按司墓(むむじゃなばか)

大和人墓(やまとんちゅばか)

外国人墓などがあり


歴史的な出来事の痕跡を遺している運天...港である。


運天ムラの所帯数は120

人口250人(外国人含む、2014年12月現在)

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