舜天とは琉球王府の正史歴代中山王系図に
初代中山王と位置づけられている
生没年1166~1237年、在位50年 神号尊敦
瞬天が実在したとする史料は全く残っていない
中山世鑑(1650年)や中山世譜(1697~1724年)によると
瞬天の父親は源為朝であると記述されている
保元の乱により伊豆大島へ流刑になった
為朝は島を脱出しょうとしたが嵐に遭い
その時、運を天に任せると祈ったところ
琉球に流れ着いた、着いた港を運天と名付けられている
その後為朝は大里按司の妹を妻とし子が生まれ
尊敦と名付けた、後の瞬天である
為朝は望郷の念に駆られ妻子と供に故郷へ出港したが
嵐に遭い、何度か試みるが嵐に遭う
女、子供を船に乗せると、海神が怒り遭難すると言われ
為朝は泣く泣く妻子を置いて帰ったとある
母親と尊敦は父親との約束、帰りを待ち続けた
ガマ(洞窟)が浦添市牧港(まきみなと)にある
自然の洞窟で標高約20m.ありマチミナトテラブのガマと
呼ばれ現在御願所となっている
港のすぐ近くにあるガマに親子住み父の帰りを
待った港を「まちみなと」と呼ばれている
その後、尊敦と母親は浦添に居住し
成長した尊敦は他よりも知徳に優れ
1180年十五歳の若さで按司(領主)と成り
浦添地域を治めた