日秀上人 <2>
伝承によると日秀は、1528年(享禄元年)頃
南海にあるとされる極楽浄土を目指して
補陀落渡海(ふだらくとかい)と言う捨身修行を行い
沖縄金武(きん)の富花津(ふなや)に漂着し地元の住人に救助され
沖縄へ来島したと云う経緯が伝承として伝えられている
日秀上人は真言密教・法華信仰・観音信仰・熊野信仰し法を極め信仰していた
日秀は金武の鍾乳洞(日秀洞)を神聖な場所として
そこを拠点として布教活動を行い
その洞窟のうえに金武観音寺を建立した
金武観音寺の山号は金峰山で金峰山三所大権現である
熊野権現の化身本地仏
阿弥陀如来・薬師如来・正観音菩薩像を彫って奉納したと伝えられている
琉球王府は、日秀上人の布教・宗教活動を庇護し援助した
沖縄において、真言宗は仏教二大宗派の一つになった
その頃の仏教は、沖縄歴史上、全盛期を迎えたと言われている