伊是名島で生まれ育った、金丸は
沖縄本島に渡り幾多の苦難の後
国王の地位まで上り詰め、尚円と名乗った
伊平屋島・伊是名島を尚円王の
生誕地として王府の直轄領となった
伊是名には現在、四殿内と言う金丸の親族がいる
銘刈家・名嘉家・伊礼家・玉城家である
王府はこれらの親族を優遇し恩典を与えている
叔父(父の弟)の地頭職を与え銘刈家が代々地頭職を継承する
姉、真世仁金に、初代阿母加那志(あむがなし)職を与え
これは高級神女である、三十三君の一人である
嫁ぎ先である、名嘉家の女性がこの職を継承していく
叔母には阿母(あむ)職を与えた、叔母が亡くなった後は
二人の娘が阿母の職を継ぐことになる
姉がフェー(南)の阿母になり
この職を玉城家の女性が継承する
ニシ(北)の阿母職は妹がなり
伊礼家の女性が代々継承された
銘刈家に首里王府から多くの品々が送られている
こうした拝領品は歴史的にも芸術的にも価値の高い
古文書、美術工芸品で貴重な文化財である
後に伊是名村寄贈され現在展示されて
見ることが出来る
阿母加那志(名嘉家)と阿母(玉城家・伊礼家)には
王府から祭祀用具の曲玉・金の簪・祭祀衣装など
また祭祀・神事の時に使われた籠(かご)も贈られている
この籠に乗って祭祀、公事清明蔡、神事の時に出掛けた
これらの貴重な品々は村の有形文化財に指定されている