美しい島・球美の島と呼ばれる、久米島は
歴史書にも「くめのしま」と「おもろさうし」に謡われている
日本の史書「続日本記」に元明天皇の時代714年の記事に
太朝臣遠建治等が奄美、信覚(石垣島)、球美等の
52人を率いって奈良に入朝をしたとある
また、ほかの史書にも、九米島・古米島・孤米島などの記述がある
久米島の歴史は古く、史跡、石碑、伝統文化など多くある
小島であるが、城跡として13箇所確認されている
15世紀頃久米島を支配していたであろう
宇江城跡、伊敷城跡、登武那覇城跡、具志川城跡として今も見ることが出来る
1511年に琉球の侵攻により、琉球の支配下になる
その後、具志川城主が代々地頭代として久米島を統治してきた
具志川城主の末裔である上江洲家は、280年前に建てられた家は現存する
沖縄最古で国の重要文化財に指定されている