運天 <2>
源為朝伝説(1)
源為朝は父為義の八男として生まれる(1139年)
為朝は、弓矢の達人で左手が右手より約12cmも長く
210cmもある大男であったという
保元の乱に父、兄弟とともに参戦したが
敗れて腕の筋を抜かれ、伊豆大島へ流刑となる
島の代官三郎太夫忠重の婿となり、、、、
10年後(1165年頃)に伊豆七島を支配するようになる
1170年伊豆諸島を所管する
工藤茂光は上洛して為朝の乱暴狼藉を訴え
討伐の院宣が下った、500余騎、20艘で攻めよせた
為朝は抵抗しても無駄と悟り
九歳の我が子為頼を刺し殺し自ら腹を切って自害した
享年32歳、切腹は史最初の例といわれている
為朝の首をはね京都に運ばれて
さらし首になったという
為朝にまつわる多くの伝説がある
佐賀県の黒髪山で
角が7本ある大蛇を退治したという
また、300人が乗る大船を一矢で沈没させたいう
喜界島の沖合から雁股の矢を放ち矢を抜いたら
清水が湧き出したというなどの伝説がある
これらの、石碑が建てられている
また、為朝神社も多くあると聞く